/29 伏瀬出雲2
「俺は――ゲイじゃ」
「……は?」
「おまんは口が堅いじゃろから言うけんな、俺の恋愛対象は男じゃき。女には興味ない」
深刻そうな顔をするから何かと思えば、そんな事か。思わず脱力してしまう。
「確かに、それなら職場にいた方が楽しいな」
女だらけの海よりも、男ばかりのむさ苦しい兵舎の方が伏瀬好みだろう。
「……引かんの?」
「そう驚く事でも珍しい事でもないだろう。職務を疎かにしないなら、恋愛は好きにしてくれ」
一つだけ頼みたいのは、仮に恋人が出来たとしても俺に報告するのだけは止して欲しい事だけだ。街中でカップルを見るのもウンザリするのに、職場でいちゃつくカップルを目撃したくはない。砂が吐けそうだ。
伏瀬は感激した様子で、俺の肩を掴む。
「おまんは……やっぱり俺の見込んだ通りの男ぜよ。器のでかい奴じゃき」
俺はただ他人の恋愛に興味がないだけだ。頼むからそんなに嬉しそうに笑わないでくれ。どう答えればいいのか困る。
よほど嬉しかったのか、伏瀬は鼻歌を口ずさむ。これも、伏瀬の機嫌のいい時の癖だ。頭を撫でてくる癖と違って、こちらの癖は中々に好評を博している。伏瀬の歌う唄はどれも聞き慣れない珍しい曲ばかりで、災害特殊対策部隊でもちょっとした話題だった。
鼻歌に耳を傾けながら、俺は海へと視線を向ける。
穏やかで美しい海だ。この美しい海から化物が出現するなど、いまだに信じられない。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。人類が到達しえない深海に、そんな化物が潜んでいただなんて、誰が想像出来ただろう。
伏瀬の唄が途切れる。
名残惜しく思うがこればかりは伏瀬の気まぐれだから仕方がない。寧ろこの沈黙をいい機会だと思う事にし、俺は前々から抱いていた疑問を伏瀬にぶつけた。
「そういえばお前、喋りの訛りは直らないのか?」
「ん?」
「お前の英語、癖が強すぎると前から思っていたんだ。だから実際はどうなのかとな」
伏瀬はニヤリと笑うと、断言した。
「普通に喋れるぞ」
「……へ?」
「そもそも故郷訛りっつったって、俺の故郷の言葉遣いじゃあないからな。祖国でもごく一部の地域でしか使われてない、いわゆる方言ってやつだ。それも俺の出身地とは全く関係ない、似非方言さ」
スラスラと癖のない英語で話す伏瀬に、俺は開いた口が塞がらない。
「じゃ、じゃあ何で普通に喋らないんだ? 目立つだろう」
「ふむ、そうじゃのう……」
元に戻った口調に、俺は肩を竦める。
伏瀬は顎に手を当て少し考えこんだが、何かを思いついたように指を鳴らした。
「おまん、学生時代の友達で一番記憶に残っとるんは誰じゃ?」
「学生時代? ……そうだな、基本的に誰も残ってはいないが、まぁあえて一人挙げるとしたらミヒャエルだな。一人称が悉く「私ィ!」だった男だ。リーダーシップを取りたがる奴だったから、ちょっとした名物扱いだったぞ」
「――それじゃ」
「……何が?」
「俺の話し方の理由じゃき」
説明は終わったと言わんばかりにすっきりとした表情の伏瀬に、若干苛立ちを感じたがここは呑み込み、俺は詳しい説明を伏瀬に求めた。
「じゃき、記憶に残っとるじゃろ?」
「は? ……あぁ、まぁな」
「俺が欲しいんはそれじゃ」
……記憶に残る事か? 訳が分からず眉をひそめる。
「俺なぁ、セルゲイ。家族がおらんのじゃ」
伏瀬はいつもと変わらない声色でそう語り始めた。
「母親は蒸発して噂じゃ死んだらしい。親父は癌で死んだ。姉貴が二人おるけど親父とは縁切っとるみたいで、所在知れずじゃ。弟も一人おったんじゃが、家出してもうて行方不明での」
語られる伏瀬の過去は、中々に複雑だった。
伏瀬は海を見つめながら話を続ける。
「学校は金なくて辞めた。特に夢もなかったき、思い付きでこの国に来た。故郷にいるよりは何かが変わるんじゃないかと期待しての。まぁ、結果は何もならんかったけど」
一旦途切り、伏瀬は弱々しい笑みを浮かべる。
「結婚ははなから諦めとった。じゃあどうじゃ、俺は気付いてしもうた。俺が欲しかったんは夢でも変化でもなく、一緒にいてくれる誰かじゃと。俺は寂しがり屋の甘えん坊だったじゃ。無理じゃて分かった瞬間欲しくなるなんて、救いがないじゃろ?」
伏瀬の経験の全てを理解する事は出来ない。それでも、その感情だけは理解出来た。無理だと分かってなお恋い焦がれるもの。いや、無理だからこそ恋い焦がれるもの。それだけは、俺も同じだ。
「軍に入ったんは下心ありきじゃ。ま、いっそ過酷な環境におったほうが色々と紛らわせれると思うてな。寧ろムラムラが増したような気がせんでもないけど」
感動が台無しじゃないか。
「で、俺は気付いた。一緒に生きる人がいなくても、覚えていてくれる人がいるなら、それはそれで寂しくはない、と」
訛りが消える。
伏瀬は優しく微笑み、俺を見つめていた。
「俺は忘れられるのが怖い。だから記憶に残ろうとする。生きていた証は残せずとも、生きた証は残したい」
「伏瀬」
「転属の辞令が下った。――俺は明日前線に入る」
……それは、死を宣告されたも同然だった。
「伏瀬……っ」
「お前は、俺のこと覚えていてくれるか?」
俺は、頷く事しか出来なかった。
伏瀬は満足そうに笑う。
お前は俺とよく似ていると思った事があった。まるで鏡写しのようだと。
だが違ったのか。
お前は死に向かっていて、生きたいと願っている。
俺は生きていて、死ぬのを待ちわびている。
――お前のように死に近づけば、俺も生きたいと願えるだろうか。
この夜が、伏瀬に会った最後の日だ。
次に会ったとき、伏瀬の顔はそこにはなかった。
俺は初めて友人を亡くして泣いたのだ。
◇ ◇ ◇




