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第8話 地に墜つ黒翼

「りさねぇ! ユウメねぇちゃんがいじめてくる!」

 

 リサは洗濯物を干す手を止めて振り向いた。すると、黒髪のまだ歯も生え変わってないであろう少年が彼女の腰元に容赦も躊躇もなく突撃した。


「痛ったぁ!」


 リサは洗濯物を落とすまいと踏ん張ったせいか、少年の硬い頭の衝撃を逃せずに腰に負荷を受ける。その声を聞き付けて、茶髪の、こちらも先程の少年と同年代であろう少女が宿舎のドアを開けて走ってくる。


「にげるなぁ」


 舌っ足らずの口で一生懸命喋りながら、リサの元へ走ってきて、躊躇も容赦もなくなく、突撃した。


「痛ってぇ!」


 腰に二撃目が入ったリサはついに耐えられずに芝生に倒れ込む、うめき声を上げながら起き上がり、自分の腹の上で掴みあっている二人を叱る。


「走ったら危ないでしょぉ! そしてユウメはお姉ちゃんなんだからダインをいじめちゃダメ。弟には優しくしなさい!」


「だってダインがにげるんだもん! まじゅちゅの練習しなきゃだめなの」


 ユウメは走ったことは全く悪びれずにダインに罪をなすり付ける。それを聞いたダインはついに泣き出してしまった。


「むぅ……弱虫!」

 

 ムッとして頬をふくらませたユウメの頭を撫でながら、リサはダインを抱えて慰めながら立ち上がる。


「ああもう、よしよし、じゃあ洗濯物干し終わったらユウメの大好きな魔術、教えてあげるから少し大人しくしてて?」


「うふふ、うん! じゃあ待ってるから」


  ユウメの表情がパッと輝いて満面の笑顔になる。子供らしい豹変っぷりだった。彼女はそのままくるりと背を向けて宿舎の方に走り去って行く。


「また走ってるし……」


 リサは走り去る後ろ姿に苦笑いを浮かべると、ダインをあやしながら洗濯物を干し終えた。


 ここは夢の中で、わたしは……


 ここは頭の中で、わたしは……


 わたしは誰だ? 


 ──じゃあ今日は魔術のひとつの到達点とも言われる、特異点(シンギュラリティ)について教えるね。


 そう言ってリサの授業は始まった。黒板に赤い線が走る。


特異点(シンギュラリティ)とは、常人では理解出来ない領域まで魔術を極めたものが到達できる地点。

 

 魔術は、無限の広がりを持つ宇宙のようなもの。魔術の全貌は広大で闇に包まれ、未知の領域が広がっている。そこには、星々が点在し、銀河が輝きを放ち、最後にひとつの深みが存在する。この深みこそが、特異点。


 特異点(シンギュラリティ)に到達したものは皆、口を揃えてこう言うの。肉体も精神も削る渦巻き、永劫にも続くそれを抜けたとき、一つの星が、特異点が現れる。それに触れたとき、自身の肉体、精神が超越的進化を迎えたのだと。


 まだ、この世界に数十人しか存在しない到達した者たちは、それぞれが世界の原則を曲げるほどの魔術を使えるとも、新しい固有魔術を獲得したとも、深みの更にその先へと進んだ、とも言われているわ」


 リサは結んだ髪を揺らしながら首だけになった自分の絵を黒板に書いた。

 私の知らないことを教えてくれるリサの後ろ姿はいつもより大人びて見えた。私はこの時間が好きだった。

 ふと、気づけばリサと目が合っていた。


「今のあなたにこの講義は必要ないかもね」


 なんでそんな事を言うの。という声は出なかった。不思議に思った私は自分の体を見て、理解した。もう、私の身長はリサを超えているのだと。


「起きて。夢を見たのねユウメ。あなたの居場所はもうここでは無いのよ。大丈夫。今は、ただ、あなたの信じる道を行けばいい。あの時、決めた事、護る為に強くなるって。強くなるために、前に進むの。そして、進み続けて、いつか全てを知って、お父さんを……」


「殺して」


  声は足元から聞こえた。


 ガタガタと独特の揺れを鳴らしながら、街道を馬車が走る。車輪の回る音がする。瞼の裏で再生される懐かしい夢を、窓から差し込む陽光と馬車独特の闊歩音に遮られ少し不快感を抱きながらも、脳は勝手に覚醒し思考が世界になっていく。


 私は、夢を見ていた。

 夢とは、人を殺した時に見るものだ。硝子が光を漉すように、殺すという現象によって生まれた感情(ごみ)を漉すのが夢と呼ばれる現象だ。もう、あの賊と動物の感情は漉して流れた。それなのに、名前の無い不快さが私の肉を内側から指圧する。


「おはよう、本当によく寝るね」


 頭の横からイムの声が響いてきた、睡魔に負ける時にイムの肩を借りたことを思い出す。スグロの襲撃に備え、魔力回復のため少しでも質のいい睡眠を取るためだった。


 イムが「私の肩で寝れば?」といつもの冗談を言ってきたので、あえて言う通りにしてやると、驚いた表情をしていたのでしてやったりという気分でよく寝れた。よく、眠れた。


「皇室産の枕は最高だね、スッキリしたよ」


 もたれかかっていた身体を起こして背伸びをする。もうそろそろ、奴が来るだろう。確証は無いが、予感がするのだ。イムが私の顎先を人差し指で持ち上げて顔を覗き込んできた。


「不敬。少しはその生意気な顔に似合う言葉を吐くようになったじゃない。カッツィも本気を出すんだから負けたら許さない」


 負けることなんて考えてすらいない。


「負けることなんて考えたこともない。私、自信家だから」


 イムはクスリと笑って手を離す。


「私、あなたのそういうところ好きよ。さて、馬車を止めましょう」


 太陽が真上に登り、少し沈み出した頃。森林の中に引かれた一本の街道に、馬車が止まった。その周りには、数名の武装した人間達と、貫頭衣を着た獣人の姿がある。馬車の御者席には身なりのいい少女と、薄い金髪の幼い少女が座っていた。


 馬車の周辺に、影が差した。人々は空を見上げる、おぞましい黒翼が、日を覆い隠していた。少しずつ影は大きくなり、黒翼が地表へと近づいてくる。


「よぉ、答えを聞きに来たぜ」


 黒翼を羽ばたかせながら空の青年は問う、ズグロの顔には、抑えきれないほどの高揚感が宿っている。返答は既に知っているのだろう。その心は地の人々にも、その笑みを隠しきれていない猛禽のような表情が全てを語っているのだ。


「ごめん、質問覚えてないや。遺言を伝えてくれるかって話だっけ」


 ユウメにその高揚は伝播し、そして共鳴を始める。類稀なる強者との対峙によって身を震わせるような精神の昂りは一方には怖気として、一方には闘志として伝播する。


「いいねぇ、そう来なくちゃ困るなあ」


 ズグロは天から地上を見下ろしながら、馬車の方を見て笑みを深めた。


「女。お前が……皇女だな? その力だ。笑えねぇぜ、最高だ、マジで」


 ズグロは御者席の身なりのいい女を指さして言う。彼女からは滾る魔力が、まるで柱のように立ち昇っていた。無機質な瞳、感情の籠っていない表情をスグロに向けながら、彼女は呟いた。


「あなた、平民?」


 ズグロの表情に間の抜けた困惑が浮かぶ。


「は……関係あるかよ」


 彼女はこちらの言うことなど耳に入っていないかのように、御者席の手摺に肩肘をつき、長い足を優雅に組みながら、黒鳥を真っ直ぐ見つめてくる。


「いえ、平民でも貴族でも関係ないわね、この世に私より地位の高い人間は二人しかいないもの」


 このおぞましい黒翼を初めて見たのにもかかわらず、全くの動揺を見せずに、不敵な態度を崩さない。ズグロは羽ばたきながらも少女の纏う不気味な雰囲気に飲まれていた。

 

「何を言ってるんだ。お前……」


 ズグロはその困惑の裏、実力に押し上げられた先にある、滲む愉悦の顔色を変えることになる。ただ座っているだけの少女から発される威圧感、その立ち昇る魔力が今、動き出した。


()()()()と言っているのよ。──平伏しなさい」


 皇女の表情は先程の無表情とは程遠く、帝としての、強者としての愉悦に歪んでいた。魔力の柱が皇女の身体から解放されたその瞬間、ズグロの遥か頭上から、押し潰されるような暴風が吹き荒れる。


「何だ!? クソッ!」


 翼を展開していたズグロは、船の帆のように風の受け、地表へと叩き付けられた。皇女は地上で平伏している男を見下ろしながら、言葉を吐き捨てる。


「俗物らしく、空と私の下でもがきなさい。それとも、涙ぐましい努力劇を見せてくれるのかしら?」


 翼を展開したままでは、常に吹き荒れる頭上からの暴風で潰されたまま、起き上がることが出来ない。翼を畳めば立ち上がれるが、その状態では毒羽を飛ばすことはおろか、翼を開くことさえ出来ない。ズグロの圧倒的な攻撃力が封じられた瞬間であった。


「あとは、ワタクシ達の仕事ですね」


 そう言い放ったカッツィの身体が、肉の軋む音を立たて変容していく。盛り上がっていく筋肉に耐えきれず、貫頭衣は破り捨てられ、大腿部にはふた周りほど太い筋肉が盛り上がり、自然と骨格が、二足歩行から四足歩行の、狩りに適した身体へと、猛獣の姿に変わっていった。


 黒一色の毛並み以外は、もうカッツィの面影は残されていない。その全ては野生のものであり、強靭な四足の脚部と鋭利な犬歯、人の指ほどの大きさを持つ凶悪な爪、そして鋭い目付きと威圧感溢れる表情には、荒野の王とも言われる威厳があった。


 どうにか翼をたたみ、起き上がったズグロは黒い閃光を見る。それが黒豹が通った残像だと気付いたのは、自らの右腕が人の形を止めた後だった。


 彼の背後で、黒豹が唸る。彼女はいつの間にやら、その強靭な顎に一本の剣をくわえていた。


「てめぇ! 致命の溶毒(モルタル・トキシン)!」


 絶大な痛みに喘いだ後、ズグロは腰に差した短刀を抜き、刀身に毒を付与する。再びの閃光を走るカッツィに突き立てようとするが、短刀を見た彼女はくわえている剣と打ち合わせた。


「クソ……いってぇな……」


 毒に当てられ、溶けだした短刀を投げ捨てながら、彼は傷の具合を見る。嚙み砕かれ捻じ曲がった右腕には痛ましい赤が黒々と溢れ出していた。傷口から溢れ出る血が、ズグロの外套を赤く染めていく。


 彼はふと、あることに気づく、一人いない。ユウメの姿が、見えない。


「……!? あいつ、どこに」


 ズグロは左手後方から、強烈な殺気を感じた。振り向くと、既にその右の拳をぶち込もうと、踏み込みを終えたユウメの姿。 黒翼を片側だけ展開し、防御する。ユウメは毒を恐れるはずだ。翼に触れれば即死、良くて右腕一本を失う。殴る事は出来ないだろうという計算だった。


 しかし、思惑とは裏腹に、ユウメの拳は全くの迷いを感じさせずに、剛速で黒翼にぶち込まれた。


「はぁッ!?」


 黒翼ごと、ズグロの身体に衝撃走る。ユウメの拳は熊型魔獣の頭蓋を一撃で粉砕する威力を持つ。その圧倒的な暴力が空気が揺れるような破裂音を伴ってズグロの身体を吹き飛ばした。


「チッ、逃げるのが上手いね」


 ユウメは右の拳を開きながら、装着した手袋に溶けている様子が全く無いことを確認すると、ズグロを睨みつけた。彼は衝撃の瞬間に後ろに飛び、ダメージを最小限に抑えたが、それでも右の黒翼は歪に変形している。翼の損傷を確認し、たたむ。皇女の屈服の恒風は未だに頭上で吹き荒れていた。


「てめぇ、イカれてんのか……いや、気づいてたのか」


 毒に対する恐怖を感じていないのか、それとも魔術の性質に気づいたのか。


「ふふ、答え合わせしようか」


「……あぁ、是非、ご教授を願いたいね」


  彼女の目はギラギラと輝く。その輝きはあらゆる手を使ってこの男を屈辱の中で殺してやろうという悪意に満ちた光だった。


「一週間前の夜、大通りに落ちた羽は地面の上にあった。その羽を見て私、思ったの。あなたの毒、触れた物体を溶かすのなら、どうして、羽根や地面が溶けていないんだろうってね」


 あの夜、イムの元へ報告に行こうとしたユウメには、地面の上に当たり前のように落ちている羽が、目に映っていた。ズグロの説明した内容通りなら、大通りに落ちた羽は朽ちるまで永久に地面を溶かし続け、そのまま深い穴を作っていくはずだ。だが、そうはなっていなかった。

  ユウメは右手でズグロに指を差しながら嘲りの笑みを浮かべる。


「そもそも、その触れたら溶ける毒を空気に乗せて、翼で送れば誰にも防げないでしょう。それをしないってことは、出来ない理由がある。つまり、あなたの致命の溶毒(モルタル・トキシン)は自分にも効いちゃう」


  ズグロの額に汗が見え、浮かべた笑みに翳りが差す。それは痛みによるものか、それともこの推測が当たっているからか。


「単純なことで、地に落ちた羽根には毒がついていなかった。その毒は強力すぎて、あまりにも急速に溶かすから、毒の付いた羽根は地面に落ちる前に溶ける。羽根が溶けるということは、翼も溶ける、肉体も溶ける。そして、カッツィの最初の一撃で、剣は溶けておらず、あなたは毒を纏えないことが裏付けされた」


 彼女の横で溶け始めた剣をカッツィは捨てる。短剣の毒が伝染したのだ。そして、短剣と打ち合うまでそれは健全なものだった。


「つまり……私は安心してぶん殴ることができるね」


 ユウメの推論を聞きながら、ズグロはくつくつと笑う。


「ハッ、推測の域を出ていねぇな。俺がどうやって毒を付着させてるのかは分かってねぇ。もし、てめぇの拳が溶けていたらどうするつもりだったんだよ」


「その時は、私の右腕が無くなっていただけだよ。でも、そうはならなかった。つまり、あなたは自分にも毒が効いちゃう。──どう、私の推測、当たってるかな」


 ユウメは、けたけたと薄ら寒くなるような笑みを浮かべている。推測が当たっているから、溶けていない。もし、右腕が溶けたらと、少しでも考え、迷ってくれたら、ここまでの手傷は負わなかっただろう。


 自分の推測に間違いはありえないとでも言うような、彼女の意志。その目に宿った狂気ともいえる意志に、ズグロはやはり、自分の考えは間違ってなかったと確信を抱く。


「……あぁ、フフ、当たっているさ。イイねぇ」


  ズグロの右腕は使い物にならず、片翼もへし折れている。上空からは暴風が吹き荒れ飛ぶことはおろか、翼を開くことも出来ない。自分の能力は目の前で解剖されて、敵は三人、全員無傷。絶望的状況であるにも関わらず、ズグロは喜びの笑みを零さずにはいられなかった。


「フフッ……ハハハッ! やはりッ! 俺の目は間違っていなかった! てめぇらは俺を次のステージへと、特異点(シンギュラリティ)へと押し上げてくれる存在だ。来いよ。まだ殺し合いは始まってねぇぞ!」


 狂気的な笑みを浮かべながら、拳を握りしめて叫ぶズグロに、ユウメとカッツィが襲いかかった。

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