回顧
白くモヤが掛かった空間の中で、私は立ち尽くしていた。
小学校の帰り道。家には帰らず、土手に座り込んで眼前に流れる河の絵を描いている。
スケッチブックに殴り描きされた風景は、それはお粗末なものだった。
ああ、恥ずかしい。この頃はまだ絵が下手だった。
隣に腰を降ろしたしおちゃんが、楽しそうに笑ってくれる。
──ことみは本当に絵を描くのが好きだねえ。
しおちゃんにはお母さんと弟さんが居て、でもお母さんはちょっぴり有名な女優さんでいつもお家を空けがちだった。いつだったか、女優さんの娘さんがそんなに気軽にふらふら出歩いて良いの? と聞いたら、自由にしろと言われているからと返された。
うちの両親は二人とも美容師でそれなりに大きなサロンを経営していたけれど、同じく美容師志望の姉に掛かりきり。
だから、放課後や休日はいつも一緒に居たよね。
あの日もそうだった。
高校生になった私たちは、二人で買い物に出掛けていた。その帰り道。信号無視のトラック。気付いていなかったしおちゃんを私が突き飛ばした。
「ことみ! なんで庇ったのっ。自分が助かれば良かっただろ、ばか! 死ぬなんて許さない、おいっ……、救急車がもうすぐ来るから気合入れろ!!」
しおちゃん。詩織。泣かないでよ。そんなにぼろぼろ涙を流しているくせに、口が悪いなあ、もう。優しいのに、焦ると言葉が荒くなるのは小さい頃からずっとだったね。
遠のいていく意識の中で、手のひらに何かを握らされる。これは──、やだな。さっき買ったばかりでしょう。
大丈夫、と伝えようとしたけれど、もう口を動かすことすら出来ない。
世界が暗転する。
次に私が立っていたのは、建物の中というわけではないのに、空も月も。何もない空間だった。
肩甲骨辺りまで伸ばした髪を一房摘む。銀色のそれは、コトハ・バークリーのものだ。
けれど、先程の光景で目にしたうちの一人。ことみと呼ばれた黒髪黒目のあの女の子。
彼女もまた、私なのだ。
それが前世の記憶であると理解して、酷く悲しくて涙が止まらない。死んでしまったことが辛いのではない。
一番大切な人と、もう会えないことが悲しくて悲しくて受け入れられないのだ。
「しおちゃん、しおちゃんっ……、詩織っ……!」
彼女を庇ったことに後悔はない。だって、一番大切な親友には一番幸せな人生を送ってほしいから。
ああ、でも。その隣に、私も居たかったな。
鼻をすすって、ひたすらに詩織と名前を呼ぶ。ちょうど十回目にその名前を紡いだ時だっただろうか。首から掛けていたネックレスが、光を発した。
『泣かないでよ。ウザいなあ』
心底鬱陶しそうに零す声。けれど、そこには愛情が隠されているのを私は知っている。
やけに耳に馴染むこの声は。
「……しおちゃん?」
『そーだよ。詩織だよ』
辺りを見渡すけれど、視界には無しか映らない。
『あー、無駄無駄。声しか届けらんないよ。だって、その石。公式のじゃないもん。……あ、いや公式ではあるんだけど』
その石、ってこの『守り石』のこと?
「どういうこと?」
しおちゃんが何を言いたいのか、なにもわからない。けれど、こうして会話が出来ることが何より嬉しい。
『あの時、ネックレスを握らせたでしょう。【ふたつの乙女】の』
【ふたつの乙女】。
乙女ゲームの名前だ。しおちゃんがよくプレイしていたやつ。私はゲームといえば冒険系RPGしかやったことがなかったけれど、あの日はことみにも布教したいと言われてポップアップストアに連れて行ってもらったのだ。
そこでしおちゃんは、推しのグッズだとネックレスを購入していた。そう、ちょうど私が身に着けている守り石のような──。
『それね。私の推しのランドルフのイメージカラーのネックレス。本来はコトハは青い石を持って産まれるはずだったんだ』
ランドルフ、というと。ヒロインのお相手役の一人だった気がする。
「じゃあ、私は本来は『守り石の乙女』じゃないってこと?」
『ううん。ことみ……コトハはヒロインだよ。あの時は動揺して咄嗟に自分が持ってたものを握らせただけだったんだけど、まさかこのゲームの世界に転生するなんて』
──この世界。
「ねえ、しおちゃんも私と同じ世界にいるの? もしかして、私の後を追ってなんて馬鹿なことしてないよねっ……?」
『馬鹿なこと言うなって。そんなわけないだろ。私は今もこっちに居る。コトハは今日十五歳になっただろ。ゲーム開始の時になって、魔力が目覚めたんだ。だけど、まさか私との通信が出来るようになるなんてな』
こうして会話が出来るようになったことは、しおちゃんにとっても想定外だったらしい。
『なあ、守り石なんて言うのに、チェーンの付いたネックレスの状態で握り締めて産まれてきたこと、不思議に思わないか? 私があの時渡したものをそのまま持っていってくれたから、きっと微かに繋がれているんだ。会うことまでは、叶わないけどな』
「わかんないよ。ゲーム開始の時になったから、何なの? しおちゃんからもらったネックレスがまだ私の手元にあるのは嬉しいけど……ヒロイン立っていうなら尚更、『守り石の乙女』の役割みたいなもがあるんじゃないの? 私にそれが成し遂げられるの?」
『疑問は当然だけど、質問に答えるには時間が足りないな。あ、私の時間じゃないからね。ことみの方だよ』
私の方? 私は別に急いでいない。
『ことみ自身のことじゃない。そろそろ起きないと、心配してるよ。じゃあね』
「しおちゃん?」
親友の声が遠のいていく。
同時に、私の意識も。
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