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幕間 多根崎美咲のブログ開設

ブログ開設するだけの話です。

2014年5月25日 22:34

今日は友人の山口涼子とはじめて遊びに出かけた。遊びに出かけたといってもぶらぶらと地元をまわって最終的にカフェで延々と話をしていただけ。それでも、私にとってはあまりないことで、充実した時間だったといえそうだ。思えば私は大学に入ってきた時は、まず何をもってしても四年間だれとも喋らずに一人っきりで過ごそうと、それだけを頼みにつらい高校生活を送ってきたのである。それなのに今は、一般的な大学生としてよく喋る方かどうかは別として、友人も出来、話をする人も出来てしまった。


そもそも私は、孤高の追求の為とか、孤独の研究の為に四年間一人ぼっちで過ごすぞ、と決意していたわけでもない。私が、私自身で考えて、一人でいることが私にとって一番良いことなのだろうと決定づけたことだった。そこに私なりの利益と、そもそもの私自身の性向があって(人と話すことの楽しさよりも、苦しさの方が大きいという)一人でいようと決めていたのだった。しかし成り行き上そうはならなかったのであれば、それはそれで何かことさら問題になるようなことでもない。これは別に誰かに宣言したわけではない、個人的な勝手な考えなのだから。だから問題はない、ないのだが……。


一方で失われたものがあることも確かなのだろうと思う。そもそも、世の中は孤独でいること、一人ぼっちでいる人に対する風当たりが強すぎると思う。アニメやマンガ、ゲームに映画、どれを観たって基本的に「一人ぼっち」でいることはそれ自体が悪として描かれ、「一人ぼっちは寂しいもんな」なんて言って勝手な救済を与えたがる。愛する人を失えば、それを慰めてくれる仲間があらわれる。一人ぼっちで戦う人にたいして、それを支援する仲間があらわれる展開は非常に多い、


私はそうした物語をみるとケッ、と思い、どちらかといえば投げ捨てたくなってしまう。たとえば、一人がそんなに悪いことなのだろうか? 一人ぼっちは寂しいなんて勝手に人の中に寂しさを見出して、救済をしようなどというのは、物凄く傲慢な考えなのでは? いくらかゆずって、仮に一人ぼっちでいるのが寂しいことだとして、寂しいという感情は本当にマイナスのものなのだろうか? もちろんそれだけで投げ捨てていたら、私が楽しめる物語なんかあっという間になくなってしまうだろうけれど、少なくとも心のどこかに引っかかりを覚えるのは確かだ。


私が一人でいたいと思うのは、人といると本が読めないからで、一人でいればずっと本が読んでいられるという、それだけの話だけれども。しかし本を読んでいる時の私は最高に幸せな状態だといえるし、この状態を「寂しい」とか、「孤独だ」と「マイナスの意味」に捉えられると、私としては非常に困ってしまう。私が一人っきりで本を読んで、こうしてその時々で考えたことを延々と文章にしていく過程で起こっていることは、とてもエキサイティングだ。読んだ本同士が頭のなかで関連付け合って、別個の考えが産まれて、またその考えが別の考えを誘発し、そこにまた新しく読んだ本の内容が影響を与えていく……。


とても幸せなプロセスで、そこに他者の介入が必要なのかどうか、はたまたそれはまるっきり無駄なのか、それはまだ私にとっては検討中の課題になっている。仮に一人ぼっちでずっといることになっていたとしても、望んでそうなっているのであって、決してそこにはマイナスの意図はない。しかし、なぜ世の中はこれほどまでに孤独にたいしてつらくあたるんだろう? 考えてみると、私以外の人すべてがそのようにして一人で楽しく過ごせるものでもないだろうなとも思う。そのあたりに鍵があるのではないだろうか。


たとえば、本を読む人も多数派とはとてもいえないだろうし、本をたまに読む人だってずっと読んでいたい、と思う人も稀だろう。私も永遠に一人っきりでいろと言われると、困ってしまうと思う。私の中にも、そうした分裂した感情がある。地下室の手記の書き手のように、私の中でも理性と感情がせめぎ合っている。だけどそういうレベルとはまったく別で、「一人っきりではとてもいられない」という人がいて、きっとそういう人は、一人で時間を楽しく過ごす方法を知らないのだろうと思う。


そして、結局そういう一人で時間を潰す方法を知らない人は、だれか自分と一緒に遊んでくれる人がいなければ困るわけで、遊びにのってくれる人が多ければ多いほど日々を楽しく過ごせるようになるだろう。そうすると、一人ぼっちは寂しい、孤独はいけないことだと多くの人に思い込ませて、つながりを強制したほうが有利になる。問題は、こうした「一人で時間を楽しく潰せない人」が圧倒的に大多数なのであって、だからこそ世の中にはあれだけたくさんの「一人ぼっちは寂しい系」のコンテンツで溢れかえっているのかもしれない。まあ、それ以前の問題として、人が一人っきりで本を読んだり、研究したり、文章を書いたりしてニマニマ笑っているようなのは、どのような意味でもお話として創りがたいという事情もあるのかな。



と、それはそれとして今日の本題はブログ開設にあたって山口さんといろいろ話し合ったところにある。いったん本名を使った『多根崎美咲の読書会』で、実際に私達がやっている読書会のレポートのような形で書いていこうと思ったのだけれども、実際書き上がってみたものを見てみると内輪ネタが多いし、またなんとも恥ずかしいし、私の内面が駄々漏れだしで、ちょっとヒトサマにお見せするようなものではなくなってしまった。じゃあやめればいいか、とも思ったけれども、私はもともとこうして日記を延々と書き続けてしまうのであって、ブログを開設してみたいという気がむくむくと湧いてきていたのだった。


大学の授業は一年目だから必修が多くて大変だけれども所詮文系だからあんまり忙しくないというのもある。週に5日ちゃんと大学まで行ってはいるものの、別にバイトをしているわけでもなし(いずれしなければと思っているけれど……)講義も一日中あるわけでもなし、暇な時間はたっぷりある。暇だからこそいろいろやってみたいなあとも思う。しかし何を書いたらいいのかわからない……それを今回山口さんに軽くLINEで相談したところ、それじゃあ日曜日に遊びにいって話そうかということになった。


彼女はとても不可思議な存在ではある。服装は妖精みたいなふわふわとした感じなのにそれが非常に見た目の柔和さとマッチしているのに、口を開けば理屈が先行していてそれだけでなく感情的な側面も強い。基本的にエネルギッシュで私はいつも彼女の後をくっついていくだけだけど、それがまたいやみったらしくなく引っ張っていってくれるから気持ちが良い。完璧超人かといえばそんなこともなく、英語クラスでの人気ものかといえば、発言が突飛すぎることもあって私と同様ちょっと浮いている方の存在だ。


私自身は彼女のことをほとんど理解できない。孤独に対する考えなんかも、きっと私と彼女では大きく食い違っているのだろうと思う。彼女はよくも悪くも人の発言や意見に頓着しないところがあって、まるでブルドーザーのように我が道をいくのだった。今回は二人の最寄り駅で集合した後、ぶらぶらと服をみたり雑貨をみたり当然本屋もまわり、最終的に喫茶店に入った時には私は慣れない人とのお出かけに大変疲労していたけれども、それでもここからが本題なのである。


私がアイスコーヒーを頼み、彼女はアイスティーを頼む。さすがに休日の四時ぐらいなので混んでいたけれど、なんとか二人が向い合って座れる席につけたのでほっと一息つく。

「いやー人が多いねー」と彼女が言う。

「休日だからねー。そういえば休日って何してることが多いの?」

「まあ、今日みたいに買い物としてこうやって喫茶店にくることが多いかな。それでずっと本を読んでいたり、人と喋ってたりとかね」

そういえば私は全然この人の私生活のことを知らないなあと思う。人付き合いがどうとか。普通はいろいろ聞くもんだろうけど、なんとなく同じ読書会のメンバーで、読書仲間というイメージが先行してしまってそれ以外の部分を聞くのにためらってしまうところがあった。いろいろと謎の人である、いまだに。

「私はあんまりお金がないから喫茶店にはこないかな。本をずっと読んでいるのは同じだけど」

「それができるならそっちの方がいいよ。私は家にいるとどうしても気が散っちゃって本も読めないんだよね」

「それはまあそうかなあ」


「そういえば、中村さんが次回までに何か面白いことを企画しているって言ってたよ、読書会関連で」といくらか他愛もない話題が続いたあとで山口さんが言った。

「面白いこと? どゆこと? ケーキが出るとか?」

「んーどうなんだろうね。その辺の詳しいことは何も聞いていないし興味もなかったからきかなかったけど、少なくともケーキはでないんじゃないかな……。それより私は次が共産党宣言っていうのが気が重いよ。そもそも、買えた?」

「図書館にいったら借りられてたからしょうがなく古本屋で探してきたよ。あれすっごい薄いね。あっという間に読んじゃった」と私。

読むのは一瞬だったけれど、何がなんだか全然わからなかったので読みなおす必要を感じていたけれど。

「私も借りられなかったんだよね。あんなもん今どき借りる人がいるんだ? って思ったけど。意外と中村さんが先に借りたのかもだけどね。」

「村上春樹、ドストエフスキーときていきなり共産党宣言だからねえ……。古典ばっかりだけど、新しい作品はやらないのかな?」

「たとえば、ライトノベルとか?」

「ライトノベルって読む?」山口さんはライトノベルはあまり読まなそうだ。

「ライトノベルは全然読まないかなあ」やはり

「私は結構読むよ。といってもほとんど図書館で借りられるちょっと古めのやつだけど」

「いまって読書してます! って言うから話があうかな? と思って聞いてもライトノベルしか読まなかったりするから、趣味が読書でも溝が深いよね〜。なにか面白い作品ってあるの?」

「うーん、どうなのかな。ライトノベルってけっこうお話のお約束っていうか、前提とするところみたいなのがあるから傾向も知らずにいきなりオススメするのってけっこう難しいかも。SFからファンタジー、現代物までいろいろあるし」

「まあそうだよねえ。いいよいいよ、聞いてもどうせ読まないし。それよりブログの話はいいの?」


話しているうちにすっかり忘れていた。これを相談したくてわざわざ会ったというのに。

「ああ、そうだった。ブログの話なんだけどさ、何を書いたらいいのかなって思って。最初は読書会を会話帳にして議事録っぽい感じで載せようと思ってたんだけど、ちょっと内輪ネタすぎるなあと」

「まあ、内輪そのものだからねえ……あれをそのまま使うのはけっこう難しそう。普通に書評? 感想? ブログじゃダメなの?」

「感想ブログってなんか同じようなのがいっぱいない? 書評っていうほどちゃんとしたものが書けるとは思えないし、尻がひけちゃうんだよね」

「それはまあわかるけどねー。別に同じようなものでもいいような気がするけどなあ。じゃあもう普通に日記ブログとかは?」

「TwitterかFacebookに書いているからわざわざブログに書かなくてもいいかな。」

この日記を書いていることは彼女には言っていない。特に秘密にしているわけでもないのだから、別段読ませるわけでもないのだから積極的に書いていることをアピールすることもない。過去に書いていることをぽろっと言ってしまったばっかりに、執拗に読ませて読ませてとせがまれて嫌になってしまった過去からきた教訓だった。

「う〜ん、それ以外っていうとなんだろ? 普通は興味のある領域とか、日記とかについて書くもんなんじゃないの? 興味のある領域って言ったら本でしょう? 堂々巡りみたいになってきたなあ」山口さんが多少うんざりしてきたように言った。彼女はこの辺の感情表現がストレートだなあと他人事のように思う。

「やっぱりせっかく読書会をやっているんだから、読書会っぽさを活かしたいなとは思っているんだけどね。せっかく読書会で他人の意見を聞く機会があるんだから、もし何か書くとしてもそのわいわいとした、人の考えが途中から挿入されてくるような感じが出したいっていうか」

「読書会っぽさねえ。なんだろ、それじゃあ架空のキャラクタになりきってそれがお芝居するような感じで書いたら? フィクションとしての読書会っていうかさ」

「それは面白いけど架空のキャラってのはちょっと……Twitterのなりきりアカウントみたいな感じ?」

「あそこまでとはいわないけど、なんかかけあいみたいな感じで書いているブログとかあるじゃん? ちょっと具体例は今思いつかないけど」

なんとなく想像がつくにはついた。

「だいたい私、キャラクタになりきるなんて無理なような気がする……これはやっぱ辞めよう」

「じゃあもう小説のようにいろんな人間を登場させて、読書会小説みたいな感じで書いたら? どんな本も読書会形式で感想を書いていくのさ。別に私達が読書会やったわけじゃなくてもね、フィクションなんだから」と話しながら山口さんはテンションが上がってきたのか身を乗り出すようにして語っている。

「なんかそれは面白いかも」だいたい私が書いている日記自体すでに小説のようなものなのだから、親和性も高そうだと思った。

「でしょう? だいたいさ、村上春樹の小説にせよドストエフスキーの小説にせよ、人によって読み方がだいぶちがうじゃん?」

「まあ、そうだね。地下室の手記も最後みんなぜんぜん答えが違ったし」と私。

「そうなのさ。だからさ、私もたまにしか評論家の書いたものなんて読まないけど、ああいうのはなんか違うなって思うわけですよ」

「?? どういうこと?」

「う〜ん、たとえばさ、進撃の巨人って読んでる?」

「読んでるよ」

「あれにみんなの住んでるところを覆うでっかい巨大なカベが出てくるでしょ。あれをさ、たとえば「システムである」みたいに論じていくのって、たしかに一解釈としては正しくても、実際はいろんな読み方、解釈の当てはめ方があるわけでしょう。日本で読むのも違うし、台湾の人が読むのも違うし、アメリカの刑務所に読んでいる人が読むのもたぶんあのカベには違うものを読み込むと思うんだよね」

「それはそうだろうね。台湾の人もなんか今、政治的に大変な状況だって言うし。刑務所の人が読んだらこのカベは今まさに自分たちを囲っているカベだと思うかもしれないしね」

「そうそう、結局そういうのって「AはBだ!」みたいに言い切っちゃうと途端につまんなくなっちゃうじゃんで、評論家様の文章はどっちかっていうと決めつけるのが仕事みたいなところがあるじゃん?」

「私はあんまり読んでないからよくわかんないけど、まあイメージとしてはそうかな」

こう答えながら過去に何か評論家の文章を読んだことがあるかと記憶をたどっていたけれど、一冊も読んだことがなかった。でもイメージとしては、そんなところなのは間違いがない。

「だから、私が思うに本当に読むことを総体的に捉えようと思ったら、やっぱり台湾の人の意見だとか、刑務所の中にいる人の意見だとかをこうやって寄せ集めてこなくちゃいけないんじゃないかなとね、考えるわけですよ」

「なるほどねえ。でも実際にはいくらでも読み方はあるわけで、全員集めるのなんて絶対無理なんじゃないの? 理想論っていうか、夢物語っぽい気がするけどなあ」

「あのねえ、今ブログの話してたんでしょうが! だから、そういう架空の読みの視点を導入して、あんたが読書会っぽくして書けばいいんじゃないの? 別にすべての視点を書けなんていわないからさ。視点としては2つでも3つでもいいんだし。そしたら書評でも感想でもなく、読書会っぽいけど私達の読書会を使わないもんができるでしょう? 」なかなか面白いことを言ったぞ、みたいに自慢気に山口さんが言った。自慢気な顔はなかなかウザかったけど、言っていることは面白い。

「そうだった。でも書けるかなあそんなの。いろんな人の視点を想像して書かなくちゃいけないんだよね? それ、もういっそのこと山口さんが書いたほうがいいんじゃない?」

彼女の方が私よりよほどうまく書けると思った。私は文章をたくさん書くのは得意だけど、誰にも読ませないことが前提だからウマく、読ませるように書くのはとても苦手なのだ。

「大丈夫大丈夫。サンプルならいくらでもいるでしょう? 読書会にさ。私とか出山先生をキャラクタとして出しちゃえばいいんだよ。それに私、文章書くのなんかレポートで手一杯だし。そんなの書いている暇あったらレポートを書くよ」

「私はレポートは特に問題じゃないかなあ……」

「ほら、書くのが得意なんだから、書けばいいのさ。多根崎美咲の読書会──は本名が出ててダメだっていうんなら、じゃあ「地下室の読書会」でいいんじゃない? なんか不健康そうな感じがしてさ」飲みきった後の氷をガリガリと噛み砕きながら山口さんが言った。

「前向きに検討してみます……」


と話がまとまったところで席を立ち、家路についた。考えてみれば彼女の提案はなかなかおもしろく、やりがいがあるように思える。地下室の読書会はあまりにもタイトルが安直すぎるというか、暗い雰囲気で嫌な気がするけれど、かといって他に特にいい名前も思いつかなかったので、既に出来上がっていた「多根崎美咲の読書会」の名前を変更して、この前読み終えたばかりの『地下室の手記』読書会形式日記を書き始めるのであった……。うーん、うまく書けるんだろうか?

孤独についての話は森博嗣さんの『孤独の価値』が種本。

批評家全般をろくに防御もしないでディスってますが、

ここで書かれていることは当然書き手の私個人の意見とは同じではありません。

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