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哭き裂く天使  作者: Norn
第二章:折れた翼の在り処
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第13話:夜に取り残されて

 外気に触れた瞬間、玲司は足を止めた。


 ——重い。


 建物の中と変わらないはずの地面が、まるで鉛に変わったかのように感じられる。

 一歩踏み出すだけで、全身の筋肉が軋んだ。


 「……っ」

 無意識に、拳を握りしめる。


 司令官はその様子を見て、すぐに声をかけた。


 「無理はするな。」


 命令ではない。

 逃げ道を、きちんと用意した言い方だった。

 「サーベラスは、扱いが荒い。

主導権を握れていない状態で戦場に出る意味はない」


 玲司は、短く息を吐いた。

 「……大丈夫です」


 そう答えたものの、確信はない。

 それでも、ここで引き返すという選択肢は、頭になかった。

 視線の先——夜空に、淡い光が浮かんでいる。


 点ではない。

 いくつも、連なり、蠢くように。


 「観測対象、確認」

 オペレーターの声が、イヤーピース越しに響く。


 「宇宙外生命体、複数。基地上空に留まっています」


 テストであり、迎撃。

 A.E.O.I.にとっては、どちらも同じ意味を持っていた。


 「これより、攻撃を許可する」

 司令官の合図で、玲司と燈莉は前に出る。



 最初に動いたのは、燈莉だった。


 ——軽い。


 身体が、思考より先に動く。

 地面を蹴った感触が、想定よりも遥かに小さい。


 跳躍した瞬間、視界が一気に広がった。


 「……っ!?」


 自分でも驚くほどの高度。

 空気が薄くなる感覚すらない。


 夜空に漂う光に、燈莉は近づいていく。

 それに意思があるのかどうかも分からない。

 ただ、淡く脈動しながら、そこに存在している。


 燈莉は慌てて、腕を払った。

 それだけだった。


 空気が弾ける。

 衝撃波は目に見える形すら持たず、夜を一直線に裂いた。

 光は悲鳴を上げる間もなく歪み、そのまま霧散する。


 「……今の、私が?」

 力を込めたつもりはない。

 ただ、試しただけだ。


 それだけで、あれほどの結果が出る。

 下から、オペレーターの声が飛ぶ。

 「命中確認!出力、想定値を大きく上回っています!」


 燈莉は、無言で手を見つめた。


 ——怖くなるほど、何も感じない。


 力を使った実感が、希薄すぎた。

 内なるカイメラは、相変わらず沈黙したままだ。


 その一方で。


 「……っ」

 玲司は、歯を食いしばっていた。


 夜空に残る、別の光を睨む。

 狙いは定まっている。


 使う能力も、慣れている。


 「虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)——」


 発動の瞬間、違和感が走った。

 力が、引きずり出される。


 自分の意思とは別の方向へ、無理やり拡張されていく感覚。


 「……ッ、サーベラス……!」

 内側で、嗤う気配。


 次の瞬間、空間が軋んだ。

 玲司の上空、数十メートル先。

 何もないはずの空間が、穿たれる。


 黒い裂け目が生じ、周囲の光を吸い込んでいく。

 本来なら、対象のみを正確に虚空へ包み込むはずの能力。


 だが今回は違った。


 裂け目は広がり、引力のような力を伴って空間そのものを削り取っていく。


 「出力異常!空間への侵食、拡大しています!」


 光の宇宙外生命体は、抵抗する術もなく巻き込まれた。


 防御という概念すら成立しない。

 空間ごと、存在が消えていく。


 ——消滅。


 だが、その余波が収まらない。

 裂け目が閉じるまでの一瞬、周囲の空気が大きく歪み、遠くの雲が引きずられた。


 「……っ、は……!」

 玲司は、その場に膝をついた。


 息が荒い。

 身体の内側が、まだ震えている。


 司令官が、即座に前へ出た。

 「完了だ。十分すぎる結果だ」


 その声で、ようやく空間の歪みが消える。

 テストは、そこで打ち切られた。




 一時間後。

 施設内、観測室。

 司令官とローゼ、数人の研究員が集まっている。

 モニターには、先ほどの戦闘データが映し出されていた。


 「花守燈莉。出力、制御、安定性、いずれも想定値を大幅に上回っていた」

 司令官の声は冷静だったが、その内容は明確な高評価だった。


 「一方、桜庭玲司。虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)の威力自体は問題ない。

だが、サーベラスに主導権を握られかけている」

 研究員の間に少しばかりの恐怖が走る。


 「制御訓練を優先する。現状では、長期戦は危険だ」

 司令官の言葉を横に、ローゼはモニターに映る黒い裂け目の再生映像を観ていた。

 空間が穿たれ、消えていく様子。


 ——あの感覚。


 ローゼは、思わず小さく息を吐いた。

 「……懐かしい」


 誰に聞かせるでもない、独り言。

 その声音には、微かな痛みが混じっていた。


 思い出したのは、あの力を持っていた頃の——。


 「……」

 ローゼは、それ以上何も言わなかった。

 ただ、玲司の背中を、静かに見つめていた。


 その視線が、どこか過去を見ているようだったことに、気づく者はいなかった。





 光が見える夜空の下、美空は孤独に帰宅した。

 天使の戦いで被害を受けた周辺に、美空以外の人間の気配はなかった。


 それでも美空は帰ってきた。

 ガラス片が床に散らばり、焦げたあとがそこら中に広がり、半壊した自宅へ。


 玄関の扉は、蝶番が歪み、きちんとは閉まらなくなっていた。

 押し開けると、ぎぃ、と軋む音がやけに大きく響く。


 「……ただいま」


 返事はないと分かっているのに、口に出してしまう。


 スリッパを履き、踏み込むたび、足元で細かな破片が音を立てた。

 見慣れていたはずの廊下は、どこか別の場所のように感じる。


 壁に掛けられていた家族写真は、斜めに傾き、ひびが入っていた。

 美空はそれをそっと外し、割れていない部分を指先でなぞる。


 父の笑顔。

 母の穏やかな横顔。

 その真ん中で、少し照れたように笑う自分。


 そして——

 病院で目を覚さない父母。


 その光景が、胸に重なる。


 「……ごめんね」

 誰に向けた言葉か、自分でも分からない。


 自分がもっと早く気づいて伝えていれば。

 あの日、あの場所にみんながいなければ。


 考え出すと、止まらなくなる。


 リビングの窓は吹き飛び、夜風が容赦なく入り込んでいた。

 カーテンの残骸が、ゆらゆらと揺れている。


 遠くの空では、あの光がまだ瞬いていた。


 怖い。

 悔しい。

 そして——


 ほんの少しだけ、思い出す。






 あの日の夕焼けはやけに赤かった。


 ランドセルの紐をぎゅっと握ったまま、私は動けずにいた。


 目の前では、大きな犬が低く唸っている。

 鎖は地面に固定されているのに、その距離がとても遠く感じた。


 怖い。


 足がすくんで、声も出ない。


 どうしよう、と思ったその時だった。


 すぐ近くの曲がり角の向こうから、楽しそうな声が聞こえてきた。


 「だからさ、あのヒーローは最後まで諦めないところがいいんだよね!」

 「確かにね!でも…今やってるオレンジのヒーローは見ないの?」


 無邪気な、弾む声。

 私は思わずそちらを見る。


 次の瞬間、顔見知り程度だった女子と男子が曲がり角から姿を現した。


 澄羽と………葛城紘一。


 二人はまだ話の続きをしていた。


 「もし本当にああいう場面に遭遇したらさ――」

 そこまで言いかけた澄羽が、私と目を合わせる。


 そして、状況を理解した。


 一瞬だけ。

 本当に一瞬だけ、驚いた顔をしたけれど。

 すぐに、いつものまっすぐな目に戻った。


 「大丈夫」

 その一言で、胸の奥の震えが少しだけ収まる。

 紘一も横に並び、犬の注意を引くように声を出す。


 澄羽はゆっくりと私の前に立ち、犬と私の間に入った。

 怖くないわけがないはずなのに、その背中は、不思議なくらい大きく見えた。


 犬はしばらく吠えていたけれど、やがて飼い主に呼ばれて離れていく。

 静かになった路地で、私はようやく息を吐いた。


 「……平気?」

 振り向いた澄羽の顔は、少しだけ照れくさそうだった。

 私は何度も頷く。


 すると澄羽は、言葉の代わりに、親指を立てた。


 にっと笑って。


 それだけだった。


 でも、その仕草が妙に印象に残っている。


 あの時の澄羽は、本当にヒーローみたいだった。





 夜風が吹き込むリビングで、美空は膝を抱えたまま動かなかった。


 ふとスマートフォンの画面を点ける。

 数日前に、澄羽と燈莉にはメッセージを転送していたのだ。

 しかし、二人からの返信は届いていない。



 燈莉がA.E.O.I.に行きたいと聞いた時、時が止まったように感じた。

 正式な説明も、別れの言葉も無しに、あの子は家を出ていった。


 ただ、決意したのだと。


 「……すごいよね」

 ぽつりと呟く。


 昔から、燈莉はまっすぐだった。

 怖くても前に出る。

 正しいと思ったことは曲げない。


 だからきっと、あの光を見て、逃げるよりも立ち向かう方を選んだのだろう。


 美空は視線を落とす。


 自分はどうだった?


 怖くて動けなかった。

 助けられる側だった。


 「燈莉は……今、何してるんだろう…」


 訓練?

 戦い?

 それとも——


 あの光に向かって、立っているのだろうか。

 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


 羨ましい、と思った。


 怖いのに。

 危ないのに。


 それでも、羨ましい。

 そうやって動けることが。


 戦う場所があることが。

 誰かの役に立てる立場にいることが。


 「……ずるいよ」

 自分でも最低だと思う。


 無事でいてほしい。

 傷つかないでほしい。


 それが一番の願いのはずなのに。


 同時に、置いていかれた気がしている。


 澄羽も、燈莉も、遠い場所へ行ってしまった。


 自分だけが、ここに取り残された。


 半壊した家の中で。


 壊れた日常の中で。


 美空は静かに立ち上がり、窓の外の光を見つめる。


 「……私も」

 声は震えていた。


 「私も、何か出来るなら」

 守られるだけの存在では、終わりたくない。


 燈莉が戦うなら。

 もし……澄羽も戦っているなら。


 自分は、何を選ぶのか。



 半壊した家の中で、その決意だけが、静かに芽生えていた。

サーベラスはケルベロス(Cerberus)を英語で読み直して名付けました。

カイメラもキメラ(Chimera)を少しいじった形です。

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