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第11話 布石は鋭く堂々と

 帝城では、何百人もの役人たちが紙と現実に向かい続けていた。来る日も来る日も。上層や下層に関わらず、常にタイプライターの打鍵音と気送管を通過するカプセルの音が重なり合い、城を構成している。だが、頂点で鳴るのは駒が進む音だった。


「私の負けだな。相変わらず強い」

 

 女帝は白い王の駒を倒す。顔を上げるとカフェの瞳がこちらを見ていた。


「光栄です閣下。幾星霜と打っておりますので」


「悪くない。また、付き合え」


「仰せのままに」


 執務室の扉が二回、叩かれる。


「入れ」


 女帝が鷹揚に告げると、両開きのドアがゆっくりと開き、軍服を着た男と、白衣を着た男の二人が部屋に入ってくる。軍服の男に付き従う、白衣の男の手には黒い布の掛けられた箱のようなものがあった。


「ゲーゼか」


 女帝は軍服の男を見てそう言った。鳩のように力強く胸を張った鷲鼻の男はゲーゼ・スターロン。ヴィルライヒ帝国法務機関の長官。彼の異様に盛り上がった筋肉は鳥類のそれを思わせた。野蛮さを感じる髭を小綺麗に整えた、その厳しい顔には陰惨とした影が降りている。


「報告です、閣下。先日の特務での事件について、隊長代理殿にも、ご同席を願いたく――」


「何だ」


「リサ・エクテレウの解剖結果に誤りがありました」


 女帝は表情を変えず続きを促した。


「順を追って話しましょう、二週間前、確かに私は解剖の結果をここで報告させて頂きました。しかし、つい先日、巡回中の兵より、遺体安置所から不明の魔力が発生しているとの報告を受けたため確認したところ、リサ・エクテレウの死体、特に頭部から見慣れない黒い魔力が滲み出ていました。目視できるほどの、濃い魔力です。そのため、部下に再解剖の指示を出したのです」


 そう言うと、彼は白衣の男の持つ箱のような物の黒衣を握った。その手は揺れている。


「……そして、その解剖の結果、彼女の頭部から見つかったものが、こちらです」


 意を決したように彼はゆっくりとそれを捲った。

 そして、箱の中身が見えた瞬間、彼らは執務室が冷え切る錯覚をした。


 それは、透明なケースの中で蠢く、何百匹もの漆黒の線虫だった。一匹一匹は大した大きさでは無い。糸の方が太く、長さも小指ほどしかない。だが、線虫という括りの中では、とてつもなく大きい部類だと知識のないものでも分かるほど存在感がある。それらは獲物を探す蛇のように頭をふり、動き回りながらこぶし大の球を形成していた。


 虫の這いずる音が聞こえる。


「虫か、魔獣か」


「どちらも。私たちはこれらを、“クリュサオル”と名付けました。これまでどの大陸でも存在を確認できていない、新種の魔力を持つ寄生生物です。──解剖の結果、この異形は、リサ・エクテレウの脳で確認されました」


 信じ難い現実を叩きつけながらゲーゼは箱に再び黒衣をかける。あのおぞましい魔力を纏った虫が視界から消え、洞窟のような圧迫感が緩んだ。

 彼は手に持ったファイルから、一枚の白黒の写真を見せた。そこに映っていたのは、スレイブに切り落とされたリサの頭。器具に固定されたそれを切り開いたものだった。


「これは、以前報告した事件直後の解剖の写真」


 内蔵の色に違和感は無く、それはただの脳だった。しかし、彼が終わりから捲ったページには、違うものがあった。


「この写真は、再解剖後の開頭時に撮られたものです。分かりますでしょうか。彼女の脳を縫うように黒い線が走っているのが」


 その写真には、黒い線虫達が脳幹にまで絡みつき、脳そのものの明度が落ちたように、細かな虫達によって浸食されていた。それはまるで、クリュサオルと名付けられたそれらが、死んだ彼女の脳に成り代わろうとしているように見えた。


「発見が遅れたのは」


 女帝は、彼らが優秀であることを知っていた。これは詰問では無かった。


「はい、端的に申し上げますと、彼女自身の防御魔術によって隠されていたのです。ヒトは死亡から数日かけて、残留した魔力が放出されます。その……残った魔力を利用し……彼らは自身が見つからないよう……防御魔術を発動していたのです……」


 ゲーゼは、女帝の圧から逃げるように目を伏せて震えた。その額から流れる汗すら、彼女から逃げるように落ちていった。


「貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか。その黒い虫けらが、人間の脳を操り魔術を使わせた、と。そう言いたい訳だな?」


 このような数千匹が集まって、やっと人の脳に近い大きさになるような小さな小さな虫けらが、人間という自らでさえ脳の全貌を図り切れていないような、高度な知的生命体を操り、更に魔術を使用するという事実が、どうにも信じられなかった。


 だが、女帝は自らの考えを整理しながらその原理を脳裏では肯定していた。


「寄生虫が操るのは常に自分より大きい相手です。そして、全貌を知らずとも、彼らは入口と出口を知っている」


 カフェの補足に女帝は頷きはしたが、納得の頷きではない。


「入口と出口、その通路を刻まれているとしても、魔術を使うのは不理解だ。それで彼らの数が増える。生存戦略に有効だと。むしろ、寄生先の人間が不審に思われて殺される。その死体を鳥が食う訳でもない。矛盾だ」


「その通りです閣下、しかし、この信じ難い現実を突きつける要因が、まだひとつあるのです。あの事件の日、城のシステムが反応しました。異常な魔力反応を検知した、と。私共はその反応をさらに解析してみたのですが」


 ゲーゼは滴り落ちる汗をそのままに、目を見開いて女帝に報告する。


「ありましたよ。膨大なスレイブ・エクテレウの魔力に隠れた、小さな小さなこの黒い線虫の魔力が。そもそも、不自然だとは思いませんでしたか。リサ・エクテレウの魔術は戦闘用ではなく、戦闘技術も特務の中ではそれほどと聞いています。では何故、あの時、スレイブ・エクテレウの膨大な魔力が確認されたのか、彼は何のためにその魔力を放出したのか」


「続けろ」


「クリュサオルの魔力は、宿主本人の防御魔術によって隠されています。彼らを直接見るまで、その存在に気が付かないのです。想像してください。昨晩まで寝食を共にしていた家族が、ふと横に見る妻が、この禍々しい魔力を発している黒い線虫を身にまとっていたら」


 あの籠越しに見るだけでも悪寒が走る。それが、ふとみた時に親しい人物に群がるように絡みついていたとしたら。


「私なら、まず、間違いなく。この黒い魔力から身を守るため防御魔術を全開にします。恐らく、彼も同じことをしたのです。これが、彼の膨大な魔力の正体」


「……そして、それでもクリュサオルは止まらなかった。スレイブに寄生しようとリサの身体から何百匹も飛び掛り、捌ききれずに感染した。奴は被害を食い止めるために、宿主であるリサを殺し、逃げた」


 ゲーゼの話を女帝が続ける。


「辻褄は合う。だが、だからどうだという話だ。自身も感染したのであれば、あの男なら自分の首を飛ばす。そうしなかった理由があるはずだ。奴を捕まえなければならないことには変わりない。そして第一にやらなければならないのはこの虫の対処だ」


 人を操り、魔術を使用出来るとなれば自国の魔術師が自国の民に牙を向いてもおかしくない。この寄生虫は、人類の天敵足り得る。


「ゲーゼ、貴様の権限を一時的に引き上げ、重罪囚での実験も許可する。技術防疫機構に報告し、何としてでもクリュサオルを調べ上げ、封じ込めろ」


「カフェは今すぐに帝都を出て留学に向かったイムグリーネを連れ戻せ。あれの目なら宿主を見抜ける可能性がある」


「仰せのままに」


 女帝は二人に指示を出し、椅子に浅く座り直した。なにか見落としがないかと、深く考えた自らの頭に一つの疑問が沸きあがる。

 退室しようと扉に向かう三人に声をかけた。


「待て……そのクリュサオルという寄生虫、宿主の脳を操ることが出来る。魔術を使えるほどだ。意志を操作できるのだ。宿主を自由自在に動かすことも可能であると考えた方がいい。そして、宿主の防御魔術に隠れるというのであれば」


 それは、十分に有り得る可能性だった。


「我々魔術師が既に全員感染していてそれに気づいていない可能性がある」


 感染していることに宿主は気づかない。気づいていたとしてもジャックしたクリュサオルがそれに気づくことを許していないのだとしたら。


「えぇ、それは……有り得ない話ではありません。恐らくスレイブ・エクテレウを襲ったことから、全員感染の可能性は低いです。しかし、考えうる最悪の事態を想定した方が良いでしょう」


 このクリュサオルについて、人類はあまりにも経験がなく、無力だった。彼等についての情報が全くない状態で、物事の本質を見抜く皇女の目。帝国の存亡は、彼女の瞳の中にあると言っても過言ではない。


「第二皇女殿下に、頼るしかありませんな。あの方が参ずる前にどうにかこの虫の正体を少しでも暴いてみせましょう」


 ゲーゼは別れの言葉共に、白衣とクリュサオルを連れて退出し、カフェもそれに続いた。

 女帝は彼等が部屋から出ていくのを見送り、立ち上がると、ふと、チェスの盤面が目に入った。


 真綿で首を絞めるように、用意周到に詰められた盤面。いつこの詰みが始まったのかも分からない。そして、倒された白の王。彼女は盤上を見ていた。


 私は肩の痛みと喉の乾きを感じて、目を覚ました。日が部屋全体を照らすように差し込み、眩しさを感じながら目を細める。水を探すために上体を起こすと、湖の中を照らす光のような青みがかった銀髪、イムがふたつのカップを持って近づいてきた。


「初めて会った日もこんな感じだったわね」


 イムは微笑みながら私に水の入ったカップを渡して、隣のベットに座った。


「大丈夫、もう吐かないから」


 私がそう言うと彼女はくすくすと笑って、隣のベッドに丸まって寝ている黒猫を撫でた。成人男性の胴体ぐらいの大きさの猫には、包帯が巻かれている。それは赤く滲んでいた。


「その子、もしかしてカッツィ? 小さくもなれるの」


「そう、大きい怪我をしたらこうやって小さくなって早く治すの。これぐらいなら全治一ヶ月ってところ。ちなみにあなたも全治一ヶ月。なぜ、あの怪我で。ユウメも実は獣人?」


 そう言われた私は自分の体を検めると、肩に包帯が巻かれているだけでなく、頭や腕など至る所が赤く滲んだ白い帯でぐるぐる巻きになっていた。酷い傷だった。全治一ヶ月で直るとは到底思えないが、これはいつも思っている事だ。


「人間。半分でもない。四分の一でもない。たぶんね。はぁ、四肢が繋がっているだけでも良かったよ、あそこであいつを殺せて本当に良かった」


 返答が無い。不思議に思いイムの方を見ると、寝ているカッツィを無理やり抱え上げながら自らの膝の上に置き、ぬいぐるみでも抱くように抱き締めた。

 嫌そうに暴れるカッツィは、液体のようにイムの手から抜け出すと、私の寝ているベットに飛び込んでくる。


「……二度目の爆発の瞬間、あいつの背中から男の腕が生えてくるのが見えた。何も無い空間から」


 イムは不機嫌にそう言って、話を続けた。その腕は、ズグロの首を掴むと引き摺るように彼と共に風景に溶け込み、消え去って行った。と。

 私の寝ぼけた頭が覚めていくのを感じ、同時に身体が冷えていく感覚を覚えた。


「嘘でしょ……殺しきれなかった?」

 

 久々に、体の芯から冷えた。シャワーは浴びなくてもいいかもしれない。ため息でもつきたい気分だったが、毛布からでてきたカッツィが私を慰めるように身体に昇ってきたので抱き締めると何だかどうでも良くなってきた。


「まあ、でも全員生きているし、あいつもあの傷じゃ直ぐには動けない。次にカタをつければ、それでいい」


 簡単なことではないだろう。奴は特異点に到達した。次は、もっと長く、だが、面白い戦いになる。今の我々には万事を尽くす以外で出来ることはない。彼女の言う通り、やらなければならないことをやるだけだ。


「うん、そうだね。そして、早くフィアを鍛えないと。あんな化け物がポンポン出てきたら身が持たない」


 敵は一人ではなく組織だろう。ズグロの他にも、連れ去ったやつも考えて二人以上はいると考えた方がいい。このカッツィと私だけでは敵に殺られる前に誰か過労死する。

 だが、イムは、そんなことは二の次だというように立ち上がる。


「ねぇ、それよりも。なんで特異点に到達していること黙っていたの。もしかしたら帝国の序列にも入れたかもしれないじゃない」


 序列とは、簡単に言うと帝国の強いやつランキング。十位まであるが、特務がその五枠を頂いている。詳しくは知らない、私は呼ばれていないから。


「いや、無理でしょ。だって空間を動かせるだけだよ。それに、特異点とか言っといてこれかって、ガッカリさせたくないもん」


「何が重要なのかが分かっていないわね。それに、あんなに自信満々に『私、負けないです』って言い放っておいて何それ。変なところで自信ないのね、あなた」


「あれもあの時思いついたんだし、それに、イムだって魔術のこと黙ってたじゃん」


「いや、それは……別に、話す必要ないし」


 騒ぐ私たちに嫌気がさしたのか、カッツィは抜け出し、トコトコと日当たりの良い窓辺に向かった。床から窓に飛び上がり日に照らされた外を見る。


「ユウメさん、お客さんですよ」


「うわっ喋れたんだ」


 野生に近くなったカッツィが喋ったことに驚きながらも、たしかに、豹のような姿でもしゃべっていたなと思い、ベットから起き上がって窓に近づく。黒いピーナッツのように座るカッツィを視界に入れながら、外を見下ろす。


 私の額に眉が寄ったのは、体が痛んだせいだけではない。


「ダルいやつがいる……」


 外にいたのは二人組、隊長代理になったカフェと犬猿の仲であるサージェだった。カフェがこちらに気づいて手を振ってきたので、軽く振り返すと宿に入ってくるのが見えた。サージェは私に気づいているだろうに一瞥もせずに、どこかへと歩き去っていった。


「特務じゃない」


 イムが私に覆い被さるように外を見る。


「我ながら、特務に良い予感はしたことがないね。着替えて迎えよう」


 いつもの軍服に、いつものドレス、いつものメイド服を着て私たちは座って、カッツィは立って、部屋のソファに座る。向かいには私と同じ軍服を着て、肩に隊長の証である腕章を巻いたカフェ隊長が座っていた。


 そして、真相を聞かされた。


「───以上が、あの事件での推定。リサはあの時、既に寄生され操られていた、クリュサオルによってね。そして、私たちも既に感染している可能性がある」


 父は、悪意を持ってリサに凶刃を振るったわけではなかった。


「皇女殿下、私の頭はおかしくありませんか?」


 彼女が冗談めかしてそう言うと、イムは目をこらすように細め、正面の女性の頭に注視した。


「特に変わりは見えないけど」


「そうですか、感染していないのか、それとも、そもそも殿下の目でも見えないのか」


「そんな訳ない。魔力を発するものなら地中深くに眠ったものも見えるのだから。防御魔術ぐらいじゃ私の目は誤魔化せない」


「ならば、都合が良い方に捉えましょう」


 イムは首を傾げながら私を見た。目を合わせると困ったように眉を寄せてため息をついた。どこか違う景色を見ていた私が引き戻され、瞳に取り憑かれた。


「はぁ。留学は中止かな」


「何故ですか」


 隊長代理が問う。


「帝都に戻ってその虫を直接見た方が良いでしょう。何か分かることあるかもしれない」


 残念そうに肩を落とすイム。確かに、そうなるだろうなと思い、隊長代理の顔を見ると、彼女は微笑んでいた。


「いいえ。その必要はありません。イムグリーネ皇女殿下。貴方には王都に向かっていただきたい」


 カフェは、そう言った。


「……どうして?」


 イムは首を傾げながら問う。


「いえ、ふふっ。リサはスレイブを襲う前、高熱に襲われていました。恐らく、この時に完全に感染したのでしょう。そして、更にその前に彼女は王都に向かっていたのです」


「王都に答えがあると」


 カフェは手遊びをするように両手の指を絡ませ、こう言った。


「えぇ、その通り。“病”は元から断ち切らないと、ね。貴方様の目なら、真実が見えるはずです」


 その後、いくつか話をしたあと、彼女は「またね」と告げて外へと歩いていった。


 気の所為だろうか、ざわざわと、虫の這いずるような音が聞こえた。

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