4.即位からの五年間・続き
悪鬼に破壊された屋敷の被害を免れた一室で、彼は姿見に寄り添っていた。
「戦から戻られた若君は、気が付けばおかしくなられていました」
一人で彼の世話と屋敷の片付けをしていた使用人の説明を聞く。
「姿見に映るご自分を、兄君だと信じ込んでおられるのです」
「……他の使用人はどうした?」
「邪教徒として悪鬼に乗っ取られた者以外は、旦那様と奥様の体を乗っ取った悪鬼に、命を奪われました」
それが本当か、確かめる術は無い。
連座で罰せられるのを逃れる為に、逃げた者もいるかもしれない。
「お前は、何故残った?」
「私奴は、元々若君達の子守りとして雇われました故、このような状態の若君を見捨てるのは忍びなく……」
「そうか」
連座で処刑される恐れもある中、そのような判断が出来ると言う事は、この使用人は天涯孤独なのだろう。
「若君。陛下がいらっしゃいました」
「……陛下?」
声を掛けられた彼は、緩慢な動作で立ち上がって此方を向いた。
「ああ。捕らえにいらっしゃったのですね」
そう言うと、悲し気に姿見に縋り付く。
「その事だが、今回は、罪の無い者への連座と縁座は行わない事にした」
「え?」
疑問の声を上げたのは、使用人だった。
「この数年、多くの無辜の民が命を奪われた。もう、うんざりだ」
「被害者の遺族は、納得出来ないのでは?」
「何故、皇帝たる私が、其奴等に気を遣わねばならない?」
「も、申し訳御座いません」
連座で無実の者が処刑されないのを恨むのならば、幾らでも刃向かえば良い。
逆鱗に触れて殺される覚悟をした上でな。
歴史上、殺される覚悟も無しに逆鱗に触れる者も何人かいたようだが、一体、何を考えていたのやら。
「でも、兄さんは……」
「其方の兄は、邪教徒では無いだろう? ……そうだな?」
「陛下の仰る通りで御座います」
使用人に圧力をかけるように尋ねると、彼は鈍くないので察して肯定した。
「え? そう……だった?」
「色々あって疲れた所為だろう。両親が邪教徒だったから、兄もそうだと言う気がしてしまったのではないか?」
護衛のソウに目を遣ると、彼も話を合わせてくれた。
「そうなのかな? ……そうなのかも」
納得した所で、次の話だ。
「さて。椿家は、当主夫妻が邪教徒で有った為、取り潰し。この地は別の家が治める事になる」
「はい」
「其方、私の後宮に入らないか?」
「……こうきゅう?」
判っていないような反応に、言い換える事にした。
「私の妃にならないか?」
「……私は女性ではありませんから、なれないと思います」
「皇帝が、男を妃に出来ないと思うか?」
「え? え~……出来るんです? ……か。あ、そうですね。陛下ですものね」
兄が邪教徒ではないと言う話より、納得し辛いようだった。
「行く所も無いだろう?」
「あの、兄さんは?」
「一緒に来なさい。妃になるのは、其方だけだが」
「はい。兄さんと一緒に居られるなら」
異民族の友人を手にかけ、その友人と出会ってからの数年分の友人関連以外の記憶を失った彼は、屋敷の地下牢に入れられていた。
「これは、どういう事だ?」
何の罪を犯したのかと思って問えば、執事は恐縮したように答えた。
「奥様が、若様がおかしくなられた事に激怒致しまして……」
「激怒だと?」
「は……。実は、若様は、旦那様の愛人の子でして……。嫡男が病死した為、跡継ぎとして迎えられたのです」
「そうか。で、激怒したと言う事は、戦場に出て継子以上に活躍したのだな?」
私が静かに問い詰めると、執事は怖ろしいものでも見たかの様に怯えた表情になった。
「い、いえ」
「安全圏に居たのか?」
「……は」
「当主も反対しなかったのだな。戦場に出たか?」
「いいえ」
執事は、俯いて答えた。
執事を怯えさせても意味は無い。
「当主夫妻とは、話し合いが必要なようだな」
「す、直ぐに呼んで参ります! その前に、どうぞ、貴賓室の方へ!」
「それより先に、彼を牢から出すように」
「はっ! 只今!」
話し合いと言う名の、私が如何に不愉快かを突き付けて彼等の言い訳を潰す時間が終わり、本題に入る。
「さて。私が今日此処を訪れた理由だが、彼を後宮に入れたい」
「男を後宮に入れるなんて!」
「お前は黙っていなさい!」
熱り立った妻を黙らせ、当主は私に謝罪する。
「申し訳御座いません。妻の非礼をお詫び致します」
しかし、彼も了承する気は無かった。
「ですが、陛下の妃にはもっと相応しい相手をお召しください」
「楸家の当主の息子だ。十分相応しいと思うが?」
「男では子を産めません。どうでしょう? 親族に良い娘が居るのですが」
「あれだけ不愉快にさせられて、楸家から皇后を得るとでも?」
随分甘く見られているようで、腹が立った。
「私と楸家当主との関係は、一旦白紙に戻すべきだと思わんか? 夫妻共々、隠居を勧める」
「それはっ!」
「戦場で指揮も取れぬ程、体が弱っているようであるし」
「お、お待ちください!」
私が立ち上がると、当主は引き止めようとした。
「息子は差し上げます! ですからっ」
「私が何故立腹したか、判っているのか?」
「……息子の後宮入りを拒んだ事がお気に召さなかったのでは、無いのですか?」
「そんな事で怒りはしない」
しかし、皇帝たる私が懇切丁寧に教えてやる必要性を感じなかったので、要点だけ答える。
「私を怒らせておいて、直ぐに許されたと思っている所だ」
「そのような事は」
「諄い」
私は話を打ち切り、楸家の息子へ手を伸ばした。
「どうする?」
「友人と離れたくないです」
「連れて来ても良い」
「異民族ですよ?」
「構わん」
そう答えると、彼は安堵した表情を浮かべた。
「宜しくお願い致します」




