幸運を呼ぶ悪魔のような魔性の女神
「それでですね、由宇作にお願いがあるんですけど」
彼女が珍しく小声で言った。電車に乗り損ねた僕は、次の電車が来るのを上様とふたりで待っていた。
「僕に出来る事なら何なりと。どうせ暇だし」
僕は少し自嘲気味に言った。
「じゃあアパートの管理人補助やって貰えます? 給料は、はずみますよ。今まで勤めていた所と同じくらいには」
「はい?」
いきなり戸惑うような提案をして来た。まあいつもの事と言えば、いつもの事だが。
「どうしても由宇作にやって貰わないと困るんですよ。由宇作に断られたら、折角苦労して立てた作戦が、水の泡になっちゃいますから」
「苦労して立てた作戦?」
「そうですよ。由宇作に管理人補助やって貰う為に、あれこれ工作しまくったんですから。本当に苦労しましたよ」
「工作しまくった? ……まさかとは思うけど、僕がクビになったのって、上様が仕組んだわけじゃないよね?」
「由宇作は私の事を何だと思ってるんですか? 私がそんな事をする女だってのは、百も承知のはずじゃないですか」
言っちまったよこの悪魔!
「だいたい、ちょっと考えれば分かる事じゃないですか。由宇作の担当者、あの人だって派遣会社のペーペーの社員に過ぎないですよね? そんな人が上層部しか知らないような機密情報を、上から教えて貰えると思います? 派遣社員一人をクビにする為に」
アパートに戻り、入れ立てのお茶を一口啜った後、彼女はこう述べた。公共の場でするのは憚られるという理由で、詳しい話は僕の部屋でする事になった。
「確かにそう指摘されれば、そうかも知れないけど。……あの場であんな事言われたら、そこまで頭なんか回らないでしょ、普通」
しかし彼女は溜息を吐きながら
「普通と仰りますか。普通と。今、由宇作は、普通なんて言葉は、とても言えない状況に置かれているにもかかわらず」
「確かにそうなんだけど……」
確かに僕が置かれている状況は普通とは言えない。あの手紙が届いた時から、それは分かっていたはずだった。
「だからこの場合、2つの可能性を考えるべきでしょう? ひとつはあの担当者が由宇作を辞めさせる為に、全くの出鱈目を吹き込んだ可能性。しかしこれは担当者にとってリスクが大き過ぎます。由宇作がご両親に確認を取れば嘘がすぐにばれてしまいますから。そうすると由宇作が法的手段に訴えれば、由宇作の退職そのものが無効となり、更に慰謝料まで払わされる羽目になっちゃうでしょう。すると残るのはもうひとつの可能性。つまりあの担当者そのものが偽者だった可能性です」
「ええぇ!」
「って、別に不思議でも何でも無いじゃないですか。本物そっくりホログラムを使えば、お茶の子さいさいなんですから」
「えええぇっ」
「だ・か・ら、何の為に、私がこのオーバーテクノロジーを、由宇作に見せたと思ってるんですか?」
「え? 伊達や酔狂でじゃなくて?」
「はあ……由宇作って私の事をそんな風に見てたんですね」
溜息を吐きながら、ちょっと悲しげな雰囲気で彼女は言った。
「はい、見てました。それに今も少なくとも半分は、伊達や酔狂でやってるんでしょ?」
「あれ? ばれてました? 流石由宇作、学習能力高いですね」
「お陰様でね」
僕は精一杯の皮肉を言った。
「まあ話が横に逸れちゃいましたが、話を戻すと、あの担当者は偽者だったと。しかも本物そっくりの。さてこの場合、由宇作が知る限りの知識の中で、それを可能にする方法は?」
「本物そっくりホログラム!」
「もしそうなら誰の仕業かは一目瞭然ですよね?」
「うん、上様」
「正解! だからですね、こんな風にちょっと考えれば分かる事なんですよ」
あの場でそんな風に考えられる奴がいたら、僕は迷わず神と呼ぶだろう。
「あのさ、上様。あの担当者が偽者だったって事は、僕の退職も無かった事にならない?」
「それが何を意味するか分かります?」
逆に彼女が尋ねた。
「僕は仕事を失わずに済んだって事でしょ?」
しかし彼女は、僕の目をまじまじと見つめながら
「いいえ。由宇作が今日無断欠勤したって事を意味します。……こんな所で、のんびりお茶を啜っている場合でしょうかねえ」
そう言ってにやりと笑った。
「あっ!」
僕は思わず叫んだ。今の今まで、退職させられたとばかり思い込んでいた僕は、当然ながら、職場に欠勤の連絡をしていなかった。
僕は急いで職場に連絡しようとした。
しかし
「その必要はありませんよ」
そう言って彼女は、僕が連絡を取るのを制止した。
「何で???」
「だって私が代わりに連絡しておきましたから」
「え! そうなの? ありがとう上様」
「どういたしまして。由宇作にそんなに感謝されると……辞めるって伝えておいて、本当に良かったと思いますよ」
「はい? 今、何と仰いました?」
「由宇作、これから忙しくなりますよー」
僕の質問をスルーして彼女は言った。
「だからさ、辞めるって伝えておいたとかって、僕の空耳だよね」
「空耳と言えば、壁に耳ありジョージにメアリー、という諺ありましたよね」
「……確かに空耳だけどね」
「シュヴァルツシールド使っちゃえば、何の問題も無いんですけどね」
「確かにそうかも知れないけど、僕の方は大問題なんですけど」
「まさか! 由宇作! まだ私のお風呂覗こうなんて思ってるんですか?」
「まだも何も、最初から覗こうなんて思って無いんですけど」
「えっ、私ってそんなに魅力無いんですか?」
彼女は少しばかり悲しそうな顔をした。
「あっ、ちょっとはあるかな」
少し気の毒になった僕は、そう答えた。
「ああ、やっぱり。この変態」
何この小悪魔。
「だからさあ、話元に戻そうよ」
「え? 戻しちゃうんですか? 折角面白くなって来たところなのに」
「だからこそ戻す事を、僕は強く提案します」
「なんと! また茶柱が立ってますよ!」
彼女はまた湯呑み茶碗を覗き込んでいた。
「最早驚くべきほどの幸運と言って、差し支えないでしょう! 流石私、幸運……」
しかし僕は最後まで言わせず
「幸運を呼ぶ悪魔のような魔性の女神って、渾名されてるんでしょ?」
と、横から口を挟んだ。
「良くお分かりですね、由宇作」
彼女がキョトンとした顔で答えた。
「まあね」
そう言って僕はお茶を飲み干した。彼女もお茶を飲み干し、話を再開した。
「じゃあ話を元に戻します。ええと、由宇作が囮になる事は話しましたっけ?」
「え? 何? いきなり囮になるとかって。だいたい僕の意思はどうなってるんですか?」
「由宇作の意思なんか知ったこっちゃ無いですよ。これは歴史の必然ですから」
「何その無茶な学説」
「だって由宇作の切手を目当てに、宇宙人が押し寄せて来るんですよ? 当然じゃないですか」
「いや、それと僕が囮になる事と、どう関係があるのかよく分からないんだけど」
「だって由宇作が囮になれば、地球にやって来る宇宙人の行動が、読みやすくなるじゃないですか。そうすれば作戦も立てやすくなって、私としても仕事が楽になるじゃないですか」
「なるほど! 確かに素晴らしい理屈だね。特に最後の部分が」
「てへへ。そんなに誉めても何も出ませんよぉ」
別に誉めたつもりじゃなかったが、なぜか照れ臭そうに彼女は言った。
「それで僕が囮になるって事は、百歩譲って何とか理解出来たけど、今の仕事を辞めて、このアパートの管理人補助になる理由が、全く見当付かないんだけど」
「そんなの簡単ですよぉ。だって由宇作の職場のすぐ側に、或る日突然、巨大な宇宙船が出現したら驚きませんか? 地球人て」
「そりゃ驚くでしょう、ってかパニックになるでしょう、ってか国連安保理動き出すでしょう」
「ですから、そうならないように、私としては出来るだけ訳ありバリアーの範囲内で、由宇作に囮になって貰いたいんですよ、お分かり? 由宇作」
確かに理屈は良く分かった。だからと言って僕が仕事を辞める羽目になるのは、どうも釈然としなかった。そもそも僕のプライバシーに大きな影響が出ない為の、アフターサービスだったはずじゃ? それを彼女に尋ねたら、彼女はこう言った。
「由宇作が仕事を辞める事と、地球人全体が宇宙人の出現を目の当たりにする事と、どちらが由宇作のプライバシーに大きな影響を与えると思ってるんですか?」
「しいて言えば上様の出現を目の当たりにする事かな」
僕も負けじと言い返した。
「ありゃまあ。こりゃまた一本取られちゃいましたね」
そう言いながらも
「私の出現が由宇作のプライバシーに一番大きな影響を与える事なら、その他の事は些細な問題に過ぎないって事ですよね?」
こんな風にのたまった。
それならもう一つ別のアフターサービスも用意して欲しいものだ。彼女による僕のプライバシーへの影響を抑える為に……
「それじゃあ由宇作には早速働いて貰いますか」
結局僕の意思は全く無視され、僕はこのアパートの管理人補助として働く事になった。
「で、何すればいいわけ?」
「ちょっと! 由宇作! 口の聞き方が悪いですよ! 雇用主に対して」
「それは申し訳ありませんでした、ご主人様」
「その言い方も変です。だって私メイドなんですから」
何その超面倒臭い設定。そう思いながらも、僕は渋々彼女に従った。
「かしこまりました、上様」
「由宇作にそんなしゃべり方されると、全身がむず痒くなりますね。仕方ない。普段通りでいいですよ」
だったら最初からそうしろよ! そう心の中で叫んだ。
「それで上様、改めて聞くけど、僕は一体何すればいいの?」
「ちょっと顔を貸してください」
そう言うと、彼女は僕の目の下を指でなぞった。鏡を見ると僕の目の下にはクマが出来ていた。
「本物そっくり目の下のクマというオーバーテクノロジーです」
オーバーテクノロジー使うまでも無いような気がしたが、あえて言及しなかった。
「睡眠不足に悩まされている人に見えるでしょう?」
「まあ確かに」
「これから入居希望者がこのアパートを見に来るんで、由宇作はそういう設定でお願いします」
「訳ありアパートを演出しろって事?」
「その通りです」
こうして僕は、人が急に現れたり消えたり不審な音がしたりして、夜もおちおち寝ていられないアパートの管理人補助という設定で、彼女と共に、これからやって来る入居希望者に、このアパートを案内する事になった。
入居希望者は案外早くやって来た。彼女が家賃を1か月分無料にした事も功を奏したようだ。何より猫耳メイドの新しい大家さんは、この近辺では結構噂になっているらしい。
入居希望者は何人もやって来たが、皆僕の方を見てニヤニヤ笑っていた。その内の幾人かは、僕の目の下のクマをまじまじと見ながら、大家さんが若いと夜もおちおち寝てられなくて大変でしょうと、僕の耳元で囁いた。僕には、大家さんが若い事と幽霊が出る事には、特に因果関係があるとは思えなかった。




