来訪者と錯綜する想い 2
翌日。よく晴れた空の下、陽光に負けず劣らず輝いた笑顔を浮かべた来客が、カティヤの屋敷を訪問した。
「それでは再会をやり直させてもらおう。カティヤ、久しぶりだな。会いたかったぞ!」
大輪の薔薇の花束を差し出すディックに、カティヤは目を丸くした。彼の装いは昨日よりもさらに派手になっている気がする。なぜこうも気合が入っているのだろう。
「あなたは再会した人全員にこの薔薇を渡しているの?」
錬金術師の館にこれだけの薔薇を活ける花瓶はあるのだろうか、なんて心配をしかけたが。
「いや、カティヤにだけ贈るのだ」
「アスタのことを諦めきれなくてこの街まで来たわけじゃなさそうね。あなたの屋敷の者にこちらの従者が怪我をさせられた治療費なら既にいただいているし、今更お見舞いの花をもらっても……」
「これは治療費でも見舞いでもあの一件の迷惑料でもない」
「じゃあなに?」
「カティヤに対する俺の気持ちだ!」
屋敷の扉を挟んで、沈黙が落ちた。
カティヤは薔薇とディックを見比べて、社交用の笑顔の仮面を被った。
「そういうことだったら受け取れないわ」
「一度渡したものをおめおめと持って帰れるか」
「だったら薔薇はいただくけれど、気持ちは受け取らないわ」
「なぜだ?」
「こちらの台詞よ。あなた、王都でアスタが欲しいだのなんだの散々言っていたのはなんだったの?」
「意思を持つホムンクルスという特別な存在を欲するのと、気になる異性に声をかけるのは別だろう?」
「気……になるって……」
思わぬ人物から予想もしなかった言葉をかけられ、カティヤは頬が熱くなるのを感じた。
「遺跡でカティヤに頬を打たれたとき、電撃を浴びたような衝撃が走ったのだ。あのような経験をしたのははじめてのことだった」
熱に浮かれたように語るディックは、カティヤに向き直って告げた。
「俺はずっと特別な力を求めていた。だが、あのときからカティヤに惹かれて焦がれて、こんな辺境の街にまで来てしまった」
「ディック……」
「一人でこの感情を持て余すよりも、二人ならばできることもあるだろう。カティヤ、俺を好きになれ。損はさせん」
「でも、侯爵家次期当主なら、婚約者はいらっしゃるでしょう?」
「愛人の一人や二人、貴族ならばいて当然。王都に別邸を用意しよう。なに、大丈夫だ。結婚後もうまくやれる自信が――」
音を立てて、カティヤは持っていた花束を投げつけるようにディックに突き返した。
「どうした? 俺の計画に感極まって――」
「お断りするわ!」
大声でばっさりと、カティヤは返事をした。
その日の客との会話は、カティヤにとって非常に居心地の悪いものだった。
「俺たちはまだ互いのことをよく知らぬではないか。また俺の屋敷へ来ればいい。ともに同じ時を過ごして、距離を縮めてから返事をしても遅くはないぞ」
「あのときの滞在はアスタの危機だったからよ。もう長々と王都に滞在なんてしていられないわ」
「ぜひご両親に挨拶させてくれ。なに、領主は用事があって出かけているだと? この街に滞在しているうちに会えればいいのだが」
「それは残念ね。父はここ最近ずっと多忙なのよ」
「ところで俺の屋敷で披露してくれた劇を、俺が英雄役でカティヤが姫役で再演したらどうだろうか。恋愛要素を増やして」
「私の役を奪いたいのなら、相手役もご自分で見つけたらいかが?」
「――ということがあったのよ! いくら自分のほうが格上だからといって、やっていいことと悪いことがあると思わない?」
「た、大変でしたね、カティヤさん」
屋敷に呼び出されたアスタは、昨日あったことをカティヤから聞いて、目を白黒させた。
「ヒスキを侮辱したのみならず、主役の座を奪おうとするなんて……」
「待ってください、真っ先に話題にするのはそこなんですか? 告白されたことではなく?」
ああ、とカティヤは溜息とともに答えた。
「その後の愛人発言に驚いて、もはやなにがなんだかわからなくなったわ」
「よかったです……カティヤさんまで貴族は愛人の一人や二人いて当然、とか言い出さなくて」
「お、男の方からしたらそれがまかり通っているかもしれないけれど。私はそういうのはどうかと……」
カティヤは頬を染めて、もごもごとそう言った。
「と、とにかく。うちのお父様は愛人を囲っている様子はなさそうだから、それだけはよかったわ」
「冷静に分析していますね……」
「だって他に子供がいたりしたら、後継者争いや遺産相続が面倒になるわよ」
貴族なら、さぞや所有している財産も遺産も多いことだろう。そういう心配をするのも当然なのかもしれない。
「ええと、領主さんの個人的なことについては、わたしが口を挟むことじゃないので置いておくとしてですね」
お茶を一口飲んでから、アスタは訊ねた。それはもう、好奇心に瞳を輝かせて。
「カティヤさん、どうするんですか? ディックさんとお付き合いするんですか?」
「しないわよ。侯爵家の次期当主と辺境の街の領主の娘がつり合うと思う?」
「そうですね。カティヤさんにはヒスキさんがいますからね」
アスタの言葉に、カティヤは眉をひそめた。
「……どうしてそうなるのよ」
「仲いいじゃないですか」
「それはまあ、去年知り合って、付き合いも長くなってきたのだから」
もっともらしい理由を述べた後、カティヤは呆れた視線をアスタに向けた。
「……というかアスタ、あなた自分のことは棚に上げて、よくもまあ他人の恋愛事情に首を突っ込むものね」
「楽しいじゃないですか。周囲の人の恋バナ」
「話題にされるほうはたまったものじゃないわね。アスタだって、ディックに俺のものになれと言われてときめいたんじゃない、なんて決めつけられたら嫌でしょう?」
「わたしとディックさんのときとは話が違いますよ。わたしはホムンクルスです」
「ホムンクルスは恋をしたらいけないの?」
「本来、人間扱いされずに売買されるような存在ですよ。人形に意思が宿っているようなものですから」
カップを皿に置く音が響く。カティヤは複雑な表情でアスタを見た。
「親に結婚相手が決められているような貴族の子供よりは余程、自由にできそうだけど」
「そうですか?」
「それでヨルンとはどうなの? 遺跡で抱き合っていたけど」
話の風向きが怪しくなってきた。
「ヨルンさんはわたしの保護者……いえ、主ですから。すぐ突進していくホムンクルスが心配なんでしょう」
「そう。そういうことにしておきたいなら、それでもいいけど」
カティヤはにっこりと微笑んで、言った。
「アスタ、顔赤いわよ」
「なぜわざわざこんな辺境まで訪ねて来てやったというのに、カティヤはつれないのだろう」
「人の故郷を辺境とかいうからじゃないか」
まったく自分のしたことを悪いと思っていない様子で不思議がる来客に、ヨルンは端的に答えた。
「意を決して想いを伝えたが、色よい返事はもらえなかった。おかしい。天変地異の前触れだろうか。どう思う、ヨルン」
「知らん」
街外れの錬金術師の館の応接間には、現在なぜかディックが来ていて、館の主であるヨルンは迷惑さを隠しもせずに適当極まる応対をしていた。
なぜ顔を合わせたくもない相手と一緒に茶を飲んでいるのだろう、とヨルンは思わずにいられなかった。
現在は午後で、アスタは街に出かけている。
王都にいたときにヨルンがディックと会話をしたのは、初対面のときと遺跡での一件の後くらいだ。それ以外はディックはひたすらアスタやカティヤに構っていてヨルンには目もくれなかったのに、いまこうして顔を突き合わせている理由がわからなかった。
やはり門前払いにするべきだった。館に入れるべきではなかった。王都の屋敷で相対したときは相手の領域に入ってしまったことを悔いたものだが、現在のディックはそんな委縮するような思考は露ほども持っていないだろう。
ここの応接間は、ディックの屋敷の応接間よりも遥かに狭い。ディックだけでなく壁際にロジャーが立っていて、二人の動向を逐一観察している様子なのが落ち着かなかった。
ディックはヨルンの苛立ちなど気にしていない様子で、ノーラが淹れた茶を飲んで持参した茶菓子を食べながらくつろいでいる。
「ホムンクルスにカティヤに――俺が欲しいものが手に入らんとは。珍しいこともあるものだ」
これまでなに不自由なく欲しいものを手に入れていた貴族の子息らしい発言だった。
「それにしても貧相な館だな。錬金術師は荒稼ぎしているのではないのか? 館の主は貴族を迎える礼儀が感じられぬしな」
「街を辺境、住居を貧相と評する人間をどうやって礼儀正しく迎えろと言うんだ」
これだから王都に住む貴族は嫌いだ。爵位を持つ錬金術師からのヨルンや師匠に対する物言いも大概だったが、彼らにはまだ悪意があった。
ディックには悪気すらなく、自分にとって当たり前の豪華で高品質のものより下のものを見下しているから、たちが悪い。
「そもそも僕は君の友人になったつもりはないんだが。愚痴を言いに来たならお引き取り願おう」
「そうか。ならば錬金術師にわりのいい依頼をしてやろう。ありがたく思え」
「……依頼内容は?」
「惚れ薬を頼む」
「アスタの友人に不利益が出る依頼は断る」
「真っ先にアスタの名が出るのだな」
おかしそうにディックは笑った。
我慢の限界が来た。
「この際だから言わせてもらおう。アスタに近づくな」
クーユオの街で再会したときに言おうか言うまいか迷っていた言葉を、ヨルンは口にした。
「アスタの交友に口を出さないのではなかったのか?」
「ああ。だから君に言っている」
青と緑の瞳の視線がぶつかり合う。
「ホムンクルスは錬金術師が作り出したもの――そう、子供のようなものだ。その子供を買い取りたいと言ったり、一緒にいたら危険な目に遭うような相手には、近づけたくないのは当然だろう」
「子供、か」
失笑が混じった声音で、ディックはヨルンの例えを反復する。
「子供の行動に口を出す親というのは、端から見ると見苦しいものだな」
「…………それは」
幼い頃のことを思い出し、ヨルンは言葉に詰まった。
「子供は親の目が届かぬところで成長するもの、過剰な干渉など嫌うものだがな」
そして挑発的にヨルンのほうを見た。
「ときにヨルン。アスタに対する感情は、本当に親が子供に対して抱いているような保護欲か?」
ヨルンは目を見張った。
そして気がついた。目の前の若者には、その場しのぎの適当な話などしても意味はないのだろうと。
「……前言撤回する」
本音でぶつかり合わない限り、彼のやり方に飲み込まれてしまうだけだ。
「アスタのことを子供だなんて思っていない。僕の大切な存在だ。近づいて欲しくないのは君が気に食わないからだ」
にらみつけるヨルンの視線を、ディックは静かに受け止めた。
「そうか、残念だな。俺としてはアスタだけでなく、カティヤもヨルンも気に入っているというのに」
「君に気に入られてもまったく嬉しくない」
言いながら、すっかり冷めたお茶をすする。
「それにしても大切な存在、か。まったくもって興味深いな。しばらくすれば人間とホムンクルスの間にできた子供がおがめるのか」
お茶が気道に入り、ヨルンは咳き込んだ。
「なんでも異性愛に絡めて語る風潮が僕は大嫌いだ」
「だがそういうことだろう?」
ヨルンは肯定も否定もせずに黙り込んだ。
「人間とホムンクルスの間の子供を目にすることはない、とだけは言っておく」
「なぜだ? アスタたちくらいの年で結婚する者もいるだろう。活動年数が短いのだから、いまのうちに作っておけば――」
「人間に作られた人工生命体に、生殖能力があると思っているのか?」
アスタを作った錬金術師の言葉に、今度は来客が絶句する番だった。