空に浮かぶ城 3
光が収まったとき、アスタは城の城壁の上らしきところにいた。目の前には建物があり、その両側には尖った屋根がついた塔が見える。石造りの壁には扉があり、上階の城の内部へ入れそうな場所だ。
周囲は薄暗く、吹きすさぶ風が白い髪とスカートの裾をなびかせる。振り返ると凸凹状の壁があり、その向こうに空と暗雲、鳥の群れらしき影が見えた。
まわりの景色が少しずつ変わっていく。雲ではなく、足元が緩やかな速さで移動している。街にいたときに見上げていた場所に到着したのだと、確信できた。
「空に浮かぶ城……本当に辿り着いたんですね」
アスタの言葉に反応はなかった。怪訝に思って周囲を見渡すと、先程まで一緒にいたはずの三人の姿は見当たらなかった。
「えっ、あれ? カティヤさん? ファニーさん?」
名前を呼んでも答えはない。ひとしきり周辺を見渡してから、アスタは腕輪をつけた手首を掲げて見下ろした。扉が開いたとき、腕輪の石が光った気がした。
「そうだ、これもクスティさんからもらったもので……」
もしかして、これも鍵に成り得るものだったのではないか。鍵になるものが扉に対して二重に反応して、アスタだけ別の場所に出てしまったのだろうか。
「どうしましょう……大丈夫なんでしょうか」
現地解散になる展開は予想していなかった。自分の身よりもファニーを連れたカティヤたちのほうが心配だ。しかし気を回し過ぎても仕方がない。あちらにはディックもいるのだし、同じ城の中にいるのならいずれ合流できるかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、ここから先は地図のない状態で初攻略だと意気込んだところで、目の前にある扉が開いた。
肩を跳ねさせ、周囲を見渡す。隠れられるような遮蔽物は存在せず、扉を開けた者が姿を見せるほうが早かった。
「アスタ……? なんでここに」
「ヒスキさん……」
驚いた様子のヒスキと目が合った。その様子は街中で思いがけず行き会ったときの反応と大差ないもので、昨日ヒスキたちがヨルンを連れ去った光景が嘘だったかのように思えてくる。
しかしここは空に浮かぶ城で、昨日あったことも夢や幻ではなかった。ヒスキがきょとんとしていたのは一瞬のことで、アスタを前にして口元を引き結んだ。断絶の意思を感じた。
ならばアスタとしても、城の侵入者として相応しい言動をしなければならない。こぶしを握り締め、ヒスキに向き合った。
いつかの演劇の再演のようだ。だがこの状況に、あらかじめ定められた筋書きは存在しない。相手は昔話に出てくるわかりやすい敵役ではなく、これまで親しくしていた同じ街の住人だ。
「どうしてヨルンさんを攫ったんですか」
「ネアは黒翼の魔女、リータレーナの転生だった。魔女がヨルンを欲していたんだよ」
転生。ネアもアスタと似たような状態だということだろうか。アスタがホムンクルスの身体で目覚める前は、ホムンクルスに意思は宿っていなかった。けれど魔女が蘇る前から、ネアの意識は存在していた。
現在、ネアの意識はどうなっているのだろう。それから、目の前にいるヒスキは。
「ヒスキさんは魔女に味方するんですか? ネアさんを人質に取られているからとか――」
「そういう可哀想な理由があったら同情してくれんのか? やむにやまれぬ事情があれば、知り合いを差し出しても納得すんのか? 世界を滅ぼすのに加担してもいいのか? 違うだろ」
ああ、そうだ。どんな理由があろうと、やったことは覆らない。
「別に脅されてるわけじゃねえ。俺は貴族や錬金術師じゃない、特殊なホムンクルスでもないからな。特別な力も地位も権力もない人間は、力ある者に従うしかねえんだよ」
挑発的なことを言っているわりに、全部が全部アスタを動揺させるために言っているわけではなく、本心も含まれているかのように思えた。
「でもな、アスタ。俺を殺す覚悟さえありゃ、この状況はちったあ変わるかもしれねえな」
領主の屋敷で、怪盗と護衛として対峙したときのことを思い出した。
――でもお前には他人を躊躇なく殴れる、刺せるような雰囲気はまるでねえ。だから、それができる俺のほうが強い。
他人を、親しかった者を傷つける覚悟。それだけではない。ヨルンを助けたければ、殺す覚悟をしろとヒスキは言っている。
「ヒスキさんは……死にたいんですか?」
「まさか」
ヒスキが伸ばした手に、炎をまとった槍が出現した。
「やってみろよ、アスタ。ホムンクルスのほうが力は強いはずだろ」
即席の兵士が振るう武器として、剣よりもリーチの長い槍のほうが有利だという。攻撃範囲の広さはそのまま殺傷力に変換され、重い武器を振り回すのはそれだけで脅威になる。
城壁の上で、縦横無尽に振るわれる槍。しかも炎をまとっていて、当たると打撃だけでなく熱さによるダメージもあり、風圧がかすめただけで服が焦げる感触がある。
アスタは城壁の上を駆け回り、跳躍し、槍を避けていた。護身用に持ってきていたナイフの柄を握り、時折武器同士が打ち合う音が響く。
ホムンクルスのほうが力は強いはずだが、重い武器が振るわれる勢いに、時々押しやられそうになった。
「どうした、こんなもんか?」
煽るような言葉がたびたびかけられた。
足払いするように薙ぎ払われた槍を避けるためにジャンプして、アスタは壁の上に着地した。
「わたしはヒスキさんと友達になれて嬉しかったんです。ヨルンさんに遠慮なくかかわってくれるようになって、よかったって思ってたんです!」
槍に当たることも構わずにヒスキに体当たりした。服越しに熱い感触がしたが、その程度で終わった。槍が床に落ちる重い音が響く中、アスタは倒れたヒスキに馬乗りになり、ナイフを構えた。
見上げてくるヒスキと目が合う。
「そっか。ごめんな」
「謝れば済むと思ってるんですか」
「済まねえだろうなあ」
適当で自暴自棄とも取れる言葉。ヒスキもラミと同じように、なにか魔女の側につくきっかけになる出来事でもあったのだろうか。これまでの生活を捨ててもいいと思えるような、こんな世界壊れてしまえばいいと思えるような出来事が。
「ヒスキさん――」
早く無力化してしまったほうがいいと頭ではわかっているのに、もっと話を引き出したかった。
その一瞬の躊躇が、命運を分けた。
「――え」
視界に黒い羽根が降ってきた。
「アスタ」
ネアと同じだけどもっと冷たい、感情を感じさせない声で名前を呼ばれた。
「ようこそ、わたしの城へ。回収に行く手間が省けたかな」
城の内部に続く扉の前に魔女が降り立ち、笑みを浮かべてそう呼びかけた。見つめる瞳は、血のように赤い色。
落ちて来た黒い羽根がアスタに触れ、身体から力が抜けていく。
――駄目、このままじゃ……。
必死に抵抗しようとするが、目蓋が落ちた中で、ナイフが床に落ちる音を聞いた。
どこかに下ろされた感触で意識が戻った。城の一室らしき場所で、椅子に座らされたらしい。覚束ない視界の中で周囲を見渡すと、アスタを運んで来たヒスキが部屋から出て行くのがぼんやりとした視界に映った。
それから、ベッドに横たわった黒髪の青年が目に入る。
「ヨルンさん!」
駆け寄ろうとして、足がもつれて床に転倒した。前世でよく歯がゆい想いをした、身体が思うように動かない感覚に支配されていた。ホムンクルスに体力があるといっても、魔女の術で意識を失って、目覚めた直後に即動くことは難しいようだ。
どうにか身体を起こそうとしていると、室内にもう一人いることに気がついた。黒いドレスの裾が目に入り、見上げる形で視線を上げていくと、魔女が目に入った。
懐を探るが、気を失う前に持っていたはずのナイフはない。ここに連れて来られるまでに取り上げられたのだろう。
「ヨルンが心配?」
その問いに、アスタはごくりと喉を鳴らす。
「魔力を封じていた術を解いて、慣れない力に身体がついていかず伏せっているだけ。生きているよ」
「そうですか……」
魔女はヨルンを欲している、とヒスキは言っていた。それから、いまの魔女の説明。
「ヨルンさんは魔法使いだとでも言いたげですね」
「そう。魔術師の血を引く子孫で、その身に魔力を宿しているの」
いつかハイメリン家の地下迷宮で、ラミたちと交わした問答が蘇った。それから過去からやって来たと思われるクスティの、ローブのような服装とゴーレムを操る力。
連想がつながっていく。この世界に魔法使いはいない、魔法もないということになっていたが、そうではなかったのだ。
魔術師も魔術も存在していた。錬金術師や呪われた子供、錬金術や邪悪な力といった別の名前をつけられ、存在を秘匿されていただけで。
こぶしを握り締めたアスタの手元で、手首に巻いた腕輪の鎖が小さな音を立てた。
ならば目の前にいるネアに転生した魔女も、最初から魔物や化け物だったわけではないのかもしれない。そう呼ばれただけの、一人の魔術師に過ぎないのだとしたら。
空を翔ける黒い大きな翼。冬の祭りで雪像にされた、ねじれた翼の化け物。あれが現在語り継がれている彼女のことなのだとしたら――。転生前の彼女は、同じ人間に倒されたのではないのか。
「あなたは人間じゃない。ヨルンの使い魔のようなものだよね」
魔女がアスタに向かって手を伸ばしてきた。
「わたしの仲間になって、一緒にこの国を滅ぼしましょう」
ローブの袖から伸びる白い手を見つめ、アスタは答えた。
「お断りします」
ヨルンが魔女の仲間になったとは、まだ聞いていない。ラミと同じように魔女につくことを選ぶというのなら、アスタはなんとしてでも引き戻したかった。
しばし、室内に沈黙が落ちた。
魔女は手を下ろし、失望したように瞳を細めた。
「そう、ならもういいよ。本当に必要なのは、その身体だから」
「身体……?」
「偶然発動した魔術があなたの意識――魂を呼び寄せ、その身体に定着させた。ヨルンが作ったそのホムンクルスの身体は、人の魂の器に成り得るの」
これまで意思があることが珍しいと言われてきたが、ホムンクルスの身体が特殊だと魔女は言う。
「魔女の魂と力を有するのに、人の身体はもろすぎるから」
だから人間より頑丈で回復能力が高い、ホムンクルスの身体が欲しいのだろうか。
「ホムンクルスの活動年数は十年だそうですよ」
「それは魔術の神髄を知らない不完全な作り方だから。わたしが手を加えたら、不死に近い寿命だって得られる」
それから窓のほうに視線をやり、歌うようにつぶやいた。
「もしかしたら――過去の人間の魂をその身体に呼び寄せて、目覚めさせることもできるかもね」
過去の人間。彼女は大切な人を亡くしたのだろうか。その人に、もう一度逢いたいのだろうか。
「ネアさん……」
「わたしはネアじゃない。リータレーナという魔術師で、人間はわたしを蔑みを込めて黒翼の魔女と呼んだ」
「魔女の転生だからなんなんですか! この時代に生まれた以上、あなたはネアさんです!」
そうだ。アスタだってもう、病弱で死を待つだけだった無力な少女ではない。錬金術師に作られた、人より力があり回復力に優れたホムンクルスだ。前世の記憶があろうが、この世界で生きているのはアスタと名付けられた存在だ。
そしてそれはネアも同じはずだ。本来なら前世の記憶なんてないはずで、これまでのネアはネアとして生きてきた。誰の転生だろうと関係ない、過去を引きずったところでどうにもならない、と伝えたかったが。
「魔女を迫害し、その血を絶やそうとした者の子孫が安穏と生きているなんて、許されると思う?」
赤い瞳に氷のような冷たさが宿った。
「なんの罪もない人が、化け物と呼ばれ罪を押しつけられて、殺されていった。それをやり返すだけのこと」
「ネアさんの目的はそんなものじゃなかったはずです」
「あなたに魔女のなにがわかるの」
「ネアさんはお兄ちゃんにご飯を作ってあげたい、掃除をしてあげたい、って言っていました。世界を滅ぼしたいなんて、思っていなかったはずです!」
「残念ね。あなたの意思で協力してもらいたかった」
アスタの視界の先で魔女は手を掲げた。黒い羽根が降って来ることはなく、視界が光で真っ白に染まった。
これまでに二度体験した、意識を奪われる術とは違う。
強いていえば――前世で死んだときの感覚を思い出した。
そしてアスタの意識は、ホムンクルスの身体から消失した。
ヨルンが気がついたとき、部屋の中で話し声が聞こえた。聞き覚えがある声だ。
――アスタ……?
なぜここに。この場所は魔女に連れて行かれた先のはずだ。なんとか身体を起こしたところで、床に座り込んでいたアスタに魔女が手を伸ばし、アスタの身体から力が抜けるのが見えた。
「アスタ!」
魔女が振り返る。彼女は床に倒れたアスタを宙に浮かせ、ヨルンに見えるように掲げた。ぐったりとした肢体と目を開けたままの顔が見えた。
「ほら。もうこのホムンクルスの身体には、意思は宿っていない」
魔女の言葉の意味が咄嗟にわからなかった。
ベッドから降りたヨルンがふらつく足取りで近づくと、浮かんでいた身体が腕の中に放られるように落ちてきた。思わず手を伸ばし、途中で浮力が消えた身体を受け止め、床にしゃがみ込む。
腕輪をしている手首に指を当てると、脈がなかった。身体から体温が消えていく。冷たくなっていく。元々白かった肌から、血の気がなくなっていく。
「あなたの執着はなくなったね」
魔女の言葉が頭に反響した。
「魔術師の子孫は、魔女と手を組むしかないの」
呪いのように、心に浸透していく。
ヨルンはアスタを抱きしめ、項垂れた。そして、かすかな声でつぶやく。
「――アスタがいない世界なんて、意味はない」




