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第29話 帝国特務機関、王都ピューピル魔術学園にて挑発行為

「冬眠明けの熊みたいね」


 学生寮のカーテンを開けると、毛布にくるまって寝ていたユウメが顔を隠す。二度目の冬眠を決め込もうとするので、そうはさせまいと装備を剥ぎ取ると、ありえないくらい跳ね返った茶髪がもぞもぞと起き上がろうとする。


 開き切っていない瞼と手探りでベットから這い出ようとする様子は、とても二足歩行の人間とは思えない。


「ほら、入学式なんだから。しっかりきめていくよ。顔洗ってきて」


「あい」


 私達は無事、学園に入学できた。あの日、ユウメが試験のことを全く知らなかったことを知った時は本気で焦った。それはユウメにひと月無視された程だった。


 学園は特異点(シンギュラリティ)に到達しているからと言ってタダで入学できる訳では無い。品位のある場所にはそれなりの教養が必要で、ユウメにはそれが有ると思っていたから伝えなかった。


 ……残念ながら、彼女は魔術のこと以外はからっきしだった。どうにか猛勉強を重ねて合格し、晴れて今日が入学式。魔術の事前知識が無ければ確実に落ちていたのだ。あともうすこしで、彼女に教育していたリサさんが私の中で唯一神になるところだった。


「ユウメ?」


「ぶくぶく」


「なにしてんの!?」


 開きっぱなしの扉を覗くと、彼女は洗面台に顔を突っ伏して溺れていた。この子の朝が異常に弱いのはなんなんだろうか。それとも人間は水深が四センチあれば溺れるという噂を試そうとしたのだろうか。


 肩を持って身体を起こすと、溺れてもなおうつらうつらとしていた。一度はなにかの症状を疑ったが、おそらく、魔力関係の体質だろう。対処法は無い。いつか死ぬんじゃなかろうか。


 蛇口を閉めて、周辺の魔力因子をコントロールし、落ちた水と彼女についた水滴をひとまとめにした。唸り声を上げる彼女の横顔に水滴は無くなり、すべすべの綺麗な顔つきになった。長い睫毛を伏せて、寝苦しいような表情をしている。不意打ちに、その頬に口付けをした。


 すると、寝ぼけ眼はぱっちりと開いて、状況を確認するように数度瞬きすると、その顔がだんだんと赤くなる。


「おはよう。ユウメ」


「あ……おはよう――」


 一瞬で覚醒した彼女を見て、私は笑いを堪えられなかった。


 この子は、他人に興味を持つことすら今まで無かったのだろう。なぜそうなのかは分からない。そして、今はただ、分からないを分からないのままにしておきたかった。


 彼女は私に髪を触られるだけでこんなにそわそわと落ち着きを無くす。ユウメはこれから多くの人と関わるだろう、いつかは気付く、いま心にある感情が、恋ではないことに。親愛の類であることに気づくだろう。


 ――でも、それじゃおもしろくない。


「ユウメ、これ、プレゼント」


 拒否される前に素早く装着する。


「え、なにこれ」


「チョーカー」


「首輪じゃなくて?」


 ユウメの細い首に手を当てて、金具を調節し、外れないように固定する。これは、黒のチョーカー、ユウメの咲かせた爛漫(カメリア)の意匠を刻み込んだ特注品。この世にたった一つのオーダーメイド。彼女は花の意匠を手でなぞった。私の手と重なってくすぐったい。


「わたしの花だ……」


「ほら、似合うでしょ」


 晴れ舞台のために編み込んだ髪と、清廉な学園制服。そして、アクセントのチョーカー。そこにすらりとした長身の背丈が合わさると、うん。悪くない。チョーカーの意味も考えずに満足気に姿見を見ていた彼女の表情が曇った。言おうか言うまいか、迷っているような様子だったが意を決したように口を開く。


「これ、フィアにもあげたの?」


 予定と変わったのは、フィアが入学したこと。カッツィが闘技大会で優勝したこともあって、資金には余裕があった。そこで、魔術を習得して絶賛進化中のフィアに白羽の矢がたったのだ。ちなみに当人のカッツィは勉強するのが嫌だと言って断った。


 フィアはユウメよりも成績が悪かったが、数週間もすればユウメを追い越して余裕で合格するレベルまで到達した。ユウメがおかしいのではなく、フィアがおかしい。


 一目見ただけで大抵の事を覚えられるのだ。数式を見れば、公式を導き出すし、間違いなく稀代の天才だろう。彼女の学習能力と才能には本当に驚かされた。生い立ちを考えれば、喜ばしいことだ。それはそれとして。


「フィアにはあげてないよ」


「…………なんで?」


「何でだと思う?」


「…………」

 

 首に触れた手からユウメの体温が上がっているのを感じる。少し前とは比べ物にならないほど感情が豊かになった。そして、その感情を引き起こしているのが自分だというのがまた、悪くない。彼女が胸に抱いている感情を覗いてみたい。空白しか映さない彼女の心がいまはもどかしい。でも、こっちの方が楽しいからいいか。いまのユウメは本当に、可愛い。


「わたしには、イムの心が分からない。そっちだけ覗けるのは、ズルじゃない?」


「ふふ、そうね。丸見えだよ」


 ほんとは見えていないけれど。心が見えないことを伝えていないのには特に意味は無い。そっちの方が優越感を感じるから。しかし、見えなくともそれほど変わらない。顔は口ほどにものを言う。

 

「やっぱり、わたしが無視してた時も心を覗けばよかったじゃん」


「くっ……」


 彼女の口ほど余計なことを言うものは無い。


「それではダメなのよ」


「……そういうもの?」


「そういうものよ」


  どうにか納得してくれた。ヴァルターが言っていたらしい。『ユウメを楽しませてやってくれ。灰色の世界に、お前が色をつけてやれ』と。彼女の色は、今は私一色だが色々関わっていくうちに鮮やかに花咲いていくだろう。そして、咲き誇ったところを私一色に染め直す。私は産まれ持っての覇者であるのだから。

 

「わたし、分かったから。イムのことを何も知らなかったからダメなんだ。知れば、考えてることが分かる。そうでしょ」


「私に興味津々ってことね」


「もう! 茶化さないでよ。イムのことも、フィアのことも、カッツィのことも、わたし何も知らない。今は、知りたいの」


「聞かれたら、何でも答えるよ。でもその前に入学式に行かないとね。もう時間よ」


 ピューピル魔術学園は、王都の東、孤立するように存在しており、何でもかつての英雄が眠る墓の上に建てられたらしい。通称、学園と呼ばれるここは、魔術、政財界から学術分野まで幅広い分野で最高峰の人材を輩出している。


 試験によって選別された五百人は、才能と努力をどちらも欠かすことなく鍛えた秀才達。魔術の才能は血筋に左右される部分も多いため、必然的に貴族が多くなる。


 この学園にもうじゃうじゃと岩下の虫のように貴族がいる。そのため、学生寮も一人部屋の予定だったが、狙われている事情を話すとあっさりとユウメと二人部屋にしてもらえた。


 赤い手は壊滅した訳では無い。番号付きの半分近くをやれたのは大きいが、それでも半分以上の戦力が残っている。襲撃の可能性がないと判断するにはまだ甘い。


 私が襲撃者の立場なら、もう一度観察に回る。次は、弱点の見える近くまで忍び込み、友人の立場に成り代わって観察する。学園という新しく交友関係も無い環境は、溶け込み忍び込むには最適の環境、近づいてくる人間はよく精査しなければならない……


「イム、行こ?」


 ユウメがドアを開けて私を待っていた。


「うん」


 前途多難かもしれないが、この新生活が楽しみであることには変わりない。


 学生寮から学園までの距離は遠くない。歩いて十分もかからない。道のりは目に優しい緑が多く、舗装された道以外はほぼ森。広い道を歩く学生服は少なくなく、深い青がそこらに見える。森のさざめきと鳥の鳴き声、人の笑い声は穏やかな一日に相応しい音だ。


「フィアはうまくやれてるかな」

 

 ユウメが心配するように言った。フィアはまだ16才。そして、学園のだいたいの入学年齢は18~22才。才能にものを言わせたゴリ押し入学だ。出る杭は打たれると言うが、出すぎた杭は杭だと気づかれない。あの子は大丈夫だろう。


「見た目に騙されない方がいいわよ。ちっちゃくておっちょこちょいに見えるけど、かなりのやり手よ」


 そう言っていると、フィアが一人の女の子と歩いているのが見えた。


「ほんとだ……」


 ルームメイトなのか、知り合って一日の割には仲が良さそうに見えた。それとも、これもフィアの魅力なのか。ユウメはフィアが見つかったあとでも、きょろきょろと辺りを見回していた。


「誰か探しているの?」


「うーん、友達の馬がいるはずなんだけど」


 彼女の友達は動物らしい。そういえは、ユウメの口から友達の話題が出たことは一度もない。……もしかしたら、同年代の友達がいないのは私だけでは無いのかもしれない。


「あっ…………ダイン……?」


 彼女の足が止まり視線の向いた先には、見通しの良い森だ。草の背丈も高くないし、木も人が隠れるほど太くない。何より、私の目に何も映らない。学園周辺を囲む高い柵は部外者の侵入を固く禁じている。世界でも最高峰なだけあって、正規以外の侵入には手間がかかる。 ユウメの弟が学園に入学するわけが無いし、何の痕跡も残さず潜伏できるとは思えない。


「ユウメ、どうしたの」


 硬直した彼女の体が、錆びた機械のように歩き出す。弟を見た方向ではなく、学園の方向へ。


 セレクト・ワン

 →学園に入学する ダインを追う


 チェイサーの条件魔術は死んでなどいない。私は確信した。選択から逃げられるほど彼の魔術は甘くなかった。時計を構成する歯車の粒のように突き詰められたロジックに従い、忠実にかつての選択を再現していたのだ。だが、そんなことは有り得ない。彼女の脳は条件魔術には適していないはずなのに。水の無い場所で魚が泳ぐだろうか。何かが狂っている。


 ユウメから聞いていた条件魔術。その最初の選択。彼女自身の魔力が意に反して動いているのか、学園の生徒が通る道のど真ん中で特務機関の魔力を滾らせた。数人の生徒が糸がピンと貼るように緊張を帯びる。その糸を千切れんばかりに引き伸ばしているのはユウメだ。


「イム、これ。勝手に身体が動いてる」


「なるほど、厄介ね。相当」


 ユウメの肩を持つが、諸共せずに相当な力で前へ前へと進む。私ではどうしようも無い。彼女を入学してそうそう凶器を振り回す狂人にはしたくない。


 条件魔術によって、選択に反した動きをした時にチェイサーの魔力で無理やり体を動かすようにプログラムされている。動くはずがない。しかし、瞳は見せるのだ。辺りに存在する魔力因子が彼女に集まるのを。止める方法は。


「ユウメ、逆に学園に向かってみて。抵抗をやめるの」


 錆びた機械のように不格好に動いていた彼女が、油が差されたように動きにムラが無くなった。 漏れ出る魔力も普段よりはやや多いが、威嚇にはならない程度に抑えられた。……少し、遅かったかもしれない。威嚇にはならないとはつまり、挑発行為である。かなりの人数に注目されてしまった。


「……選択に従えば問題ないみたいね、そのままゆっくり歩いて」


「でもっ、ダインが」


「気のせい、見間違いよ。私の目でも捉えきれてない」


 通り過ぎた森林を振り返っても確かに見えない。見間違いのはずだ。しかし、ユウメは考え込むように下を向いた。握った手が震えている、相当な葛藤が目で見れた。


「あなたの弟でしょ。大丈夫よ。信じてやりなさい、元凶を見つければ弟も安心できる」


 それでも、彼女は簡単には顔を上げなかった。


「そうだね……うん。大丈夫」


 何人かに喧嘩を売ってしまったかもしれない。相手の受け取り方によるが、そう思われても仕方なかった。それに、条件魔術の対策に本格的に取り組む必要がありそうだ。彼女が飼い猫に手を出す前に。

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