王都の夢見人 6
モーゼスの姿が見えなくなってから、アスタは息を吐き出した。緊張で硬くなっていた身体の力が抜けていくのを感じる。
「なんだか意外でした。ディックさんはモーゼスさんを信頼している様子だったのに」
「長い付き合いだからこそ、主に厳しく辛辣なことを言う従者もいるけれど――本人にではなく第三者に告げ口するのはいただけないわね」
「でも実際、ここ半月ほど全力で遊び歩いてしまいましたからね……。屋敷に仕える人からしたら、苦言を呈したくもなるかもしれません」
「そうねえ。それでモーゼスは、アスタを脅してこの時間を早く終わらせたいと思ったのかしら」
意思があるホムンクルスがディックのものになってしまえば、ディックが客たちの機嫌を取るようなこともなくなる。しかしモーゼスの言い方は、こんな人間に所有されたら不幸になるだろう、とでも言いたげなものだった。
屋敷に仕える者からしたら、一般的なホムンクルスのような有能さもないアスタなんて、どれだけ意思があって珍しかろうが屋敷の住人に加える気にはなれないのだろう。
モーゼスに誘導された形になるのは釈然としないが、断るつもりだったのは最初から変わっていない。
「……ディックさんが帰って来たら、きっぱり断ります。初対面のときは相手に気圧されてしまいましたが、絶対に無理なことを押し通すような人じゃないと思えてきました。話し合えば、きっとわかってくれます」
「そうね。悪辣な貴族はあんなものじゃないわ。ディックは周囲にいる者に対して情があるようだし、半月ずっとかかわってきたアスタを無碍にはしないはずよ」
アスタはカティヤと頷き合い、ヨルンにもそのことを話しておかないと、と決めた。
「カティヤさんは大丈夫なんですか? もう既に半月経過していますが、突然王都に滞在することになって、なにか予定があったんじゃ」
「私は平気よ。いまは自由にさせてもらっている身だし、なにか緊急事態があったとしても半日かければ帰れるのだから」
「そうですか。わたしはヒスキさんやネアさんや、大通りのお店でよく顔を合わせる店員さんに会いたいです」
「そうね。ヒスキに最近会ってなかったし、街に帰ったらヨルンも含めて演劇をした四人で集まりましょうか」
その言葉に、アスタは氷の城でのヒスキの言い分を思い出して、ぴくりと反応した。ごく自然にされたその提案を、ヒスキに聞かせてやりたかった。
「カティヤさん……冬になってから会ってなかったヒスキさんにそこまで……」
「待って、春になってから会ったわよ。街で行き会って、時間が空いたからなにか仕事ないかって言われて斡旋してあげたことが何度か」
「会ってたんですか。なんだ、よかったです……」
安堵の息を吐き出すアスタに、カティヤは心外そうな視線を向けた。
「なに、アスタからしたら、冬の間会ってなかっただけでつながりは切れるものなの? 私、アスタとも雪がたびたび降るようになってから会っていなかったけれど」
「それはちょっと、怪我をして館に閉じこもっていたからで」
「怪我? 初耳ね」
「もうなんともありませんよ」
苦い思い出は反復しないに限る、とアスタはさらりと受け流した。もっともヨルンに抱きかかえられたことに関しては忘れたいわけではないが――いまだに気持ちの整理もついていない。
「そういえば、春になっても雪が降り続いた事態を解決したのはアスタとヨルンで、その調査に自分も同行したとかヒスキが言っていたわね。正直眉唾物だと思っていたけど、まさかその話が本当でそのときに怪我を?」
「怪我はそれより大分前ですよ」
「雪の件は否定しないのね。なにがあったの?」
目を輝かせてそう問いかけてくるカティヤは、詳しい話を全部するまでは解放してくれそうになかった。
カティヤと長話をしていて気がついたら、すっかり時間が経過してしまっていた。
昼食を食べた後、先程決めたことをヨルンにも伝えようと、アスタは客室に戻ろうとする錬金術師を追いかけた。
「ヨルンさん、ちょっといいですか?」
「ああ、少し待ってくれ」
ヨルンは鞄に箱を入れ、それをノーラに持たせた。
「どこかにお出かけですか?」
「この周辺に住む者から受けていた依頼が終わった。これからノーラに届けてもらう」
自分で届けに行く気は王都に滞在していても起きないらしい。
王都での滞在は、当初の予定より短くなるかもしれない。そして基本的にアスタたちはディックに王都を案内されて、ここ最近はヨルンがそれらに同行することもなかった。
ふと思う。ヨルンと二人で屋敷の外を歩いたことは、なかったのではないか。
「ヨルンさん。せっかく王都にいるんですし、周辺を歩いてみませんか?」
「何度か師匠に連れられて来たことがあるから、君よりは王都には詳しいはずだが」
「それ、錬金術師としての用事を済ませるための場所を行き来しただけでしょう。他にもいろんなお店や施設があるんですよ」
アスタが力説すると、ヨルンはしばし逡巡していた様子だったが、やがて頷いた。
「……そうか。そうだな」
廊下で行き会ったモーゼスと客室に戻ったカティヤに外出することを伝えると、カティヤも興味をそそられたようだ。
「そういえば、ディック抜きでアスタたちと王都を歩いたことはあまりなかったわね。初日の買い物くらいだったかしら」
「カティヤさんも行きますか?」
「そうねえ」
カティヤはまじまじとアスタとヨルンを見つめ、微笑んだ。
「やめておくわ。二人でゆっくり行ってらっしゃい」
「そうですか? あ、なにか入用のものがあれば買ってきますが」
「いまのところないわ。それより土産話のほうが楽しみね」
期待のこもった瞳を向けられてしまった。ディックに連れられて行ったような名所に行くつもりなんてないのだが。
屋敷を出て、広い庭を進みながら話をする。
「なんでしょうね、カティヤさんのあの態度」
「さあ……」
デートに赴く男女を見守るような気遣いをされても困ってしまう。
「錬金術師とホムンクルスが一緒に出掛けるなんて普通です。そもそも同じ館に住んでいる者同士ですよ」
「僕はあまりホムンクルスと出かけたことはなかったが」
そういえばそうだった。アスタが目覚めるまで、ヨルンは外の用事は館のホムンクルスに一任していたのだから。
「もっとも一緒に出掛けた相手はアスタだろうな」
しみじみとヨルンはそう言った。カティヤの屋敷で演劇の練習をしていた間は、基本的に二人で屋敷までの道を行き来していた。ネアの診察や見舞いに一緒に行ったこともある。
何度もともにクーユオの街を歩いた相手と、いまは王都の城下街にいた。最近では慣れてきてしまっていたが、アスタはドレス姿でめかし込んでいる。
先程頭に浮かんだデートという単語が、再び形を取った気がした。頬が熱くなり、ヨルンから顔を背ける。
「……別に、そういうわけじゃ」
「ああ、アスタはたびたび街に繰り出していて、僕よりもカティヤやヒスキと過ごした時間のほうが多かったか。王都ではディックに連れまわされていたし」
「そ、その話でもなくてですね」
いまいちすれ違っているやり取りに気づき、アスタは慌てて手を左右に振った。
王都の上空はよく晴れていた。依頼人のもとへ向かうというノーラと別れて、アスタとヨルンは屋敷近辺の道を歩いて行く。
馬車で駆け抜けた大通りやディックの講釈を聞きながら立ち寄った場所も、ヨルンと二人だと印象が変わって見えた。
「ヨルンさんは王都のどこへ行ったことがありますか?」
「錬金術師の協会、研究所、素材が売っている店、図書館、依頼人の館、宿屋……」
指折り数えて並べた場所は、やはり用事を済ませるために赴いたと思われる施設だった。
「じゃあ違うところへ行きましょう」
「ディックが案内したようなところか?」
「そうは言っていません。ほら、ああいうのとか」
アスタが指さしたのは、大衆向けの串焼きの屋台だった。二本買って、一本をヨルンに差し出した。
「こういう食べ物を買うのって、貴族の方と一緒ではやり難いですよね」
「……そうだな」
串焼きが受け取られる。近くにあったベンチに腰かけて、二人で串焼きを頬張った。以前ヒスキに奢ってもらったものとは違い、塩と香辛料の味だ。
「そういえばいつだか、屋台でこうした食べ物を買って来たな」
「たまに無性に食べたくなるんですよね。特にディックさんの屋敷で出るような、繊細で栄養管理ばっちりそうな食事が続いた後だと」
「そうなのか。こういったものが好きだったのか?」
「おいしいものならなんでも好きですよ。カティヤさんの屋敷で食べさせてもらった焼き菓子も好きです。ヨルンさんは?」
「食べ物の好みか……」
最後の一口を食べて飲み込んでから、ヨルンは続けた。
「正直、食事なんて空腹が満たせればなんでもいいと思っていた」
「それ、ノーラさんの前で言っちゃ駄目ですよ。館の食事だって手間暇かかってるんですから」
「アスタも作ってくれてるしな。ここ半月ほど食べてないが……」
ヨルンは王都の上空に広がる空を見上げ、しばらくの間の後、続けた。
「なんでもいいと思っていたはずなのに、君と食べるようになってからは、満足感が変わった気がする」
「そうですか」
不思議そうにそう結論付けるヨルンに、アスタは微笑んだ。
串焼きを食べ終わり、歩き出す。ディックたちと行った大通りではなく、そこから折れた道を進んで行く。中心街に比べたら人通りは少ないが、それでもクーユオの街を行きかう人よりは多い。
初夏の日差しが地面に濃い影を落とす。アスタが周囲の店を見渡しながら歩いていると、ヨルンがぽつりと声をかけてきた。
「それで、屋敷に滞在してしばらく経ったわけだが。アスタは王都での暮らしのほうがいいのか?」
パーティーの日に訊かれたようなことを、また言われてしまった。風が吹いてドレスの裾を揺らす中、アスタはヨルンのほうに視線を向けた。
「王都でのディックさんの屋敷での暮らしは、豪華絢爛で目まぐるしくて、情報量が多過ぎてくらくらしますね」
「ああ。ホムンクルスの短い活動年数を有意義に過ごせることだろう」
アスタがディックの屋敷に留まる結果になることを、予測しているかのような言い方だった。
確かにディックは強引にアスタたちを王都に滞在させて、その気になれば強制的にホムンクルスを自分のものにしてしまうことくらい、やろうと思えばできるのだろうが。
外的要因以上に、ヨルン自身が傍にいる親しくなった者もいずれはいなくなる、と思っているかのように聞こえた。
ヨルンは家族と先代錬金術師を亡くした。雪の精霊から分離した存在と打ち解けたが捨てられて、長い間再会することも叶わなかった。
ホムンクルスも、活動年数は十年ほどと決まっている。ずっと一緒にはいられない。別れが来ることは決まっている。だけど。
「あのですね。こうした非日常は、日常にしてしまったら意味がないんです。たまに体験するから楽しいんです」
「だが」
「きっちりお断りしてクーユオの街に帰りますよ。むしろ帰る予定を早めたほうがよさそうで、そのことをヨルンさんにも言っておこうと思っていたところです」
アスタの活動年数はまだ尽きていない。住む場所も傍にいたい人も自分で決めたいし、ヨルンにもそうであって欲しい。
アスタを手放したくないのなら、諦めたようなことは言わないで欲しかった。
「……ここにいたければいていいんだぞ」
「ヨルンさんもカティヤさんも、王都に永住する気はないじゃないですか。それにヒスキさんやネアさんにもう会えないなんて嫌です」
ヨルンにまっすぐに向き合い、青い瞳に目を合わせて、アスタは言った。
「わたし、会ったばかりの貴族の方よりも、ヨルンさんたちのほうが愛着があるんです」
「……そうか」
「わたしを売る気はないって言ってくれたじゃないですか。初志貫徹してください」
「そうだな」
ヨルンはわずかに微笑み、若干吹っ切れたような顔になった。
「でもたまには王都に行くのもいいですよね。今度ヨルンさんが用事で王都に行く際は、同行してもいいですか?」
「……そうだな。たまに一緒に行く分には、いいかもな」




