1-11 改めて……
「あれ、秋人さん」
秋人に気付いたしとねはゆっくりと顔をあげた。
彼女の服は濡れており、肌が透けて見えるため目のやり場に困る。
傘を差し、彼女の体を濡れないようにしながら秋人は言った。
「昨日どこかにぶらぶらするって言ってたよな。それがどうしてこんな場所で雨に打たれてんだ?」
「いや~今朝はこの周辺をうろついていたのですが……結局何も思い出すことができず気が付いたらここにいました!」
あっけらかんと言うしとねに、秋人は思わず苦笑する。
「気が付いたらって……なんで雨宿りしなかったんだよ。そんなにびしょ濡れだと風邪ひくだろ」
「あはは……それがどうやら私、お金を持ってなかったみたいで」
「おいおいっ!」
街の店でも夜には閉めるところが多い。それは10年前後継者が現れてから治安が悪化していることが主な理由だ。更に、嵐の連中は夜に活動を起こすことが多いため、出歩いていると狙われる危険性も高くなる。だから早々に店を閉めてしまうのだ。
この周辺で雨宿りできそうな店がないわけではないが、どれも多少のお金はかかる。なのでお金の持っていないしとねは外に出ざるをえなかったのだろう。
「これからどうするつもりなんだ?」
昨日も言った台詞だが、聞かずにはいられなかった。
彼女は目を瞑って少し考えた後こう言った。
「ん~わかりません!」
「おいおい!」
「なぁんて、冗談ですよ。そうですねー……う~ん」
そういって考え込むしとね。
お互いに無言になってしまった事で、雨の音だけが周囲にこだまする。
そして、雨足が一層強くなる。まるで今のしとねの心情を表しているかのようだった。
秋人が黙っていたのは目の前にいるしとねの事について改めて考えていたからだ。
記憶を失い、宛てがないだけでなくお金も持っていない。その上、誰かから狙われているという絶望的な状況であるにも関わらず、それでも前向きに考え、明るく振舞う。普通ならば絶望に打ちひしがれてもおかしくはない。秋人がしとねと同じ状況になったとしても、彼女ほど元気には振舞えないだろう。
「…………」
そんな彼女に対し、何かできないかと考えをはりめぐらせる秋人。
「……そうだ。警察には行っていないのか? 家族が探してるのなら行方不明届が出てるかもしれないぞ?」
「あ、行きましたよ! ですが、届け出はないと言ってました~」
「そうか……」
となると、記憶が戻るまでどこかに身を寄せるしかないだろう。
「なら昨日も言ったが、しばらく俺の寮に来るか?」
「それは嬉しい申し出ですが、これ以上秋人さんに迷惑をかけるのは――」
としとねが言った瞬間だった。
「あ、こんなところに居やがった!」
「え?」
突然聞こえて来た大声に2人が振り向くと、そこには物凄い怒りの形相をした男がしとねを見て睨んでいた。手にはフライパンを持っており、コックの帽子を被っていることからどこかの飲食店の料理人だろう。
「おい、なんかあのおっさんこっち見てめっちゃ怒ってるけど……」
「あ~……。それは多分、私が食い逃げしたからですね……」
「なるほど食い逃……えっ!?」
驚いたのも束の間、しとねは秋人の手を掴むと、駆け出した。
「秋人さん、逃げます!」
「ちょ、ちょっ!」
いきなり引っ張られてこけそうになるが、どうにか態勢を立て直す。
「コラァ待ちやがれこの食い逃げ女め!!」
「すみません~! 後で必ずお返ししますから~~!」
「うるせぇ! うちには漬けなんてものはねーんだよ!」
後方を振り返れば、怒鳴り声をあげ、鬼のような形相を浮かべながら追いかけてくる料理人の姿が。
しかし、一般人と後継者では脚力に圧倒的な違いがあるため、すぐに両者の距離は離れていく。
「何処に逃げやがった! 絶対許さないからなっ!」
料理人の怒号が遠くから聞こえてくる。大雨にもかかわらずその声は鮮明だ。
路地にまでやってきた秋人達は、そこで身を潜めつつ、静かに息を整えた。
「はぁ……はぁ……。お前……なんで食い逃げしたんだよ……」
しとねを軽く睨みつけるようにして言うと、彼女はこう言った。
「食べてから財布を持っていない事に気が付いたので、事情を説明したところ、いきなりフライパンを持ってお怒りになられたんです。後でお返しすると言っても聞いてくれなくて……」
無言で逃げたならともかく、ちゃんと事情を説明してるにもかかわらずぶち切れるのは料理人にも問題があるだろう。とはいえ、しとねが悪いのは明らかだが……。
「なるほど……ちなみに何を食べたんだ?」
「ラーメンとチャーハンです!」
「昨日あれだけラーメンを食べておいて、また今日も食ったのか」
「えへへ……ラーメン好きなので」
こいつの生活習慣は大丈夫なのか? と思わず心配になった秋人だったが、自身も人の事はいえないのでとやかくは言わなかった。
しかし、これで先程考えていた、しとねを家に連れていくという秋人の意志は確固たるものになった。
一度呼吸を整え直すとしとねの目を見つつ、真剣な表情でこう告げた。
「……しとね」
「はい?」
「やっぱりお前は記憶が戻るまでしばらく俺の家にいろ」
こう言った理由としては、しとねをこのまま放置していては色々と厄介事を起こしそうだからというのが主な理由だが、単に心配な気持ちもある。
それに、目の前に困っている人がいるにもかかわらず放置するのはどうも後味が悪い。
寮が関係者以外立ち入り禁止なのでその辺りは気を付ける必要があるが……。
「言っておくが、迷惑とかそういう事を気にしているのなら大きな間違いだ。むしろ、お前がそんな恰好で野宿するほうが迷惑だしな」
彼女が遠慮するという事をふまえ、先手を打っておく。
それが効いたのかどうかは定かではないが彼女は、
「いいんですか……?」
おずおずとした様子で聞いてきた。
「ああ。ただ、ばれるとまずいからその辺は気を付けてもらわないと困るけど」
「大丈夫です! 私身を隠すのは得意なのでっ」
そう言うと両手で拳を握り締めてアピールしてくるしとね。
確かに、昨日の去り際の速さを見ている限りだと、何か問題が発生しても十分対応できるだろう。
「よし。ならとりあえず戻るか」
「はい!! あっ」
「ん?」
しとねは秋人の前にくるりと立ったかと思うと、こちらに向けて大きくお辞儀をした。
そして、顔を上げると弾ける様な笑みを浮かべてこう言った。
「改めて秋人さん。これからよろしくお願いしますっ!」
◇◇◇
その後しとねと共に店主に謝りに行き、代金は秋人が立て替えることに。
しかし、驚いたことに彼女はなんとラーメンとチャーハンをそれぞれ10杯も食べていた。
一瞬財布からお金を取り出すのを躊躇ったが、店主の目が怖かったため全額支払った。
終始怒っていた店主だったが、ちゃんと謝ったことで一応許してもらえた。
(あぁ……金がどんどんなくなっていく)
しばらくは、娯楽を控えないとな……と思いつつ、帰路を急ぐ。
歩き始めて数十分。
寮まではあともうすぐというところで、秋人は周囲を警戒しつつこう言った。
「雨だからか皆ほとんど外出してないようだ。見られないうちにさっさと中に入るぞ」
「はいっ」
2人は他の人に見つからないようにしながら、寮へと入っていく。
そうして中へと入ると、まずしとねにタオルを被せてやった。
「あふっ」
「とりあえず、それで体を拭いておけ。服は適当にこっちで用意しておく」
「はーい」
足元に散らかった物を避け、クローゼットにまでやってくると服を探す。
(確か莉子が着てた服が何枚かあったな)
何枚か見繕ってしとねの元へと戻る。
「妹の服があったわ。玄関を入ってすぐ右隣りに浴室があるから着替えてこい」
「わ~可愛い服ですね。では、少し失礼しますね」
そうして浴室に入ったしとね。
彼女が着替えている間、冷蔵庫の中身を確認していた秋人だったが
「秋人さーん……」
という申し訳なさそうな声色で呼ばれたので浴室の前まで行った。
「どうした?」
「すいません、この服ちょっときついです!」
「そんなにピチピチだったのか?」
「ウェストは大丈夫なんですけど……ちょっと胸が圧迫されてしまって」
「あぁ……」
莉子は胸が小さいため、服もそれにあったサイズを買っていたのだが、しとねにはどうやらきつかったようだ。
しかしそうなると、莉子の服はどれも着ることができない。
「なら悪い、俺の服でもいいか?」
「全然大丈夫です!」
そうしてしとねは秋人の服とズボンを借りた。着用したその姿は非常に様になっており、まるでボーイッシュな少女のようだった。
「そういや、ピンピンしていて気が付かなかったが、怪我はもう大丈夫なのか?」
「はい! 秋人さんが介抱してくださったおかげで、この通り元気いっぱいです!」
そういうとその場でくるりと身を翻し、シャドーボクシングまで始めてしまうしとね。
その身のこなしにぎこちなさなどがないことから、どうやら言っている事は嘘ではないようだった。
薬の効力としとねの持つ治癒力が相乗的に働いて、ここまでの回復をみせたといったところだろう。
(とはいっても、こんなに元気なのに記憶だけが戻らない……か)
しばらく様子をみて記憶が戻らないのであれば一度医者に診てもらった方がいいだろう。
(……そういや冷蔵庫の中空っぽだったな)
これからしばらくはしとねもいるため、買い置きをしておく必要がある。それに加え、服などの日用品なども揃えないといけない。明日にでも、一緒に行く必要があるだろう。
(けど明日は普通に仕事だよな……。とりあえず飯だけでも買っておくか)
「お腹は空いてるか?」
「いえ、今は大丈夫です! お昼にたくさん食べたので」
「そうか。俺は今からスーパーに買い物行ってくるから留守番頼めるか?」
「あ、それなら私も行きますよ」
「いや、しとねはここで待っててくれ。ここの寮は21時以降になると門が閉められて、夜間の警備が目を光らせているんだ。見つかる可能性が高くなる」
「なるほど……わかりました。では、留守はお任せくださいっ」
「ああ――って、絶対に誰かが来ても出るなよ。大問題になるからな……。あと、暇なら漫画かテレビでも観てろ」
「はーい」
しとねに見送られ、秋人は外へと出た。
雨は既に止んでおり、水たまりの多いぬかるんだ道がひたすら続く。
寮からスーパーに行くまでには、直進した先にある山道を越えるか、商店街の方から迂回して行く方法の2つがある。普段は迂回して向かう秋人だが、山道のふもとに辿り着いたところで掲示板に書かれた赤い文字に目がいった。
(……ここは確か月神神社だったか)
小さい頃はよく両親や妹と共にお参りに行っていたが、後継者が現れて以降は一度も行っていない。
「…………久しぶりに少し寄ってみるか」
どこか懐かしさを感じた秋人は、このまま月神神社を通っていくことに。
街灯のまだらな山道を歩き、ぬかるんだ道をこえ、徐々に砂利道に変わりはじめたところで月神神社が見えてきた。
(周囲は暗いし、明らかに夜道として歩くのには危険なはずだが……何だか安心して歩ける道だ)
自分でも何故そう思ったのかわからない秋人だったが、そう感じてしまったのだから仕方ない。
神社の近くだからか、何か神秘的な力が働いているのだろうか。
――と、秋人がなんだか不思議な気分に浸っていたその時。
りん……りん……。
「…………鈴?」
そんな音が聞こえてきたのをはっきり認めた秋人は、その場に立ち止まった。
夜遅く、しかもこんな人通りのいない道に誰かがいるというのだろうか。
警戒していると、
「私の神社に、何か用ですか?」
「――!?」
驚いて振り返るとそこに立っていたのは、巫女装束を着た、秋人の胸元程の身長しかない少女だった――。




