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第67話 希望のプロローグ

「フィアちゃん」


 名前を呼ばれると、今まで眠っていたことが嘘みたいに目が覚める。目覚めの良さは産まれ持ってのものではなく、そうならざるを得なかったからそうなった。


「クレッテ……?」


 制服を着たクレッテが、うっすらと笑いながらベッドの横に立っている。カーテンから光が漏れていないから、まだ朝日は昇っていない。その笑みの正体が、夜中に起こすことへの謝罪の笑みだと分かった。


「こんな時間ですが。少し、歩きませんか?」


 クレッテは一日に三度ほど、でたらめなことを言う。だが、それも思い出を作ることだと考えれば嫌な気持ちにはならないし、なんとなく、私もその思い出に関わりたくなる。


「うん。いいよ」


 そう言うと、彼女は花が咲くように笑う。でたらめなことを言っている自覚はあるようで、いつも、付き合ってあげるたびに笑って喜ぶ。


「フィアちゃんも着替えましょう。制服の方が楽しいです!」


 クローゼットの半分は乱雑に服が吊るされて、半分は綺麗に整頓されている。私は綺麗な方から制服を取って、薄い布一枚の寝巻から着替えた。「みんな寝てるから、静かにしないとね」と言うと「そうですね!」といつもより控えめに返してくる。


 暗い暗い学生寮を歩く。しっかりと保護されたプライバシーの壁と扉、そして鍵穴からは女の子の寝息も聞こえない。静寂だった。全くの静寂をそうっと歩く。二人で歩く暗闇は、世界の全てが大きくなって自分がちっぽけになったように感じて心細い。肩をそろえて歩くが、もう片方は寒くて寂しい。ファウンは起きているだろうか。誘ったら嬉々として走り回るだろうが、寝ているミチルさんに迷惑だろう。


「知ってますか? この学生寮、幽霊が出るんですよ……!」


「えぇ……」と声が出る。怖くなったからではなく、あまりにも安っぽい脅し文句を言うからだ。


「聞きたいですか!? 無念を晴らせなかった女の子の霊!」


 寒い夜に聞きたい人なんていないよ。と言う前に彼女は借金取りのように早口で語り出す。


「その女の子は、産まれたときから両足がなく、さらに呪われていました。周りのものを何もかも死なせてしまうんです……!」


 背後からかたかたと、硬質的な機械音が聞こえたが振り向いても何もない。出所が分からないが、どこかの鍵が回る音かもしれない。


「その女の子に友達なんてできるわけもありません。ご飯を運んでくれる人も、ご飯そのものでさえも呪われてしまうのですから。奇跡的に、子供になることは出来ましたが、かえってそれがだめでした」


 怪談話が佳境を迎えたのか、低い声で迫力を醸し出そうとしている。子猫が威嚇しても怖くないのだが、子猫たちは往々にして自分が虎だと思うものだとカッツィさんが言っていた。


「人と共に人が生きる世界を見て、自分だけがどうしてこうなのかと世界を恨みました。が、恨みよりももっと強い感情がその子を悲しませます。死んじゃうほど、寂しかったんです。そして、寂しさのあまり女の子はおかしくなってしまいました。その子が見た世界が……この学園なんですよ! 怨霊となって友達欲しさに一人で歩いている子に取り憑いてその子に成り代わるんです……!」


 ガタン! と、二階であるはずの窓に何かが当たる音がした。なぜか、怖い話をしていた方のクレッテが跳ねるほど驚く。おそらく、鳥が当たった音だろう。


「お化けが出ても、二人でいるからさらわれないね」


「い、いや、おっそろしい怨霊かもしれませんよ!?」


 クレッテは私の腕を掴んできょろきょろと忙しなく辺りを見渡す。ふと、部屋を出てから彼女に誘導されるような形だなと気づいたが、それもいつもの事かと考える。むしろ、それが良かった。強引に連れまわされているのに、むしろそれがいい。


「でもさ、珍しいよね。そういうお化けって何か弱点があるんじゃあないの?」


「じゃ、弱点ですか?」


「お墓に出る幽霊は塩が苦手ってよくいわれるし、弱点があった方がなんかそれっぽいよ?」


「それは草取りを面倒くさがった墓守の策略ですよ! 塩害で自然を破壊する馬鹿野郎です! 弱点があるのもそっちの方が怖いからですよ、本当の怪物に弱点なんてそんざいしません!」


 クレッテはそう言って思いっきり方向転換した。一階に降りるようだ。真っ暗な海に沈んだように階段一段一段が見えにくい。闇に足を取られないようにゆっくりと降りると、ほんの微かに瓦斯の臭いがした。さっきかたかたと機械音が鳴っていた辺りの外壁に瓦斯の行き来を遮断する非常用の弁があったことを思い出す。空気より軽い瓦斯が階下から昇ってくるのは、道理だ。どこかから漏れているのかもしれない。


 怪談のせいか、どことなく不安な気持ちになった。


「瓦斯漏れですね、報告しに行きましょう」


 クレッテも臭いを感じたようで先生に報告しようというが、最上階にあるエスベレッタ先生の部屋には向かわず、そのまま階段を降りる。


「その前に、どうしてもやっておきたいことがあるんです」


 階段を降りたら、ホールに繋がり、玄関に繋がり、外に繋がる。彼女はホールのど真ん中で、自身の懐をあさりだす。「これじゃなくて、えっと、これと、これです!」とぶつぶつ言いながら手のひらより小さい紙を出した。彼女の手にはそれしか握られていないように見える。彼女が見せびらかすようにひらひらとさせると、私も少し興奮してしまって大きな声が出た。


「写真だ! もうできたの!?」


 私たち二人が並んだ写真。クレッテの落ち着きがないせいで少しブレた写真。色つきの、写真だ。


 情報に関する技術は技構が神経質に管理している。写真もその例に漏れずだったが、白黒写真の技術が公開されてから数年後の今に色つき写真の技術も公開され、民間の手に渡った。だが、最新技術だということもあり、今はまだ簡単に手が届くものではなかった。そこを、せっかくだからという理由で貯めたお小遣いを暴力的に使い、専門の技術者にお願いしたのだ。


「すごいすごい!」


「ふっふっふ。夜は静かにしないとだめですよ、フィアちゃん。あなたが私を置いてどこかへ旅立っている間に取ってきたのです」


 それは、クレッテがいないときにフクロウさんに『メラヴィリア』を貸してほしいと言われて学園まで戻った時だろう。すこし申し訳なかったが、クレッテが引きずることなく写真を渡してくれたため、謝罪を忘れて見惚れてしまう。


 静止画のはずなのに躍動感のあるクレッテと、せっかくの色つき写真なのに緊張で笑顔を忘れて真顔になってしまった私がいる。そのままの私達がいる。一部の人たちが魂を抜かれると恐れるのも分かる程だ。


「私、一緒に写真を撮るのがクレッテで、良かったよ」


 声に出して、改めて認識する。


 私は、人とかかわることを恐れている。


 皇女様は恩人だから、ユウメ先生は師匠だから、失礼があっちゃいけない。とか何とか理由をつけて、本当は人と深くかかわって自分が傷ついたり、寂しい思いをするのを怖がっているだけだ。


 私がほぼ毎日クレッテに引きずり回されているのに、全然嫌な気持ちにならないことも今、それが何故か分かった。彼女は、クレッテは、私の唯一の気の置けない友達だからだ。なにをやっても、楽しい。彼女と一緒なら。彼女が私を引っ張るから一緒にいるんじゃない。彼女と一緒にいたいから、横を歩くんだ。


「えへへ、そう言われると、テレちゃいますね」


 クレッテはへらっと笑う。

 私は、だからこそ彼女という存在の謎を解かなくてはならない。私は、さっきの怪談話がただの怪談話でないことも分かっている。彼女は一言も、その女の子が死んでいるとは言っていない。私は、引きずり回されるだけでなく、彼女を引きずり回さないといけない。ずっと一緒にいるために。こちら側に引き込むために。


「今度、みんなで写真を撮りに行こうよ。皇女様を真ん中にして、横に先生。私とクレッテが皇女様の後ろで、ミチルさんとファウンちゃんが皇女様の横。ウィズダムさんと、グリズリさんは背が高いから先生の後ろに立ってもらって、フクロウさんとモリフクロウが先生の横。あ、あとカッツィさんは、どうしよう、皇女様の膝の上とか。どう、かな? 私は、いいと思うんだけど……」


 クレッテが妙に静かで、自身が無くなった私は尻すぼみになってしまう。こういうときぐらい、いつも弱い気を強く保ちたいのに。


「フィアちゃん。やっぱり。怪談には弱点があるものですね」


 彼女は右手に何か握りしめている。手の平より小さい工具だろうか。だが、それにしては、本当に強く、震えるほど強く握っている。


「簡単です。なってあげればいいんです。友達に」


「フィアちゃん」と彼女は呼ぶ、時々ミステリアスになるクレッテが、いつも笑っていたクレッテが、その時だけは泣いているように見えた。


「これは、渡せません。私って本当は意地悪なんですよね」


 彼女は熱を測るようにその握りしめた右手を首に当てる。


「知ってるよ!」


 後ずさりする彼女を捕まえてその手を取る。引きずられるだけなんて不公平だ。


「本当は私達の敵だって分かってる! あの黒い虫の味方だって! でも、嫌なの! クレッテが敵なのは嫌だ! 一緒に、ずっと、一緒にいたいの!」


「フィアちゃんっ!」


 明確な、拒絶だった。彼女は私を突き飛ばしたのだ。


 地面が隆起と陥没を綴る。彼女の『刻々(ギザギザ)』。織りなす山と谷、その山の一部が、薙ぎ払うように私を突き飛ばした。ホールから、遥か遠くに、外へと飛ばされる。


「フィアちゃん! あなたは友達です! 私のたったひとりの」


 視界が、爆発に包まれた。空気の波が収縮と膨張を経て、私は遠くへ、遠くへ飛ばされる。数瞬の視界の暗転と共に、私は全てが終わったことを知る。学生寮が消し飛び、残骸が燃えている。飛び散る火炎が思い出に飽き足らず、森林に手を伸ばす。


 ぐわんぐわんと視界が引き延ばされている。頭の処理能力が落ちて、景色を正常に読み込むことが出来ず、過去と現在の絵の具が両方混ぜられたようにぐちゃぐちゃになる。耳も口も目も熱く、まともに動く部位なんて一つもなかった。


 クレッテが生きているかもしれないから助けに行かないと。


 金管を叩いたみたいな甲高い音が耳元で近づいたり離れたりしている。音が落ち着いて、目のピントが合ってくるのと同時に頭が現実に追いついてくる。


 爆発の直前の記憶には、クレッテの首が溶け落ち、糸が切れた人形のように死ぬ様が保存されていた。


 悲しみは感じない。感じない方がいいと知っていたから。


 ただ、あの騒がしさはもう二度と聞くことは無いのかと、夜は一人で眠るのかと思うと、少しだけ寂しい。


 立ち上がって埃を払う。


 あの学生寮に生き残りがいるかもしれないが、火の魔術が使われ、火災が落ち着くさまを見るに救助の手伝いは必要ないと考えた。


 私は、やるべきことをやらねばならない。


 燃える学園に羽ばたく黒翼が見えたから。


 私は知っている。あの致死の毒を、クレッテの首を溶かした黒い羽を。あの男だ。渦巻きの中心にいるのは、あの男だ。


 一日一日が、クレッテと騒いだ一日一日が、愛おしく、宝物だった。


「……………………………」


 致死の雨は、進む私を避けて死んでいった。

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