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第76話 魔術戦争

防護服の中は目に刺さるような程、冷たい空気が循環している。薄い黒に着色された視界に映るのは、モルタルやコンクリートに似た材質のものが大地となって広がる穴ぼこの灰色の大地と、二つの人間の形をした防護服。この台地には生命の色は毛ほどもなく、雨風に運ばれた土砂がまばらに散らばっていて、歩む先には地平線に消える陽炎の壁があった。


対侵食域(キルゾーン)には地中で燃え続ける()()が大地を温め、熱せられた水が膨れ上がり、六百度の水蒸気となって吹き上げれらています。それによって、七百度を超える地表と四百度を超える空気が汚染地域(リヒトン・リージョン)をぐるりと囲み、内外の侵食を拒絶する、殺戮の空間です〉


「どれくらい、それは続くの」


〈水蒸気が吹き上がる高さは約二千メートル。それが一キロメートル。踏破に一時間はかかります〉


「それは、自然の現象なの?」


〈半分は。これは技構に属する学者たちが考えたものです。火元と水源は技構のものですがそれ以外は全て自然現象を利用しています〉


あの陽炎は吹き上げられた水蒸気だった。水蒸気の勢いが衰える遥か高みに、長く連なる白い層、湯気が見える。人間はもちろん、高く飛べる鳥でさえ一瞬で焼けた肉に変わるだろう。しかし、何事にも埒外はある。この殺戮の障壁を飛び超える鳥もいるだろうし、魔術を駆使して通り抜ける人間もいるだろう。


〈念のために言っておきますが、防護服を脱いでここを通ろうとは思わないように。魔術を封じる鉱石が小さく刻まれて吹き上げられている上に、空に空間を積み上げて逃げたとしても『龍』がそれを撃ち落とすでしょう〉


「りゅう?」


〈えぇ。技構の制御下にある、汚染地域(リヒトン・リージョン)の空を支配する龍、翼を持つものを逃さず喰いつくします。地域内の空を飛ぶ生物は絶滅し、新たに生まれたとしても駆逐されます。地域外から飛行生物が侵入しようにも、温められた空気と龍を相手取らなければならないというわけです。そこまでの執念を持つ生物は存在しませんよ。もちろん、我々も、嫌でも目にすることになります〉


空の龍、陸の対侵食域(キルゾーン)。どちらも、内から外への侵入、そして、外から中への侵入へ、妄執的とも言えるほどの恐れを感じる。この防護服も、隧道でも掘っておけばここまでの厚さは必要ではなかったはずだ。地熱があると言っても、それに耐えうる素材で外壁をコーティングするなり出来ただろう。内外との繋がりへの彼らの恐怖が分かる。


「どうして、そこまでする必要があるの。わたしは今まで『汚染』そのものが恐れられているのかと思っていた。汚染だけだったら、向こうからの侵食を抑えればいい。でも、あなた達は徹底的にこちら側からの侵入を恐れている。具体的に、向こう側に何があるっていうの?」


見えない死の壁に近づくたびに、冷却の機能が追いつかなくなっている。少しの沈黙の後に、硬質的な返事が耳元に響いた。


〈その情報は、知るべきではありません〉


〈なら、今からアンタは耳を塞いでくれ〉


割り込むようにヴァルターが言った。朝の挨拶をするように、軽い口調で。


〈学園の焚書庫にすらない、統制三類の砦ですよ〉


〈生存率を上げるためだ。焚書庫も情報統制も額縁に入れられたものに過ぎない。俺たちはその外側に行こうとしているんだぞ〉


責任者は少しした後に返事を返した。


〈……よく、聞こえませんね〉


バイザーにぽたぽたと水滴が付着し、身体に密着する防護服もうっすらと熱を帯びてきた気がする。視界はぐらぐらと歪み、目が揺れているのか熱せられた空気が揺れているのか分からなくなってきた。抱えたイムが不快でないか心配だが、もうそろそろ、自分の心配に集中した方がいいだろう。


〈汚染はもちろん、恐れている。生物群が正常地域に漏出すれば、その分だけ汚染地域(リヒトン・リージョン)が広がるということになる。だが、それ以上に蔓延っているものがある。それは一般的に『進化』と呼ばれている〉


「進化って、生物が結果的に環境に適応していくって意味の?」


〈そうだ。そうだな。何から話そうか。――最初の始まり、この世に存在するありとあらゆる種が特異点(シンギュラリティ)に到達したところから話そう〉


「……?」


コンクリートやモルタルでさえぬかるむ温度の上を歩く。視界は完全に死に、薄い靄が全てだった。夢の中を歩くように、拙く地獄を歩く。防護服に護られた快適な地獄で、わたし達は吹き上がる蒸気を避けた。


防護服の中で、選べる死因は二つある。超高温高圧によって吹き上がる、吹き上がるというより、射出される水蒸気に当たって上空七百メートルまで持ち上げられて落下死するか、水蒸気に紛れた魔術封じの鉱石によってぐちゃぐちゃに刻まれるかだ。欲張ればそのどっちもを選ぶことさえできる。


いくつも、不規則に並ぶ噴出孔を責任者の先導で避ける。噴出孔の集中地点を抜けるとヴァルターが話の続きを始めた。


〈人類の歴史は滅びと繁栄の連続だ。歯と拳から石とこん棒で争うようになるまで、なんども殺し合い、滅び合った。そうして、最も続いた繁栄の時代、その先頭に立つのが、今だ〉


「それはわたしもリサから教えてもらった」


〈じゃあ、それが嘘のストーリーで、先頭の時代の前に、もっと繫栄した人類が滅びていたってのは聞いたことがあるか?〉


「それは、陰謀論、みたいなものじゃないの?」


〈……俺たちが今歩いてるここは、土じゃないよな。コンクリート、モルタル。建築に使う資材と、その上に少しの灰。これは、かつて息づいていた文明が破壊兵器による高熱で溶けたもの、そして、灰は爆発によって舞い上がったものが降り積もったもの。ここまでの建築の技術、今の時代で見たことがないだろう?〉


うすら寒いものを覚える。それが本当の話なのだとしたら、今は見えない、この灰色の大地には人の骨が色を付けているのかもしれないのだから。だが、防護服の外側は、その憂いを忘れさせるよう、急速に温度を上げていく。


技構は何故その情報を公的に開示せずに、秘匿しているのか。灰色の大地は汚染地域リヒトン・リージョンの外にも広がっているのだから、気づく人間もいるはずだ……もしかすると、その情報という技術さえも、今の人類には毒なのか?


〈その破壊兵器は、ここに落とされた数十発によって、人類という種を破滅寸前に追い込んだ〉


「ここだけに数十発? そんなに発展しているのに、ここだけで?」


汚染地域リヒトン・リージョンは、そこまで広いわけではない。横切って一週間で通れる面積だというのに、その破壊兵器とやらは、どれほどの厄災を齎すものなのだろうか。


〈それは一発でも、都市や工業地帯だけでなく、狙った場所の大気ごと消し炭にし、数十年は大地を不浄とし、更に舞い上がった灰が日を覆い隠し、人工の冬を起こせるほどだった。だが、事の本質はそこじゃない。悪意ってのは、伝染して進化する。矢を撃てば向こうも撃ち返してくるように、その兵器でお互いを狙い合った〉


「それ、やっぱり陰謀論じゃないの? 兵器を使ったら、人類が滅びると知っているのに。撃ったの?」


〈なに、今もやっていることは変わらないだろう。強大な魔術師を囲み、食料や技術を求めて争い続けている。そうして、増え続ける人類の平和は必ず破綻して戦争が始まる。石の時代(ゆりかご)から釦の時代(はかば)までずっと変わらない。そうやって、人工の冬が訪れた人類に、火の光が当たることは未来永劫無く、飢餓によって、滅びると予測されていた。だが、そうはならなかった――特異点(シンギュラリティ)が起きたんだ。人類に〉


特異点(シンギュラリティ)って、魔術師が到達するものじゃないの? 直感的に真実を把握するというか……あれって、感覚の話でしょ?」


〈違う。感覚と呼ばれるものだって分泌物が起こす物理的反応だぜ。特異点(シンギュラリティ)は存在する。あれは、進化の超越的進行、俺たちの進化を司る物質であり、魔力因子と呼ばれる、魔術のエネルギー源である生物。『A』が起こすものだ〉


(エー)……?」


〈全ての始まり、生物に寿命というタイムリミットを施した生物。全てを時計仕掛けに作り上げた物質。『A』は生物の細胞分裂に起因し、限界数を決め、死によるサイクル、進化の冗長性を司った。そして進化は『A』自身の繁殖とイコールで結ばれる〉


「生物の中に、大量に『A』は存在して、生物が増えればそれだけ『A』が増えるってこと? 『A』は減ることが無いの?」


〈ああ、ほぼ無い。大気圏外に放出されるか、生物の細胞分裂のたびに消費されるが微々たるものだ。そして、生物が進化すれば彼らも適応し、進化し、増える。だが、人類の破壊兵器によって、急激に数を増やした。『A』の宿主である人類や、その他動植物が大量に死んだわけだからな。そうして『A』は世界に大量に溢れかえり、ある反応を起こした。それが〉


――特異点(シンギュラリティ)


蒸気の熱が冷却を上回ってきた。真夏日の密室のようなじわじわと炙る熱と湿気が肌を舐める。防護服の重量と、当たれば即死の蒸気が吹き荒れる状況は

、足取りを重くさせ、じっとりと汗ばむ肌が不快感を助長させた。


「それで、どうなったの……?」


〈何種も動物が滅んだが、人間は滅びなかった。むしろ、大気爆弾……更にその先の兵器で滅びなかったことに喜び、更に強力な兵器を作って殺し合い、それを幾星霜も繰り返した。――ところで、猫とネズミを同じ部屋にぶちこむとどうなると思う〉


「……ネズミは食べられる」


〈そう。そして猫も飢え死にし世界は空っぽになる。だが、その部屋を国のように広くして、洞窟みたいに構造化し、植物を生やし、千匹の猫と千匹のネズミをいれると、なぜかどちらも千匹を保ち続ける。原因を分解すると語り切れないが、一つの要素として。猫に狩りが下手な個体がいたことがあげられる〉


カッツィは狩りが上手そうだ。場違いにそう思った。


〈繰り返される進化の中で『狩りが下手』言い換えると『ドジ』『注意散漫』という形質は淘汰されることが無く、必要とされ続けてきた。それは、種全体が優秀すぎると餌を狩り尽くしてしまうためだ。では、なぜ、そんなドジ共の血が絶たれることが無かったのか〉


「狩りが優秀かそうでないかで言ったら、優秀な方を選ぶだろって話?」


〈あぁ。それにも複合的な理由がある。目の前のものを高く見積もる形質もその例だが、主要因たることがあった。それが、因子の数の違いだ。狩りが得意な猫の方が因子が多く、不得意な方が因子が少ない。そして、因子の数が多ければそれだけ細胞分裂が増え、寿命が減り、優秀な猫は早死にする。だから、馬鹿な猫もメスにありつけるし、そのおかげで優秀な猫が餌を狩り尽くすことも無くなる〉


「よくできてる……」


〈よくできていたのはここまでだ。いつかは訪れ、刻々と進んでいた破綻の釦を全生物は押し続けた。生物が死ねば因子が増殖し、狩りの得意な捕食者が増える。ヒエラルキー下層の生物が狩りによって大きく死ぬ。飢餓が起こっている人間もその競争の参加者だ。だが、人間の敵は人間しかいない。だから、闘争本能が増加した人間が増え、戦争が激化する。そして因子が増殖する。餌がなくなって捕食者が滅びるはずが、人類の技術の発展によって飢餓が解消し、種は保存された。これで、無限に戦える。更に因子は増殖し、攻撃的な生物が増える。善意の喪失。これは人間だけでなく、ほぼ全ての生物で確認された。大量の人間が生まれ、そして死に、大量の生物が生まれ、そして死に……進化のサイクルが超越的に加速し『A』だけが増え続ける〉


熱い、暑い。不快だ。


〈だが、その超越的進化のサイクルは、新たな生物を生んだ。それが『B』最近になって、帝国に発見され『クリュサオル』と名付けられたものだ〉

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