第68話 星があるから夜が輝く
「皇女!」
瓦礫と臓物が飛び散った残骸の上で、座り込んだイムグリーネは振り向いた。火炎、残骸、焦土、悲鳴、ばらばらになった人の破片がパノラマの全てに存在し、それの持ち主の胴が芋虫のように転がっている。追撃の死雨が雹のように降り注ぐ空を、皇女の作りだした恒風が遥かへと薙ぎ飛ばす。肉の弾ける音、ばちゃりばちゃりと絶えず鳴り、学園を囲む森が死んでいく。誰も彼も友達も、学園にあるはずの笑顔はない。
その中を、皇女を読んだ声の主であるウォルフが、火を揺らめかせ、消し去りながら皇女へと歩み寄る。彼女は乱れた制服姿で、ほんの少しだけ裾と髪が焼き焦げていた。彼女は現実を噛みしめて、上品な声音を震わせながら言う。
「すぐ、火の手はとまりますわ。しかし、二階の子たちは……」
王国、帝国、諸外国。火と死は国を選ばない。爆発は瓦斯配管と共に横に伸び、死のラインは二階の窓に赤く走った。悲鳴があがっているのは、一階か、三階から上で生活していた人間たちで、つまり、そのライン横の彼女らは誰もかれも跡形もなく即死していた。
「ミチル……」
学年関係なく、下流、中流階級から下の階は埋まる。ミチルも、二階にいた。
「その子は?」
膝をついた皇女の前に眠る女に息は無い。
「分からない。私は手を握っただけ」
女の顔は無く、人体の前面全てに爆発の名残があった。破片と黒焦げた皮は、焦土のそれと何も変わらない。皇女は、息が弱くなる彼女の手を握っただけであった。医療とは、生ける者のためにあり、死にゆく者には、手を握ることしか出来ることはない。
ウォルフは身を震わせ、空を滑る忌々しい死雨を睨んだ。彼女が攻撃の色に染る前に、皇女が声を刺す。
「誰でも、誰であろうと、助けましょう。手は、あなたが握ってあげて」
「えぇ。そうしましょうとも。……敵を考えるのは後にしますわ」
彼女ら二人は瓦礫をどけ、悲鳴をあがる者を助け、黙する者の手を握った。二人を助け、十二人の手を握った時、一つの瓦礫の山から、大量の血が見えることに気が付いた。
二人は駆け寄り、手だろうが知識だろうが魔術だろうが何だろうが使い、重い柱や壁、重なった床、家具をどけると、その血液はねばらかに展開し丸いドーム状になっていることが分かる。そして、その中心には薄い寝巻一枚の女が不快げに眉を寄せて眠っていた。
「ミチル!」
血の半球に眠る彼女に皇女が叫んでも、声は届いていないようで目を覚まさない。皇女は彼女の背中に手を差し込んで血の半球から起こし上げた。
「ミチル、良かった、良かった……生きてる」
皇女の声は震えていた。
ミチルは溺れていて、それからやっと目が覚めたように体の奥底で咳き込みながら血の塊を吐いた。それが少女の拳になり、血の半球が収縮して肉体と赤いワンピースになって拳と繋がる。血から産まれたファウンはふらふらと小鹿のように立ち上がりながら。わんわんと泣く。
「おねえちゃん。みんな、みんな死んじゃったの?」
血の塊になっても知覚できる能力が、彼女には不幸にも存在した。大量の友達が、目の前で死んで死んで死んだ。球状に堪えていた涙が止まらず、悲しく、寂しい感情が溢れ、皇女が支えるミチルに抱き着いた。
イムグリーネは、何も言えず、ただ二人を抱きしめた。
すると、肉の弾ける音に交じって、男の声が聞こえた。
「大丈夫か」と、数人の叫ぶ声が聞こえそれはどんどん近くなってくる。瓦礫の陰から現れたのは、ウィズダムやグリズリたち、数人の男子生徒たちだった。しかし、彼らも攻撃を受けたのか、グリズリは全身血塗れで、ウィズダムは上裸で右腕に木の棒を巻き付けている。彼らは少しだけ安心した様子を見せて、再び「大丈夫か」と言った。
皇女は、考え込み、意を決し、質問には答えずこう言った。
「私は行かなくちゃいけない」
ウィズダムはグリズリと目を合わせ困惑する。
説明する時間は無い。ミチルが状況を理解するのを待つ時間は無い。ファウンが泣き止むのを待つ時間は無い。皇女は、あの学園を見た。災禍が今も続いている場所を。火は消えず、死雨は落ち、そして災禍の原因がいる場所。あの黒翼が、この目に見えている。
「行くとは? まさか、あの学園へ? あなたの目には何が見えているのでしょう」
ウォルフは炎を消し去る冷たい目をしていた。彼女の目には、憔悴した人間が写っている。
「彼らには十分に医療の知恵がある。ミチルとファウンも瓦礫をどかすことは出来る。私は……私は、助けに、いかないといけないの」
「誰を?」
皇女は未だに、ユウメに諭された上でも、トリトリントが死ぬことに強い拒否感を覚えていた。自らのルーツであり倫理であるものを投げ出してまで彼女の生を望む程の拒否感を。
皇女は、考える。
誰を? 私が助けるのは、トリトリント?
それとも――私?
この災禍、私が動けばもっと多くの人を助けられるかもしれないのに、悲鳴に聞こえないふりをして、自分の意志とやらを護るために、傷だらけの男たちに救助を丸投げすることが私が信じた倫理なのか。
私が本当に助けたいのは、誰なんだ、何なんだ。
「皇女。『仲間を見つけなさい』と言ったのは、あなたですわ」
ウォルフはイムグリーネの葛藤を見抜き、視線を合わせ、肩に手を置き、燃えるような赤い目で言った。
「この私が助けます」
「だから」と彼女は続ける。
「あなたは胸を張って、人を助けたらいいですわ」
ウォルフはそう言って、返事も待たずに背を向けた。ウィズダムは似合わない真剣な顔をして皇女の前に立つ。
「よく分からんが、学園に大事なヤツがいるんだな? あの女は人助けに向いてないだろうし、俺らもついて行こう」
「そっちの寮は大丈夫なの? それに、この雨はどうするつもり?」
「こっち程酷くないさ。手助けに来れる程度だ。雨は、グリズリの魔術がどうにかする」
彼らは、致死の魔術が溶かせないものを見抜いたのか、水の魔術で土を掬い、濁流の湖のような、とても大きな傘を作っていた。
自分たちが何故こんな目に会うのか、嘆く前に、誰かの為に動ける人間がここにいる。
皇女は小さく、ありがとうと零し、彼らのその背中を見送った。
そして、時間軸はユウメの元へと戻っていく。
学園の中、皆で囲んだ食堂のテーブル、教室のすり減ったチョーク、図書室から零れる本、相談室のノート、日に焼けた椅子が、跡形もなく燃えていく。
誰よりも長く生きた学園が、壊れるところを目にするなど考えても見なかった。心のどこかで、平和の象徴とさえ感じた学園が変わっていく。塵と煤、硝子と鏡の雨が致死の肉と混じり合い裂き裂かれ、また、雨が降る。
黒翼の男は、嘲笑い、嘲笑し、好敵がさらにふさわしくなる様を見て、また嗤う。ユウメには、その笑い声はもちろん、彼が羽ばたく度、死雨が薙いで流れ、はじけ飛び、塵や煤に変わった思い出が吹き飛ばされるたび、殺意がふいごに吹かれた炎のように燃え上がる。
殺さなくてはならない。こいつを殺さなくては、もう、どうしようもない。だが、トロッコが進む道はとっくの過去に選択されていた。
セレクト・スリー
→市民を助ける ズグロを殺す
ユウメの目が、殺意を告げたズグロ・ピトフーイから逸らされ、助けるべき市民を探してぐるりぐるりと動き回る。
「違う、こいつは、ここで殺さないと、わたしがぁ」
過去の宣言への抵抗。足を引っ張るのは、手足を引き摺らせるのは、あの時に決めた、約束事。条件魔術によって決定された選択に抵抗するため、彼女の魔力は、砦が決壊するように解放され、振り上げた手首から、二つの鉄輪の一つが起動する。
そしてそれは、瞬きのうちに砂になる。
ユウメは気づく。鉄輪が砂と化し、そして、二つ目の輪も発動しようとしたとき、自身の残存魔力が全く減っていないことに。
周りから、集めているの? 魔力を
条件魔術が、本来、魔力を徴収するはずだった術者を喪ったことで、しかし、確実に、絶対に約束事を履行させるため、周囲の環境から魔力を集め鉄輪を破壊しようとしている。チェイサーの絶対なる意志は、彼女の中に宿っているのだ。そして、魔力はあった、ズグロ・ピトフーイの致死毒がそこら中に。
条件魔術は、世界のルールの追加であり、重力が鳥を逃がさないように、選択から逃げることを許さない。気を失わせることなど、絶対に許さない。既に、決まったことである。
「どうした。焦らすのか? 忘れられない夜が終わるぞ」
ズグロは、困惑したように辺りを見回すユウメを煽り、見下ろし、観察する。首から上と下が別々の意志を持って動いているようだった。目は何かを探し、体の方は鉄輪が砂になり、軽くなっていく様子に戸惑っている。彼は堪えきれないように、ひとしきり大きな嘲りを吐き出すと、目を弧に曲げて言う。
「……いや、焦らされているのはお前だなぁ」
彼は黒翼の羽を一枚だけ、目に見えるほど遅くユウメに飛ばした。彼女は、それを避けるが反撃に出ようとはしない。
「友達の仇を前に、手も足も出ない、出せない。惨めだな。あまりにも惨めでみっともない。なんのためにぬるま湯につかってたんだァ、お前はよォ!」
ズグロが急降下し、その翼でユウメの身体を打つ。片腕に残った鉄輪を盾にそれを受けたユウメは、受けた鉄輪を見て目をむいた。その鉄輪が溶けているからだ。彼の濁り切った笑みを見てユウメはその鉄輪を空間魔術で消し飛ばす。自身の毒が効いたはずの彼の身体は、それを克服している。そして、毒で自身の身体を覆っているのだ。
防御一辺倒の空間魔術が、特異点到達によって攻撃手段を得るように、彼の攻撃一辺倒の致死の溶毒は防御手段を得た。
彼は毒鳥として完成した。
「殴ってみろよ、女ァ!」
殴れば今度こそ、拳は溶ける。賭けではなく確実にだ。しかし、ユウメは拳を振りかぶる。
ユウメ・エクテレウという機関は怯えることも、驚くことも、止まることなど決してない。殴らなくても、殴っても死ぬのなら、殴って殺す。殺すと決めたら殺す。しかし、その殺意と決意は、ずっと昔に決められている。
ユウメの拳がブレた。
条件魔術は、約束事を何としてでも履行させる。彼女が選んだのは、ズグロを殺すことではない。
ズグロがまた嗤い、ユウメが目を開く。
ユウメの力は、制限を受けたとしても致死のものだった。受ければ死ぬ。そうなるはずのズグロは、拳を受け、煙のように受け流したのだ。
加羅道。
ユウメは闘技場でズグロに負けた闘士が、この技術を持っていたことを思い出す。彼はこれを盗むためにあの円に上がったのだと、いま気づいても、時間は流れ続けている。致死の毒がユウメの肌に触れた。
「じゃあな。俺をここへと押し上げた、踏み台へ。最後の贈り物だ」
がら空きの脇腹に、全てを乗せた蹴りが刺さる。毒も力も体重も殺意も、全てを受けて、ユウメは球のように中庭を飛んだ。一転、二転、炎の中を飛んで、柱にぶつかりそれでも止まらず吸い寄せられるように燃える学園の壁へと落ちた。
ズグロは、その行き先を一瞥もせずに再び羽ばたいた。
パラパラと燃える火の粉を顔に受けながら、ユウメは骨の見えた指を見る。毒を受けた個所を、咄嗟に空間魔術で消し飛ばしたせいで、右手の四指の肉は全て上皮の半分が無くなっている。蹴りを受けた腹の被害が衣服のみで済んだのは、幸いだったのか。彼女は、逆に、この痛みがないと自分が深層のどこかへ行って、狂ってしまいそうだった。燃える炎が、自分を燃やすのさえ許した。
市民を助けようとする過去の選択と、ズグロを殺そうとする今の選択が、自身の意志、そして肉体さえもばらばらにしようとしている。苦しみの中で、生きているのは痛みだけだった。だが、投げ出した骨の手が、柔らかいものに当たる。生命の温かみだった。
市民を助ける。その考えに染まったユウメは、瓦礫を全霊を賭けてどかしそれを助けようとする。その生命の全貌が見え始めたとき、ユウメは声を上げた。
「カッツィ!」
巨大な毛玉だった。子を護る親のように、一部屋よりも巨大な猫が体を丸めている。ユウメの呼び声を聞いてピクリと動き、ゆっくりと体を縮小させた。豹に近いサイズになった時、彼女の下から無傷のトリトリントの姿が見えてくる。彼女は炎や毒から、それに適応した体で護っていたのだ。
だが、カッツィの姿を見て、ユウメは言葉を失う。腹部が、ぱっくりとさけていた。カッツィはユウメの表情を見て自嘲気味に笑った。
「火炎や奴の毒には適応しましたが、爆発と言うものは複雑で。なかなか難しいのですよ」
「致命傷ではない」と彼女は言う。本当かウソかはユウメには分からないが、事実、彼女の腹から見える肉は内臓ではなく筋肉だ。
「繋げようか?」
「いいえ。これから、ワタク史上最も大きくなるでしょうから、意味がないでしょう。しかし、この傷がもう少し塞がるまでの時間は欲しいです」
彼女はずっと小さくなり続け、ついにはそこらの野良猫と同じサイズになった。
「条件魔術が出ましたか」
カッツィは手足の鉄輪がない事を確認して言った。
「そう。戦えない。私も。間違いを選んだ。何も出来ない」
カッツィは猫の顔で不敵に笑う。
「はい」と、無慈悲に言って言葉を続ける。
「しかし、ユウメさんは間違いを自覚して修羅とは違う道に進みました」
辺りの炎が天に伸びる。吸い込まれるように歪みながら捻れながら朝日のような光へと吸い込まれる。それは、炎の塊で、その中心では、女が狂ったように怒ったように炎を揺らめかせていた。
「だから、今があるのです」
その女は、燃えるような髪をしていた。




