/10 見合い
◇ ◇ ◇
その日、父に呼び出されたのは、高級レストランの一室だった。
顔を合わせる事は殆どなく、たまに顔を合わせた時でもろくすっぽ会話もしない父から、重要な話があるから必ず来い、と念を押した伝言が留守番電話に残されていたのだ。俺を呼び出すだなんてきっと面倒事に違いない、と内心溜め息を吐きながら、俺は指定された部屋で父の到着を待っていた。
俺はつい先日二十歳になった。別にめでたい事など何もない。ただ一つ歳を重ねただけだ。就職は父が決めた通りに進む事を選んだ。特に夢がなかったからだ。就職活動のストレスで十円ハゲが出来てしまった学友の姿を見て、楽に就職できるならそれでいいと安直な道を選んだ。その学友が、いっそスキンヘッドにすると、泣きながら語っていたのを覚えている。父曰く、ある程度の出世は約束されているらしいが、それはまだ先の話だ。
息子の就職先を見繕ってくれるなんて、優しい父親だと思うかもしれないが、父は「死体以外では帰って来るな」と言って俺を送り出した。優しいというより、体のいい厄介払いをされたようなものだろう。――なのに、父は突然俺を呼び出した。恐らく、きな臭い話を聞かされるに違いない。
物思いに耽っていると控えめなノックの後、ドアが開いた。俺は反射的に立ち上がり、来訪者を待つ。
威圧的な仏頂面の男――父と、その後ろにいるのは……見た事のない女性だった。
父は女性を案内してから、俺に着席を促す。よく見れば父の着ているスーツは、有名ブランドの一点物ではないか。大切な席でしか着用しないという、我が家でも半ば幻のスーツだ。この会談は、それほど重要な事なのか?
俺は、父と共に入ってきた女性を盗み見る。豪奢なクリーム色の髪に、空を切り取ったかのような青い瞳、凛とした気高い貌。見るからに育ちの良さそうな雰囲気の女性だった。とは言え、女を道具としか思っていない父が、普通の女性を連れてくる訳もない。人形のように綺麗な顔立ちだが、腹には一物を抱えているに違いない。
「――シシィ、これがセルゲイだ。我が家の三男坊になる」
父はそう切り出した。
女性は片眉を上げ、俺の顔を見ると、淡々と答える。
「許嫁がいらっしゃらないのは、ご本人のご意向かしら?」
「良縁に恵まれなかった、ではいけないかね?」
「それでは仕方ありませんわね。わたくしも、人の事は言えませんもの。承諾いたしましょう」
父と女性が微笑みあう。
よく分からないが、これで話は纏まったらしい。俺は必要だったのか疑問は残るが、藪をつついて蛇を出す必要もない。後は二人が解散するのを気長に待てばいいだけだ。
「セルゲイ」
「はい」
危なかった……完全に気を抜いていた。これでうっかり無視しようものなら、後で何て言われるか堪ったものではない。上の空だった意識を、父の声へと集中させる。
「こちらは、わが友マッケンジー氏のご令嬢だ。シンシア・L・マッケンジー、御年十八。マッケンジー氏の次女にあらせられる。――お前の妻だ」
――妻。誰の。俺の? 今日はお見合いの話だったのか?
どんな話をされても聞き流せる自信はあったが、流石に驚いた。
十八の女と、二十で結婚。あまりにも早すぎる。法律上問題はないとはいえ、十代の女と結婚するのは外聞が悪すぎないか。父にしては軽率な判断だと思わざるを得ない。それだけこの結婚を急いでいる、という事か?
それに年若いシンシアにお見合い結婚など酷な話だ。俺は男だからあまり気にはしないが、流石に同情を禁じ得ない。後ろ盾かパイプ目当ての結婚なのだろうが、せめて成人まで待ってあげればいいものを。
とは言え、厳格な父に意見をいう勇気など俺にはないのだけれども。
長い物には巻かれろ。それが俺の生き方だ。
「――はい」
「本当に思うところはありませんの?」
シンシアは控えめにそう訊ねてきた。
……自分からは断り難いから、俺に断って欲しいという事なのだろうが、残念ながら無理だ。異論ならば自分で述べるか、自分の父親にでも相談してくれ。
「いいえ、何も」
「そう。流石はソルヤノフ様のご子息ですわね。犬よりも聞き分けがよろしいようで」
否定はしないが、酷い言い草だ。折角顔が綺麗なのだから、心の方も綺麗かったら良かったのに。それとも、顔だけは綺麗という事に喜ぶべきなのか?
「では、わたくしが言わせて頂きますわ」
シンシアは優しい声で言った。
「結婚自体に文句はありません。ただし、貴方に興味もございません。わたくしに愛情など求めないで下さいませ。女の役目は果たしますが、子育ては父とソルヤノフ様の助言に従います。口を出さないで下さいませ。わたくしは実家より女中を連れて行きます。わたくしに用があるならば、女中に申し付けてくださいませ」
言葉を途切り、シンシアは俺を冷たい眼差しで見つめる。
「よろしいですわね?」
「セルゲイ、お前の役割は彼女と子を成す事だ。それ以外は好きにするがいい」
「別に浮気をする訳ではございませんのよ。貴方なしの結婚生活……家庭内別居のようなものですわ。どうせ滅多に帰ってこられないのでしょう?」
父が連れてくる女性なだけある。気の強さも一入だった。
それにどうせ、俺がどう思おうとこの話が覆ることはないのだ。だったら素直に頷いておけば、それでいい。
「――貴方のお気に召すままに」
「ご理解感謝いたしますわ。それで、いつまで此方にいられますの?」
「二日ほど、休みを頂いております」
「では、今宵の外泊許可は下りておりますのね?」
「は、はい。今夜は問題ありませんが……」
「分かりました。ソルヤノフ様――いいえ、お義父様。ご子息をお借りしますわね。次の休暇を待っていては、干乾びてしまいそうですもの」
シンシアの言葉に、父は満足そうに口角を上げる。
「よろしい。では支払いを済ませるとしよう」
結局料理は一皿も出されないまま、俺たちはレストランを後にする事に決まった。部屋を出ていく父を見送り、シンシアと二人残された俺は眉尻を下げる。俺にどうしろというのだ。これは、シンシアを家まで送ればいいのだろうか?
俺の困惑に気付いたのか、シンシアは口を開いた。
「わたくし、重要な事は先に終わらせる主義ですの」
正面から俺を見据え、シンシアは断言する。
「――ではホテルに参りましょう。これで子を成せば、一年間は貴方の顔を見ずに済みますもの。貴方は確かにハンサムですけれど、わたくしの好みではありませんの」
安心しろお前も俺の好みではない、という反論は呑み込んで、俺は曖昧に頷いた。
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