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来訪者と錯綜する想い 3

 確かに恋愛の話題の当事者にされるのは、たまったものではなかった。

 カティヤに指摘されたことを引きずりながら、アスタは領主の屋敷をあとにした。大通りを歩きながらも、周囲のざわめきは頭に入って来なかった。


 この世界で目覚めたときに最初に会った錬金術師の少年は、不愛想で口数が少なく他人に壁がある様子で、主がそんな人物で同じ館でやっていけるのかと思った。


 そのとき不安に思ったことが嘘のように、いまではヨルンと打ち解けている。当初の印象とは違うヨルンの内面や過去を知り、親しくなれてよかったと心から思う。


 ――でもそれはあくまで主とホムンクルスとしてのことで、カティヤさんが想像するようなことでは……。


 そんな考えを反復していると、声をかけられた。


「よう、アスタ」

「ヒスキさん」


 道の向こうから片手を上げたヒスキが近づいて来るのが見えた。頭の中をぐるぐる駆け巡っていた思考を打ち切り、アスタは友人の傍に駆け寄った。


 いつものように屋台の軽食を買い、二人で食べながら歩き出す。タレが焦げた香ばしいにおいが食欲をかき立てた。そんな日常の象徴のような空気の中、ヒスキが出した話題はこの街にとっての非日常の出来事だった。


「この間の貴族、すごかったな。いかにもな王子のような金髪と豪華な服で」

「貴族は王子じゃありませんが、きらびやかですよね」


 いつも黒衣ばかりのヨルンに、その華やかさの欠片でも分けてくれたらいいのだが。そこまで考えて、パーティーのときに着ていた服はディックが着ているもののような派手さはないがシックで格好よかったと思い出した。


「そいつ、アスタとも顔見知りみてえだったけど」

「王都へ行ったときに、一ヶ月ほどディックさんの屋敷に滞在したんです」

「ああ、いつかの話に出てきた貴族の若者ってあいつか。……ふうん」


 串焼きを咀嚼して飲み込んでから、ヒスキは続きを言った。


「改めて思うけど。お嬢様って、あっち側の人間なんだよな」

「そうですね」


 辺境の領主の娘なんて王都の貴族に比べたら、とカティヤは言っていたが、この街に暮らす平民とカティヤが生まれつき持っているものはまるで違う。違いを意識したら、臆してしまうほどに。


 串焼きを食べきって口の中のものを飲み込んだヒスキは、息を吐き出しながらぼやいた。


「なんで俺のような平民との仲が続いてんだか」

「カティヤさんに直接訊いてみたらどうですか」

「あ、いや。盗みに入ろうとしたのが出会いで、その件を公表されなかったから、弱味握られてんだよ。だから劇だのなんだのに付き合わされて――」


「本当にそう思ってるんですか?」

「……まさか」


 晴れた空を仰いで、ヒスキはぽつりとつぶやいた。


「仕事回してくれたり、ネアに色々くれたりして、よくしてもらってるって思ってる。もう既に、俺じゃ返しきれねえくらい恩があるな」

「そんなことありませんよ。カティヤさんも、ヒスキさんから受け取っているものがあるはずです」

「俺はあげたものなんて」

「形があるものの話じゃありません」


 アスタはヒスキをまっすぐに見つめて、伝えた。


「わたしはカティヤさんやヒスキさんと会えて、一緒に過ごせて楽しかったです。同じことをカティヤさんも思ってくれていると――いいな、と思います」

「そっか。そうだな」


 同意するヒスキは、日差しの眩しさに目を細めるような顔をした。


「だから、ディックさんがカティヤさんに告白しに来たところで遠慮することないですよ」

「待て、告白しに来たって? あの貴族がお嬢様に?」


 あ、とアスタは口を押さえて固まった。


「まあ、ヒスキさんには言ってもいいですよね。口止めされたわけじゃないですし」

「俺やヨルンにはいいけど、知り合い全員に吹聴したりすんなよ。あのお嬢様からしたら、一番知られたくない相手は領主かもしれんし」


「それもそうですね。気をつけます」

「それで、あの二人付き合うのか?」

「おや、気になりますか?」


 ヒスキはわずかに言葉に詰まった。


「そういうわけじゃ……」

「じゃあわたしからはそれ以上は言いません。カティヤさんに聞いてください」

「えー、そこまで言っといてそれかよ」

「そもそも人の個人情報を他人があれこれ漏らしたらいけませんよね。そういうことです」




 アスタと別れたヒスキが仕事場へ向かおうと大通りを抜けて裏路地を歩いていると、


「待て」


 と声をかけられた。振り返ると、栗色の癖毛の青年と目が合った。誰だっけと思いかけたが、がっしりした身体にまとっているこの街ではあまり見ない格式ばった装いと腰の剣が目に入り、連想がつながった。


「もしかして、領主の屋敷で見かけた貴族の護衛……」


 アスタの説明では、確かロジャーという名だったはずだ。ロジャーはつかつかとヒスキに近づいて来た。


「ディック様は最近、心ない側近に裏切られた。これ以上、障害となる者を生かしておく必要はない」

「障害って、俺はあのお嬢様とはなにも」

「平民が反論するな!」


 鋭い一喝とともに、剣が抜かれた。掲げられた刃先が、狭い路地の隙間から差す陽光に照らされて光を反射する。


「待っ――」


 言い訳を聞いてくれる様子など相手にはなく、剣が振り下ろされた。

 平民は貴族に斬り捨てられようが、文句は言えない。それでもなんとか避けようとして避けきれず、刃先が左腕を切り裂いた。


「くっ……」


 心臓が二つになったかのように、傷口が熱く脈打つ。嫌な汗がにじんでくる。痛みが思考の邪魔をする。


 ――ここまでか。いや、でも――俺がここで死んだら、ネアは。


 傷口を押さえて、ロジャーから距離を取ろうと駆け出した。普段のような速さで走れない。しかし立ち止まったらもっと酷いことになる。


 死ねない。まだ死にたくない。この程度、致命傷ではないはず。そう自分に言い聞かせて、必死に足を動かした。


「逃げるな! 大人しくしろ!」


 足音とともに、勝手な言い分が後ろから飛んで来た。あの主にしてこの従者ありだ、とヒスキは思った。


 昔からこうだ。ついてない。両親は家に帰って来なくなり、ネアの病気は治らない。だから平民の中でもかつかつの貧乏暮らしで、様々な制限があって。


 いまの事態は去年領主の娘と知り合わなければ発生しなかっただろうが――カティヤと会わなければよかった、とは思えなかった。


 裏路地に人通りはなく、周囲の建物から誰かが出てくる気配はない。こうした場所では喧嘩や揉め事は日常茶飯事で、壁一枚隔てた道で誰かが倒れていようが死にかけていようが、中にいる者は我関せずを決め込む。


 ヒスキもこれまでそうしてきた。自分から騒動にかかわるなんて自殺行為だとわかっていたから。だからいまも、誰かの助けなんて期待してはいけない。自力でこの場を切り抜けないと――。


 大通りに出た先で、知った顔が目に入った。日差しの中にいる少女の巻き毛がふわりと揺れ、紫の瞳が見開かれる。その瞳に、建物の屋根の影の下にいるヒスキの姿が映り込む。


「ヒスキ……どうしたの、その怪我」

「これは――」


 ――どうしてこんなときに。


 左手の感覚がなくなってくる。焦燥が募る中、足音が追いついてきた。


「カティヤ様。彼は貴族に反抗しました。王都へ移送して裁きますから、引き渡してください」

「俺はなにもしてねえ……」

「下賤の民と騎士である私のどちらの言い分を信じますか?」


 領主の娘に対して丁寧な言葉で、ロジャーは自分の意見を押し通そうとする。

 カティヤはロジャーをにらみつけた。


「あなたもモーゼスと同じね。気に入らない相手は悪者だと決めつけて、殺してそれで終わると思っている」

「ディック様を裏切った側近と一緒にしないでいただきたいですね」

「忠義があろうがなかろうが、人を簡単に排除しようとしている時点で同じよ。言い分があるなら、ヒスキの手当てをして回復してから聞きましょう。ディックにも同席してもらうわ」


 ロジャーの顔から笑顔が消えた。


「まったく……わからないな。ディック様は常に正しく、その従者である私も正しいのに――あのホムンクルスもカティヤ様も、なぜか我々に反抗する」


 じりじりと近づいて来て、ヒスキはロジャーの様子を窺いつつ、カティヤを背に庇いながら大通りのほうへ後退して行く。

 手から提げた剣の刃先が地面に当たり、硬い音を立てた。


「――ああ、そうか。令嬢から美しさが失われれば、ディック様も執着しなくなるか」


 剣を持つ手が掲げられる。

 一気に距離を詰めてきたら、ヒスキの怪我では即座に逃げられない。俊敏に回避できるかも怪しい。それならば。


「カティヤ、俺が足止めするから逃げろ!」

「駄目よ、そんなの!」

「いいから!」


 迷っている暇はない。ロジャーが剣を構えて駆けて来た。

 ヒスキは怪我の痛みを無視してカティヤの前に立ち塞がり、遠巻きにしていた通行人のどよめきが上がる中――声が響いた。


「なにをやっている!?」


 ロジャーはたたらを踏んで動きを止めた。


 ヒスキからしたら一度しか会ったことのない、アスタやカティヤの知り合いの貴族――ディックが肩をいからせて大股で近づいて来るのがわかった。


「ディック様。私はあなたに従わない者たちに粛清を加えようと」

「そんな命令を下した覚えはない!」


 大声がこだまする。


 主の登場で、斬り捨てられる事態は回避されたようだ。だが緊張の糸が切れたからか、ヒスキの視界が歪み、足元がふらついた。膝が折れ、目に入った地面には、点々と赤い染みが落ちていた。


「ヒスキ、しっかり……」


 声が聞こえたが、意識が遠のいていく。


「俺はどうでもいいから、ネアを――」


 傷口を押さえていた手を伸ばすと、血まみれの手を握られた気がした。




 意識が覚醒し、高い天井が視界に映った。家にある薄っぺらい布団ではなく、清潔で高価そうなシーツと上掛けの感触がする。


 既視感を覚えるが、真っ先に目に入った人物は黒衣の錬金術師ではなく、ストロベリーブロンドの髪の令嬢だった。


「気がついた?」

「ああ……」


 リンドグレン家の客室で目覚めるのは二度目だ。ヒスキが上半身を起こすと、腕は痛んだが包帯が巻かれているのが見えた。意識を失っているうちに手当てされたらしい。斬り捨てられていないということは、面倒事も解決したのだろうか。


 しかしベッド脇の椅子に腰かけてヒスキの様子を見ていたカティヤは、いつになく鎮痛な顔をしていた。


「……ごめんなさい」

「なんでお嬢様が謝るんだよ」

「あなたを斬ったのは、私を訪ねて来たディックの護衛よ」

「悪いのはそいつだ。お嬢様でも、その貴族でもねえよ」

「いや、従者のやったことは主の責任だ。見舞金を出させてもらおう」


 ディックが話に割り込んできた。同じ室内にいたらしい。声のほうに顔を向けると、扉近くの壁に寄りかかった金髪の青年が見えた。


「……そりゃどうも」

「恋敵を殺して排除したいだなどと、ロジャーに命じたことはないのだがな」

「俺なんかが恋敵なわけがないだろ……いや、ないでしょう」

「そうよ。ヒスキって最近まで、私のことを友人とすら思っていなかったようだし」

「いや、それは恐れ多いって意味で」


 二人のやり取りを聞いたディックは、呆れたように嘆息した。


「息が合うようだな。まったく――自覚していないのは互いだけか」

「なによそれ」

「いや、なに。そういうことなら別に構わん。なぜ手に入らぬのか、のわかりやすい答えも提示されたようだしな」


「あ、あのねえ、私は別に――」

「しかし! いつかその男との身分違いの関係に破綻が生じたときには、俺のところへ来るといい! 俺は度量が広いからな、三年ほどなら待っていてやるぞ」


 自己完結した様子の結論を出し、満足した様子でディックは客室から去って行った。


「……なんなのかしら、あれ。ああ、でも諦めてくれたならよかったわ」

「でもああいう王子様みてえなきらびやかな男に告白されんの、年頃の娘ならときめくもんじゃねえの?」

「告白って、なんでそれを……!」


 そこまで言って、カティヤは額を手で覆った。


「アスタね。まったくもう……」

「アスタに色々打ち明けて、誰にも広まらないと思うか?」

「そうね、隠し事ができない性格よね。嘘を吐けないというか」

「ところで、あいつを追いかけなくていいわけ? いまならまだ間に合うぞ」


 閉まったばかりの扉を指さすと、カティヤは嘆息した。


「すべてが自分の思い通りになると思っていそうな人は苦手だわ。――ヒスキからしたら、ディックも私も似たようなものでしょうが」


 領主不在の屋敷の様子を窺っていたときに、怪盗が出ると聞いて高揚している様子の令嬢を見て、気楽なものだな、と思った。

 気絶した後に客室で目が覚めて、覚悟していたのに罪を問われることはなかった。


 演劇なんてやったことのない素人に、あれこれ無茶を言うものだと思った。振り回されたけれど、あの賑やかな日々は悪くなかった。


 今年もう一度やろうと言われて、他にわりのいい仕事があるからと断ることもできたはずなのに、そうせずに話し合いの場に向かう程度には、あの時間の再来を望んでいた。だから、


「そんなことねえよ」


 アスタと違って嘘もお世辞も口先だけの適当な応答も得意なはずなのに、本心を告げていた。


「お嬢様のような人がこの街の領主の娘で、よかったって思ってる」

「……そう」


 カティヤは頬を染めて、目を細めた。


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