表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/35

第26話:選ばれぬ者たちの所在

夜。


火が、揺れている。アダムは、一人。立たない。座らない。ただ、火の前に、在る。

「……教えた」

低い声。

「名は、すべて渡した。見えるものも、見えぬものも。どう動くかも、どう戻るかも知るところまで。何を取るかも、何を離すかも」


火が、かすかに鳴る。

「もう、残っておらぬ。渡しておらぬものも、ない」


視線は、火のまま。

「……あとは、それぞれに委ねる」


影が、揺れる。

「同じものを聞いても、同じにはならぬ。受け取りは、変わる。置かれる場所も、異なる」


火が、わずかに崩れる。

「だから、分かれる。それだけのこと」

沈黙。

「……もう、教えることはあるまい。ここから先は、自ら取るほかない」


火は、揺れたまま。

「同じものでも、取る形は、異なる。それでよい」


長く、沈黙。

「……手は出さぬ」

火を見る。

「出せぬ」


それだけ。夜は、そのまま静かに、終わる。


朝。


水が、外れる。ぱき、と音。水路の縁。踏み固めた土に、細いひび。


夜の冷えで締まっていた表が、朝の水でゆるむ。下に残っていた空洞が、支えを失う。崩れる。水が横へ逃げる。いつもの溝を外れて、浅い芽に流れる。

「水、ずれてる!」


一瞬、止まる。カービルが、そのまま踏み込む。足首まで沈む。アクリーマは、すでに石を持っている。


カービルが、流れを見たまま。

「縁が抜けてる。上だけ締めてた分、下が空いてた。水が当たって崩れた。今は横に逃げてる。このままだと、上の水が全部そっちに回る」


振り向かない。アクリーマが、水の当たりを見て。

「右に流れてる。浅い芽に当たってるから、このままだと根が浮く。上をふさいでも横から抜ける。下を止めないと、戻らない」


カービルが、手を差し出しながら。

「石、寄こせ。軽いのじゃ足りない、噛むやつ持ってこい」


アクリーマが、重さを確かめて。

「これ、下に噛ませる。上に乗せるだけじゃ押さえきれない。土ごと支える形にする」


カービルが、うなずきもせず。

「それでいい、そのまま寄こせ」

石を受ける。カービルが、そのまま押し込みながら。

「流れが速い。表だけ埋めても抜ける。先に芯を止める。それから外を締める」

石が沈む。水が横から漏れる。カービルが、すぐに。

「まだ抜けてる。石の横に道が残ってる。このままだと、全部そっちに持っていかれる」


アクリーマが、次の石を持ちながら。

「向き変える。流れに当てて、逃げる道だけ細くする。その間に土を詰める」


カービルが、足で位置を示しながら。

「もう一つ、ここに合わせろ。高さが足りてない。このままだと上から削られる」


足で踏む。アクリーマが、横から土を寄せて。

「そのまま押して。動かさないで。今、隙間詰める。ここで動かすとまた抜ける」

水が跳ねる。まだ止まらない。アクリーマが、肩の布を外しながら。

「一瞬止める。流れ弱くする。その間に奥まで入れて」

布を当てる。アクリーマが、流れを見て。

「今、落ちてる。今なら奥まで入る」


カービルが、体重をかけながら。

「いい、今だ。このまま押し切る。逃がすな」

同時。石が沈む。土が締まる。水が戻る。一瞬、静か。カービルが、しゃがんだまま流れを見て。

「まだ甘い。右から細く抜けてる。また削られる」


アクリーマが、しゃがんだまま角度を見る。

「見えてる。当たる角度が残ってる。もう一つで切れる。全部止めるんじゃない。逃げる筋だけ消す」


カービルが、低く。

「もう一つ。今の流れにぶつける形でいく」


アクリーマが、石を転がしながら。

「これでいい?重さじゃなくて、当たる面で止める」


カービルが、即座に。

「それでいい、その角度で当てろ。押しつけるな、流れに乗せろ」


アクリーマが石をずらす。半分、流れに当てる。水がぶつかる。流れが細くなる。止まる。


カービルが初めて彼女を見る。一瞬。

「分かってるな。どこで切れば止まるか、もう見えてる」


アクリーマが、手を離さず。

「見てる。全部止めなくていい。抜けるところだけ変えれば、押さえなくても戻る」


水が、元の溝へ。静か。カービルが、そのまま続ける。

「全部ふさぐと崩れる。流れは残す。逃げる道だけ切れば、あとは勝手に戻る」


アクリーマが、小さく。

「うん。押さえすぎると、別のとこが抜ける」


沈黙。カービルが、石に手を置いたまま。

「ここ、押さえとく。今は触るな。土が落ち着くまで動かすな」


アクリーマが、そのまま手を添えて。

「分かった。このまま待つ。水が同じ流れで通るまで、触らないでおく」


同時に水を見る。同じ場所。同じ角度。後ろで声。

「自然だな。ただ並んでるんじゃない。見てる場所も、動かす順も、最初から揃ってる」


別の声。

「言ってないのに、同じとこ見てる」


二人は振り向かない。カービルは、水を見る。アクリーマは、隣にいる。半歩も、ずれない。朝の光。影が、同じ長さで伸びる。


影は、重なったまま、離れない。その並びが、ほどけないまま、時間だけが進む。


昼に近い光。


水場。


水面は、揺れない。


アクリーマは、一人だ。腰を落とし、器を置く。動きは、急がない。慣れた手つき。布を、整える。髪を、まとめる。水に、手を入れる。背後に、影が、落ちる。振り返らない。


アクリーマが、水面を見たまま。

「……みんな、そう思ってるよね。言葉にはしないけど、見方で分かる。何も言われなくても、そこが私の場所だって、最初から決まってるみたいに」


影が、わずかに揺れる。カービルが、立ったまま。

「……何が。どこを見て、そう思う」


アクリーマが、水をすくいながら。

「……私が、ここにいること。カービルのそばにいること。水路でも、畑でも、朝でも夜でも、気づいたら隣にいるのが私で、それを誰も変えようとしない」


器に水を移す。

「……同じ日に生まれて、同じ血を持ってるでしょ。最初から、離れて置かれることがなかったし、並んでるのが当たり前だった」

少し間。

「……だから今も、そのまま続いてるって見られてる。途中で並んだんじゃなくて、最初からそうだったみたいに」


指で、水面をなぞる。

「……誰も“そこ違う”って言わないし、入れ替わる気配もない。だから、このまま続くものとして見られてる」


わずかに息を吸う。

「……今日だってそう。二人でやると速いって、自然だって、最初から決まってたみたいだって。ああいう見方されると、途中じゃなくて、一つで動いてたみたいに扱われる」

少し間。

「……ああいうの、嫌じゃなかった。むしろ、分けて考えなくていいから、楽だった」


カービルの足元で、小石が鳴る。アクリーマが、続ける。

「……ずっと、ああやって並んでやるんだって思われてるなら、それでいい。最初から繋がってるなら、わざわざ切る理由もないし、そのまま続くほうが自然でしょ」

少し間。

「……それに、私がカービルをかばっても、横に立っても、誰も止めない。それって、もう“そういう結び”として見られてるってことだよね」


視線は、水のまま。

「……誰も“違う”って言わないなら、それでいいってことだよね。最初からそうなら、そのままでいい」


少しだけ、息が深くなる。

「……それが、私たちの結びなんだって思われてるなら、それでいい。同じ日に生まれて、同じ血で、ずっと並んできたなら、そのまま続くほうが自然だし、変えるほうが不自然になる」


カービルが、少しだけ視線を落とす。

「……違うと思うなら、もう誰かが言ってるはずだ。見てるやつはいるし、気づくやつもいる。その中で何も出てこないなら、そのままで通ってるってことだ」

一拍。

「俺は、それを止めない。変える理由もないし、崩す必要もない。今のままで回ってるなら、そのままでいい」


アクリーマは、うなずかない。

「……私たちは離れないよね。無理に決めたわけじゃないし、選んだっていうより、最初から繋がってたものが、そのまま続いてるだけだから」

少し間。

「……離れたいって思ったこと、ない。切れる感じもないし、分ける必要も感じない。そのまま続くなら、それでいい」


水面が、わずかに揺れる。カービルは、何も言わない。アクリーマが、最後に。

「……誰も私を正さないってことは、私は間違ってないってことだよね。位置も、やり方も、結び方も、そのままで通ってるなら、それが合ってるってことでしょ」


器を持ち上げる。立ち上がる。振り返らない。影は、重なったまま、伸びている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ