空に浮かぶ城 5
『裏切りを感知』
突如として、部屋に無機的な声が響いた。
「――え」
二人が声を上げる暇もあらばこそ、ラミが寝ていたベッドを中心に光の軌跡で魔法陣が描かれ、炎が上がった。
『裏切り者は処刑。あのときの魔術師のように』
ベッドを燃やす炎は、そこに座り込んでいるラミのドレスにも燃え移っていく。煙が上がり、布だけでなく自分の肌や髪が焦げるにおいがした。熱さと恐怖が浸食してくる。
「ファニー、逃げろ! 部屋から出るんだ!」
ラミはファニーを魔法陣の外に押しやろうとするが、ファニーはラミの手を握る手をさらに強めた。
「やっと見つけたのに一人で逃げてどうするのです。炎を消せばいいでしょう!」
「業火の魔女の炎が、普通の炎と同じように簡単に消えると思うか!?」
「やってみなければわかりません!」
炎に照らされながらも、ファニーはきっぱりとそう宣言した。それを見て、ラミは思った。
また諦めようとしていた。でもファニーは何度でも、一人で犠牲になるような結末は駄目だと言う。
「ファニー……」
炎がファニーのドレスに燃え広がった。ファニーの顔に恐怖が過ぎり、悲鳴が上がる。
その手を引いて、ラミは窓際へと駆けた。窓を開け放ち、ファニーを抱えてバルコニーから身を躍らせる。
浮遊の力で落下速度を落としつつ降りた先には、城の中庭の泉があった。その中に、二人は落ちた。
泉は意外に深さがあり、足がつかずに藻掻いた。煙にいぶされていたときとは違う理由で息ができない。
水の中で目を開くと、泡が上に上がっていく中で、炎が消えたファニーと目が合った。澄んだ瞳。同性の双子ほどは似ていない姿。最近ではラミのほうが背が伸びてきて、これから先はさらに差がついていくことだろう。
双子だからといって片割れが考えていることなんてわからないし、理解できるとも思っていない。
だけどそれでも、二人は互いの幸せを望んでいた。そしてファニーが傍にいるのなら、また最悪な目に遭っても、なんとかやっていけそうな気がした。
咳き込みながら泉から上がり、二人は互いの様子を確認した。
「ファニー、火傷は」
「わたくしはドレスが燃えたくらいでたいしたことありませんが……ラミは」
ラミはドレスの裾や幅広の袖、リボンで結った先の髪が炎で焼かれて黒く焦げている。身体もあちこち火傷の痛みがあった。けれど、ラミは強気に笑った。
「たいしたことないよ」
「でも……せっかく伸ばしていた髪が」
「この格好も潮時だったのかもね」
リボンを解くと、焦げて大分短くなった髪が肩にかかった。
しばらくして、渡り廊下のほうから声が聞こえてきた。
「音がしたから来てみたら……双子も死闘を繰り広げたようだな! 生きているか、ラミ!」
ディックが意気揚々と早足で近づいて来るのが見えた。
「……ファニー、なぜこいつもいるのさ」
「ラミやヨルンさんを奪還するために、同行していただいたのですけれど……」
「うむ。さて、ラミは魔女の手先となったのだったか。俺が勝ったら魔女の味方になるのはやめてもらおう!」
剣を抜いて、高らかにディックは宣言する。
しかし脳内にどこかで読んだ強敵との対峙の場面が浮かんでいそうな英雄志望者に、ラミは冷めた返事をした。
「ああ、もうそういうのいいから。もうそんな体力も気力も残ってないから」
「なんと! ここで戦わずしてどうするのだ!」
「この一件が片付いて落ち着いたら、模擬戦の相手くらいにはなってあげるよ。……というか魔女の城に攻め込んできたなら、魔女に戦いを挑むものじゃないのかい?」
「それもそうだな!」
その説明で納得したのか、ディックは剣を収めた。
「いいのですか、ラミ。魔女は多少剣技の心得がある程度で勝てる相手ではなさそうですが」
「本人が戦いたいというなら、止める必要はないよ。多分」
冷めた反応をしつつも、ディックの騒がしい言葉を聞いていると、ここが空に浮かぶ城で、魔女がこの国を滅ぼそうとしているなんて嘘のように思えてきた。
これからどうなるかなんてわからないけれど、それでも――ラミは一ヶ月ほど続いていた悪夢が晴れていくのを感じた。
光に包まれた後、知らない場所に移動してしまったカティヤは、もとの場所に戻ろうと廊下を行ったり来たりして階段を上り下りし――結果、見事に迷った。
「……いえ、迷ってないわ。もともと知らない廊下に出て、どこにいるのかわからなかったのだし」
そうつぶやいてみても、助言をしてくれる人もつっこみを入れてくれる人もいない。
そして歩き回った結果、転移したときに出た場所にすら帰れなくなっていることに、とうに気づいていた。
一人で敵地にいるという現状に、じわじわと不安が浸食してきた。大言壮語で夢見がちな英雄志望の貴族でも、誰かが近くにいて会話をしていたらそれだけで気が紛れたのだと実感した。
どんなものでも失ってからその価値に気づくものだ。再会できた暁には、一度くらい邪険にせずに話に付き合ってあげようと心に決めた。
あちこち歩き回り、体力も消耗してきた。ドレスは普段使いのものだから装飾性第一で動き難いというほどではないが、踵の高い靴は長距離を歩くのに向いているはずがなかった。
壁に寄りかかって休んでいると、廊下の曲がり角の向こうから足音が聞こえた。魔物かもしれないと警戒するが、先程の動く甲冑なら歩くたびにもっと金属質の音がするだろうし、四本足の獣のような魔物ならこうした足音にはならないだろう。
人間の――あるいは人の姿をした魔物の足音かもしれない。そう思った直後、相手が姿を見せた。
「……ヒスキ」
よく知っているはずの人物が目の前に現れ、その名をつぶやく。ヒスキは目を見開き、息を呑んだ。カティヤも似たような顔をしていることだろう。
「……なんで来たんだよ」
しかしすぐに、ヒスキは苦い顔になった。「どうやって」ではなく、理由を訊いてきた。ここに来た方法など問題にしていない。
「ああ、そうか。曲がったことが許せない領主の家のお嬢様が、悪を倒しに来たってか」
そのための手段なんてない癖にと言いたげに、口調に揶揄が混じる。露悪的な言い方は、会った当初のそれともまた違う気がした。
「その前に、話をしに来たのよ」
「話。いまさら話すことなんてあんのかね」
「あるわよ。ヒスキ、どうしてあなたたちはこんなことを――」
「俺たちはもう世界の敵だ」
カティヤを拒絶するように、ヒスキはそう言い放った。
「最低でもこの国を滅ぼす気だろうな、魔女は」
「この国を滅ぼして、それでどうするの」
「さあな。魔女に訊いてくれ」
そして笑みを浮かべ、両手を広げた。
「どうする? 俺たちを倒せば英雄になれるぜ。あの劇のように」
どこか投げやりな言い方は、カティヤが知るヒスキらしくないと感じた。
「ヒスキ、魔女に操られているの?」
「操られている人間が、はいそうですって言うと思うか? それに、俺がネアの味方になってやらないでどうするんだ」
「ネアと魔女は同じ存在なの? ヒスキだってもとのネアに戻って欲しいと思っているんじゃないの?」
その問いに、ヒスキの眉がぴくりと動いた。
「私は魔女を倒したいんじゃない。あなたたちを――これまでのみんなと過ごした日々を取り戻したいの」
「俺はそんなものいらない」
その言葉に、カティヤは肩を跳ねさせた。
「ヒスキ、どうして――」
大股で距離を詰めて来たヒスキに、カティヤは一歩後ろに下がる。すぐ後ろには、先程まで寄りかかっていた壁があった。
「カティヤ。俺にとって領主の令嬢は、手に届かない存在だった」
顔の横に手を突かれ、至近距離から見下ろしてくる。
「でも破滅覚悟なら――領主から、その立場から、奪い去れるかもな」
皮肉気な笑みと圧をかける挙動。長身の身体はすぐ傍にあると、小娘一人くらいひとひねりにできそうな体格に思えた。
力で敵わないことくらいわかっている。カティヤはこぶしを握り締め――遠回しな告白を受け止めた。
「そう。それで? 世界の敵なら、人一人無理やりものにするくらいわけはないと?」
「ああ」
「……そういう話は、こんな状況以外で聞きたかったわ」
「言ったところで断った癖に」
茶色の瞳が細められ、顔が近づけられた。
あと少しで触れ合いそうな距離になったところで、カティヤはヒスキの腕をつかんだ。
「破滅の覚悟なんてしなくていいわよ」
「なに言ってるんだ、この状況で」
「私が欲しいならあげるわ。だから、魔女を元に戻すのとヨルンの奪還に協力しなさい」
まっすぐに見つめてそう告げた。
しばしの静寂の後、視線の先のヒスキの目が見開かれ、それから困惑したような顔になった。
「……そんな打算だけで言われても」
「だ、打算だけでこんなこと言うわけないでしょう!?」
強がって毅然としていられたのもごくわずかな時間だった。カティヤは真っ赤になって叫んでいた。
顔が熱い、鼓動の音がうるさい。ここまで取り乱している自分が意外だった。
「私はっ、あなたのことが――」
消え入りそうなかすかな声は、すぐ目の前にいる相手には届いたはずだ。ヒスキは先程とは違う意味で目を見張った。一歩下がって身体を離し、問いかける。
「……婚約者がいるんじゃなかったっけ」
「魔女がこの国を壊滅させたら、それこそそんなものに意味はなくなるわ」
あのときは牽制のためと、カティヤ自身がヒスキへの想いに区切りをつけるために、そう伝えた。ああ言っておけば、親しい友人以上の関係になることもないと思った。
ホムンクルスと錬金術師の恋を応援しておいて、自分のことになるとこれ以上ないくらいに保守的だった。身分の差を乗り越えられるはずがないと、諦めていた。
だからこんな状況でないと、本心を告げることもできない。
「……なんで俺?」
「わかりやすい理由がないといけない?」
日常に回帰したら、こんな理屈は通じなくなる。そのことを互いにわかっている。それでもカティヤはヒスキのほうに手を差し伸べ、ヒスキは躊躇いがちにその手を取った。
ヒスキの顔がほころぶ。いつになく無邪気で嬉しそうな笑顔だった。
「だったらいまだけ、俺のものになってよ」
「悪役らしさが足りない台詞ね」
「そう。じゃあ、逆らうなら命はないと思え」
舞台の台本のような、互いに茶番だとわかってる会話。魔女の手先が伸ばしてきた手を、令嬢は拒むことなく受け入れた。
「悪人は許せない性分だって聞いた気がしたけど」
「ええ。だからアスタがあなたたちを許しても、私は一生覚えているわ。覚悟しなさい」




