後編 愛と権力
それから四人の関係は、急速に泥沼化していった。
リリアーナはルートヴィヒに相談を持ちかけるようになった。
「クラウス様、最近冷たいの」
「またその話か」
「だってルートヴィヒ様しか聞いてくれないんだもの」
「……仕方ないな」
エレノアはクラウスと会う回数を増やした。
「私、ルートヴィヒ様を責めたくありませんの」
「あいつは君を大切にしていない」
「そんなこと……」
「俺なら泣かせない」
数週間後には、全員が全員を疑っていた。
「昨日、ルートヴィヒ様と何をしていましたの?」
「相談よ。クラウス様とエレノア様のことを」
「私とクラウス様には何もありません」
「じゃあ昨日二人で何してたのよ」
「相談ですわ」
「同じじゃない!」
「全然違います」
「何が!」
「私はあなたと違って人の婚約者を奪おうなどと思っておりません」
「よく言うわよ!」
男同士も酷かった。
「貴様、リリアーナに近づくな」
「お前こそエレノアから離れろ」
「彼女が相談に来るんだ」
「リリアーナだってそうだ」
「お前が泣かせるからだろう!」
「貴様が余計なことを吹き込むからだ!」
社交界では、誰が誰と婚約しているのか分からないと言われ始めた。
リリアーナはクラウスと婚約したままルートヴィヒを狙い、エレノアはルートヴィヒと婚約したままクラウスを狙う。
クラウスはリリアーナを愛していると言いながらエレノアを守ろうとし、ルートヴィヒはエレノアを愛していると言いながらリリアーナを慰める。
四匹。全員、毒持ち。
立派な蠱毒が完成した。
***
そんな時だった。
皇女アマーリエが王都へ戻った。
皇太子の妹。王位継承権を持ち、国境政策を任されている十七歳。賢く、強く、遠慮がなく、欲しいものは自分で取りに行く女だった。
彼女の隣には、幼馴染のアルベルト・ハインツ子爵令息がいる。
「アルベルト。どう?」
執務室でアマーリエが尋ねた。
「ようやく繋がりました」
アルベルトは書類を机へ置いた。
「レインハルト家とヴァレンシュタイン家。表向きは対立していますが、裏で帝国と通じています」
「証拠は?」
「辺境領から届いています。帝国側との書簡、武器の流通記録、私兵の配置。王都内部からも裏帳簿を押さえました」
「十分ね」
「それと、面白い証人が二人」
「例のお姉様方?」
「はい」
アマーリエは満足そうに頷いた。
「では、全部いただきましょう」
「特大権力我儘皇女」の参戦である。
***
その数日後、例の四人は王宮の一室に呼び出されていた。
それなりに重大な用件であるはずなのだが、四人揃えば性懲りもなく、また揉め始める。
「クラウス様がエレノア様に贈り物をしたって聞いたわ!」
「リリアーナ、誤解だ!」
「何が誤解なのよ!」
「エレノアが落ち込んでいたから」
「名前で呼ばないで!」
「ではあなたもルートヴィヒ様から離れてくださいませ」
「関係ないでしょ!」
「あります。私の婚約者です」
「だったらクラウス様だって私の婚約者よ!」
「俺はリリアーナを愛している!」
「ではなぜエレノアに宝石を贈った!」
「貴様がリリアーナを慰めたからだ!」
「話が繋がっていない!」
扉が開いた。
「本当に繋がっていませんわね」
全員が止まった。アマーリエが立っていた。後ろにはアルベルトと近衛兵。
「殿下……?」
クラウスが立ち上がる。
アマーリエは書類を一枚開いた。
「レインハルト公爵並びにヴァレンシュタイン公爵を、国家転覆未遂と帝国への内通容疑で拘束しました」
沈黙。
「……何?」
「両家の爵位返上も決定しています。領地は王家が接収します」
さらに沈黙。
「嫡男であるクラウス・レインハルト、ルートヴィヒ・ヴァレンシュタイン。両名とも公爵位の継承権を失います」
さっきまで怒鳴り合っていた男二人が、急に静かになった。
「リリアーナ……」
クラウスが青い顔で婚約者を見る。
「俺にはもう君しかいない」
リリアーナは眉を寄せた。
「え?」
「爵位がなくても、俺たちは」
「無理」
「……え?」
「無理よ」
その隣ではルートヴィヒがエレノアの手を取ろうとしていた。
「エレノア」
「無理ですわ」
「まだ何も言っていない!」
「何を言われても無理です」
「愛している!」
「公爵家の嫡男だったあなたは嫌いではありませんでしたわ」
「過去形なのか!」
リリアーナが頷いた。
「分かる」
エレノアも頷いた。
「でしょう?」
「急に意見が合うな!」
リリアーナとエレノアが、ここにきて初めて同じ方向を向いた。
「爵位も領地もないのよ?」
「今後どうなさるおつもりです?」
「騎士として」
「私は平民騎士の妻になるためにここまで努力したんじゃないわ!」
「私もです」
「お前たち最低だな!」
「あなたたちにだけは言われたくない!」
四人の罵り合いが再開した。
アマーリエはしばらく眺めていた。
「次、よろしいかしら」
二人の令嬢が振り向いた。
「次?」
「ええ。あなた方です」
嫌な響きだった。
扉の向こうから、二人の女が入ってきた。
リリアーナの顔から色が消えた。
「……マルティナお姉様?」
エレノアも目を見開いた。
「ヴィオラお姉様」
辺境へ送られたはずの姉たちだった。
「久しぶりね、リリアーナ」
マルティナは冷たく妹を見る。
「元気そうで何よりだわ」
「どうして王都に」
「あなたのおかげよ」
隣でヴィオラも笑った。
「私たちが送られた辺境領、ちょうど公爵家の私兵や不審な物資の動きが多かったの」
「それを調べていた王家の人たちに協力したわけです」
アルベルトが続けた。
「そこで、お二人がなぜ辺境へ送られたのかも聞きました」
リリアーナは一歩下がった。
エレノアは下がらなかった。
「姉の話だけを信用なさるのですか?」
「もちろん、しません」
アルベルトは微笑んだ。
「ですから調べました」
書類が積まれた。
使用人への口止め。書簡の隠匿。偽の証言。破棄された記録。リリアーナの母が使用人へ金を渡した証拠。エレノアが姉の手紙を抜き取り、一部を書き換えていた証拠。
「……これは」
リリアーナが詰まる。
エレノアは書類を見る。
「解釈次第では」
「無理よ」
ヴィオラが遮った。
「あなた、本当に謝らないわね」
エレノアの眉が動いた。
「私に謝罪すべき事実があるとは思えません」
「あるわよ!」
リリアーナが横から叫んだ。
「今めちゃくちゃ出てきたでしょ!」
「あなたも同じでしょう!」
「私はお母様に言われて!」
「責任転嫁ですわ」
「何よ! あんたなんて全部自分でやったじゃない!」
「少なくとも教科書を破ったのはあなたです!」
「まだそれ言うの!?」
「一生言います!」
「謝れば済むでしょうが!」
「嫌です!」
近衛兵が二人を取り押さえた。
アマーリエは穏やかに告げた。
「お二人には修道院へ入っていただきます」
二人の動きが止まった。
「……この女と?」
「この方と?」
「ええ。同じところへ」
「嫌です!」
初めてエレノアが即座に感情を露わにした。
「私だって嫌よ!」
「殿下、お願いですから別々に!」
「私もそこだけはお願いします!」
「まあ」
アマーリエは少し考えた。
「ずいぶん仲がよろしいのね」
「「よくありません!」」
綺麗に揃った。
そのまま二人は連れていかれた。
「そもそもあなたが私の立場を悪くしたのが始まりでしょう!」
「先に私を野生児みたいに言ったのはあんたでしょう!」
「言っていません!」
「言ったわよ!」
「解釈の問題です!」
「その言い方ほんっと嫌い!」
声は廊下の向こうまで響いていた。
***
半年後。王都では、新しい公爵家の創設が発表された。初代当主は、アルベルト・ハインツ。国家転覆計画を暴き、帝国との内通を阻止した功績による昇爵だった。元は子爵令息である。
「殿下」
婚約発表前の執務室で、アルベルトは疲れた顔をしていた。
「一つ確認しても?」
「何でしょう」
「なぜ私が公爵になったんです?」
「功績があったからです」
「それだけですか?」
「もちろん」
アマーリエは書類に署名する。
アルベルトは黙って待った。
「……それと」
「はい」
「子爵令息のままでは、私と結婚する時に面倒でしょう?」
アルベルトは目を閉じた。
「やはり」
「何か問題が?」
「昔から、欲しいものを手に入れるための規模がおかしいんですよ」
「失礼ね」
アマーリエは顔を上げた。
「私は人の婚約者を奪っておりません」
「そうですね」
「姉を辺境へ送ってもおりません」
「姉君はいません」
「国家転覆もしておりません」
「止めましたね」
「ただ、好きな男を公爵にしただけです」
「ほら、おかしいんです」
アマーリエは少しだけ笑った。
「では嫌ですか?」
アルベルトが彼女を見る。
長い付き合いだった。幼い頃から振り回されて、気づけば国を救うところまで付き合わされた。
「嫌なら、ここまで付き合っていませんよ」
アマーリエの表情が緩んだ。
「では結婚しましょう」
「そこは私に言わせてください」
「遅いのが悪いのです」
「謝ってください」
「……」
アマーリエは一瞬黙った。
「ごめんなさい」
アルベルトが笑う。
「ちゃんと謝れるだけ、あの二人よりは安心しました」
「比べないでくださいませ」
こうして皇女アマーリエは、幼馴染の子爵令息を公爵へ繰り上げ、そのまま婚約者として手に入れた。
マルティナとヴィオラも王都へ戻った。
マルティナは公爵家の不正会計を見抜いた手腕を買われ、王室財務局へ。
ヴィオラは大量の書簡を整理し証拠を繋いだ功績から、アマーリエ直属の文官になった。
二人は境遇が似ていたせいか、すぐに仲良くなった。
そして遠い修道院では。
「そのパン、私のほうが小さいわ!」
「同じ大きさです」
「絶対そっちが大きい!」
「では交換します?」
「……いいわよ」
「どうぞ」
「待って。そう簡単に渡すってことは、やっぱりこっちのほうが小さいのね?」
「面倒くさい方ですわね!」
「あなたに言われたくない!」
養殖我儘令嬢と天然我儘令嬢は、今日も元気に潰し合っている。
蠱毒とは、壺の中で毒虫を争わせ、最後に残った一匹を使う呪術だという。
今回、最後まで残った毒虫はいなかった。
令嬢と令息の四匹だけかと思いきや、いつの間にか国家転覆を企む者たちまで、何匹も壺の中へぶち込まれていた。
その全員が中で潰し合っているように見えて、最後には壺ごとまとめて叩き潰し、誰のものも略奪する事なく、欲しいもの全てを手に入れた女がいただけである。
結局のところ、最後に愛が……権力が勝つ。
この国最大の我儘令嬢は、最初から勝負の土俵にすら立っていなかったのだ。




