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第63話 この先

『不条理を認めろ』


 くじらの鳴き声が聞こえる。聞いたことも無い、大海に鳴く寂しい声が。なぜ、これがくじらなのだと分かったのだろうか。


 母であるカルラカーナがネームレスに殺されたのも、リサが父に殺されたのも、わたしが強く、賢くなかったせいだ。強く、賢ければ、もっとサイコロの目はよく転がり、何か変わったかもしれないと、誰かを殺す度に思う。


 これは、後悔の話で、後になって悔いる話だというのは、わたしも理解し認めている。認めることが出来た。


 カン


 不条理。紛れもない不条理で、わたしはそれを認めている。これ以上、何を認めろというのか。


 カン


 瞬きをすると、蝋燭の灯りが瞼の間に滑り込む。光は目から脳に伝わって、鋭い痛みを与えた。わたしの温度が空気を温め、出した空気が白い靄となる。


 わたしは、わたしが意識を取り戻したことに気づいた。土に汚れた白の軍服と、椅子の冷たさと、手足を締め付ける鉄輪の冷たさが生きていることを伝える。


「おはよう。というのも、まだ、夜は終わっていないけれど」


 カン


 砂が落ちる、さざ波の音。


「レモン、王子」


 足の間に置かれた蝋燭が照らす限り、視界の取れる限り、大部分を鉄の光沢が占めている。床も壁も椅子も蝋燭を立てた皿も、わたしを拘束しているであろう鉄輪も。


 なぜ、こんな所に、縛り付けられているのか。頭を回しても、中間の歯車を無くした機構のように、カラカラと空回りして答えが出ない。吐く息がさらに白く、多くなった。


 カン


「この砂時計」


 砂の落ちる音。レモンの持つ砂時計。


 白い髪、眉、目、肌を持つ男が微笑みと無表情の中間でわたしを見ている。蝋燭の灯りひとつで出来た彼の影は、天井から見下ろすまでに大きくなっていた。


「この砂が落ちきったら、ここに戻ってくる。それまで、大人しくしてくれると嬉しいね」


 彼はそう言ってわたしに背を向けた。手と手を繋ぐ鉄錠は、擦り付けた感触から、細い鎖の連なりでできていることが分かる。鎖を絡め、捻り続ければ付け根が疲労して折れるかもしれない。


「手の鎖を外すな」


 レモンが振り返らずに言うと、手の動きが止まる。動け動けと頭で命令しても、麻痺したかのように動かない。


「足もだ」


 物理的、精神的、二重の手錠。


「そこまでして、わたしを抑え込みたいの?」


「その通りだ」


「杜撰だね、アンタの計画」


 レモンは振り返り、再び椅子に座った。蝋燭の光は微笑みと無表情の中間の表情を揺らす。


「杜撰……? 心外だ」


 彼は蝋燭を皿の針から素手で抜き取り、わたしの太ももの上に立てた。悲鳴を上げるほど熱くは無い、痛みが生まれるほど熱くは無い。だが、溶ける蝋と揺れる炎は、砂時計の最後の砂が落ちるように、いつか、わたしの元へと落ちてくる。


「君と皇女を繋ぐこれ」


 彼は蝋に塗れた手をわたしのチョーカーに当てる。黒を塗り潰すように白の蝋を塗り広げた。火傷する程では無いが、肌がひりつく熱さが首を舐める。蝋燭の炎がわたしの内情に煽られたように揺れた。


「それも、今日限りだ……」


 レモンはわざわざ、背中を見せて椅子に戻る。油断と慢心しか見えないその背中すら、今のわたしでは手が届かない。


「そう睨むなよ。僕が皇女と仲良くなれば、君も僕と仲良くなるのだからね。面白い未来だろ、笑ってくれてもいいんだぞ。君が皇女に微笑むようにね」


 わたしは笑った。


 彼が言った笑いではなく、嘲りの笑い。

 何をそこまで必死になっているのかと。


「ははは。笑ってくれて嬉しいよ。仕方ないか、盤上の駒は盤が見えない。教えてやろう。僕の魔術」


 白一色の肌が、火に揺られて鮮やかに彩られる。


 毒を持つカエルが色鮮やかな理由は、刻み込むためだ。


『二度と歯向かうな』


 と、遺伝子まで毒を刻み込むため。


 彼の毒が、わたしを侵そうとしている。


「君たちが、どれだけ、絶望的で、絶対的で、崖っぷちで、不条理の果てに追い詰められているのか、教えてあげようじゃあないか」



 いくつもの蝋燭が並んでいる。蝋燭が蝋燭の影を作り、葬列のような影法師が王子と皇女を見つめてる。時計塔の歯車が鉄の空で回っている。巨人の掌のような、大きな歯車が回る音。もし、巨大な鼠が存在して、壁を齧り続けたとしたら、このような音が鳴るのだろう。


「1906、1907、1908……1913」


 皇女は数字を数え続ける。口の中で唱えるような小さな声には、その内情に揺られてか、参列する炎を吹き消すような心が籠っていた。


「あと、少しだけ待ってくれ。彼女は時間通りに来る」


 彼は懐中時計を見ながら言った。時計に繋がる鎖を纏めてポケットに入れる。待つ、待たないに関わらず、彼女は動けない、動かない。そんな、皇女の様子を見た。


「1929、1930、1931」


 千の数を、諳んじるように数え続けている。


 積み重なった煉瓦のパターンが、四方八方に規則正しい蜘蛛の糸のように張り巡らされている。整備用の工具や土嚢など物置と化した時計塔の地上部で、広い長椅子に二人は座っている。


 皇女は脚と後ろ手に細いワイヤーが何重にも巻き付き、手錠の代わりとなっている。そのワイヤーは、魔術を封じる鉄線で編まれ、更に、脚のワイヤーは長椅子の脚にも巻きついている。決して捉えた獲物を逃さない、涎を垂らす蜘蛛の所業であった。


 その彼女は、鉄の空を見る。その視線の先にあるのが、鐘に登るための足場か、資材を持ち上げるための縄か、回り続ける歯車か、また横にある小さな歯車か、王子は分からない。


 だが、彼女の口にする数字が、彼女の護衛と別れてから一秒ごとにカウントが進んでいることは分かる。


 彼は、心の底から、二人を分断させたことが最善手だと思っていた。


「来たか」


 静かに開いた鉄の扉から風を吹き込まれる。冷たい風に白と蒼の髪を揺らした皇女が左へと顔を向ける。そこにいた人間を見て、彼女のカウントが止まった。


「トリトリント――」


 ピトフーイの家督、アルキメデスの顔が彼女と被る。夜が流れる岩のような、不動で、不撓で、どこか悲愴な決意の表情。


 トリトリントは、真新しいナイフを右手に持っていた。


 彼女の腕のように細く、美しく。そして、彼女にはない、ぎらついた恐ろしさを見せつけている。


 震える手で、トリトリントは握っている。


「僕らにとってのゲームチェンジャーが登場だ」



 あの鯨の鳴き声は、金庫の扉のように重厚なあの鉄の扉を開ける音だ。それが今、レモンが扉を閉めたことで分かった。


 わたしがこの拘束に抵抗しようとする行為は、全て王子の魔術によって封じられた。


『トリトリントは彼女が殺した領主の一人娘だ』


 蝋燭は既に寿命の半分を終え、炎はじわじわと熱を伝える。


『無実の領主。可哀想なトリトリント。凶刃に倒れた一家の柱。代わりとなるのはただの小娘……簡単だったよ、瓦解させるのは』


 蝋燭の先を口に含み、口の中で消火する。熱蝋が舌と口内にへばりつき、肉を焼いた。痛みと苦しみから逃げるように吐き出すが、こびりついた蝋は簡単には離れない。


『ここまでは、僕が彼女を引き連れていることから、皇女も予測していただろう。これを軸に、何かをしかけてくると』


 えずくように、咽び泣くように、白い唾液をひたすら吐き出す。熱が喉にも流れ込み、口から繋が全てが火傷したかのように鋭く、じくじくと痛む。


『僕の魔術の名は、『交信(テレパシス)』。『盲信の交信テレパシス・オブ・フレデリカ』僕のおばあちゃんから継いだ魔術でね……』


 砂時計は止まらない。いくら願っても、見間違いであってくれと祈っても、砂がもうすぐ全て落ちきるという真実は止まらない。


『心の折れた相手に触れた時、その時、相手は僕に心を開き、意のままに操れる――本当の友達になれる訳だ……彼女は、イムグリーネは、死にたくなるほど後悔した過去からの、真っ向からの責め苦に耐えられるだろうか?』


 だから、わたしを孤立させたのだ。


『心の支えが無くなったイムグリーネに、トリトリントは泣いて訴えるだろう。父を返せ。と。さあ、想像してみてくれたまえよ、世界をより良くしようとした少女が、弱きを助けようとした少女が、取り返しのつかぬ責任を抱えて、のうのうと生きてきたツケが、今、ここに、収束する。なあ、聞いておくれよ、今、俺は……最ッ高に――気持ちがいい』


「――クソ野郎がぁ! 」


 腕から体を引き抜こうと、体を捻り前へ前へと進もうとする。だが、手錠が体を傷つける前に、体は抵抗しようとする自分に気づいて停止する。


 自分の体が、誰かの体のよう。体の外に怒りは出ない。赤子のように、うまく動かない自分の体に怒り、嘆き、叫ぶしかない。


「引きこもり色白野郎が! クソ……絶対、絶対、殺してやる」


 奴に向けた叫びは、鉄の壁にぶつかって自分の耳に痛いほど跳ね返った。蝋燭の炎が乗り移ったかのように、吐く息は熱く、感情は赤く揺れる。


 どうにか、どうにか脱出する術が無いかと考える。


 レモンが制限したのは魔術と、手錠、足錠を外す行為。鉄の椅子は床に固定され動けない。自傷してでも抜け出したいが、その方法すら思いつかない。砂時計の音がずうっと『どうする』と問いかけてくるようで急いた頭が空回りしている。


 だが、再び、扉が開く。砂はまだ落ちきっていない。


 学生服と馬の面。鯨の鳴き声と靴の音。


「何しに来たの……ゴルト」


「借りを返しに来た」


「借り?」


「あの時の、スパゲティの借りだ」


「ははっ、律儀だね。……ゴルトも、王子の仲間じゃないの……」


「俺は、ただ、一食の恩義を返しに来ただけだ。たまたま捕まっていたお前を助ける、男一匹としてここに来たんだ」


 彼の表情は分からない。わたしに馬の表情が分かる能力があれば、彼が苦虫を噛み潰したような表情をしているのか、それとも悩み抜いた後の決心を浮かべる表情なのか分かったかもしれない。


 彼はわたしの足錠を破壊してくれる。


「ずっと悩んでいたんだ、いや、今も悩んでいる」


 誰かに向けた言葉ではない。


「為政者として、小を捨て大を選ぶことは正しいことだ。レモンのやっていることは、獣人としての俺が見れば、正しいことだ。だが、俺は、友として……トリトリントを小として切り捨てることが出来ない」


 彼は器用に手錠の付け根を捻り切る。


 数十分ぶりに自由になって手足を伸ばすと、ぐっすり寝た昼のように気持ちが良かった。


「トリトリントは賢そうだし、何より、優しそうだもんね」


「そうだ。あいつの気持ちは痛いほど分かる。俺も親を殺されてるからな。報われて欲しい。だが、復讐なんて、やって欲しくないって思う俺もいるんだ。……恩人が殺されて、不安定になってる。本当に、皇女を殺しちまう。それは、ダメだ。そうなったらレモンも容赦なく切り捨てる。あいつは、あいつはな、花の世話をしている姿が、本当に良く似合うんだよ……」


 あの相談室で、ゴルトが父や、兄のようにトリトリントを見ていたことを思い出す。あの後、ふたりは何を話したのだろう。


「レモンは、もし、この計画が成功したらトリトリントをどうするつもりだったの?」


「あいつは、誰も信用していない。皇女の心を折った後は、トリトリントの心を折る。次は、俺か、また別の誰かだ。あいつはそれしか、知らない」


「呆れた。誰が平和を語ってるのよ。平和が何か知らないってどういう冗談よ」


「……俺は、それは良い事だと思った。平和を知らない人間だからこそ、平和を客観視できる。ずっと平和を探し続けることが出来るんだからな。だが、俺は、迷っちまった。今が幸せ、平和だと、考えちまった、足踏みしたんだ……半端もんだ。正に、人間と獣の半端もんだ……」


 椅子の背を持って俯くゴルトにかける言葉は見つからない。だから、わたしは彼の背中を叩いて、リサが昔、わたしに言ってくれた言葉を自分なりに噛み砕いて投げる。


「半端もんでも、悩むことができるなら、悩むだけ悩んで前に進もうよ。それがゴルトの出した答えで、間違ってたのだとしたら、わたしが殴ってあげる。こけながら歩けるようになるのは、馬も人間も一緒でしょ?」


 ゴルトは叩かれた背中を必要以上に痛そうにして、咳き込みながら言った。


「お前に殴られたら二度と起き上がれないだろうが……悪いな、妙な話に付き合わせてしまって。急ぐか」


「そうだね。急ぐけど、トリトリントとイムの邪魔はしないよ」


 ゴルトは水をかけられたように硬直して、大口を開けて驚いた。


「はぁ!?」


「イムも、ずっとあの殺しを悔いて、悩んで、考え続けてる。一度、トリトリントとはしっかり話をして、過去の精算をするべき」


「親を殺された過去だぞ。精算するには釣りが合わん。絶対に合うことなんて無い。どっちにとっても不幸になるだけじゃないのか」


「そうはならない。ならないから、わたしはイムの横にいるの」


「どうして、なぜそんなに主君を信用出来る」


 ゴルトの声に、わたしは自信を持って答える。


「イムのことが好きだから」

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