呪いのワンピース
クラーケン事件の宴会時に、私は自分に向かって走って来たシロロを怪我も無くて良かったと抱き上げ、そして、興奮のあまりする必要のない行動まで取ってしまった。
「シロちゃんを待つ間に、皆でシロちゃんの服に刺繍をしていたの!」
私はシロロを腕から降ろすと、彼にどうやって渡すべきかと考えていた服を取りに走り、それを両手で持って旗のように靡かせながら彼の元に戻ったのだ。
「どう?首の周りは私。右の裾はアリッサ。左袖はリリアナよ!」
……私はあの時どうしてあそこまでハイだったのだろうか。
シロロに見せつけたワンピースは、製作者である私達が、完全に呪いの魔法陣だ、不気味な毒蛙の池だ、その左袖は皮膚にできた出来物にしかみえないわよ、と言い合って出来上がった代物だ。
少し落ち着いて考えれば、万人が嫌がる物に仕上がっていたはずなのである。
それを私は宴会場の全員の前でシロロに手渡したのだ。
ほら見て!そして、喜んで!って感じで。
あの日のシロロはダグドが未だに述懐するほどに良い子だった。
私に手渡された服を嫌がるどころか胸に抱き止め、そして、なんということ、感に堪えないという風に両目からぽろぽろと涙を流したのだ。
彼の涙に私は冷静に戻ったのかもしれない。
けれど、遅すぎた。
静かに泣くシロロはダグドに抱きしめられて連れ去られ、私は北風吹き荒むような全員の冷たい視線というものを浴びたのだ。
あのあと、アルバートルに宴会場の隅に拉致されたのは、私にとってみれば意外と天の助けだったかもしれない。
けれど、それ以降、シロロは私を避ける、いや、私に脅える様になってしまったのである。
今だって、デレクの家の戸口のドアの裏から顔だけ出して私を伺っている。
私の胸は彼に避けられたことで傷ついて痛むが、でも、彼がすごく可愛いと胸の奥から叫んでしまいそうだ。
「し、シロちゃん。私の刺繍が下手でごめんね。ええと、全く悪意なんか無かったのよ。あと、アリッサもリリアナも、私と同じで趣味が悪いだけで悪意なんて無かったの。でも、大事なダグド様の作ってくれたワンピースを駄目にしてしまった事は謝るわ。き、着れなくなっちゃったのだものね。」
ひゅっと扉の影に完全にシロロは隠れ、私はどうしたら彼と仲直りが出来るのかわからず途方に暮れた。
「おここー。ノーラ殿、気にするなだぎゃ。そなたのあの刺繍、絨毯の絵柄だったら、うむ、面白いものになるのだぎゃな。」
「ふふ。アスラン様ってば、本当にお優しい。優しいアールのお父様でいらっしゃるだけありますわ。」
「かっかっか。本当の父親にもなれそうだぎゃ、いや、いいぞよ。ワシは余計なことは言わん。」
「アスラン様ったら。」
私の心はぐらっと来た。
アスランの優しさにアールの優しさを思い出し、それだけでなく、アールのあのハンサムな顔と優しい黒い瞳が目の前にぶわっとはっきりとした映像で呼び起こされたからである。
生成りのローブを脱ぎ捨てた彼は髪から雫をぽたぽたと垂らし、私を濡らしてはいけないと右手で髪の毛を後ろに流した。
秀でた額の形の良さ、そして、その行為によって彼はとても若返って見える。
あの日の朝のワンシーンだ。
やばい。
心に隙間風だらけの今の私だったら、アールが迫ってきたら彼を撥ね退けるどころか、自分から彼を抱き返してしまいそうだ。
彼の目元にできる優しそうな笑い皺は、ダグドの笑い皺にも似ているほどに、いや、人生の深みを感じさせる素晴らしいものだ。
「ああ、愛しい人。」
アールが私の耳元で囁き、私は彼の深くて滑らかな声にぐらっとした。
「うわーん!」
子供の泣き声に私は白昼夢から覚めた。
私はシロロの泣き声に慌てて戸口へと飛び出ており、そこで、しゃがみ込んで三歳児のように拳にした両手を目元に当てて泣いているシロロを見つけ、私は取りあえずも何も考えることなく彼を抱き上げた。
「どうしたの?シロちゃん?」
「ごめんなさい。あのお洋服はダグド様がクローゼットの奥に片付けちゃったの。思い出の服こそ汚しちゃいけないよって。でも、でも、ノーラ姉さまがせっかく作ってくれたのに、ぼ、僕は一度も袖を通していないから。」
「ああ!なんて可愛いの!いいのよ!そんなこといいのよ!私はシロちゃんが何をしても許すし、大好きよ!あぁ、なんて可愛いの。お土産は何がいい?絨毯?良いわよ。破産してもなんでも買ってあげる!」
私の腕の中で泣いていたはずのシロロはわーいと子供らしく万歳して喜び、それから私の首に両腕を回してぎゅうと抱きついて来た。
「僕はお姉さまが大好き。お姉さまを守ります。だから、僕もコポポル行きたい。甘―い甘ーいお紅茶やお菓子が食べたい。モフモフも抱っこしたい。だめ?」
最後の「だめ?」を小首を傾げて尋ねて来たあざとい生き物だ。
私は絶対防御魔法を持っている魔王を留守番させる必要は無いだろうと、私は代理差配人なのだからと、シロロを抱いたままアスランに声をかけていた。
「弟も揃いましたので、そろそろ行きましょう。アスラン様。」
アスランは顔じゅうを皺だらけにして笑い出し、けれど、私に片眼を瞑った。
「君は素晴らしい勘の持ち主だ。そして、魔王様もお待ちしていますよ。」
「え?」
さっきのは白昼夢では無かった?




