第一話「出会い」
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夜の九時。
夏が始まろうとする五月の空気は、
少しだけ湿っていた。
塾帰りの上路 緑は、
スマホのインカメを見ながら前髪を整えていた。
「うわ、湿気で終わってる……」
駅前で買った新作のスタイリング剤も、
この田舎の空気には勝てないらしい。
肩まで伸びた明るめの髪を指でいじりながら、
緑は住宅街の坂道を下っていく。
イヤホンから流れる流行りの曲。
通知欄には友達のメッセージ。
――《今度の日曜イオン行こ~》
――《新しいカフェできたらしい》
《行く行く~》
適当に返信を打ちながら歩いていたが、
急に強い風が吹いて足を止めた。
風の吹く先に視線を移すと、いつもは視界にすら入らない住宅街の端の古びた集積所があった。
粗大ゴミの日だったのか、
壊れた棚や家電がいくつか積まれている。
その中に不自然なものがあった。
「……なにこれ?」
四角い卓。
脚付き。
中央には穴みたいなものが空いていて、
緑色のマットが張ってある。
しかも妙にデカい。
「テーブル……?」
近づいてみると、かなり汚れている。
緑はスマホで写真を撮った。
《なんかヤバい机捨ててあるw》
送信。
――《あー、それ麻雀卓じゃない?》
――《まーじゃん?》
――《全自動卓ってやつ。高いんじゃない?》
《へぇ~》
適当に返した。
麻雀。
もちろん名前くらいは知っている。
でもそれだけ。
おじさんがやるもの。
決して華やかな女子中学生とは関わりのないもの。
自分とは一生関係のない世界。
そう思っていた。
「全自動って何が自動なんだろ」
興味本位で卓を触る。
そして中央のパネルを押してみた。
(カチッ。)
「ん?」
突然、卓の中からガラガラガラッ!!とすさまじい音が響いた。
「なにっ!?」
思わず後ずさる。
すると次の瞬間。
(ガコン!!)
内部で何かが引っかかったような音がした。
そして、
(――バチン!!)
動かなくなった。
「……」
「……壊れた?」
恐る恐るもう一度ボタンを押すも、反応はない。
「いやいやいやいや」
その時だった。
背後でなにか気配を感じ、後ろを振り向いた。
しかし後ろには誰もいない。
生暖かい風を感じながら、全自動卓に視線を戻した。
次の瞬間。
卓の向こう側に、“男”の体が見えた。
少しずつ視線を上に動かしていく。
白っぽい異国感のある服。
長くてさらさらとした白髪。
異様に整った顔。
だが何か違和感がある。
少し透けている......?
恐る恐る視線を下に動かしていく。
......足元が透けている。
「………………」
「………………」
緑は数秒固まった。
そして。
「ギャアアアアアアア!!!!」
逃げた。
歩いてきた住宅街を全力で引き返す。
「待て!!」
「来んなぁぁぁ!!」
しばらく直線を走ったあと、追いかけてくる男をまくために曲がり角を曲がる。
「ここまで来たら大丈夫かな?」
少し息を整えて、角からチラッと顔を覗かせる。
男は追いかけて来ていないようだ。
「良かった~。なんなの?!まさかだけど幽霊じゃないよね!?」
後ろを振り返るとその男が立っている。
「うわぁぁぁ!?」
「聞け!!」
「無理無理無理無理!!」
◇
十分後。
近所の公園のベンチで再び息を整えていた。
男は私の頭の上に浮かんでいる。
さも当然のように。
「……で?」
声を震えながら言った。
男は険しい顔で腕を組んで答えた。
「貴様、我が依代を壊したな?」
「よりしろ?」
「あの全自動卓だ」
「知らないし!」
「知らぬで済むか!!」
また逃げようとするも、
今度は男が目の前に立ちはだかった。
また夜風が強く吹く。
その風に男の長髪が揺れる。
「我は麻雀の神である」
数秒の沈黙の後、ばっさりと答える。
「絶対違う」
「違わん」
即答だった。
頭を抱えた。
人生終わった。
塾帰りに変な人に絡まれた。
いや、人じゃなくて幽霊か。
「……ていうかなんでついてくるの?」
「呪いだ」
「軽く言うな!」
正直なところ、緑に憑いているのは男の意思ではなかった。
離れたくてもなぜか緑から離れることが出来なかったのである。
だがテンパってた末に呪いと答えてしまった。
こうなったら引き下がることができず、
続けてこう放った。
「依代を壊した代償として、
貴様には呪いがかかったんだ」
「もう最悪なんだけど!!」
すぐに携帯を取り出して、"幽霊 お祓い"と検索する。
「そんなもので我の呪いは解けるのか?」
「やってみなきゃわかんないじゃん」
そうして値段を見る。
が、私の所持金ではとても払えない額だった。
私は肩を落とす。
「そんなに呪いを解きたいのか?」
「当たり前でしょ?」
「......お前が麻雀を愛すれば、
呪いは解けるかもしれないぞ?」
「……ほんと?」
もちろん男もどうやったらこの状況から解放されるのかなんて、分かっていなかった。
でも緑の落胆ぶりに少し情が湧いてしまった。
「ああ。そんな気がする。」
男は静かに言った。
「麻雀を貴様が愛せば.....
麻雀を知り、理解し、愛すること。
それが呪いを解く方法だ.......(多分)」
「いや、全然意味分かんないんだけど!?」
男はベンチに座った。
「貴様、麻雀はやったことないのか?」
「当たり前でしょ」
「ならばやってみたらどうだ?」
「なんで!?」
「呪いを解きたくないのか?」
なんて理不尽なんだ。
その夜。
布団の中で頭を抱えていた。
男は天井の近くを浮いている。
「出ていってよ!」
「無理だ」
「最悪……」
スマホを見ると友達からの通知が溜まっている。
いつもの日常だ。
部屋の中に長髪の男がいることを除いては。
終わってる。
「……ねぇ」
布団から顔を出して、意味もなく聞いてみる。
「麻雀って面白いの?」
男は少し考え、そして静かに答えた。
「それは人それぞれだ」
その声を最後に視界が真っ暗になった。
◇
翌朝。
「………………」
鏡の前で固まっていた。
洗面所。
寝癖。
ぼんやりした頭。
そして後ろで浮いている長髪の男。
「………………」
「………………」
目が合った。
緑はゆっくり蛇口をひねり、顔を洗う。
もう一度鏡を見る。
......うん、いる。
「夢じゃないんだ……」
夢のような昨日の出来事が全部蘇ってきた。
ゴミ捨て場。
全自動卓。
壊れた音。
呪い。
そしてコイツ(幽霊)。
「だから言っただろう」
男は当然のように言った。
「呪いは継続中だな」
「継続中とか言うな……」
緑は顔を拭きながらため息をついた。
しかもこの男、最悪なのが普通に生活空間へ入り込んでくる。
朝食の時にはテーブルの向かいにいるし、
学校の準備をしている時も壁にもたれて見ているし、
靴を履いている時には玄関に立っている。
「……ずっとついてくるの?」
「呪いなんだから仕方ないだろ」
「プライバシーって知ってる?」
「知らん」
学校に行く前から気が重い。
今日もいつも通り学校へ通う。
二限目の数学の授業。
ノートを取りながら、小さくため息をついた。
(見えてるの私だけなんだよね……)
窓際には男が普通に浮かんでいる。
黒板に字を書く先生も、
ノートをとるクラスメイトも、
もちろん私の友達も、
誰も反応しない。
誰もコイツ(幽霊)が見えていないようだ。
「上路ー!」
「っ!」
突然名前を呼ばれ、飛び上がった。
「聞いてるかー?」
「あ、はい!」
クラスメイトが少し笑う。
恥ずかしい。
窓際を見ると男は少し呆れた顔をしていた。
(誰のせいだと思ってんの……!)
昼休み。
友達と話していても視界の端にいる。
移動教室にももちろんついてくる。
食堂にもやっぱりついてくる。
本当にずっとそばにいる。
「ねぇ」
学校の帰り道、自販機の前でココアを買いながら言った。
「いつまでついてくるの?」
「貴様が麻雀を愛するまでだろう?」
実はこの男も何度か今日離れようと試みたが、
どうやら一定以上の距離からは離れられなかった。
「どうやったら許してくれるの!」
「麻雀を好きになったらと言っているだろう!!」
「最悪すぎる」
男は少し考えるように空を見た。
「我は貴様に出会う前、麻雀を打っていた。
それは明確に覚えている」
「そして麻雀は、人が最も本性を出す遊戯だ」
「……?」
「欲、焦り、傲慢、恐怖。全て卓上に現れる」
何を言っているのかよく分からなかった。
◇
それから数日。
少しずつ、“男がいる生活”に慣れ始めていた。
人間、慣れる。
本当に。
最初は悲鳴をあげていたのに、
今では普通に会話している。
「そこ座らないで」
「なぜだ」
「私の椅子だから」
「理不尽だな」
とか。
「ねぇ、幽霊って寝るの?」
「寝ないが?」
「ずる...」
とか。
完全に同居人だった。
ただ一つ分かったことがある。
この男は本当に麻雀のことが好きみたい。
あと普段は割と話しやすい。
意外とこちらの質問にも答えてくれるし、感情もしっかりある。
あとこの男は《九頭龍》と言うらしい。
「絶対本名じゃないでしょ!」
「本名は.....忘れた」
「幽霊ってそんなもん?」
「だが、その名で呼ばれていたのは微かに覚えている」
九頭龍。
妙に古臭くて、強そうな名前。
でも口から出ると、どうにも締まらなかった。
「長いなぁ」
「好きに呼べ」
「……クズさん?」
「貴様、今わざとだろう!」
「違う違う、略しただけ!」
九頭龍は呆れたようにため息をついた。
その反応が少し面白くて、笑みがこぼれた。
◇
夜の九時。
塾から家に帰る途中だ。
生ぬるい空気の中、
いつもの坂道を下りながらふと足を止めた。
住宅街の端。
あの集積所。
数日前まで置かれていたあの全自動卓は、
もうそこには姿がなかった。
壊れた棚も古い家電もない。
ただ金網とコンクリートだけが残っている。
「……なくなってるね」
九頭龍は静かに集積所を見ていた。
風が吹き、髪が少し揺れる。
「ここで会ったんだよね、私たち」
「貴様が勝手に壊しただけだ」
「まだ言う?」
「当然だ」
たわいもない会話に苦笑した。
最初は本当に最悪だと思っていた。
知らない男が急に現れて、
呪いとか言われて、
しかも毎日ずっとついてくる。
でも今は、この日々が少し楽しくもあった。
「……ねぇ」
「なんだ」
「麻雀ってさ」
集積所を見たまま続ける。
「私も楽しいと思えるかな?」
九頭龍は少し黙った。
「楽しい、という言葉では軽いな」
「えぇ...」
「だが、麻雀は人を変える」
その声は静かだった。
冗談っぽさはない。
その言葉だけ妙に真っ直ぐ刺さった。
最初は本当に意味が分からなかった。
麻雀なんておじさんの遊び。
タバコや賭け事で怖いイメージ。
自分とは一生関係のない世界。
そう思っていた。
でも九頭龍が麻雀の話をする時は、本当に楽しそうだった。
「そんなに好きなんだ、麻雀」
「当然だ」
即答だった。
その答えを聞いて少し笑いながら答える。
「……なんかさ」
「なんだ」
「そこまで言われると、逆に気になってきたんだけど!」
九頭龍が緑を見る。
「いや別に!?やりたくなったとかじゃないよ!?」
「何も言っておらん」
「絶対思ったでしょ今!」
九頭龍はわずかに口元を緩めた。
その顔がなんとなく九頭龍に転がされたみたいで悔しい。
視線を逸らしながら前髪をいじる。
「……ちょっと見るくらいなら、いいかなって」
「見る?」
「麻雀を!」
少し間が空く。
九頭龍は少しだけ目を細めた。
「どうやって見るつもりだ?」
「え?」
「貴様、麻雀をどこでやるか知っているか?」
「……アプリ?」
「却下だ」
即答だった。
「なんでよ!?」
「牌の重みもあの張りつめた空気も感じられない」
「なんか急に厳しい……」
ポケットからスマホを取り出した。
“麻雀 どこでやる”
検索。
するとすぐに、
《雀荘》
《初心者歓迎》
《フリー麻雀》
《健康麻雀》
みたいな文字が並ぶ。
「へぇ……雀荘っていうんだ」
「知らなかったのか?」
「逆に何で知ってると思ったの」
画面をスクロールしていく。
店内写真。
自動卓。
牌。
知らない単語ばっかり。
「なんか思ったより普通かも」
「何を想像していた?」
「もっとこう……地下で煙モクモクみたいな」
「偏見だな」
「だって怖そうじゃん!」
九頭龍は少し呆れたように息を吐いた。
「まあ、場所によるな」
「あるんだ、そういうの」
「あるな」
「あるんだ……」
少し興味が薄れた。
しかし検索を続けていくうちに、
やっぱり少しずつ気になってくる。
店ごとに雰囲気が違う。
《初心者歓迎》
《女性客歓迎》
「へぇ……」
気づけば、時間を忘れて画面を見ていた。
九頭龍が横から覗き込む。
「行ってみるか?」
「いや、でもさ」
スマホを見たまま言う。
「ここ中学生って入っていいの?」
「入るだけなら問題ない」
「いや、絶対問題あるって!」
「貴様は打たなくてもよい。
まずは雀荘の空気や麻雀を近くで見るだけで良い」
「見てるだけ……」
少し考えた。
知らない場所。
知らない人。
やっぱり怖い。
でもほんの少しだけ気になる。
麻雀というものが。
九頭龍がそこまで楽しそうに話す理由が。
「……まぁ」
スマホを閉じて九頭龍に言う。
「一回、見るだけなら」
九頭龍の口元がわずかに緩む。
「ほう」
「いや、だから!お前を成仏させるためだからね!?」
「そういうことにしておこう」
「なんかその言い方腹立つ!」
九頭龍はくるりと背を向ける。
「ならば案内しよう」
「え、今から!?」
「善は急げだ」
「今日はもう遅いから、また今度!」
夜の住宅街。
前を歩く長髪の男。
その後ろを追いかけながら、
少しだけ胸が高鳴っていることに気づいていた。
これから足を踏み入れる場所は、
今までの自分とは無縁だった世界。
だけどもしかしたらそこで、
自分の知らない何かが見つかるのかもしれない。
そんなことを考えた自分に、
少しだけ驚いていた。
ーー《ここから私の知らない世界が始まる気がした》
次回、緑はとうとう初めての雀荘に足を運ぶ。
第二話「知らない世界」




