9本目
空が黒い。
よく晴れてはいるし、青空なのだけれど。
なぜか雲ひとつない青空に、少しだけ黒が混じっている。
わりと近くの山が霞んで見えるのは、青天なのに湿気が多いからなのだろうか。
まだこの季節なのに、空気が肌を焼くように熱い。
季節感、おかしいよ。
そういえば去年の暮れに入道雲が出ていた。
もうすぐお正月だという時期にだ。
冬枯れの 街路樹の向こう 入道雲
思わず一句詠んでしまって、亜音はひとりで面白がった。季語がめちゃくちゃって言われそうだけど、しょうがないよ。実際に見た景色だもん。
笑ってる場合じゃないかもしれないけど。ほんと、いつからこの星はこんなふうになってしまったんだろう?
額に汗が滲んで、バスが来るまでの時間が長く感じる。
亜音はハンカチで何度目かの汗を拭う。
日焼け止め、流れちゃったかなあ。
やっとバスが来て中に乗り込むと、大勢の人がいてもエアコンで冷えた車内は息がつける感じがした。
「あっちいねー」
バスを降りるとハンディファンを持った美澄が話しかけてきた。
「うん」
亜音はハンディファンは持っていない。日傘を広げる。
「日傘とはまた優雅な」
「紫外線も少しは避けられるしね」
「わたしもそれ買おうかなー」
美澄がそう言ったので、亜音は少し傘を横にずらして美澄の顔に日影を作った。
「あ、ありがとう亜音」
本当に暑い。
このままだと今年の夏はどうなってしまうのだろう?
「あっちいなー。梅雨はどこへ行った?」
美澄が手首を捻ってハンディファンを首振りにする。
亜音の頬にも生ぬるい風が戯れていった。
「それしか言葉が出てこないね」
と亜音も笑う。
しばらく2人とも無言になる。
バス停から門まで、ほんの300メートルほどではあるのだけれど。じりじりと焼きつけてくるようなアスファルトは6月のものとは思えない。
「ねえ、空、黒くない?」
しばらく歩いたあとの亜音の言葉に美澄がふいと空に顔を向けた。それから怪訝な表情で亜音の顔を見る。
「亜音、目ぇだいじょうぶ? あ、日傘の裏側のことか」
青。
って、ひと言で言ってもいろんな「青」があるんだけどな……。
今日の空は「空色」というよりも、もう少し宇宙とつながるような深みがあって黒っぽい。
そういう違い、わかんない人にはわかんないのかもしれない。と思って、亜音は美澄のその誤解をそのままにしておく。
「あっちいねー」
それしか出てこない。
授業が終わって帰る頃、空には雲が出ていて雨が降り始めた。
「うっそー。天気予報、雨なんて言ってた?」
誰かが騒いでいる。
亜音は部活はやっていないので、ちょうどその時間にそのまま帰る。
校舎からバス停までおよそ400メートル。日傘は雨傘になった。
バスが自宅近くのバス停に着く前に、雨はまた上がった。
じりじりと陽が照りつけてくる。日傘はまた元の役割に戻った。
家に帰り着いてエアコンのスイッチを入れる。
吹き出してくる冷風の前で犬みたいに舌を出して制服の胸元をはだける。独りだからできること。
「生き返った……」
亜音にしては珍しく声に出して言う。
スマホのニュース番組では、熱中症への注意の呼びかけと、有識者という人の解説か何かをやっていた。
『温暖化の影響はこれからも大きくなるでしょう。エアコンはもはや生命維持装置となりつつあります。そうした電力を安定的に確保するためにも原発は必要……』
『果物などの生産北限が上がってきています。それは新たなビジネスチャンスと捉えるべきで……』
あのさ。
あなたたちが、ううん、あなたたちのお祖父さんやそのお祖父さんたちの世代から「経済成長」「競争原理」って言って環境を心配する人たちの声を無視してきた結果、今のこの状況になってるんだよ?
そういう世代が贅沢し放題に食いつぶしてきた環境のツケを、わたしたちの世代が払わされるんだけど?
地球上の生き物はニンゲンだけじゃないよ?
体が冷えると、少しは頭も回ってくる。
「ふう」
とひと息ついて、亜音はマッチ箱を手にした。
この暑いのに火をつける?
と少し思ったけれど、1日1本——と決めたからね。
ぽおう、とミルクティー色の炎が生まれた。
これも1つの生命かもしれない——と亜音は思う。
軸を食べて、炎という身体を維持し、CO2を排泄する……。
あ、CO2増やしちゃった。
エアコンの風に吹かれて、炎の寿命は短命に終わった。
9本目。




