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第12話 背中を這う意志

 ユウメ・エクテレウの過去。私の過去。強くならなければならない理由とその発端。


 薄ら寒い夜、日は沈み、月は雲に隠れ、墨の影に落ちたような夜。帝都の中心に聳え立つ巨城は重苦しい闇に包まれていた。外も、内も。

 城内では武装した人間が慌ただしく動き回っている。私とダインは、険しい顔をしたリサに、繋いだ手を引っ張られながら城内の廊下を歩く。私の足ではリサの早歩きについていけずに、半ば引き摺られるように進んでいた。長い廊下をズンズンと進んでいると、正面から見知った顔の女性が見えてくる。


「リサ」


 そう叫んで私たちの方に歩いてくる、血に濡れた、抜き身の片手剣を右手に持ちながら。


「お母さん……」


「どうしてまだ城内に、宿舎に戻りなさい」


 彼女はリサの母親であり、私たちの母でもある人だった。カルラカーナ。非術師だが、剣術のみでは夫であるスレイヴに並ぶと言われた程の剣豪だった。


「え……宿舎の方に侵入者がいるって言われたんだよ」


「何……」


 私たちは宿舎で、武装した不審な人物が侵入してきたと聞き、城の方に逃げてきたところだ。だが、慌ただしく辺りを動き回っている人達は、「城の方にもいる」とか「外の方に逃げた」など、誰もが口々に言い合っている。情報は錯綜していた。


「でも、魔力を持っているなら城のシステムで場所が分かる」


 この城には登録されていない魔力が侵入すると、警報を鳴らし侵入先まで特定出来る。それを期待したリサの質問だった。


「侵入者は、魔力を持っていなかった。一人斬ったが、相当の手練だ。奴らは魔力を持たずして魔術師に並ぶ」


 方法はひとつだった。魔力を持っていなければ警報は鳴らない。しかし、魔術師が大量に住み着く城に、魔力を持たずに襲撃するなんて自殺行為である。


「お前達はそこの部屋に隠れていろ、不用意に動き回ると奴らと出会うかもしれない」


 リサが小さく頷いたのを確認すると、カルラカーナは私とダインの目線に合わせて腰を落とし、剣を床に置いた。


「ユウメ、ダイン。リサの言うことをよく聞くんだぞ、帰ったらみんなと一緒にご飯を食べよう」


 そう言うと母は微笑んで、私たちを両腕で抱きしめた。母は日頃から威厳のある人で、こういうことをあまりしない人だったから驚いた。


「お母さん……お母さんはどうするの」


 抱きしめられながらダインが聞いた。カルラカーナは私たちから離れて、剣を拾い立ち上がった。


「私にはやらねばならぬ事がある。幸い、相手は魔術師では無い。私でも戦えるからな。責務を果たさねばならない」


 そう言ったカルラカーナは、一人の剣士としての風格を見せながら、優しく微笑む。母は、私達を近くの部屋に入れると鍵を閉めるように言って、歩き去っていった。


 部屋は応接室のような内装で、中心にテーブルと、それを挟むようにソファが置いてあった。リサは部屋の鍵を閉めると、カーテンを閉めて、部屋の隅に私たちを抱えて座り込む。


「ここで少し、お母さんが来るのを待とうね」


 そう言ったリサに静かに頷いて返事をして、待ち続けた。


 しばらくすると、部屋の外の喧騒が収まり、だんだんと静寂が訪れた。もう大丈夫なのだろうか、母はいつ来るのだろうか、そう思いながらも待ち続けていた。


 突然、外から金属音が聞こえた。何か、鉄と鉄がぶつかる様な音が連続で響き渡る。それが剣戟だと気づくと、リサは私たちを強く抱き締めた。


 しばらくそうしていると、ドンッ、と何かが扉にぶつかる音が聞こえた。そして重いものが床に落ちるような音が聞こえたかと思うと、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。


「クソッ……だか……や……言ったんだ……こんな……」


 扉の向こうの声は、よく耳を澄まさなければ聞こえないほど小さかった。だが、この声が男のものだということはよく分かった。


 衣擦れ音のようなものが断続して聞こえてくる、男の悪態をつく声を聞きながら私たちは震えるしか無かった。


 その声も聞こえなくなって、男の気配が消えたと思い。リサの顔を見ると彼女も安心した様子でこちらに微笑んだ。


 だが、ダインの顔は蒼白で、扉の方を真っ直ぐ見ていた。安心させようと抱きしめようとするも、ダインが震える手で扉に指を差した。


 扉のノブが、無音で上下に動くのが見えた。


 男が扉を開けようとしているのだ。


 リサは青ざめながら立ち上がり、私たちを背に隠して腰に差した短刀を構えた。


 男は鍵がかかっていることに気づいたのか、扉を蹴破ろうと何度も何度も衝撃を与えている。


 私は自分の選択を呪った。窓から空間を足場にして逃げるように提案すればよかった。空間の強度に自信を持てず、言い出せなかったのだ。


「ユウメ、私がどうにか頑張るから、隙を見てダインを連れて逃げて」


 リサが扉から目を離さずに囁いた。


 その瞬間、耐えきれなくなった扉が倒れた。暗い部屋に、明るい廊下の光が進入し、私達を容赦なく照らす。倒れた扉の先には逆光で暗い影そのものに見える男が立っていた。


「…………」


 逆光でよく見えないが、男がこちらを見つめているのはわかる。男の片腕には肘から先が無く、血が滴る赤黒く染った布で縛り上げている。恐らく、先程の剣戟で切り飛ばされたのだろう。


 男は無事な方の腕に持った、丸い玉のようなものをこちらに投げてきた。玉は液体を飛び散らせながら放物線を描いて、私たちの目の前に落下した。


 私の頬に飛沫した液体が飛んでくる、しかし、私は避けることも、防ぐこともしなかった。ドサッと音を立てて落下したものと、目が合ったからだ。


「ぁあ……う…………そんな……」


 リサが締め付けられたように喘ぐ。玉の正体は、私たちの母であるカルラカーナの生首だった。


「先に言っておくぞ、抵抗するな。そいつが一番強かった、意味が分かるか。無駄だ。抵抗するのは」


 冷えるような声で警告する男の手には、いつの間にか薄刃の長剣が握られていた。カルラカーナの首を切ったのはあの剣なのだろう、彼女と正面で斬り合って勝てる人間が、この帝都に何人いるだろうか。たぶん、二人もいない。


 一歩一歩、ゆっくりと男はこちらに近づいてくる。リサはあいつに挑むつもりなのか短剣を両手で構えて、私たちを守るように背を向けている。


「…………」


 部屋を静寂が包む、男の一歩一歩からは足音が聞こえない、見ていても歩いているかどうか分からない。男の片腕から滴る血液の音だけが、部屋に響いていた。


 どう、切り抜けるか考える。カルラカーナに勝てる技量を持つ人間に、隙を作る。これがどれだけ難しいことか、私は分かっているつもりだ。恐らく、奇跡でも起こらない限り、数瞬でリサはあの長剣に切り裂かれるだろう。ダインは固有魔術に目覚めていない、抵抗の手段もないのだ。


 私が、やるしか無い。カルラカーナが言うには奴らは魔力を持っていない。それならば私の空間を奴の頭に設置すれば、防御できずに空間に上書きされた頭は消滅するだろう。


「…………」


 男はゆっくりと、着実に一歩ずつ近づいてくる、こちらの動きを警戒していることが分かる。


 確実に、外したら終わりだ。絶対に外さない位置が来るまでやつを引きつける、射程圏内に入るまで待つのだ。


「…………」


 だんだんと、男の姿見が分かってくる。服の色が黒だと辛うじてわかる程に、男は血濡れていた。そして、手には真っ赤な手袋を付けていた。


 男はこちらから一瞬足りとも目を離そうとしない。何の身動きもみせずに奴の頭を消滅させなければならない。


 男が更に一歩を踏み出した、射程圏内に……入った。


 ここで、仕掛ける。


 設置(セット)


 脳内で唱えたその瞬間、男の姿が視界から消えた。


「お前ら魔術師は……揃いも揃って…………」


 部屋の右端から、男の声が聞こえた。

 避けられた。思考に焦りが混じる。だが、どうやって避けたのか、分からない。もう攻撃がバレた以上、殺られる前に殺るしかない。


設置(セット)設置(セット)設置(セット)……」


 何度も何度も、男の体を狙い空間を設置する。しかし、男はまるで設置する場所がわかっているかのように、ゆらりと体を揺らして避け、その長剣で切り裂きながら、ゆっくり近づいてくる。


「空間魔術、魔力で出来た空間を発生させる。一度設置した空間は動かすことが出来ない。つまり、発生さえ予測出来れば回避することが可能」


 不可能だ。


「お前ら魔術師は俺が非術士だと気づくと、こぞって俺の身体を直接狙う。魔術が発動する直前の魔力の()()()さえ感知してしまえば、避けることは簡単だ。このように。分かるか」


  次々と設置される空間を避け、近づいてくる。その説明の内容は私の心に絶望を下ろすのに十分だった。


  魔術が発動する前に出来る魔力の()()()。確かに出来る、だが、()()()が出てから魔術が発動するまで秒数で表現できるほどの時間は無いのだ。それを察知して避ける。常人では視認することも不可能だろう。


 ならば、視認など関係なく床ごと消し飛ばす。


「無駄だ」


 床は消えない。魔術が受け付けられていない。


「この城に魔術で干渉することは出来ない」


 私たちを脅威から護る城は、今この瞬間に脅威となった。近づいてくる血濡れた男はどこまでも人殺しのスペシャリストで、憧れすら覚えた。


  気づけば長剣を切り上げようとする男の姿が目の前にある。


「ユウメ!」


  後ろからリサの叫び声が聞こえた、いつの間にか私はリサの前に立っていたのだ。長剣の到達と同時に私の体は後ろに引っ張られた。


  リサが服を掴んで後ろに引っ張ってくれたおかげで助かった。しかし、男の剣は長く、そして素早かった。


  私の身体は右の脇腹から左肩にかけて切り裂かれていた。あのまま立っていたら、間違いなく両断されていただろう。傷から流れ出る血が私の身体を赤く染めていく。


「ユウメねぇちゃん!」


 ダインが私を庇うように抱きしめた。更にその先にはリサの背中があった。


「抵抗するなと、言っただろうが。苦しまずに逝かせてやる」


 男が血に濡れた長剣を払いながら言った。


「抵抗しないわけないでしょ。私、お姉ちゃんなんだから」


  リサの声は震えていた。彼女だって勝てないのは分かっている、それでも、姉として矜持が負けを認めることを許さなかった。その背中には、家族を護るというカルラカーナから受け継がれた責任が見えた。


  ダインだって、私を抱きしめながら震えている。いっつも怖がって泣いているくせに、勇気を振り絞って私を助けようとしているのが分かる。


「チッ……クソが……本当にクソったれな依頼だ。恨むならその血を恨め」


  男が、長剣を構えた。


 一歩、進む足はリサのものだった。あの時は姉の行動のひとつひとつに意味を持たせられなかったが、今なら分かる。

 カルラカーナの外傷、短剣と長剣の間合い、彼女は鑑みて、ヤマを張った。頭か首、魔術師の私がいるこの状況、刺突は無い、必ず切りつけてくる。短剣で防御すれば、二手目に死ぬ。だからこそ、姉は特務だった。


 右前腕の尺骨と橈骨の間に剣先を通し、体ごと捻じることで長剣を掴み落とす。乾坤一擲。神業だった。


 だが、奴は神を超えていた。


 ギチギチと、その音は今も聞こえる。捻れたのは、長剣そのものだった。姉の力と男の力、骨とただの握り。どちらも譲らず、負けたのは鋼だったのだ。


 あの男は拮抗状態から繰り出された姉の短剣を、切断した腕の面で受け止めた。


 鬼神のような踏み込みと共に、腕が切り裂かれ始める。


 私は良くも悪くも、強い好奇心があった。野良犬にちょっかいをかけ、水があれば飛び込み、とにかく高いところに昇った。今思えば、それは、自死を好んでいるようにも見える、寄生された虫の様だった。


 度々、その行動に弟を巻き込むことがあれば姉から「好奇心を持つのは良い事だが行動の前に結果を考えて、それに責任を取れ」とこっぴどく叱られた。


 やるからには、責任を持つ。これは、私が姉から与えられた後天的な才能だったのかもしれない。


 このままでは、リサも、ダインも、カルラカーナのように殺されてしまうだろう。しかし、もう手は残っていない。だが、それでも頭を回し続ける、何か、何かないかと。


 魔術師が最も真理に近づく瞬間は、命を賭した其の一瞬。


 私がやらなければ、リサもダインも、死んでしまうだろう。カルラカーナはまた一緒にご飯を食べようと言っていた。しかし、もう二度と母と一緒になることは出来ないのだ。そして、私を抱きしめながら震えるダインも、いつも頼もしい背中で魔術を教えてくれるリサも、私のこれからの人生も。このままでは全てを失ってしまう。


 私がやらなければ。


 魔術は想像の力だ。意志の力だ。私は絶望の中にいた。非術師でありながら、魔術師を斬り殺す男。不足した身でありながら、神に近い格上を斬り殺す男。絶望そのもの。だが、心が欠如した足りない私にとって、その姿は、希望だった。強さがあれば、心の欠如など些事であると。私は絶望そのものに希望の星を見たのだ。そう気づいたとき、私の脳は真理を見せた。


  魔術の宇宙が脳でうずを巻く。不可能を可能にする、特異点(シンギュラリティ)。魔術師としての極致が、十二歳の脳に現れたのだ。


設置(セット)


 俯いた私が小さく呟いたのを男は聞き逃さなかった。リサを切り捨てようと長剣を握り直し、魔力の()()()に備える。


 しかし予想とは反し、()()()は男のはるか後方で現れた。振り返ると、男の背後に長い剣のような空間が現れていた、男は()()()からそれの形状を察知したが、意図が分かって居ない様子だった。


「血迷ったか……?」


  一度設置した空間は動かすことが出来ない、これは空間魔術の絶対だ。自分を仕留めるには、直接空間で上書きするしかないのだ。まだ子供だ、この絶体絶命の状況で錯乱したのだろうと。男が長剣に力を込めた瞬間に、男の体は両断された。


  私が切り裂かれたように、男は右の脇腹から左肩まで、両断されたのだ。男の半身がズレた、支えを失い、倒れていく。


「なっ……馬鹿な……動かしたのか……空……間を…………」


 落下しながら暗くなる男の瞳には、私の墨の影のような暗い深淵のような瞳が最期の光景として刻まれた。


 これが、かつての私の記憶。強くなる。その意志の原点。私だって、あの男のように強くなれる。この力を極めれば、誰もを護れ、心を欠如していることを知っても私のことを必要だと言ってくれる。あの名前も知らない男は、私にとっての希望で、憧れで、許しなのだ。強さは、私にとっての神なのである。

 これを、心の欠如の部分は濁してイムに話した。心底理解できないという顔をされたが今は、理解されなくても構わない。理解させるほど、強くなればいい。

 これから何百も潜る死線のひとつひとつが、私を強くする。

 心底、それが楽しみだと感じていた。

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