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二十四年目 自宅

この物語はフィクションです。実際の団体、個人などとは一切関係がありません。

また、連載小説という形態をとっていますが、作者は気まぐれなため続くかは未定です。もしも楽しみにしていてくださる方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

 微睡まどろみから覚めて、目を開いた。

 部屋の中はカーテンを閉めているせいで日光が入り辛くなっている。今は夏場なので日が昇るのも早いが、それのせいで微かな光を頼りに今は何時か探るのも難しい。

 (四十を超えてから目が覚めるのも早くなってきたしな)

 枕元に置いてあるスマートフォンを手で探り、握ると顔の前に持ってきた。

 今は何時だろうか。もしかしたら、思ったよりも眠っていたかもしれない。

 画面に表示された数字を見る。

 (まだ七時にもなっていないじゃないか)

 今日はナイトゲームのはずだから、昼前まで寝ていても間に合うはずだ。

 もう少し寝ようかと思ったが、眠るには喉が渇いている。

 むくりと体を起こした。台所に水を取りに行く。

 体を動かそうとした瞬間、腰がピキリと痛んだ。思わず腰に手を当てて、溜息交じりの息を吐いた。

 この腰の痛みとは、三十代も終わるあたりから付き合ってきている。何か異常があるといけないから、と医者にも診てもらったが、出てきた言葉は

 「今まで酷使してきたから、それが出てきてるんでしょう」

という言葉だった。

 いっそ骨折していたならば治療もできるが、今までの積み重ねで、異常もさしてない程度にダメージが積み重なっていると言われれば、少なくとも現役中は何かできるということはない。

 それにプレーするだけならば、よっぽど体の調子が悪くない限りはこの腰も耐えてくれる。

 腰に添えた手をベッドのマットレスにおろして、立ち上がる。

 寝室の扉を開けると、水を流す音が聞こえてきた。

 (そういえば、家に帰ってきてたんだな)

 シーズン中はホテルに泊まることが多いせいで、家に居るという感覚がすっかり抜けていた。空間を共にしていたはずの家族の存在を忘れていたことが申し訳なかった。

 「おはよう」

 みのりは食器を洗っていた。子供の世話をするために、一足先に朝食を済ませていたようだ。

 「おはよう、早いじゃない」

 実の口調はいつも落ち着いている。自分の抱えている少しの罪悪感に、この落ち着いた声が奥底まで染み渡っていく。

 「おはよう。ちょっと、喉が渇いてな」

 「そう」

 少し声が落ち込んだのが分かった。

 「子供の面倒を見てくれないの?」と思ったのか、「一緒の時間くらいとってくれてもいいじゃない」と思ったのか。多分、後者は自分の自惚れだ。

 食器棚からグラスを取り出して、冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを注ぎ、口を付けた。

 体が落ち着いてくると、眠気がまだ残っているのが分かった。

 (また寝ようか、どうしようか)

 迷っているうちに、二階が騒がしくなってきた。きっと、我が子が起きてきたのだ。

 「パパ、ママ、おはよう」

 二人して、そんなふうに朝の挨拶をする。

 「おはよう。朝ごはんはもうできているから、食べなさい」

 実が、椅子に着いて朝食を摂るように促した。

 テーブルの上には焼いた食パンとサラダにハム、果物の入ったヨーグルトが二人分、置いてある。

 「はあい、いただきまーす」

 言葉尻を伸ばしながら、陽人あきと貴也たかやが椅子に座った。

 (せっかく早く起きたんだ。せめて子供が出るまでは起きていようか)

 今日の試合のこともある。すぐに寝てしまおうかと思っていたが、心変わりをした。

 長方形の木製のテーブル。自分のいつも座っている椅子を引き、二人の子供の前に陣取るようにして、腰を降ろした。

 まだ眠い。してはいけないと思いながらも体は正直なもので、大きな欠伸が出てしまった。

 「パパ、今日も試合なんでしょ?眠くて大丈夫なの?」

 我が子に突っ込まれた。

 確かに今日の試合に影響は出るかもしれないが、今日を逃したら、いつ子供たちの学校に行く姿を見ることができるのだろうか。そう思うと、ここを離れる気にはなれない。

 「大丈夫だよ。気にしないで、朝御飯を済ませな」

 少しだけ笑みをこぼしながら、そう言った。

 「そっか、今日も頑張ってね」

 いつも熱狂的なファンに囲まれてプレーすることに慣れきっているせいだろうか。身近にいる人のそっけない応援が、逆に心地良い。

 「牛乳あるけど、いる?」

 台所で諸々の作業を終えた実が、自分に問いかけてきた。

 牛乳。言われてみると、しばらく飲んでいないような気がする。

 「頂戴。コップ持ってくね」

 椅子を立って台所に行き、コップを手渡した。みのりはいつも、綺麗な爪をしている。

 牛乳を注いで自分に手渡すとき、少しだけ彼女の顔が和らいだように見えた。こういう朝の光景が滅多にない我が家において、少しだけ、羨望していたのかもしれない。

 「ありがとう。いただくよ」

 こうして色々とやってもらっていると、自分が情けないような感覚にもなってくる。だがそれを表に出してしまえば、相手の好意を無碍にもしてしまうだろう。

 自分にできることは、喜ぶことだけだろうと思う。

 「遠慮しちゃだめだよ」

 実が、食事に夢中な子供には聞こえないくらいの声で、そういった。

 (心が読まれたかな)

 自分は苦笑しながら、元の椅子に座った。


 「いってきまーす」

 ランドセルを背負った二人が玄関から出ていく。純粋な、子供らしい笑顔が眩しい。

 「いってらっしゃい、気を付けるんだぞ」

 自分も手を振って、家の中から二人を見送る。扉がバタリと閉まると、実と二人きりになった。

 「二人とも、元気でよかった」

 まるで自分一人しかいないような感覚でそう言った。

 「私は視界の外なのね」

 いけない。少し軽々しかったか。

 「そんなことない。ずっと見守ってくれているから、二人は元気でいられるんだろ」

 「口下手な割には、そういうこと言うんだね」

 少し面倒なことになりそうだ。

 「二人とも、今日は一段と元気だったよ。パパが朝に見送ってくれるなんて、殆ど無いからね」

 そうか、いつもより元気だったのか。寝てしまわなくて良かった。心からそう思う。

 「それなら良かったよ。さてと。俺はもう少し寝て、夜に備えようかな」

 とはいっても、眠れるのは良くて一時間くらいかもしれない。それでも、この年になると少しでも体を休めておかないと支障が出てしまう。

 「そっか。じゃあ私はお皿洗うから。ゆっくり体を休めて」

 そういえば、みのりはまだ食器を洗わなきゃならないのか。

 「あ、やっぱり皿洗い手伝うよ」

 また、心変わりした。


 「ありがとう、助かった」

 「いや。慣れないことは、あまりやるものじゃないと思ったよ」

 本心だった。自分が一枚の皿を洗う間に、みのりは二枚洗っていた。このあたりの経験と作業量の違いは、やっぱり簡単に埋められるものではないと思う。

 「パパのやっていることに比べたら、お皿洗いなんて全然だよ」

 自分のやっていること。それは多分、この年までプロとして野球をしていることだろうと思う。

 「そうかな。自分ができないことは、なんでもすごく思えるよ」

 「それは自分を卑下してる。みんなが憧れるのは、私じゃなくてパパなんだから」

 そうなのだろうか。自分では、そう感じたことはない。

 「まあ、そう思ってくれているのなら有難い話だよな。自分も頑張らないと」

 「頑張るのも、ほどほどに…とは言えない職業だよね」

 「そうだな」

 みのりは少しだけ、寂しそうな顔をした。表情も変わらないし、口調も淡々としているからクールな印象を受ける彼女だが、本当は人並みに感傷的になることを知っている。

 淡白な返事をしたのも、深刻にさせないためだった。それでも、もう四十を超えて現役生活がもうすぐ終わる身である。家族として、大きな怪我が無いことを願ってくれていることは、考えずとも解った。

 (これはもう寝れないな)

 時計を見てそう思った。寝るのには、もう中途半端な時間だ。

 また水でも飲もう。そう思って立ち上がったとき、不意に腰が痛んだ。それに反応して、手が腰を抑えた。

 「パパ、腰が痛いの?」

 「いや、大丈夫。動ける」

 動けるなら大丈夫。それがアスリートの鉄則だ。

 「試合見てて思ったんだけれどさ。打つときのフォーム、変えたよね」

 軽く受け流そうとしたが、耳は聡かった。

 (なんだ、気づいてたのか)

 確かに、自分は今年からフォームを変えた。

 腰の痛みが増してきて、体を捻じる動作が辛くなった。今までの打ち方では、痛みが強くて振れない。だから、腰を上半身ごと回すフォームに変えた。体の開きは酷くなったし、力を入れにくくなったが、そこは経験と読みでカバーしている。

 「痛み止めも飲んでるでしょ?結構辛いんじゃない」

 「そんなことはないって。まだ働けてるんだから」

 「まだっていう時は、もうっていう時かもしれないんだよ?」

 心に棘が突き刺さった。もうそろそろ自分が限界に近い、ということを言われたからではない。

 自分が「もう限界だ」と感じていることを、見透かされていたからだ。

二十四年目

 106打席 87打数 22安打 .253 3本 12打点 (一軍)

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