因果の果てのブラックホールスイングバイ
「上様、ここってどこなの?」
上様は隣の席で宇宙船を操縦していた。のん気に鼻歌なんぞを歌いながら。僕は目の前に広がる圧倒的な虚空の中に、道標を見つけようと必死に目を凝らしていた。
「まあ、地球からざっと1万光年離れた辺りですかね」
平然とした顔でそう答える上様から視線を外すと、僕は再び虚空に目を遣った。僕らがどこに辿り着こうと、今の僕が人生の迷い子である事実は変えようがないのだから、せめてもっともらしく道に迷っていたい。だから、それなりに説得力のある道標が見つかる事を、少しばかり期待した。
しかし目の前の虚空は、僕に何の道標も示してくれなかった。仕方がないので、今日がいつだったか思い出そうと、僕は記憶をまさぐり始めた。
ようやく甦った記憶によれば、あれから半月近く、地球は既に8月下旬になっていた。ロズウェルさん達と初めて会った7月中旬から、まだひと月余りしか経っていなかったし、会った回数も3回に過ぎなかったが、まるで古くからの知り合いのように、その存在感が僕の心を大きく占めていた。もっとも存在感で言えば、上様の方が更に輪を掛けて巨大なわけだが。
そして前回の去り際、ロズウェルさんが言い放った通り、今日、満を持しての再開と相成った。僕と上様が乗り込んだこの宇宙船は、ロズウェルさんとエクスカリバーさんが乗る巨大フラーレンと対峙すべく、地球を遠く離れてこの地までやって来た。
「由美ちゃん、夏休みの自由研究大丈夫かなあ? 忘れてたっ! って、何か思いっきり慌ててたけど」
「心配には及びませんよ。ゲルが付いてますから。何しろ、ゲルは薀蓄と自由研究の鬼ですから」
今回、宇宙船には僕と上様だけが乗っていた。蝉の声がけたたましく鳴り響く地球にゲルさんを置き去りにして。
「ツングースカをよろしく頼む」
そう言ったゲルさんにがっしり掴まれた両肩の重さが、地球の重力から遠く離れた今も何故か残っていた。
「それより、いいんですか、由宇作?」
「上様と一緒なら」
両肩に残る重さに背中を押されるかのように、僕は上様の目をじっと見つめた。
「そんなにじっと見つめたって、何も出ないんですからねっ」
上様が頬を真っ赤にして言い放った。その手を僕の指先にそっと添えながら。
それがままごと遊びだとしても
僕はきっと忘れない
喧騒と溜息にまみれたグダグダな日々を
肩を寄せ合いながら眺めた夕暮れを
いつかは終わる仮初めの日常が
やがて足跡も残さず消え去って
売り物にもならない魂だけが
知る者のいない物語の語り部となっても
賞味期限の切れた絶望感だけが
朽ち果てた希望の存在証明となっても
確かに存在した日々は
宇宙の彼方で不敵に微笑んでいるはずだから
添えられた手に指を絡ませながら、僕も上様同様、宇宙船の遥か前方を固唾を飲んで見守った。ロズウェルさん達との最後の勝負が間もなく始まるであろう、虚空の彼方を。
「行きますよ、由宇作」
「上様、いいの?」
「何がですか?」
「超銀河郵便連盟護衛艦隊にハッキング仕掛けて、偽情報ばら撒いたんでしょ? この場所でのロズウェルさん達との勝負を悟られないように」
「構いませんよ。いずれにしろ、のこのこ出張られたところで足手纏いに過ぎませんから」
宇宙最強の戦艦、神々の黄昏号を以ってして足手纏いと言い張る上様の神経に、いつもの事ながら僕は舌を巻いた。
そう、結局彼女はいつものままだった。彼女は相も変わらず山田ツングースカのままだ。その生まれがどうあれ……
虚空の彼方を見つめたままの僕の脳裏に、昨夜の上様との会話が浮かんだ。
「言いましたっけ? 私がクローンだって」
昨夜、ベランダで星を眺めながら缶ビール風のアルコール飲料を飲んでいた時、上様が隣でいきなりこんな事をのたまった。
「何? いきなりクローンだとかって?」
「あれ? 言ってなかったですかね? じゃあ仕方ない、今から説明しますか。実は私、クローンなんですよ、ある人物の」
「まさか! その人物ってロズウェルさん?」
「それは流石にありませんよ。だいたい私は、あの娘より5つも年上なんですから」
「じゃあ、ロズウェルさんの母親?」
「微妙に惜しいですね」
「まさか! ロズウェルさんの父親とか? ……って、流石にないか、それは」
「それも微妙に惜しい!」
「えっ?」
「ロズウェルの両親がいとこ同士なのはご存知ですよね?」
「あっ! そう言えば! なら二人の共通の先祖か……分かった、ロズウェルさんの曽祖父! って、それはないか。むしろ曽祖母?」
「あ~あ、折角いい線行ってたのに」
「え?」
「ちょっと変な方向にずれちゃいましたよ」
「変な方向って? ロズウェルさんの両親がいとこ同士なんだから、共通の祖先と言えば、ロズウェルさんの曽祖母でしょ?」
「それじゃ行き過ぎなんですよ」
「行き過ぎって? ロズウェルさんの祖母って事? でもそれじゃ……何か頭が混乱して来た……」
「う~ん、仕方ない! もうちょっと焦らしても良かったんですけど、答教えちゃいますか。答は曽祖父の母親、つまりロズウェルの高祖母、つまり、一代で宇宙有数の宇宙セレブにまで成り上がった高祖父の、つれあいです。ちなみにロズウェルは彼女にそっくりなんですよ。ほぼ生き写しと言っていいくらいに」
「高祖母! じゃあ上様は、ロズウェルさんの高祖母のクローンって事? だからロズウェルさんとそっくりだと?」
「いいえ、違います」
「え?」
「まあ正確に言うと、ロズウェルの高祖母も私と同じクローンだって事です。とある人物の」
「え? どういう事?」
「まあ、事情がかなり込み入ってるんですが、その昔、英雄がいましてね。私もロズウェルの高祖母も、その人のクローンなんですよ」
「??? つまり……?」
「つまり延々と茶番を繰り広げてるって事ですよ。超銀河郵便連盟は」
「超銀河郵便連盟? えっ! 超銀河郵便連盟が何か関係あるの? 上様がクローンだって事と?」
「大ありです。だってそのオリジナルの人って、かつて超銀河郵便連盟護衛艦隊の総司令官だった人ですから」
「護衛艦隊総司令官!」
僕は驚きの声を漏らした。よりによって隣の猫耳メイドが、最強の宇宙艦隊総司令官のクローンだとは、流石に予想だにしなかったからだ。
「そのオリジナルの人は、神々の黄昏号の艦長も兼任して……あっ、護衛艦隊総司令官は、旗艦神々の黄昏号の艦長も代々兼任してるんですけどね、……それでその人は、ある戦いで大活躍したんですよ。それで英雄と称えられまして」
「そのある戦いって?」
「まあ、銀河帝国との戦いです」
「銀河帝国! って、存在したの、銀河帝国って?」
「存在しましたよ。遠い昔にですが」
「あれっ? でも変じゃ? だって超銀河郵便連盟って、政治的には中立なんでしょ? 銀河帝国と戦っちゃって、政治的にまずくなかったの?」
「まずかったですよ、勿論。超銀河郵便連盟史上、政治的に一番まずかった事態ですから。そしてそれ故に、彼女は英雄と呼ばれ、後に彼女のクローンが、何世代にも渡って作られ続けるという茶番が、延々と繰り広げらる結果となったんです」
「どういう事?」
「早い話が、無断で戦ったんですよ、彼女は。超銀河郵便連盟に無断で、護衛艦隊を率いて銀河帝国に喧嘩を売ったんです」
「えっ! いいの、そんな事して?」
「勿論まずいですよ。規約に完全に違反してますから。でもやっちゃったんですよ、彼女は。おかげで銀河帝国の脅威にさらされていた人達や、護衛艦隊の隊員達からは英雄視されましてね。これには超銀河郵便連盟も、彼女の処遇に頭を痛めまして」
「でも超銀河郵便連盟って、英雄だからって、規約違反見過ごすような組織じゃないんでしょ? だってそんな組織なら、僕のところにわざわざ手紙を届けたりしないで、今頃うまく揉み消してるだろうし」
「鋭いですね、由宇作。当然、上層部は、規約を厳格に守り、政治的中立を貫こうとする立場から、彼女の処分を強く主張しました。しかし、護衛艦隊内から猛反発が起きましてね。そもそも政治的中立に固執した、超銀河郵便連盟の不干渉主義こそが、銀河帝国を増長させたんだろうと。不干渉主義などさっさと放棄して、銀河帝国のような存在は、小さな芽のうちに摘んでおくべきだと。それが超銀河郵便連盟護衛艦隊の、この宇宙における大いなる役割だと。銀河帝国の悪夢が覚めやらぬ中、世論もそんな声に同調し始めましてね。これには当時の上層部もほとほと困り果てたそうです」
「超銀河郵便連盟にとって、不干渉主義ってそんなに大事なの?」
「ゲルから聞きませんでしたか? 予期せぬカルチャーショックによって、数多の星が滅んだ歴史を」
「あっ! そう言えば! ゲルさんが前にそんな事言ってた!」
「超銀河郵便連盟にとって、不干渉主義は、規約第3条は、どうしても譲れない一線なんですよ。一方で、不干渉主義を放棄しろとの声は、日増しに大きくなって。板挟みになった上層部は、ほとほと困り果ててしまったんです。そんな矢先、皮肉にもそれらの声を抑え込んだのが、英雄である彼女だったんです。だからこそ必要とされてしまったんですよ。不満を抑え込んで、不干渉主義を貫く為に、英雄がいつまでも存在し続ける事を。それが私達クローンの、事の始まりです」
私は唯、この茶番をさっさと終わらせたいだけだ。……あの時のロズウェルさんの言葉が、僕の脳裏に甦った。
「だからロズウェルさんは、超銀河郵便連盟護衛艦隊に喧嘩を売って、最強を証明しようと? その為に、超多重シールドを開発したって事?」
「あの娘、昔よく言ってたんですよ。護衛艦隊が最強の座から陥落してしまえば、英雄を必要とするなんて茶番は、もはや無用になるって。その為には、誰かが護衛艦隊を打ち負かしてしまえばいいって。その誰かに、自らがなろうとしてるんじゃないでしょうかね……」
遥か遠くの星空を、懐かしそうに眺める上様の横顔が、ほんのり赤く染まっていた。
「……なんか、本当の姉妹みたいだね、上様とロズウェルさんって」
「セレブの食べてる珍しいおやつをちょいとばかり頂こうと。ただそれだけのつもりだったんですけどね……」
呟くように上様は言うと、アルコール飲料をゴクリと一口、飲み込んだ。
「私が10歳になるかならないかの頃、ロズウェルの家に侵入したんですよ。あの家は、生体認証とパスワードを組み合わせたセキュリティーシステムだったんで、彼女の高祖母と同じクローンである私は、ちょっとしたハッキングで簡単に侵入出来ちゃいましてね」
「てか、その頃からハッキングやってたの? 上様!」
僕は呆れた顔をした。
「そんなのお茶の子さいさいですよ。伊達に英雄となるべく英才教育、受けてないですから。まあそれは横に置いときまして。当時、彼女の両親も祖父母も他界してましてね。生き残っていた肉親は、あの家の二代目当主だった曽祖父だけでした。もっともその曽祖父も仕事で手一杯で、ロズウェルと顔を会わせる機会すら、殆ど無いような状態でしたが」
「確か事故で亡くなったんだっけ、ロズウェルさんの両親って」
「両親はもとより、祖父母も事故で亡くなってるんですよ、あの一族は。何しろ冒険好きな一方、やたらプライドが高い一族ですから。だから皆冒険の途中、事故で命を落としてしまいましてね。結局、当時生き残っていたのは、ロズウェルと曽祖父だけだったんです」
「上様が10歳になるかならないかの頃って事は、ロズウェルさんは当時5歳くらい?」
「そうですね。今と違って、素直で泣き虫で甘えん坊で、とってもいい子だったんですけどね」
当時を思い出しているのか、それとも、単に酔いが回っただけなのかは、分からない。いつにも増してデレデレ顔の上様から伝わる体温は、僕をもなぜか懐かしい気分に誘った。
「お菓子目当てに侵入した私に、やたら懐いちゃいましてね。これはいいカモを見つけたと思って、それ以来、あの家に何度も侵入してたんですよ。なのにあの娘ったら、そんな私の後ろをちょこまかと、よくまあ追いかけて来ましてね。いっつもお姉様って叫んで、終いには半べそかきながら。ほんとっ、世話の焼ける娘でしたよ」
迷惑そうに肩を竦めて見せたものの、その顔は懐かしそうな笑みがいっぱいに広がっていた。
僕の肩に頭を預けて、枕代わりにしようとする図々しい上様に、少しだけ迷惑そうな素振りを見せると、僕は夜風にさらされている彼女の肩にそっと手を添え、もう一方の手に持ったアルコール飲料を飲み干した。そして遥か遠くの星空を、なんだか懐かしい気持ちで眺めていた。
そして今、根無し草のように頼りなく漂う、全長20メートル程の宇宙船の中で、僕らは互いの指を絡ませたまま、遥か前方で視線を交わらせていた。虚空の彼方から威風堂々と姿を現した巨大フラーレンに、焦点を合わせるように。指先から伝わる鼓動が、その時が近い事を僕に告げていた。
「じゃあ行きますか、レールガン過冷却モードを多連装式で」
「……って! 多連装式?」
僕の記憶に間違いがなければ、この宇宙船には多連装式レールガン過冷却モードは、装備されていなかったはずだ。
「どっから持ってきたの、多連装式なんて? そもそも多連装式って宇宙艦隊用の装備でしょ? この宇宙船のカシミアエンジンでそんなの使えるの?」
「あっ、それなら心配いりませんよ。何しろこの宇宙船、神々の黄昏号のミニチュア版的な設計になってますから。だから多連装式なんてお茶の子さいさいなんですよ。実際、私がこの宇宙船支給された時、標準装備で多連装式も付いてると思ってましたから。ところがどこを探しても見当たらなくて。てっきり付け忘れかと思って指摘したら、そんなもん付けるわけないだろって。失礼しちゃいますよね。だから言ってやったんですよ。宇宙では何が起こるか分からないんだから、付けとけば、郵便配達の途中で、例え暗黒の大王に出くわしたって、全く問題なく手紙配達出来るって。備えあれば憂い無しって言うじゃないですか。そしたら馬鹿も休み休み言えって。全く、ケチ臭いったらありゃしませんよ。そういうわけで先日、護衛艦隊の知り合いに頼んで、メンテナンス中の艦の多連装式のユニットを、ちょいとばかり拝借して貰ったって寸法です」
確かに先日、上様は丸一日どこかへ出掛けていた。急用が出来たとは言っていたが、どうせユニバーサルランドにでも遊びに行ったんだろうと、僕は勘ぐっていた。一年間有効のフリーパスをバミューダ虎夫から手に入れたと、いつだったか自慢していたからだ。
「まあ、護衛艦隊のドックまでは、超光速航法でひとっ飛びだったし、ユニットの取り付けも思ったより早く終わったんで、後はさっさと地球に帰って来て、ユニバーサルランドで暫く遊んでたんですけどね」
まあ僕の読みは、案の定当たってはいた。
そして僕らは今、虚空の彼方を必死で逃げ回っていた。
「てか全然役に立たなかったじゃん! 多連装式!」
「そりゃ当然ですよ。多連装式が通用するのは、多重シールドまでですから。超多重シールドに全く歯が立たないのは、分かりきってた事じゃないですか」
「分かりきってたのに、何で多連装式のユニット取り付けたの?」
「いや、何となく雰囲気出るかと思いまして。良く言うじゃないですか。何事も形から入る事が重要だって。ビジネスマナー講座で教わりませんでしたか?」
「てか上様、ビジネスマナー講座いつもさぼってたって、ゲルさん言ってたけど」
「知ってますか、由宇作? 宇宙の辞書にビジネスマナーなんて言葉は、存在しないって事?」
少なくとも、上様の脳内の辞書には存在しないって事は、十分理解出来た。
「ところで由宇作、いい話と悪い話の、どっちを聞きたいですか?」
「出来ればいい話を。それで出来れば、悪い話は全く聞きたくないんだけど」
「そうですか、ではご要望通り悪い話から」
「えっ? 僕はいい話からって言ったはずだけど」
「由宇作、広い宇宙では、いい話も悪い話も全て心の持ち様なんですよ。私と一緒にいられて由宇作が幸せだって思えば、どんな最悪な状況だって、いい話になっちゃうんですよ。お分かり?」
「つまりそれって、今が最悪の状況だって事?」
「流石、あいかわらず鋭いですね、由宇作。このまま行くと、シュヴァルツシールドの効果、ほとんど消えちゃいそうです」
シュヴァルツシールドの効果が消える。それはつまり最後の砦が消えるという事を意味していた。なぜなら僕らは今、シュヴァルツシールドによって、巨大フラーレンからの攻撃をかろうじて防いでいたからだ。
「でもなんで? 多連装式なんて使っちゃったから?」
「それは全く問題ありませんね。多連装式使ったからって、シュヴァルツシールド使えなくなるような柔な作りじゃないですから、この宇宙船は」
「じゃあなんで?」
「前に言いませんでしたっけ? グラビトンが濃くなると、シュヴァルツシールドの効果が低下しちゃうって?」
「あっ! そう言えば! ……でもそれって、ブラックホールの近くじゃないと……って、まさか! 近いの? ブラックホール!」
「そのまさかです、由宇作。あとほんの目と鼻の先でブラックホールですから。参りましたね、こりゃ」
『前門の狼後門の虎』とはよく言うが、まさかこんな宇宙の彼方でそんな状況に陥るとは、流石に予想だにしなかった。
「さて、ピンチと言えばピンチなんですが、さっきも言いましたよね、由宇作、いい話も悪い話も全て心の持ち様だって。……ということで一つ質問ですが、由宇作、ブラックホールスイングバイって聞いた事あります?」
そう尋ねた上様の顔は、気のせいか、ニヤっと笑っていたように見えた。
「無い! 無いけど……とてつもなく嫌な予感はする!」
その返答に、今度はハッキリと笑顔を見せた。今まで何度も見せ付けられた、あの魔性の笑顔を。
「ペンローズ過程って聞いた事あります?」
「確か……回転するブラックホールから、エネルギーを取り出す方法じゃなかったっけ?」
「回転するブラックホールでは、シュヴァルツシルト半径の外側にエルゴ球という楕円の領域が出来ましてね。詳しい説明は端折りますが、エルゴ球内部で物をブラックホールに向けて落っことすと、その反作用でブラックホールからエネルギーを得る事が出来るんですよ」
「そう! 確かゴミ問題とエネルギー問題を一挙に解決出来るんだったよね」
「実現出来ればの話ですが」
「実現出来ないの?」
「これだけオーバーテクノロジーが発達してても、技術的に厄介なんですよ。ある意味、超多重シールド以上に実現困難な技術ですから」
「超多重シールド以上! でも実現した人はいるの? 超多重シールドみたいに」
「いませんね、未だかつて。ただ、似たような事だったら実現した人はいます」
「誰?」
「私のオリジナルです。かつて銀河帝国との最終決戦にて、超多重シールドを身に纏った帝国の最終兵器を沈めたその技こそが、ブラックホールスイングバイです」
「上様のオリジナルが! ……で、そのブラックホールスイングバイって、一体どんな技なの?」
「エルゴ球はブラックホールの回転に伴って回転している、楕円形の時空の領域なんですが、その回転方向と逆向きに動こうとすると、一番速度の遅いエルゴ球の外縁部であっても、光の速度が必要になります。それ未満の速度の物体は、全てエルゴ球内部に引きずられてしまうんですよ。つまりエルゴ球外縁部で、内部の時空に引きずられずに生き残っているのは、全て光の速度を持った物体って事です。これが何を意味するかお分かりですか? 由宇作」
「それってヒッグス場の干渉受けたら?」
「勿論、減速されてエルゴ球内部に引きずり込まれちゃいますね」
「つ、つまり過冷却モードの物体?」
「正解です、由宇作。つまりエルゴ球外縁部には、過冷却モードの素粒子が大量に分布していましてね。この過冷却モードの素粒子に宇宙船が干渉した場合、うまく行くと宇宙船そのものが過冷却モードに変身します。ブラックホールからエネルギーを貰って一時的に相転移出来ちゃうんですよ、うまくやればですが。これがブラックホールスイングバイ。今のところ、この宇宙で超多重シールドを打ち破れる唯一の方法です。そして今現在、私にしか使えない技です」
上様にしか使えない技。そして超多重シールドを打ち破れる唯一の技。最強の宇宙艦隊を足手纏いだとほざくだけはある隣の猫耳メイドに、この宇宙が課した宿命の重さを今、あらためて感じた。時折僕が抱きしめるその肩の温もりは、そんな重さを感じさせないほど優しく温かかった事を思い出しながら。
「あの一族も、恐らくロズウェルの代で終わりなんでしょうね」
ブラックホールへ向かう中、上様が呟くように言った。
「どうして?」
「あの一族が超少子化なのはご存知でしょう? まあ、訳ありアパート程ではありませんが」
「そう言えば! だからロズウェルさんが全財産を引き継ぐ事になったんだっけ?」
「私達クローンは、本来子孫を残せないんです。オリジナルのたっての希望で。クローンが子孫を残す事で、その子孫までもが茶番に付き合わされるのは酷だって事で。その為にオリジナルは、自らの体に遺伝子操作を施したんです」
「でもロズウェルさんの高祖母は!」
「彼女だけは、偶然の例外ってやつです。まあ、遺伝子操作の効果も100%ってわけじゃないですから。もっとも後にも先にも、例外は彼女だけですが……」
そう言って上様は、優しく微笑んだ。僕は何も言えないまま、絡ませた指をぎゅっと握り締めた。
「例外だったとは言え、遺伝子操作の本来の影響は、代を重ねるにつれ大きくなって来ますから。だからロズウェルも、恐らく私と同様…………由宇作、カンブリア大爆発って知ってます?」
「えーと……確か、カンブリア時代に、奇妙奇天烈な数多の生物が出現した、言わば進化の大爆発だよね?」
「そして奇妙奇天烈な生物達の多くはやがて絶滅し、現在の地球上の生物の祖先だけが生き残りました。でも絶滅はしちゃいましたが、確かに存在しました。奇妙奇天烈な数多の連中が、まるでお祭り騒ぎのように。何だか訳ありアパートに似てると思いません? 奇妙奇天烈で、でも子孫なんか殆ど残せない超少子化で、飲み食いどんちゃん騒ぎの異文化交流が大好きで……」
上様の精一杯の薀蓄と微笑みに
「貧乏人の子沢山なんてのは、過去のユートピア幻想に過ぎないって事じゃないですかね」
いつかの彼女の言葉が脳裏に浮かび上がった。あの時の彼女の冷めた笑顔と共に。
「それじゃあ名残惜しいんですが、我がパーティーグッズともここでお別れです」
「どういう事?」
「さっき言ったじゃないですか。ペンローズ過程はブラックホールに向けて物を落とす事で、ブラックホールからエネルギーを得る方法だって。だからパーティーグッズを落っことすんですよ。反動でエルゴ球外縁部に分布する過冷却モードの素粒子を叩き起こして、相転移を受ける為に。つまりブラックホールスイングバイの始まりです!」
上様は魔性の笑顔を満面に浮かべると、ブラックホールに向けてパーティーグッズを落下させるべく、荷物室のハッチを開く準備を開始した。
「まあ、タイミングを一歩でも間違えると、相転移を受けるどころか、過冷却モードの素粒子にこの宇宙船おしゃかにされて、ブラックホールに向けてまっしぐらって事になるんですけどね!」
「えええ!!!」
「怖かったら手をぎゅっと握ってていいんですよ?」
「そうさせて貰うよ!」
ブラックホールの重力に負けないぐらい強く絡め合った指を互いの道標に、僕らは間近に迫った因果の果てにその存在を見せつけるかのように、心を重ね合わせた。今の僕らは宇宙で一番はた迷惑なバカップルだったに違いない。
「あたしゃしがない郵便配達員~ ピンチの時はブラックホールスイングバイで切り抜けちゃったりしちゃいます~」
ドップラー効果もキャンセル出来るらしいこの宇宙船内に、相変わらず調子っ外れの鼻歌が響いた。
それはあっという間の出来事だった。過冷却モードの素粒子の干渉で、自らも過冷却モードへと相転移した僕らの宇宙船は、ブラックホールをUターンすると、遥か前方に威風堂々とそびえる難攻不落の要塞を、まさしく光陰矢の如く突き破った。立ち塞がり無限に再生する幾重もの壁をものともせずに……
「しかし困ったものですね。愛は万能だとか思い込んじゃってる人が多くて。愛情なんて苦痛を多少やわらげる程度にしか、役に立たないってのに」
通常モードに戻った宇宙船の中で、上様はこんな事をのたまった。
僕らの宇宙船は再びUターンすると、もはや裸同然で浮いているだけの巨大要塞めがけて突き進んだ。
「それでも、苦痛が多少やわらぐだけで救いになる事もありますから、皮肉な話なんですけどね」
上様はそう言ってにっこり微笑むと、巨大要塞内部に宇宙船を強制着陸させた。
巨大要塞を構成するホログラムは、至る所で蜃気楼のように浮かんでは消えている有様で、その命運が風前の灯だという事は、もはや火を見るより明らかだった。
「居住スペースを構成しているホログラムだけが、ぎりぎり機能しているってところですね」
そう言うやいなや、上様は目の前の扉をツングースカ十六文キックで開け放った。
そして前方のツインテールの猫耳メイドに向かって
「ロズウェル!」
そう大声で叫ぶと、一目散に駆け寄り、手に持ったハリセンを大きく振り下ろした。
「お姉様ぁぁぁ!」
大声で泣き喚く声が途端に部屋中に広がった。
そんなロズウェルさんを上様は思いっ切り抱きしめると、自らも大声で泣き始めた。泣きながらロズウェルさんの頭を優しく撫でていた。
宇宙の彼方で立ち往生している巨大要塞の残骸の中で、二人の姉妹の泣き声が共鳴していた。
「お姉様……私、お姉様に……この茶番から……自由になって欲しくて……誰よりも自由なお姉様に、本当に自由になって欲しくて……だから私……」
上様の目をじっと見上げ、何度も言葉を詰まらせるロズウェルさんの頭を優しく撫でると
「あなたが私の為に、誰よりも高みに上る必要なんてないんですよ。だって私、誰よりも遠くへ行けるんですから」
上様は涙と鼻水でくしゃくしゃの笑顔を輝かせた。
「大変だよ!」
アパートの中庭のテントで昼食の準備をしていると、遠くから由美ちゃんの声が聞こえた。
確か今日は二学期の始業式だったはず。もう学校が終わったのかと思い、声のする方に顔を向けると
「大変だよ、由宇作お兄ちゃん! 天下の一大事だよ!」
恐らくはどこかの大魔王の影響と思われる口ぶりで、手を大きく振りながら僕の視界に迫って来た。
「って、何してるの? 由宇作お兄ちゃん」
「冷やしかた焼きそば大会を急遽始める事になってね」
僕は事の成り行きを由美ちゃんに説明した。例の如く、例の大魔王がいきなり言い出した、冷やしかた焼きそば大会なるイベントについて。
「相変わらず大変だね、由宇作お兄ちゃんも」
小学校3年生の少女に、上から目線で同情されてしまうのも如何なものかと思うが、結局あの大魔王とのままごと遊びがまだまだ続く事になった僕にとって、それは甘んじて受け入れなければならない宿命なのだろう。
「あっ! それより大変だよ! 今日から新しい先生が来たんだけどね、それが……」
「細川由美、宿題もせず、こんな所で油を売っていても良いのか?」
急に現われたその人物に由美ちゃんはビクッとすると、急に背筋を伸ばし、大きな声で
「はい! 麻布十番ロズウェル先生!」
今まで見た事もない真面目な顔で返事をすると、すっ飛んで家へ戻った。
「てか、良く小学校の先生になれましたね?」
僕はゴスロリ姿の目の前の宇宙セレブに、まじまじと尋ねた。彼女のかぶる黄色いヘルメットには、相変わらず『革命』と大きく書いてあった。
「ふん! 私のハッキングの腕を以ってすれば、このような芸当は朝飯前だ」
あの日、崩壊する巨大フラーレンから僕らの宇宙船に乗り込んだロズウェルさんとエクスカリバーさんは、この訳ありアパートでほとぼりが冷めるまで暮らす事になった。
超多重シールドを開発し超銀河郵便連盟護衛艦隊に喧嘩を売ろうとした事が、流石に宇宙でも大きな問題になったらしい。一部には強硬論も出たそうだが、結局、地球で上様の任務をサポートする事を条件に、今回の事態は大目に見る事に決まったと、上様は言っていた。
超銀河郵便連盟上層部が必死の説得……という名の圧力を関係各方面にかけたらしい。
今回の事態はその動機自体、超銀河郵便連盟が蒔いた種と言えるから、上層部としてもかなり負い目を感じていたそうだ。
そこで普段から品行方正な山田ツングースカの元で、彼女の任務をサポートさせる事にすれば、麻布十番ロズウェル一味もすぐさま天使の如く改心するだろうと、上層部は太鼓判を押したとの事である。
以上は全て上様から聞いた話だから、どこまでが真実かは定かでないが……
そしてゲルさんによると、毒を以って毒を制するのが一番だという事で、今回の措置になったらしい。
「ところで佐藤由宇作、一つ質問だが、貴様、まだお姉様とは寝てなかったのか? 私はてっきり……」
とりあえず、この場に由美ちゃんがいなくて良かったとだけは言っておこう。
「由宇作、お昼まだですか? ってあれ? ロズウェルもう帰ってたんですか?」
「ふっ、学校の雑事など、エクスカリバーに任せておけば造作もないからな」
「ふっ、左様ではございますが、ここはあえて地球の習慣にのっとり、ロズウェル様が明日早朝に出勤して雑事を片付けるという事で、話が纏まりました」
「エクスカリバーさん!」
「ふっ、由宇作様、郷に入っては郷に従えというわけでございます」
相変わらず不敵な笑顔で自慢気に薀蓄をたれる無駄にイケメンな宇宙執事に向けて、隣の宇宙セレブが恨みがましい視線を送っていた。
「ところで由宇作様? 先程から何をなさっておられるのですか?」
「あっ、エクスカリバーさんもロズウェルさんもまだ聞いてなかったんですね。実はこれから冷やしかた焼きそば大会が始まるんですよ」
「冷やしかた焼きそば大会だと? ……はっ! まさかそれは……」
そう言うなりロズウェルさんの顔は急に蒼ざめた。
「どうしたんですか、ロズウェル? 急に深刻な顔しちゃって」
「お姉様は聞いた事がないのか? 例の話を」
「まさか! ロズウェル様! あの話でございますか?」
そう言い放つと、エクスカリバーさんの顔までみるみる蒼ざめていった。
「えっ? あの話って? …………はっ!」
暫く思案に暮れていた上様も、何かを突然思い出したかのように蒼ざめだし
「ヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―!」
こう叫んだ。
「何それ?」
「佐藤由宇作、貴様は聞いた事がないか? かつて神が作りし最終兵器について」
「えーと、宇宙非実在青少年キャンセラーのモデルになった、神の最終兵器があったとかっていう都市伝説っぽい話なら」
「それだ! まさにそれこそがヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―だ! かつてこの宇宙を影で牛耳っていたと言われている、宇宙青少年健全育成委員会が、血眼になって探していたとされる最終兵器だ。それはこの宇宙そのものを無かった事にして、新たな宇宙を再構築するという恐るべき兵器なのだ!」
「左様でございます、由宇作様。そして宇宙青少年健全育成委員会は既に、ヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―を手に入れていたとも言われております。しかしながら当時、宇宙青少年健全育成委員会は謎の生命体との戦いで壊滅寸前、ヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―は生き残った委員達によって、宇宙の彼方のとある場所に密かに隠されたとの事でございます」
「そのとある場所って?」
「それが未だに分からないんですよ、由宇作。かつて存在した宇宙青少年健全育成委員会は、謎に包まれた組織として非常に有名で、多くの研究者によって調べられ、研究成果は様々な文献の形で発表されているんですが、ヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―の隠し場所に関してだけは、未だに何の手掛かりも出て来ない状態なんですよ」
「その通りだ、佐藤由宇作! そしてだからこそ、地球に『冷やしかた焼きそば』なるものが存在する事が問題なのだ。それはとりもなおさず、ヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―の隠し場所の手掛かりが地球にある事を意味するのだからな」
「そ、そんな! 僕の切手だけでも地球大変なのに、そんな手掛かりまで!」
僕がそう頭を抱えていると
「安心したまえ由宇作君。ヒャーシ・カトゥー・ヤキス・ウォ―ヴァ―なんて伝説は全部、私が昔、冗談で作ってばら撒いた都市伝説だから」
「ゲルさん!」
ゲルさんがどこからともなくひょっこり現われて、訳知りが顔で薀蓄をたれ始めた。
「それともう一つ。宇宙青少年健全育成委員会を壊滅させた謎の生命体についてだが、私の調査によると、そいつは由宇作君も非常によく知っている生命体のようだ」
そう言うとゲルさんは、上様に鋭い視線を向けた。
「宇宙非実在青少年好きのオタク連中に金で雇われて、委員会を壊滅に追い込んだらしい。もっとも宇宙青少年健全育成委員会自体、過去の栄光にすがる、暇を持て余した老人達の井戸端会議に過ぎなかったってのが、今じゃ定説なんだが」
薀蓄を披露し続けるゲルさんの目の前で、厳しい残暑の所為かどうかは定かでないが、上様は顔面から汗をダラダラ流して続けていた。
「な、なんと! それは真か? ゲル・ビーツ!」
馬鹿でかい、わざとらしい驚きの声に僕はビクッとした。聞き覚えのある声だったからだ。声の主の方へ恐る恐る振り向くと、案の定そこには……
「何の用だ? バミューダ虎夫! まだ敗北を味わい足りないと言うのなら、今ここで再び味あわせてやっても構わんが?」
「ふんっ! 麻布十番ロズウェル。生憎我輩、アウェイでは闘わない主義なのだよ。代わりと言ってはなんだが、そこの冷やしかた焼きそばなるものを味あわせて貰おう。それともう一つ、今日我輩がここに来たのは、別にお前さんの相手をする為ではない。我輩そんなに暇ではないからな」
ロズウェルさんのこめかみがピクピク引きつるのもお構いなしに、バミューダ虎夫は更に話を続けた。
「実は最近、我がユニバーサルランドで、ツケで飲み食いやら土産物を買ったりやらする奴がいるらしいんだが、困った事に、そいつが全くツケを払ってくれないと、スタッフに散々ぼやかれてしまってな。仕方なく、我輩自らがツケの清算に出張る事になったという次第だ。というわけで今日我輩が用があるのは麻布十番ロズウェル、生憎お前さんではなく、お前さんの姉、山田ツングースカだ」
「……えっと、由宇作、急に用事を思い出したので、後の事は頼みます」
そう僕の肩をポンと叩くと、上様は脱兎の如くこの場を後にした。
「え! 大家さんどうしたの?」
再び現われた由美ちゃんが、バミューダ虎夫に追いかけられながら逃げていく上様に、心配そうに声をかけた。
「あっ、由美ちゃん! ちょっと込み入った事情が出来ちゃいまして。後はよろしくお願いします!」
「込み入った事情って、どんな事情?」
由美ちゃんは駆けていく上様の背後から大声で尋ねた。
「お嬢様、大人の事情は複雑なのでございます」
しかし神妙な顔をしたエクスカリバーさんにそう諭されると
「まあ! 大人も大変なのねえ」
由美ちゃんはうっとりした顔で上様を見送った。
「上様大丈夫かなあ?」
心配する僕にロズウェルさんは
「あ、案ずる事はない、佐藤由宇作。お姉様は誰よりも遠くへ逃げられるのだから……」
僅かに顔を引きつらせながら、この上なく説得力のある解説をしてくれた。
キリがいいので、ここで一旦完結とさせていただきます。




