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第90話 深深深部

〈汚染が生物にとって脅威なのは、広範囲の細胞を再起不能にするからだ。汚染を放出する能力のあるものがそれを放出すると、特定の物体にぶつからない限り進み続ける汚染が発生する。それに当たった細胞はひとつひとつの設計図が破壊され、細胞分裂が行われなくなるか、予定とは別のミスコピーが起こる。それが体全体を貫通するから、生物にとっては致命的だ〉


「魔術じゃ、どうにもできなさそうだね……イメージが湧かない」


 鼻血が垂れる感覚がしたのでそれを手で拭おうとすると、防護服のバイザーが邪魔をした。


 地上に戻った後、ヴァルターは血塗れのわたしを見て特に何も言うことはなくただ再び防護服の着用を促した。わたしは、着ても無駄なのではないかと言ったが彼曰く汚染はこれ以上に悪化するものだという。まだ意識があることを喜ぶべきで、帝国側の管理局で除染した場合わたしの頑丈さを鑑みれば数週間は寿命が延びるかも、らしい。ヴァルターは変に心気臭くなってこの極限状態で無駄に気を利かすような男ではないし、覚悟を決めたわたしに気休めが必要ないことくらい、女を手玉に取る彼なら分かる。


 今出来ることは、汚染の仕組みを詳しく知って魔術でどうにかしてみようと企むことだけだった。


 人間の設計図は四種類の塩基という物質が相互に絡んで、三つの組み合わせパターンから人間に必要な物質を作り出すらしい。しかし、汚染の粒子がそのパターンを破壊、もしくは編纂し、完全に生み出さなくなるか、いち部分が破壊され想定されていない物質が作り出されてしまう。そして、その壊れた設計図が参照されミスコピーを繰り返し、人間は生きたまま腐っていく。


 さて、この仕組みをわたしの空間魔術でどういじくればいい? どういじくれば一秒でも寿命が延びる?


 無理だ。少なくとも、視覚的に人間の構造を全く理解できていないわたしには。解剖学や医学に精通していれば少しは抵抗できたかもしれないが、後の祭りだ。おとなしく、暗黒の世界を歩き続けるしかない。


 だが、気は楽だ。方向は分かったのだから、いまだにわたしの空間に触れては消えていく奇妙な生命体にだけ気を付ければいい。


 その奇妙な生命体は、怖がっているのか興味なのか、今までになかった空間魔術という存在にご執心で、その触れてくる頻度はだんだんと高まっている。


 暗闇の中では、リンクズモドキの群体で出来た穴倉が数秒に一回視界に写り、足元にはその死骸や生きているのか区別のつかないそれらが落ち葉のように散らばっている。


 その死骸の隙間から細かく動くものが見えた。


〈こいつら、深部の個体は生きていたのか。こいつの名前はなんだと思うよ〉


「……ゴキブリ」


〈そうだ。ただのゴキブリだ〉


 親指ぐらいの虫だ。タンスの裏やカーペットの下で走り回る、世界で一番気色悪い虫。驚くべきことに、その死体処理場の骨塚に群がるかのようなゴキブリ達には、金属光沢のある個体もいれば、そのままカーペットの裏で見つけても不思議じゃない色合いの個体も見えた。


「キモイ」


 その言葉は聞こえていないはずだが、彼らは怯えたように二本の細い触角をぐるぐると動かしながら、リンクズモドキの外骨格の中へ入っていった。


〈しぶといやつらだ。ある意味、生命の最高傑作だな〉


「もうちょっと親しみやすい見た目になってほしいよ」


 〈あいつらにとっては、あれが一番セクシーでクールなんだろ〉


 彼らはリンクズモドキの外骨格を汚染からの防護服としているのだろうか。きっと、あの外骨格の中はあの黒い卵でいっぱいなんだろう。気持ち悪い!


 わたしは吐き気を我慢するので精一杯だ。汚染の影響か、それとも気持ち悪い想像ばかりしているからか、その思考回路すらも汚染のせいなのか。


 防護服の中は血塗れで汚いけど、吐いたらもっと最悪だ。念の為、空間で喉の奥に蓋をする。


 そのリンクズモドキの骨塚の中では生態系が築かれているようで、森の落ち葉の下みたいに統一性の無い色々な生き物が動き回っていた。羽根の無い蠅、百足のように大量の足が生えた蟹、胴体が異様に大きい蜘蛛。部位が増えたり減ったり、汚染の遺伝子編纂の影響か生命の実験場と化しているその中でも、ゴキブリは安定した形を保った個体が多かった。


 その骨塚の頂上で鬱々として見える一匹のゴキブリがいる。ゴキブリはこびりついた苔のようなものを食べていた。腐食し、液状化した死骸だろうか。微生物すら汚染に耐えて生きているようだ。


 いや、ゴキブリはそれを食べているように見えたが前脚を動かして、自分の腹の下へ集めている。それをどうするのかと思えば、ゴキブリの腹から蜂に似た頭が生えていて、それがその苔を食していた。


 生えているのではない。寄生されている。ゴキブリの外見は人間の生活圏でも見れる健常そのものだが。中身が違うのだろう。あの蜂の大きさは、頭を見れば大体想像がつく。ゴキブリの体は頭以外の全てが空っぽだ。


 クリュサオルの事を調べていたら、寄生生物を纏めた図鑑によく蜂が出てきたことを思い出す。蜘蛛に寄生し、自身が羽化する為の巣を作らせる蜂。ゴキブリに麻酔を撃ち、そして、二激目の神経毒で心神喪失のような状態にし、卵を植え付ける蜂。


 あのゴキブリは、活発に動く触角と、自分ではなく中身のためにせっせと餌を集める様子から見て、脳の一部機能を生かされたまま内蔵は食われ尽くされ、ただの乗り物として利用されているのだろう。ゴキブリ自身も気が付かないまま。


 そのゴキブリを見つけたのは偶然が重なった結果だろうが、望んでいない偶然が必ず訪れることはある意味必然だ。


 防護服に護られながらその実、中身は魔力因子の餌と住処として使われ寄生されている自覚がないまま生かされ続ける。この防護服がリンクズモドキなら、わたしはゴキブリだ。


 入れ物のゴキブリと人間、何が違う? 


〈ユウメ? どうした〉


 暗闇にいたせいか、汚染のせいか、どちらもか、精神が狂いそうなわたしの様子を感じ取ったのか、一歩後ろにいるヴァルターに心配された。


「いや、なんでもない……?」


 ヴァルターへ振り返ると、見えるか見えないか、暗闇に紛れて何かがいる。防護服だ。防護服が立っている。わたしは遠い所にも無線を届けられるよう、空間に僅かな隙間を開けた。


「責任者……?」


 彼は直立している。


〈呼びましたか?〉


〈あんた、ついてきてたのか?〉


 ヴァルターもそれを確認し、防護服の膨らんだ手を耳元へ当てた。バイザー越しで意味のない行為は、無意識の焦りによって、返事を急かすように動かされたように見える。


〈いえ、今はキルゾーンを通過し終わったところです。何かありましたか?〉


 冷静に考えて見れば未確認の何かは鉄傘を持っていない。何も持たず、自らの意志すらも持っていない様子で直立しているだけだ。節々が膨張したずんぐりむっくりの人型には、リンクズモドキにもあった、こびりついた死骸が点在している。わたし達と同じ黒いバイザーには何も映っていない。正確に言えば、底の見えない深淵しか見えない。


「防護服を着た人間がいる。いや、人間じゃないかも。長時間ここにいたように見える」


〈なら、間違いなく人間ではありません。これまでの作戦で紛失されたものでしょう。中身は別物です〉


 責任者はあっさりと言い放った。


〈とにかく、進みながら考えよう。友達になれるかもしれないぞ〉


 そうだ。友達になれるかもしれない。それほどの知能がある。


 わたしは、この未確認防護服を動かすナニカが空間に触れていたナニカと同一であると確信していた。

 深部で視界は取れない。代わりに発達しているであろう聴覚だが、わたしの空間に阻まれて音は聞こえないはずだ。ナニカから見れば、移動する箱にしか見えないはずなのだ。ナニカには未知の情報取得手段があるか、もしくは、少ない情報を取捨選択して推理する力を持っている。


『この箱に何かがいて落ちていた防護服と同一のものが関わっているかもしれない。かつて中身が動いていたように防護服を立たせて生きているようにみせかけてみよう』というように。


 ここはアァ レウェが生まれた場所だ。それ以上がいても、おかしくはない。


 十分間歩いた。度々振り向けば、必ず防護服が直立している。距離感を維持して。歩いているところは確認できなかった。


〈歩いているところを見せたくないのか、歩けないのか。俺たちが振り向いていることを分かっているな〉


 正直に白状すると、すごくこわい。恐る恐る振り向く度、すぐ後ろに立っているんじゃないかと不安になる。あのバイザーの裏にある深淵がすぐ側にあるんじゃないかと恐怖している。


 空間が壊れない限り近づかれることはない。そのはずだと言い聞かせているが、この暗闇に対する根源的恐怖はどうしようもない。そして恐怖は怒りに変わり、あのしつこいストーカーを攻撃したくなる。


〈ユウメ、体調はどうだ〉


「えっ、いや、いまのところは大丈夫」


 突然の気遣いで、少し拍子抜けして答えてしまった。


〈倒れそうになったらなんでもいいから声を出してくれ。防護服が傷ついたら帝都まで持たないかもしれない〉


「うん。わかった。……ねぇ、後ろのあいつ吹き飛ばしてもいいかな」


〈……やめておいたほうがいい。あいつはこっちの攻撃手段を知りたいのかもしれない〉


 なるほど。動物の生態を調べる人間のようなものだろうか。あの防護服は人間がマウスに刺激を与えて様子を見る、その刺激だ。深部では、人間は実験される側で、そこら中に人間にとっての上位者が溢れている。


 まだ、深部は半分も過ぎていない。

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