音無奏、自愛せよ
突如、忘れもしない戦慄すら覚える声が、耳元と錯覚するほどの傍から聞こえた。
振り向くと鬼のような形相をした轟天丸と、振り降ろす岩のような拳がテンカサンブのモニターに迫っていた。ソレナリオが反応する間も無く、襲いかかった衝撃がテンカサンブのコックピットを激しく揺らす。
「なんだと……!」
ソレナリオは間合いをとろうとするも体勢を立て直す隙も与えられず、繰り出される重い衝撃に圧倒され、もう一度頭部に受けた強烈な一撃でテンカサンブは宮古川の河原に叩きつけられた。
「……音無君」
岩淵は橋の欄干から身を乗り出し、今は轟天丸となっている音無奏の後姿を見つめていた。
ふり絞るように、奏の名を呼ぶしか岩淵には思いつかなかった。
『立て、貴様の間合いはわかっている』
轟天丸の言葉に、ソレナリオはチッと舌打ちした。死んだふりと決め込んで轟天丸が接近してくるのを狙っていたのだが看破されていたらしい。
近づいて来る気配を見せない轟天丸に、ソレナリオはテンカサンブを起き上がらせると、一気に跳ぶようにして後方へと退いた。およそロボットの動きとは思えず、巨大な人間が中に入っているといった方がよほど信憑性のあるような動物的な動きを見せた。
かつてA・Iに搭載されていた人工知能システムを介し、コワイネンの神経とリンクしている。今のテンカサンブは巨大化したコワイネンが甲冑を装備して戦っているようなものだった。
ソレナリオはヨワルスキーにシステムチェックの指示を脳波で送る。モニターが一瞬乱れたもの、システム自体に異常無しの結果がソレナリオの脳波に送られてくる。
〝今のは不意打ちに驚いただけさね。パワーならこのマシンの方が上に決まってんだろ!″
『ならば、やってみろ……』
轟天丸が右足を後ろに引き、空手のように手刀と引き手をつけて悠然と構える。
挑発にかかったとソレナリオは内心ほくそ笑む。
巨体の轟天丸でも大人が三人乗るテンカサンブと比べれば、轟天丸の身長は身体半分に近く、体格は大人と子どもほどの差がある。A・Iやテンコーンとの戦闘データを参考に作られたテンカサンブは轟天丸の力を凌駕したという結果が出ている。ましてやテンカサンブの運動中枢を担うのがアングランドでも屈指の人間離れした身体能力を持つコワイネンだ。
さっきは油断をして不覚をとったが真っ向勝負で負けるとは微塵にも思わなかった。
砂塵を巻き上げて疾駆するテンカサンブを轟天丸は静かに待ち構え、ほんの僅かに引いて右腕に力を込める。
〝スレッド〟が光速処理を行い、轟天丸のデータを再び書きかえる。
轟天丸の周囲に漂う炭素を吸収し、肉体を変質させていく。炭素は力を集めた右腕の拳に集中し、金剛石のように硬く研ぎ澄まされていく。
『……火生三昧に住して、障を焼いて智火を成す』
〝なあにブツブツとほざいてんだいッ!″
テンカサンブの鉄拳が唸りを上げて轟天丸に襲いかかる。
轟天丸の身体を包み隠すほどの巨大な拳が、轟天丸を吹き飛ばすかと思えた瞬間、轟天丸は小さな気合を入れて放った正拳突きがテンカサンブの拳と真っ向から衝突した。
格好つけの馬鹿がとソレナリオが嘲笑った刹那、その笑みが凍りついた。
轟天丸は着ている袈裟がぼろ雑巾のように破れているものの一向に平気な顔をしていた。ソレナリオが言葉を発する間もなくテンカサンブの右腕に一筋の亀裂が奔る。
やがてその亀裂は枝分かれするように無数の細かな亀裂を生みだし右腕全体を覆っていった。
「なんだと……!」
ソレナリオが叫ぶと同時に、テンカサンブの右腕は粉微塵となって砕け散った。陽の光を反射させて散ってゆく銀色の破片が周囲に細かな粒子となって振りそそいでいった。
おのれとソレナリオはコックピットで怒号し、まだ宙に残っている欠片の粒子を拭き散らすにして機体を突進させ攻撃を仕掛けてゆく。片腕を無くしバランスを失っているにも関わらず充分に鋭い攻撃だったが、それを轟天丸はしなやかに受け流していた。
「これでも喰らいな!」
テンカサンブの左腕に光のエネルギーが滞留し、近距離でエネルギー弾を轟天丸に放った。しかし、ソレナリオの意図を察した轟天丸が瞬時に放った轟掌波でエネルギー弾を掻き消し、強大なエネルギー波同士が衝突した衝撃でテンカサンブと轟天丸の巨体がはね飛ばされた。相打ちといった格好だが、至近距離で轟天丸の反撃を予想していなかったソレナリオの方にダメージが大きく、テンカサンブは尻もちをついて倒れた。
身体を激しく打ちつけ、ソレナリオの意識が一瞬眩んだが、ヨワルスキーが担当するセンサーが膨大なエネルギーを感知する警告音をけたたましく鳴らしてくれたおかげですぐに意識を取り戻すことができた。急いで顔を上げると、轟天丸から轟掌波が放たれようとするところだった。
「……!」
ソレナリオの身体中から血の気が一斉に引き、逃避行動を思念したようにソレナリオの脳波がコワイネンに伝わってテンカサンブの機体を上空に飛翔させる。ソレナリオの行動を予想していたのだろう。轟天丸は溜めこんだエネルギーをそのまま上空に向けて轟掌波を放った。
テンカサンブの最大エネルギーを使ってもはるかに凌駕するであろう青白いエネルギーの熱波が、テンカサンブの機体を呑みこんでいった。灼熱の濁流に流されたテンカサンブの装甲が剥ぎ落され、徐々に溶かされていく。
このまま死ぬのかとソレナリオは死に直面しても不思議と恐怖を感じなかった。
やりたいことをやって生きた。
貧しいスラム街に生まれて、一〇代の頃から売春街で僅かな金のために、醜い男たちを相手に惨めな人生を過ごしてきたソレナリオにとって、アングランドは自分の意外な一面を見出し活かすことが出来た場所だった。ひょんなことから部下を持ち、幹部にまでのし上がった。金や目的を達成する為にどんな汚いことでもやった。汚いと罵られようが手段を選ばず、そして、自分と同等の人間と争い罠にはめ、殺してきた。血で汚れきった自分を正当化するつもりもない。罪を償うだとか、そんなつもりもさらさらない。あるがまま受け入れるさ。コワイネンやヨワルスキーだって程度の差はあれ、自分と似た様な連中だ。催眠状態のまま死ねるなら楽なもんだろう。
ソレナリオはシートに身を委ね、迫りくる死に備えて気を鎮めようとした。
だが、そんなソレナリオにふと何かがぷかりと浮かんだ。
「……いやだな」
何気なく漏らしたその一言で、ソレナリオの中で気持ちの糸が切れた。
迫りくる死に対する恐怖と絶望に対して少しでも免れようと必死でもがくソレナリオがそこにいた。テンカサンブのコックピットを覆っていた装甲がはがれると、目の前には灼熱の世界が広がっている。凄まじい熱量がぶ厚い断熱材を用いているコックピットの外殻からもビリビリと伝わってくる。いずれこの外殻を破り、業火がソレナリオ達を焼き尽くすだろう。
「……いやだ、死にたくない。……助けて」
外殻に亀裂が生じた。
「いやだ!いやだ!」
逃れられない死に直面して、ソレナリオは恥も外聞もなく顔中を涙とヨダレでべとべとに汚しながら泣き叫び、許しを請い、ただ生きることだけを切望し、悪夢を振り払うかのように両手を激しく振り回した。
生きたい。
ソレナリオの心がその一言を願った瞬間、目の前に澄みきった青空が広がっていた。
「……」
空を見上げた姿勢のまま、テンカサンブの機体がゆっくりと降下していくのがわかった。視界に三鏡橋が映る。轟天丸と闘った時とは随分と遠く、下が河原なのは変わりがないが周りには小高い山が見えている。戦闘時の場所よりも相当、距離があるように思えた。
A・Iに搭載されていた人工知能システムがソレナリオの強烈な思念と共鳴し、テンカサンブの機体を空間転移させていた。
岩淵から考案され基本的には轟天丸の〝スレッド″と同じ設計理念を持つ人工知能システムが、ソレナリオによって最後の最後で漸く本領を発揮したのだが、ソレナリオ自身は何が起きたのかは判然とせず、轟天丸のエネルギー波から運よく免れたらしいとぼんやり認識するのがやっとだった。
胴体と左腕のみを残したテンカサンブは幾ら動かそうとしてもぴくりとも反応しない。残されたエネルギーを降下に使っているからだろう。魂が抜けたように呆然と空を見つめながら、ソレナリオはもう死ねないという想いだけがはっきりとしていた。
テンカサンブの機体が地面に着地する瞬間、七色の輪がやわらかく衝撃を吸収して霧のように散っていった。
放心状態のまま、ソレナリオは空を見上げていたが、コントロールパネルから甲高い受信音が耳を鳴らし、のそのそと物憂げに通信機を取り出し回線を開くと3D映像が浮かび上がり、ボスの顔が映し出された。
どうやら休暇を終えて本部に戻っていたらしい。クリーム色の壁を背景に立っている。何度も訪れたからよく知っているが、ボスの部屋には専用のカメラが設置されていて、部下と直接、会話が出来るようになっている。
〝任務に失敗したようだね。ソレナリオ″
「はい、申し訳ありません……」
〝君には失望したよ。アングランドの最高傑作を使ってそのざまとはね。残念ながら君は輪がアングランドに甚大な被害を及ぼした。これで我々の活動はしばらく縮小し何年か潜伏しなければならなくなる。全て君の責任だ〟
「それはわかっていますよ。機体ごと自爆しろと言うんでしょ?」
〝できるのかね?あれほどみっともなく泣き喚いた君が″
ソレナリオはグッと奥歯を噛みしめた。自分の中に投げやりな気分は残っていても、組織の一員としてけじめをつけるといった覚悟といったものは既に無くなっている。
「……なら、どうするおつもりですか」
神林町ごと消えてもらうと事もなげに語るボスの言葉にソレナリオは耳を疑った。
〝既に一発の核ミサイルを神林町に向けて放っている。ミサイルは君の通信機から発する信号に誘導されて、もう十数分もあればミサイルも到達する。テンカサンブを失うのは残念だが回収も難しい上に、轟天丸や岩淵の存在は厄介だ。それに、我々アングランドの痛みを日本国民にも少しは味わってもらわないとね″
「……」
〝これで君ともおさらばだ。安らかに眠りたまえ″
言い終えると映像がプツリと途切れた。何の感情も沸かずソレナリオは通信機を見つめていたが、最早どうでもいいと思うと通信機をコックピットの隅に放り投げた。
「……話は聞いてんだろ。アンタら」
ソレナリオはテンカサンブの傍に立っている轟天丸と岩淵に向かって呟いた。いつ頃からいたのかわからなかったが、深刻な表情の様子からソレナリオとボスとのやりとりが聞こえていたらしい。
「もうすぐ核ミサイルがこの機体目掛けて落ちてくる。私もアンタらもこれでお終いだね。轟天丸の足なら今からでも爆発圏内から逃げ出せるだろ?早く逃げないと町ごと真黒こげだよ」
岩淵はじっとソレナリオを見つめていたが、傍らで腕を組んで佇立している轟天丸を見上げるともう一仕事やれるかと尋ねた。愚問なり岩淵、と轟天丸は大きく頷いた。
『我が名は轟天丸。ミサイルが如き無機物の一つや二つに怯みもせんわ』
「……よし、なら頼む」
「ちょ、ちょっと、アンタら何を考えているのさ?ミサイルをあの〝轟掌波″というやつでぶっ飛ばすつもりかい?あんなエネルギー波をぶつけたら、空中で大爆発を起こして神林町だけじゃ済まなくなるよ?」
ソレナリオはコックピットから思わず身を乗り出して怒鳴ったが、轟天丸は意にも介さず空を凝視し、岩淵は未だに意識を取り戻さないで座席でぐったりとしているコワイネンとヨワルスキーの容体を確認している。
寝ているだけだなと岩淵が肩をすくめると、轟天丸は空を見上げる姿勢のままソレナリオの名を呼んだ。
『確認したい。あのミサイルは本部から発射されたものなんだな?』
「あ、ああ……」
『貴様らのボスとやらもそこにいるのか?』
「……いる。映しだされていた場所は間違いなくボスの部屋だった。噂でしか知らないが本部の地下施設にミサイルがあるらしい」
『周りには何がある?』
「……何もないよ。砂漠と岩だらけさ」
国連からの追及を恐れて極秘にされているため、核の存在はソレナリオも噂でしか知らない。
わかったと言うと、轟天丸は破れた袈裟を脱ぎ捨ててテンカサンブの前に立ち、むずと両足で大地を踏みしめた。そして、唸るような声を発すると大気が震え始め、赤銅色の身体が金色の光に包まれてゆく。
キラリと空に何かが光った。
来たかと岩淵が空を睨み上げる。
初めは小さな黒点だったものが次第に大きさを増していき、鉛筆に似た鋭い先端と飛行機の尾翼のようなシルエットを浮かび上がらせていく。ソレナリオが初めて見る型のミサイルだが、ボスが言った核ミサイルだというくらいは容易に想像がつく。
爆発すれば爆圧と衝撃波が周囲の小さな山々を崩し人や町を呑みこんで爆心地から半径数百キロはほぼ壊滅状態となるだろう。巨大なミサイルは大気を切り裂き、炎と煙を吐きながら轟音とともにテンカサンブの機体目掛けて一直線に向かって来る。ソレナリオは無力感に包まれながら巨大なミサイルを見上げていた。
「あんなの、どうするんだい……」
『臆するな、ソレナリオ。我が闘志、頭上漫々、脚下漫々』
轟天丸がふんと四肢に力を込めると身体を覆う光が更に輝きを増し、光の粒子が何重にも渦巻いて、エネルギー波がバリアのように形成してゆく。
だが、その光はただのバリアではないようだった。ミサイルがバリアに到達すると音速を超えるミサイルの勢いを弱らせ、次第に減速させていった。そして、ミサイルがテンカサンブの前に立ちはだかる轟天丸に到達しようとする頃にはミサイルの推進ノズルは沈黙して勢いを完全に失い、ゆっくりと降りてくるミサイルの胴体を掴んで肩に担ぐと、やり投げの様な格好で持ち直した。
『岩淵、ソレナリオ。貴様らはその機体の影に隠れていろ』
「そんなの、どうするつもりだい?」
ソレナリオはコックピットに身を潜め、轟天丸の巨体を見上げながら叫んだ。
『このような不躾なものは受け取れんと、ボスとやらへの返答だ』
轟天丸は獣のような咆哮を上げて勢いよく踏み込むと、天空に向かってミサイルを投げ飛ばした。ゴウッと凄まじい風が吹き荒れ、砂塵を巻き上げながら周りの木々や岩を薙ぎ払っていく。投げ飛ばすと言うよりも発射したという表現の方が似つかわしいほどの勢いで、ミサイルはあっという間に遥か空の彼方へと消えていった。
「終わったかな」
『……ああ、これで終わった』
ミサイルが完全に見えなくなったのを見届けると、轟天丸は自身を覆っていた光を消して傍らに並んで立つ岩淵に向いた。
『岩淵、貴様には世話になった。これで貴様がアングランドに追われることはないだろうが、残党はまだ世界各国に残っている。今後、会える機会などないだろうな』
「そうかな?何だか、僕にはまたすぐに会える気がするよ」
岩淵が手を差し出すと、轟天丸は大きくぶ厚いその手で柔らかく握った。
「……アンタら、二人で勝手に何の話を進めているのさ?ミサイルを防いだからって危機が去ったわけじゃないんだよ?まだ、ボスは世界征服を諦めたわけじゃないんだからね」
呆気にとられた様子で二人のやりとりを眺めていたソレナリオが、ふと我に返ると当惑した様子で口を挟んだ。
『それはいずれわかること。貴様は大人しく罪に服すればよい』 「……?」
『天、なお寒し。自愛せよ』
さらばだと告げると、轟天丸は高らかな破笑をこだまさせながら、疾風のように山を越えて神林町へと向かって去っていった。
岩淵は轟天丸が見えなくなっても、蒼い虚空を見上げていたがカチャリという金属音が後ろから聞こえて後ろを振り返ると、ソレナリオが小さな短銃を岩淵に向けている。
「岩淵、最後の最後で油断したね。これでアンタを本部に連れて帰れば任務を遂行したことになるし、最低でも私の命も助かるだろう。私と一緒に来るんだ!」
「……さっき、轟天丸が〝自愛せよ〟といったばかりだろう」
岩淵は動じた様子も見せず、また空を見上げたのだが、何かを思い出したかのようにアッと突然声を張り上げた。
そして携帯電話を取り出し、やにわに町に向かって駆けだして行く。
「待ちな!おい、岩淵!」
突然の声に残されたソレナリオは銃を打つ暇もなく、遠ざかる岩淵の背中をただただ見送るしかなかった。急に辺りが静かになると、それまで気にも留めていなかった川のせせらぎや小鳥の鳴き声が耳に入りこんできて、それまで昂ぶっていた感情が次第に落ち着いていくのを感じていた。
落ち着いてしまうと虚無感がソレナリオの胸を支配し、近くの岩場に腰掛けて岩淵がそうしていたようにソレナリオも空を見上げていた。
「ううん……」
テンカサンブのコックピットから声が聞こえ、見るとコワイネンとヨワルスキーがコックピットから這い出てくるところだった。
「ようやくお目覚めかい」
「ソレナリオ様……、結局、作戦はどうなったんですか?」
コワイネンが目を擦りながら尋ねた。
「テンカサンブをみればどうなったかわかるだろ」
ソレナリオが顎でシャクると、コワイネンとヨワルスキーは後ろのテンカサンブに振り返ると、全てを察するにはそれで充分らしく、言葉を失ってそのまま俯いてしまった。
「このままじゃ本部に戻れませんね……」
ヨワルスキーは青い顔をさらに蒼白にさせていた。
「もちろんさね。さっそく……」
ソレナリオが次の計画を掲げようとしたところ、堤防の上から黒いバンが猛スピードでソレナリオたち向かってくるのが見えた。コワイネンが身構えたがそれをソレナリオが目で制す。
車両の型とナンバーに見覚えがある。
「……パシリオか」
バンは急停車すると、車内から飛び出すようにして出て来たのはやはりパシリオだった。逃走の手助けにでも来たのかと思ったが、興奮と困惑と混乱が混ざっている顔をしてどうも様子がおかしい。
「なんだい、何があった」
パシリオが喋る前にソレナリオが怒鳴った。
「本部が……、ボスが……」
「……?」
「本部が謎のミサイルで爆撃を受けて壊滅状態だそうです!建物も全壊、ボスも行方がわかりません!ですが、おそらく……」
パシリオの言葉がそこで詰った。話を聞いたコワイネンやヨワルスキーも驚きを隠せずに顔を見合わせているが、ソレナリオは岩淵と轟天丸の「終わった」というやりとりを思い出していた。
轟天丸の〝スレッド″がミサイルの到達時間、角度、質量、速度から本部までの距離を計算し、無尽蔵のパワーを使い数千キロに及ぶ本部まで投げ返して本部の施設ごとボスを消滅させていた。
「終わった、か……」
確かに終わった。
命令を達せられなかったことで、ボスからの処分や追手に怯える必要もなくなった。岩淵を追う必要も轟天丸を倒す必要もなくなった。アングランドの本部が消滅してしまって全てがゼロになりソレナリオはただの女に戻っていた。憑きたものが落ちたように、言いようのない虚脱感が訪れ、ソレナリオは岩場に力なくへたりこんでしまった。
「とにかく、自衛隊の応援が傍まで来てますし、警察がこちらに向かっています!早くこの車に乗ってください!」
パシリオの声に促され、コワイネンとヨワルスキーがバンに行こうとしたがソレナリオが座ったままなのに気がつくと、二人は足を止めた。
「ソレナリオ様、どうされたんですか?」
「アンタらは逃げればいい。私はここに残るよ」
捕まっちゃいますよ、ここにいたらとヨワルスキーが慌ただしげに言った。
「本部は無くなっちまったんだろ。捕まっても追手が来ないなら、逃げる必要がどこにあるんだい?」
「……」
「私は、疲れたよ」
早く乗ってとパシリオの焦燥感に満ちた声が響く。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。コワイネンとヨワルスキーは互いの視線が絡むと、苦笑いを浮かべて小さく頷いた。
「パシリオ……、お前だけでも行け」
「何故ですか!早く!」
「いいから、行け!」
コワイネンの怒号にパシリオは押し黙り、しばらく三人を見つめていたが、一礼すると、車に乗り込んでどこかに走り去って行った。次第にサイレンの音が大きくなる。
「アンタらまで残らなくていいのに」
仕方ありませんよとコワイネンがソレナリオの隣に座った。
「私らはチームですからね」
「……アンタらも物好きだね」
憎まれ口を叩きながらも、ソレナリオは目がしらが熱くなるのを感じていた。
だが、泣くまい。
泣くには自分がこれまで多くの血を流してきた人間の数が多すぎる。
彼らも自分のように生きたいと願ったようにちがいない。それなのに彼らは死に自分は生き伸びた。泣いたところで所詮は感傷に過ぎず、死者が浮かばれないだろうとソレナリオは思った。今後、何が起きようと、どんな罰を受けようともソレナリオはソレナリオのままでなければなるまい。
ただ、もし自由の身になることができたらあの漁港に行きたいと願いながら、視界の端に、けたたましいサイレンとともに赤色灯を点灯させるパトカーの姿が映った。
――あいつらに完敗だな。
負けたはずなのに、ソレナリオの胸中には、不思議と爽やかな風が流れ込んでくるのを感じていた。
※ ※ ※
〝ごめんなさい……、岩淵さん。あんな格好つけたのに……″
「まあまあ、落ち着きなさい。いま行くから」
ふええと泣きじゃくりながら、鼻をすする奏の声が電話口の向こうから聞こえて来た。もう一方の手に長袖Tシャツとジャージ上下の入ったビニール袋を提げた岩淵は、スポーツ用品店を後にして野次馬を掻き分けながらあちこちのビルを慌ただしく見渡した。
「泣かなくていいから、そこで待っていなさい。今、茶色の建物の屋上にいるんだね?」
〝ええと、向かいに八花牛乳という看板が見えます……″
「着替えを持っていくからね。寒いだろうけど我慢しなさい。携帯の電池は大丈夫?」
〝……ひとつしか無いです〟
「じゃあ、一旦切るから。見つけたらまた電話するからね」
早くお願いしますと震えながら発した言葉は、声にならない声で電話が途切れた。
岩淵は奏へ轟天丸に関する全ての情報を奏に与えていたつもりだったが、ひとつ伝え忘れていたことがある。
轟天丸の肉体は〝スレッド″の力により奏の肉体が変化し強化されたものだが、轟天丸が着用している袈裟のような衣服も同様で、奏の着ている服が再構成されて繊維が鋼並に強化されたものだ。
変身時は男の筋骨隆々とした肉体やマッチョな性格に変わっているので脱いでも大して支障はないだろうが、それを破り捨ててしまえば服を捨てたのと同然となる。奏に伝え忘れていたのはそのことだった。
奏が裸同然の姿で愚図りながら、がたがたと震えている光景を思い浮かべると、世話の焼けるヒーローだと複雑な気分になって、今後も何かしら会うことになりそうだなと思いながら、岩淵は苦笑いして八花牛乳の看板を探すのだった。
完




