十一年目 懊悩
この物語はフィクションです。実際の団体、個人などとは一切関係がありません。
また、連載小説という形態をとっていますが、作者は気まぐれなため続くかは未定です。もしも楽しみにしていてくださる方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
リーグ優勝を決めた瞬間、ベンチを飛び出してマウンドへと駆け寄る選手たち。思い切りの笑顔を浮かべる人もいれば、目に涙を浮かべる人もいる。
互いに抱き合い、勝利の快感を心行くまで味わう瞬間。
ベンチからゆっくりと、山野辺監督が、その歓喜の輪の方へと歩み寄っていく。皆、待ってましたと言わんばかりに手で招いて、輪の中心に迎え入れた。そして監督の周りを取り囲んで、力を合わせて体を持ち上げる。監督の体が五度、宙を舞った。
自分はその瞬間、二軍施設に設けられた食堂にいた。ここから遠く離れた一軍球場。ただ電波だけが、この喜びを伝える。
その様子を見ながら、自分は歯噛みした。
夏場だった。打った瞬間、ファースト方向への、高いバウンドのゴロ。投手とファーストがボールを処理しに向かう。ただ、反応が遅い。行けると思った。全力で一塁に走った。そして、セカンドがベースカバーに入ってくるのを見て、最後の一押しにと、左足を延ばしてベースを踏んだ。
直後、膝に激痛が走った。
体を支えられず、前につんのめるように体が転がる。膝を抱える。その痛みと共に、自分の今後に暗雲が立ち込めたと思って、顔が歪む。
コーチとトレーナーが駆け寄ってくる。
「膝か?立てそうか?」
コーチからの質問に、上体を起こしてから数度頷いた。
「無理そうだったら、肩貸すから」
立ち上がろうとする。まずは腕を支えに無事な右足を地につけて立ち上がった後、左足を降ろそうとした。
痛い。体重が乗せられない。体がよろめく。思わず、舌打ちをした。
トレーナーが肩を差し出す。自分だけでは歩けないと悟った自分はその方に腕を回して、支えてもらう格好でベンチ裏に下がった。
台の上に座らされ、ユニフォームの裾を捲り、膝の状態を見てもらう。既に赤く腫れていた。そこに軽く触れられる。それだけでズキリと痛みが走った。この時の自分の表情を見て
「無理だな。病院行こう」
と、トレーナーが言った。
応急処置として氷嚢を当て、痛み止めを飲み、テーピングをして、試合終了後に病院へ向かう。
膝の部分を触診したり、レントゲンやMRIでの撮影、超音波を当てての診察を行う。その後、暫くして診断室に呼び出され、こう告げられた。
「膝の内側側副靱帯損傷ですね。幸いⅡ度ですし、他の靱帯や半月板には損傷が見られませんので、保存療法も適用可能な程度です」
この説明にホッとすると同時に、果たして、本当に万全の状態で復帰ができるのか、という不安が襲い掛かってくる。
「復帰まで、どれくらいかかりそうですか?」
自分が訊ねると、先生は
「この程度だと、六週間が基準です」
と答えた。
この六週間という期間を、大分長いと感じた。
今季、ここまで調子が良かった。シーズン前に取り組んだ打撃改造が上手く行き、打率を伸ばすことに成功していたからだ。
それなのに、まだいけると思った矢先の怪我。ここから六週間、自分は他の選手の活躍を指を咥えて眺めていろというのか。
いや、その「まだいける」が招いた怪我でもあるのか?自分の欲が仇となったのか?
様々な問いかけが頭の中を巡った。
二日後、朝を迎えて、ベットから出る。左足には、膝を固定するためのギプスがついている。治療のためとはいえ、初めて付けたものだから、どうにも慣れない。
今年の同窓会で作ったチャットグループには、自分を心配する声がいくつも届いている。
(大丈夫。六週間で実戦にも復帰できそう。)
そう発信しておいた。
(なら安心だな!)
平野からのメッセージが届く。あっけらかんとした言葉だ。もしかしたら、一番不安がっているのは自分なのかもしれない。
松葉杖をついて洗面所に向かい、歯を磨く。口を濯ぐついでに、顔も洗った。
水に濡れた顔をタオルで拭いていると、ベッドの枕元に置きっぱなしにしていた携帯が鳴った。朝の八時。いくら球団の人間でも、こんな時間に電話をかけてくるだろうか。
急いで携帯のもとに向かい、発信者を見ると、そこには「藤野実」と表示されていた。
(藤野?こんな時間に?)
眉を顰めながら電話に出た。
「もしもし」
「もしもし?ごめん、こんな時間に」
「本当だよ。どうしたんだ?」
「怪我したんでしょ?気になって」
「心配してくれてたのか?」
チャットのメッセージ、参加者の内、藤野からだけは心配の声が送られて来なかった。少しだけ揶揄うようなニュアンスを含める。
「うん」
間を置かずに、藤野は肯定した。口籠ることもなくした、この反応に
「そっか。ありがとうな」
とだけしか言えなかった。一瞬、会話が途切れた。
「あのさ…何か困ったことが有ったら、言ってよ。行くから」
随分いきなりの発言のように思えた。
「藤野さぁ…俺の家の場所なんか知らないだろ?」
「うん、知らない」
「じゃあ、なんで…」
言いかけた瞬間、藤野から思いも寄らない言葉が出た。
「会いたいから」
「え?」
「斎藤に会いたくって、電話を掛けた」
自分に会いたい…。いや、何か企みが有るのかもしれない。この言葉を素直に受け取るべきか否か、疑心暗鬼になる。
「シーズン後になら、会えるんじゃないか?今はリハビリもあるし」
「じゃあ、連絡だけでも取らせて」
藤野はどうしても、と念を押してくる。ここまで頼まれると、断ることもし辛い。
「じゃあ、グループチャットで良いじゃないか。あそこなら…」
「個人的に連絡を取り合いたい」
息が詰まる。どうにも、こういった押し問答の対処には自信が無い。
「そこまで言うなら…良いよ」
結局、自分が押し負けた格好になった。
「じゃあ、これからよろしくね」
藤野はこう言って、電話を切った。電話が掛かって来てから切るその時まで、やたら急な印象を受けた。
(そんな焦ることあったか?)
そう思いながら、冷蔵庫に入れてあった野菜ジュースを、コップに注いだ。
今日は生姜焼きだった。食堂の調理師は自分が入団した時からこの場を取り仕切っている。その人が
「食べてけよ」
と勧めてくれた夕食を食べつつ、テレビに映っていた地方局の優勝インタビューを眺める。
選手たちはビールかけの真っ最中。全身を濡らし、泡に塗れながら、レインコートを羽織ったインタビュアーからの
「おめでとうございます!」
という言葉に、溌溂とした口調で次々と答えていく。
その選手たちの中には、育成として同期入団した五人の姿もあった。
桑原は既にエース格となっているし、辻はセットアッパー。高田は八番キャッチャー、宇田川は代走のスペシャリストとして確固たる地位を築き上げ、佐藤も便利屋的に起用されるようになった。
皆、活躍の道を見出して躍動し、そして優勝を成し遂げた。自分だって、活躍はできていた。シーズン途中までは。
(また、先を越されたか)
無念だ。この中に加われたはずなのに、自分はここで何をしているんだ。
絶対に、この時間を無駄にはしたくない。自分はクライマックスシリーズから復帰予定。まずはそこで結果を出す。そして、来季。今季よりも、必ず良い成績を残す。
「御馳走さまでした」
「はい、お粗末さん」
食器を返し、出口に向かう。痛い所は、もうどこにもない。
十一年目
352打席308打数96安打 .312 8本 49打点(一軍)
19打席15打数6安打 .400 1本 6打点(二軍)




