壊れた露天風呂
アールとの家の中での数時間はとっても危険だという事がよくわかった。
私は散歩を待ちわびる犬の気持ちが分かったぐらいに、約束していた夜の散歩に繰り出したいと、一分一秒常に時計を気にしてしまう程だった。
いや、それは大嘘で、これではアールへの侮辱になる。
気が付いたら繰り出す時間で、私は時間を忘れて楽しんでいた自分にぞっとしたという事だ。
彼は私を口説かなかった。
それどころか、私の弱点を突いてきた。
普通にカードゲームをしたり、外国の話をして、それから、一緒にご飯を作って楽しく食べた後は私に彼の仕事の手伝いをさせたという、彼と結婚したらこんな毎日だろうという幸せがあると私に思い知らせたのだ。
私とカイユーには将来のビジョンがない、という事に彼は気がついていたのだ。
全くなんて危険な男だ。
私の右腕がアルバートルにもぎ取られてもいいのか!
アールに外の散歩を知らされた時は、私は今すぐに外に飛び出して崖から飛び降りたいと自分の馬鹿さ加減に叫びそうになったほどだ。
「私の心の中に女神プラタナスが住み着いたようだ。温かくて幸せしかない。」
私はアールと腕を組み、誰もいない広場に行って、それから歩けるだけ領内を歩こうと無意味にプラプラ歩いている。
「わお。珍しくダグド領で壊れた家がある。」
リリアナの音楽室は当たり前だが真っ暗で、その向かいにある公衆浴場の男湯の塀はまだ修繕していない。
雪が積もって直せないからでもあるが、あの後は領内でいろいろあって皆がそこを直す事を忘れていたが正しいだろう。
真冬に露天風呂ではしゃぐのはアルバートル隊だけなのだし。
「春になったら直します。露天風呂なんですよ。」
「露天風呂?」
ああ、そうだ、この世界にはお風呂という概念はダグドが持つほど広がりが無いものなのだと思い出した。
ダグドは本気の風呂好きで、色々な風呂を考案しているのだ。
空気のあぶくが出たり、電気が通っていてびりびりしたり、そして、アールが不思議がっている露天風呂。
空の景色を眺めながら裸で湯につかる事が、こんなにも気持ちが良くて解放感があるのかと、私も実は露天風呂が大好きなのだ。
「外にお風呂があるんですよ。プールみたいですけど、お風呂ですから真っ裸でざぶんと入るのです。」
「ハハハハ、素敵だ。いいね、それは。私もそんな風呂を作って、ハハハ、妻と一緒に入って遊びたい。ああ、君が妻になったらこのダグド領であの露天風呂とやらに入れるかな。」
アールは私を引っ張りながら塀の壊れた露天風呂の方へと連れて行き、そして中を楽しそうに覗き出した。
「わあ、凄い。庭の池の魚になれるんだね!」
「まあ、ひどいわ!」
笑い声を上げながら、アールは風呂場で暴れることはないだろうと考えた。
彼はどんな状況でも生き延びるために、仮想訓練などする必要など無いのだ。
「私の愛する人には未来が無いと言います。いつ死ぬかわからないって。だから、お風呂の時もゆっくり入らずに仲間と戦いごっこをしているの。」
「この壊れた塀は。」
「ふふ。訓練に力が入りすぎて壊してしまったの。バカでしょう。彼は自分に何もないっていうの。彼こそそこにいるのに。だから、私は彼の全てを手に入れるために婚約を望んだのよ。死んでしまった彼の遺骨を私のものにしたいの。彼の魂だって自分のものだって神様から奪ってしまいたいのよ。」
私達に将来のビジョンが無いのは、ビジョンなんか抱けやしないからだ。
一分一秒だって無駄にしないで笑って楽しんで、そう、花火のような生き方をしなければ後悔で終わってしまう。
「ああ、私は一分一秒だって彼の事を考えているべきなのに!」
「わかるよ、その気持ち。私こそ君にはそんな気持ちなんだ。君は私より確実に先に死ぬ。あっという間に人間は死んでしまう。私はそんな君の魂と遺骨が欲しい。すぐに死んでいく君との思い出が一分一秒でも長く欲しい。」
私の目元をアールの指先がそっとなぞり、私が流していた涙をぬぐい取った。
「帰ろうか。今日はここまでだ。私は君を悲しませるために来たんじゃない。そして君も私を悲しませたくないから私に付き合っているんだ。今日は帰ろう。私に残る思い出という永遠は、君を笑顔にしたというものばかりがいい。」
「ふふ。もう笑顔だわ。ごめんなさい。」
「いいよ。私が君を深く愛している事も、君を傷つけることこそしたくない事も、君が知ってくれているだけでいい。」
私達は腕を組みなおして、私達の家へと方向を変えた。
アールが私を愛するのも、私がアールをどうしても突き放せないのも、私達は同じような思いを同じような考えで抱えているからなのだろう。
結局、アールと私の間にだって将来のビジョンなど無いのだ。




