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第24話 護る少女

『護るために強くなるの』


 かつて誰かに言った言葉、私が闘う理由。あやふやになって、記憶の霞と戦場の血液に混じった決意を思い出す理由にこの昂りは十分だった。私が強さを求めたのは、それ自体を求めたからでも、人を殺すためでもない。原初にあった記憶、全ての始まりはリサの背中だった。


 憧れた人の妹であるというその誇り。ただの子供心ともいえる顕示欲。護るべきものを、護る、それがどんなに難しいことでも。命をかけて私にみせたあの背中を、私は受け継ぎたかった。


 誰にどうこう言われようが、血に塗れて恐れられようが、身近な人間を失うことになろうが、もう、どうでもいい。考えることでは無い。リサなら、私の憧れた姉なら、そんなもの全部ひっくるめて護れるぐらい強くなれと、笑って言うだろう。


 やってやろう。決められた未来なんて、いくらでもひっくり返してやるう。人を操る虫だろうが、全部溶かす毒だろうが、全てを切ってきた剣豪だろうが、私にとっての神だろうが。どうだっていい。


 ただ一心に。

 護るべきものを、護るだけだ。


「私は護る。私の未来を、イムグリーネを」


「ならば、俺の全力で君の未来を斬ってみせよう」

 

 水底を走れば、水に機動力を奪われる。膝まである水の上に空間を作り、その上を疾走する。相手は自身と同じ、空間魔術。圧縮空気では、空間で逸らされる。殺るのならば、自身の拳で。


 ネームレスが、無防備にも上段に構えた。


「見せてやろう。剣の、一本の到達点を」


 ネームレスの構えた剣が消える。光を超えた更にその先、世界の頂上速度を超えた一閃。振られた剣の延長線上の空間全てを断つ。光すら逃がさぬその剣は、振られた瞬間に必中する未来が確定する。不可避の絶対必殺。彼にとっての、極伝である。


 剣の奇跡も見えぬうち、ユウメの左腕が根元から断ち切られる。


 ユウメを両断するはずだったその剣は、彼女の前方に展開された空間によりどうにか脳天から数センチずらすことに成功する。その手法は奇しくも、かつてリサが前腕の尺骨と橈骨で刃を捕らえた手法と全く同じであった。


「逸らしたか! 俺の必殺を受けて立ったのは、世界で君が初めてだ!」


 ネームレスはここにきて、命のやり取り、その高揚を抑えられなかった。彼女なら、この剣を止めるやもと放った一撃必殺。想定以上。止まらない。大量出血、重心の崩壊、そして、痛み。その全てにおいて、足を止める理由足り得るもの、ひとつとしてなし。腕を落とされただけでは、もうユウメ・エクテレウは止まらない。


 肉薄された距離は、既に髪の毛が数えられるほどの距離。彼女の、握り締められた右拳。その必殺の距離だった。


「見ててよ、リサねぇ!」


 ネームレスの返す刀。水底から息を吹き返そうとするその剣を、ユウメは全質量をもって踏み潰す。ネームレスは、その腰だめに握り締められた拳に、“死”そのものを幻視した。


 これは、戦場で受けた大弓よりも、総重量キロトンを超える馬獣人の蹴りよりも、鋭く、重く、速く、そして、強い。


 唸る空気すら乗せて、その必殺は命中する。捻りを加えたその拳は、群がる黒虫を捻り切りながら、ネームレスの肋骨、肺、心臓、直線上のその全ての臓器を破砕した。


 ネームレスの目から光が消え、彼の口からドス黒い血が溢れる。黒虫の混じりとともに溢れ出るそれは、常人であれば死を迎えた証でもあった。しかし、彼は既に常人ではなく、肉体の主導権は人類の天敵であるクリュサオルに渡っている。つまり、いくら臓器を破壊されようが、全身をバラバラにされようが、その黒虫の蠢く限り、ネームレスは殺戮人形として障害を斬り続ける。


「……」


  彼の口から、声にならぬ声が漏れた。


「黙って、死んどきなよ」


「死の位相は、()が決める」


 喉の奥から這いずり出したような籠った声。体内のクリュサオルが声色を真似て音を出したと同時に、ユウメに踏まれてヒビの入った剣を引き抜いた。


「土に還れよ。虫けら」


 ネームレスの一閃とは、かくも遠いその杜撰な剣筋。所詮は真似事。あれに比べればまるで包丁を扱う子どものようである。ヒトの本質を知らぬ虫の剣は、いとも簡単に捉えられた。彼女の軽い裏拳は、鋼鉄の剣をガラスのように半ばから粉砕した。


「片手では、殺りきれぬ」


 クリュサオルはネームレスの身体で、折れた剣を握り変える。払い斬る握りから、突き刺す握り。振り抜かれた拳、片手の無いユウメにこれを防ぐ算段は無いという読みだった。剣を砕かれようが、その刃が残っているなら、それで命を奪うのみ。


 だが、その読みと結果とは程遠く、ネームレスの意志によって両の目が見開かれる。


「私の空間は、相手の防御魔術に触れたら消滅する。なら、私の体の内に設置すれば、それは誰にも触れられない」


 左腕がある。斬り落としたはずの左腕が。ネームレスの目に光が宿った。強さへの渇望。技術への欲望が目覚めぬはずの意識を覚醒させた。


 縫合したのだ。左腕を。だが、いくら繋げたとて、その左腕はもう動かない。神経のことなど二の次の、児戯にも等しいその繋ぎでは。なら、次を放とうとする左腕はどうやって動いているのか。


 骨を上書きしたのだ。それならば神経など必要ない。骨が無ければ作ればいい。どうやっても動かぬなら、無理やり動かせばいい。空間魔術で、骨を作り、その空間を動かせば、左腕は動く。


 修羅の所業。だが、修羅に堕ちた訳では無い。彼女の瞳は暗い深みのなかに確かな生の炎を灯している。強さへの渇望、護るという意志の炎を両立させた上での狂気であるのだ。ユウメの左腕に、魔力が集中する。


「おもしれぇ」


 強さを求め続けそれ以外を捨てた死神の目に、少年の心が宿った。


 二度目の必殺。

 

 ユウメの空間に動かされた左腕は、十全にその役目を発揮した。魔力の流動、インパクトの瞬間。打ち出され、命中した拳とともに、流動していた魔力が急停止。


 その衝撃は、ネームレスの身体を流体のように波打たせた。


「これで終わりじゃ、ないんだろ?」


『魅せてくれ』とネームレスの目が輝く。クリュサオルを殺すには、恐らく、宿主を人として再起不能になるまで粉砕するしかない。そして、その手法は既にユウメの内にあった。


「特異点――」

 

 ユウメの顔に薄らと笑みが浮かぶ。彼の強さへの渇望、光を超える一閃、超常の技術を持つ彼に期待されたことに、少なからず嬉しさを感じていたのだ。二度目の必殺により浮き上がったネームレスの身体。左足を軸に、回転を加え、彼の体に潜り込むようにしてその身体を蹴りあげた。魔力の籠ったその蹴りは、大穴から浮かび上がるほど強力で、ユウメの狙い通りだった。


 右手を真っ直ぐネームレスへと向けて、左腕を空間で動かし、右腕を支える。その体勢は、何かを発射するようにも見えた。


 展開する空間は、花弁と蕾。右手の先を枝にして、不可視の花が咲き誇る。


「『悪くない』でしょ。イム」


 ――特異点 空間圧縮(ラウンドチャージ)


 花弁が開き、中心の蕾が圧縮される。この花弁は、破壊の奔流を一方向に誘導するものに過ぎず。蕾も、ただの圧縮空間の素材に過ぎない。花に見えるのも偶然であり、これはただの効率的な殺人手段であって、そこにはなんの情緒もない。しかし、洗練された進化に美しさを感じるように、フラクタルが自然界に存在するように、到達点には、美が伴うものなのだ。


「寄越せ、アァ レウェ」


 ネームレスの前方に何十枚もの空間の壁が出現する。だが、彼にも分かっている。この奔流が自身の空間で防げるものでは無いことも、自身の敗北が決定したことも。最後の抵抗。無駄にも等しいその抵抗は、勝負においての、礼儀でもあった。


「指向性の、圧縮、爆弾……名付けるなら……」


 ――特異点 爛漫(カメリア)


  蕾が、開いた。前方に展開した空間は儚くも崩れ去る。破壊の奔流に晒されながら、ネームレスは満足気に目を閉じた。



「先生の勝ち……」


  フィアは、どうにか立ち上がりその一部始終を見ていた。役に立てないかと、握ろうとした石も、穴だらけの腕では持ち上げることも出来なかった。ただ、見ているしかできないことが歯がゆかった。でも、安心していた。


  あの時見た彼女の背中が、大きかったから。きっと、勝つと思っていた。


「姫様、致命傷です。フィアもユウメさんも。行きますよ」


  黒豹に変質したカッツィが、上に座る姫へと声をかけた。イムはただ呆然と、役目を終えて散る花を見ていた。


「姫様?」


「……うん。降りよう」


  虫の這いずる音。


  クリュサオルは、死んでいない。奔流の数秒前、ネームレスの身体から、数体の黒虫が剥がれ落ちていた。


「最悪」


  フィアの声が震える。根源的な恐怖。大穴の水底が渦を巻き、ユウメの前に人の形が浮かぶ。


「おい、冗談だろ。まだ働かせるのか?」


  渦の中心、黒虫の群れから現れたのは、無傷のネームレス。


「ははっ、流石に……降参だって……」


  疲労と魔力消費による意識の混濁と、血液の流出、左腕の喪失による肉体的、精神的負担は、ユウメを戦いの場に立つことを許さない。


「クソ、人の生き様が分からんかアァ レウェ。無から再生するなど、どれ程の魔力を使った? 星を消すほどか? ……それだけ、この女を殺したいのか。なぜだ」


  ネームレスは再生した剣を自身の首へと向かわせた。しかし、それは直前で止まり、ゆっくりと主導権が握られる。


「こんな決着は望んでいない」


「誰だって望んでないよ……その虫以外は……」


  ユウメは水飛沫を上げて片膝を着いた。落ちるように沈んだ片膝が、体力の限界を表していた。大穴を見下ろす黒豹が助太刀に入ろうとするのを、皇女がとめた。


「待って、カッツィ。行っても無駄だ」


「しかし、あれでは」


「いや、もう。大丈夫。ふたりっきりにしてあげよう」


 ――特異点 無法ノ決闘(アウトローデュエル)


  修羅と死神に割って入る影があった。

  鍛え上げられた肉体。漆黒の髪。抜き身の長刀。擦り切れたようにくたびれた、白い軍服。そして、腕章に記された八星の頂点。ひとりひとりが国家戦力に匹敵する程の特務機関を束ね、唯一の命令権を女帝から託されたもの。

  特務機関隊長。

  帝国序列(フロンタルナンバー)三位(ドゥエラント) スレイブ・エクテレウ。


「とう、さん……?」


  顔は見えない。彼は何も言っていない。しかし、語るのは言葉だけでは無い。死神に相対したその背中、父の背中は、頼もしく、厚かった。そして、あの憧れの背中と目を疑う程似ていた。護るべきものを護る背中。リサとは、背丈も、肉付きも、性別だって違うのに。


  本当に、涙が出るぐらい、そっくりだった。


「これは……体が動く。アァ レウェの接続が切れたのか」


「俺の魔術は、魔力を封じる。小細工無しの、決闘(サシ)だ」


「魔術を小細工と一蹴するか。スレイブ・エクテレウ。この名を何度、見て聞いたかな。ネームレス。赤い手のネームレス。いざ、尋常に」


「来い」


  ネームレスが構えるは上段。不可避の必殺。光を超えた超常の一閃。そこに一切の容赦は無く、自身の全霊をかけたものであることは一目で分かった。

  その神速を相手に、スレイブは何をするでもなくただ自然体で待っていた。


「人を斬る剣に、全ては必要ない。重さも、力も、そして、理論も。人が心臓の動きを意識しないように。虚しいものなのだ。ユウメ、見ていろ。人の到達点は全てに通じている」


  それは剣の知識の無いユウメですら疑問に思わされた。理論がない事が理論であるという暴論。この世の何人が剣に狂ったか、肉体を解剖し効果的な一撃を探ったか、斬り合って学んだか、そして、光を超えた者さえ現れたというのに。だが、彼はその全てを否定した。


 振り下ろされた一閃。確実に当たるはずの秘剣が、消滅した。夜明けのような閃光と共に、ネームレスの剣と胴体の一部分が、剣の通り道を開けるように消滅している。そして、赤い糸のようなものが漂っている。スレイブが剣を通らせたであろう場所に。それは赤熱化した空気だったのだ。


「カルラカーナと、同等だと聞いていたのだがな……」


「同等だったさ。あの時は。……復讐に燃えぬ男がどこにいる」


  ネームレスの身体は、思い出したかのように、そこに何も無かったように、雨の飛沫のように、空へと蒸発する。


  雨は、いつの間にか止んでいた。


  これが、帝国三位の実力。その鋼色をしていたはずの剣が淡い赤を纏い、水に漬けてもいないのに彼の周辺は沸騰している。


「待たせたな」


  振り返ったスレイブの顔は、やつれていた。かつての、執務室での面影もないほどに。名前を呼ぼうと思ったユウメの口は言葉を忘れたように動かない。強さへの敬意、畏れは霧散し、胸を締め付ける何かが残った。


  なんて、言葉をかければいいのだろう。姉を殺して、何も言わずに逃げて、いつの間にかこんなにボロボロになって。 かつて怒りすら湧いた激情が霧散した。その、みすぼらしいとも言える姿に虚しささえ感じる。


  あの時の、みんなでご飯を食べた時のように、何も無かったように名前を呼ぶ父に、なんと声をかければいいんだろう。ただ、姉の亡骸を見た私でさえこれなのに。手を下した本人はどんなに苦しめられたんだろう。少し前の私なら、簡単に慰めの言葉を言えたかもしれない。でも、彼に共感して、悲しくなって、唇が震えて、息を吐くのが難しい。考えが纏まった時。口は言葉を思い出したかのように動いた。


「誰も、恨んでない」


  彼は驚いたように微かに目を開くと、日頃、自信を厳しく律しているような厳しい顔が、薄く、柔らかく笑った。

 

「娘に、心配される日が来るとはな……」


「今まで、どうしてたの。ダインは?」


「黒虫を追っていた。ダインとは……途中で別れた」


「そう。無事なら、良かった。……お父さんも、私たちと一緒に行動しない? それなら、わたしも安心だし……三位(ドゥエラント) が一緒にいてくれたら、絶対負けないし!  ……なんて」


「……駄目だ。今は一人でやらなければならない」


「…………そっか」


「ユウメ。時間切れだ。……そんな顔をするな。また会える」


「……うん」


  スレイブは背を向け大穴から飛び上がった。ユウメは離れていく背中を見て、引き止める言葉を飲み込み、心配させぬようにと、その背負った重みを少しでも減らせるようにと、口を開いた。


「父さん! わたし、友達、出来たから!」


  彼は振り返らずに右手を上げて答え、そのまま消えていった。そして、朝日が大穴を照らすとともに、ユウメが水底に沈む。


  ……眠い……


  意識が沈みかけの船のように不安定になる。


  ユウメ


  赤い湖。自身の血液にぷかぷかと浮いていると気づいた時。どこからが声がした。


  唇に柔らかいものが当たる。


「イム……?」


  目を開くと、花が咲いたような紫の瞳がすぐ近くにあった。


「ダメよ。寝かせないから」


  いつの間にかイムに抱き抱えられていた。


「……ユウメ。絶対に意識を失わないで。応急処置が終わるまで、ちょっと、いやだいぶキツイけど、耐えて。私の初めて、無駄にしちゃ怒るからね」


  朝日に温められたからか、体に温かいものが広がっていく。彼女の真摯な表情を見て、ユウメは二つ返事で了解した。


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