有頂天のアール、だったのに
「えぇ、帰っちゃった?魔王様と堅物君は帰りましたか?」
実はこの五日間、アールはエランによって私に触れることが出来ないという目に遭っていた。
あの青緑色の宝石のような目で真っ直ぐに見つめられ、それから、あの貴族的に整った顔で、本気ですか?や、この方は未婚の女性ですよ、と言われて次の動作が出来る男がいるだろうか。
アールの出鼻をくじいておいて、私を抱き上げたりのアールを咎めた行為を自分が率先している矛盾も凄いと思うが、彼は自分には私への劣情など無いから良いのだと言い切った。
「俺はノーラを口説いていませんから。それがあなたとの大きな違いです。」
「そうだね。君は口説かなくとも抱きしめているね。私だって厭らしい気持ちでノーラを抱きしめたいわけでは無いよ。彼女を助けたいんだ。」
「俺はあなたがノーラを口説くことを咎めているのではありません。口説きながらの介護は介護される方には重荷になると言っているだけです。そして俺は、ダグド様からノーラ様の無事を預かっている護衛官であり従者です。」
他国の王様にそこまで言える事に驚きだが、それがエランだ。
エランは自分で言った通り、他意の全くない私の従者として振舞った。
勿論私の着替え等には女性の召使に任せたが、私が着替える時にはシロロを私の病室に入れておくことも忘れていなかった。
また食事の時などは、アールが私と一緒にと食事をトレイに持って現れたとしても、シロロという魔王様が僕もと加わり、王様の筈のアールが魔王様に次々と食事を配膳するという召使の身に落とされるという邪魔ばかりだ。
そんな、アールの宿敵達が家に帰ったのだ。
アールは今や、彼の頭からシロロの呼び出すノウゼンカヅラが幾本も生えているかと思えるぐらいの有頂天さだ
「そんなに目を輝かせないで。まぁ、雑巾みたいな臭いの私を襲うなんてことはなさらないと思いますけど。」
「あぁ、平気ですよ。匂いくらい全然平気です。あなたが気になるならお風呂に入れてあげましょうか。私があなたの全身をくまなく洗ってあげますよ。」
いつもの洗練された笑顔を作っていても私には助平親父の厭らしい笑顔にしか見えなくなったアールは、ダグド領に帰ったエランを追い抜いて私が制限なく動けるようになったら最初に殺される予定の男となりたいらしい。
「安心してください。私は目隠しをしていますから。あなたも私の裸が恥ずかしいのなら、目隠しをしましょう。」
私はアールのせいで脳みその言語を司る場所が完全にスパークしている。
でも、思考の部分をスパークさせているアールよりもましだろう。
頭を叩いたら彼は元に戻ってくれるだろうか。
でも、私は彼が私の為に泣いてくれた姿を知っているからか、本当は物凄く腹を立てなければいけない気がするのに、心のどこにも怒りが湧かなかった。
「嘘ですよ。冗談です。すいません。悪ふざけが過ぎました。」
彼はいつもの何でも許すようなほほ笑みを私に向けた。
許す?
そんな風に考えるのは、私が別の男を愛しているのに、彼の優しさに甘えているからだろうか。
いや、そうに違いない。
――あいつは空っぽなんだよ。
私も空っぽだった。
空っぽだから、いつも愛を求めているのだ。
「優しいのね。いつもあなたは優しい。きっとあなたはいつまでも私に優しいのでしょうね。でも私は、いつでも優しい女じゃない。」
「やめてください。その先はまだ言わないでください。」
「いいえ。言わなければ。私はあなたが大好き。だから、あなたに不誠実ではあってはいけないと思うの。私は愛している人がいる。彼は私を一生見守ると言ってくれた。だから、私も彼一人を見つめていたいの。」
アールは傷ついた表情どころか、挑戦的にも見える余裕の笑みを浮かべ、私の右手を取って甲に口づけた。
当たり前だが、私は再び彼の口づけにびくっと体が揺らいだ。
「はぁ!」
「ふふふ。あなたは本当に可愛い。いいですよ。待ちましょう。あなたが傷ついたら私が慰めましょう。私はあなたの永遠の味方であり、終着点でいたい。私がそんな風に考え続ける事も、あなたには嫌な事でしょうか。」
「そ、そんな。私なんかに、そんな、もったいない。申し訳なさすぎるわ。」
「失恋して、でも、愛し続ける。とても悲しいが、とても幸せだ。生きているって事を感じられる。いけませんか?」
私の右手は完全に彼の玩具になっている。
彼はなんと、私の掌にさえキスをしてきているのだ。
私の背中、それも腰の尾てい骨のすぐ上ぐらいがゾクゾクと騒ぎ、私の心臓は弾け飛びそうなほどにドキドキとリズムを打っている。
あぁ、唇が私の手首にまで!
「お願いします。私を許すと言ってください。私があなたを思い続けることを許すと。」
手首に浮かぶ青白い血管を彼は指で上へとなぞり、私は腕をなぞられているだけなのに、なぜかその感触に下半身がしゅんと反応している。
これが男の手管というものなのか、それとも彼が私にコポポの魔法をかけているのか、どちらにしろ、今の私には脅威でしかなかった。
私はアールが王様なのだと思い知らされた。
彼は他者にノーと言わせはしないのだ。
「ゆ、許します。」
ただの女でしかない私は、王である男に太刀打ちが出来なかった。




