イブの奇跡
世間は師走である。
パラレル・ワールド『NKSRの世界』で正月を過ごした友和は、元の世界で再び正月を迎えようとしていた。
この世界での友和は、そりゃ寂しい一人者のオヤジである。
なにしろ年末年始はチョンガーにとっては嫌な季節だ。
フリーの女が消え失せてしまった感じがする。
大体、男と女は、半分ずついる筈じゃなかったのか?
水商売の女とて仕事を忘れ、本命男と浮かれ歩く。
クリスマスなんて最低だ。
特にイブは酷い。
今夜なのだ。
たった今までおせじを言ってた女が、閉店と同時にプレゼントをむしり取るなり、脱兎の如く本命の彼氏の元へ飛んで行く。
「ペンギンクラブ」で馴染みの女の子に、すかっとふられた友和は、ため息を一つ漏らしただけで、別に落ち込みもせず、ジャック・ルビーへ向かった。
イブの夜、本命男と過ごせない女は、どこに隠れているというのだ。
ドアを開けると、はたして伸恵がいた。
一人寂しく、善行のボトルを飲んでいた。
「やあメリークリスマス。これ、ささやかなプレゼント」
ペンギン・クラブで貰ったプレゼントの包みを伸恵に差し出す。
どうせママの剛美が選んだ物だろう。たいしたもんじゃあるまい。
友和は彩ちゃんという若い女にねだられ、鼻の下をのばして、ブランド品のファッションリングを購入して、準備万端整えた。
そして、勇んでアフターに誘ったのだった。
結局、調子良く品物だけをむしり取られ、あえなくフラれてきたばかりであった。
──ラーメンくらい付き合ってくれてもいいじゃないか!
まあ、今夜は、寿司屋ぐらいは連れて行くつもりの下心だったのだが。
それでも伸恵は喜んでいる。
いじらしくて可愛い奴だ。抱きしめてやりたくなる。
考えてみれば友和は『NKSRの世界』で、伸恵の肉体をすみからすみまで知ってしまっていたのだ。 とても他人とは思えない。
善行なんかとは別れなさい。と言ったら驚くだろうな。
「友和さんイブはお一人?」
と伸恵が言った。
友和は、吹き出したい思いをぐっとこらえる。
何故なら、善行とデキてる女は、美那子にしても、ラブホテル「セーヌ」の千鶴ママにしても、この伸恵にしても、いつのまにか友和の事を、苗字の江守ではなく、名前で呼ぶようになるからだ。(超電導美那子WXY 参照)
善行の口癖が、すっかり移っているのだが、本人はちっとも気付いちゃいない。
ともあれ、イブらしい返事をしようと思った。
「いや、一人じゃないさ。伸恵ちゃんと一緒だよ。イブは僕達の為にあるのさ」
ちっちゃい目を精一杯見ひらいて、カウンターの伸恵の隣の席へにじり寄る。
伸恵は吹き出した。
「あははは友和さんったら、おっかし~」
バーテンのロリ山田が笑いながら言った。
「ぎゃはは江守さん、スッゲー似合わね~」
マスターも笑っている。
「江守さん、熱でもあるんじゃないの?」
「くそっ」
むくれる友和であった。
見知らぬ男が入ってきた。
グレーのバーバリーコートに白いカシミアマフラー姿の、背は高く、百八十センチ以上はある。
ひょっとして、百九十センチ以上かもしれない。
まるでコートの中に建て看板でも仕込んでいるような、まるで不自然に角ばった体型の、のっぽの中年男なのだ。
七三分けで、青白い顔に真っ黒なサングラスをかけている。
店内は、伸恵と友和がカウンターに居るだけの貸切状態だったのだが、ためらう様子もなく、ズカズカと近づいてきた。
そして、友和の脇の椅子にドスンと腰を下ろした。
さっそく話しかけてきたのだが、まるで声帯を使い慣れていないといった感じの、変な声を出す。
「はじめまして。私、『連合』のモータウン田村と申します。特異点の江守友和さんですよね。最近はESPもお使いになるそうで、結構な事ですな」
どんな顔をして、どんな返事をしていいのか解らない友和は、とりあえず、黙っている事にした。
男は腕時計をいじりながら喋り続ける。
「ま、無理もない。少々レクチャーしましょうね。──
あなたよくご存知のフェロモン号ね。あれは連盟の時空船です。
銀河系には連盟しかないとお考えでしょう?
でも実際はそうじゃない。
『連盟』以外にも、『銀河同盟』、『銀河共栄圏』、『銀河系互助会』、そして我々の『銀河連合』。
ヒューマノイド型だけでもこれだけあります。
規模と勢力は、ま、似たり寄ったりですな。
銀河系の中心部は、もっと多くなります。
もっとも、あの辺は、シリコン系生命体に始まって、プラズマ型とか、虚数逆進化水虫型とか、岩石七転び型とか、我々の考える生物の概念とは、ずいぶん違うやつが、うようよと……まあ、様々ですね」
ここで気付いたのだが、──時間が止まっていた。
なんと、伸恵もマスターもロリ山田も静止している。
モータウン田村は喋り続ける。
「あ、これ、止まってる訳じゃありませんよ。時間が十二分の一の速度で流れているのです。つまり、ゆっくり動いているのです」
友和は、手塚治虫の『不思議な少年』を思い出した。
「時間よー止まれ! ですか? 懐かしいなあ」
「フェロモン号でご覧になったでしょ? ──
タイム・エキスパンダー。(時間引き延ばし機)(二十分間の世界 参照)
これが新開発の、連合の物です。
簡易型ですけどね。
一分間だけ作動するのです。
一分間を十二倍に引き延ばすのですよ。
腕時計を付けている私と、対象者ビームを浴びたあなた、つまり我々にとって、この一分間は十二分間になるのです。
お近づきのしるしに進呈しましょう」
田村は腕時計型のタイム・エキスパンダーを外して友和に渡した。
そして時間が戻った。
「お飲み物は何にいたしますか?」
とロリ山田。
「ミネラルウォーターと角砂糖」
と田村が答える。
「角砂糖ですか?」
「そうだ」
「何個くらいお持ちしますか?」
「たくさん。いっぱい……うん。うん。いっぱい下さい」
マスターが話しかける。
「まあ、お客さん、コート脱いでリラックスして下さい。着たままだと、帰る時寒いですよ」
「平気だ。それより角砂糖、早く。早く。早く」
田村はなんと、よだれを垂らしているではないか。
ロリ山田が、皿盛りにした角砂糖をカウンターに置くと同時に、ガリガリと貪り食い始めた。
「友和さん、お知り合い?」
と伸恵が尋ねる。
「いや、初対面のひとだよ。……時計屋さんだそうだ」
と友和。
角砂糖をあっという間に平らげた田村は、皿にのこった砂糖の粉を綺麗に舐めて、やっと人心地といった感じで言った。
「ここがスイッチです。二十四時間に一回だけ作動させる事が出来ます。通常は腕時計としてお使い下さい」
田村は目一杯、愛想笑いを浮かべているつもりなのか?
それにしても表情のよくわからない顔だ。
とにかく、黒眼鏡の下の、ひん曲がった細長い鼻。まさに国籍不明だ。
その下にある薄い唇の口が、アイウエオの(エ)のかたちになっている。
「成る程」
と言いながら腕時計をいじっている友和なのだが、不満げな顔をしている。
「どうです? お気に召しませんか?」
「ああ、デザインが、ちょっと安っぽいな」
「デザインですか?──
流石は特異点、江守友和さんですな。
おっしゃる事が一味違います。
まあ、我々『連合』は、特異点だけの特別チームを作る為に、江守さんもお誘いに伺ったのです。
『連盟』と違って我々は、うるさい事は一切申しません。
特異点の皆さまの利益を第一に考えます。な、な、なな、なんと言っても特異点様、様、様、さま、さま、さま、さま」
田村は目を白黒させている。
少し、バグっているようだ。
「さま、さま、さま、サマータイム。サマンサは魔女だよ。……失礼しました。まだちょっと、地球語がですね……ニホンノクニノコトバ……そうそう。日本語でしたね」
「ちゃんと解るよ。……なかなか流暢なもんだよ」
と友和。
「ありがとうございます。あいうえお。笑う時はエの形、エ、エ、エ、もう大丈夫です」
そして、またもや(エ)の形の口をつくった。
そして田村は、笑い顔のまま固まっている。
「田村さん、その連合のお世話になると、過去の時代で暮らしたりする事も、許されるのかね?」
「エちレんです。エン合はメず、テク異点の希望を、デイいちにケンゲえめす」
田村の口は(エ)の形のまま、固まってしまったようだ。
あわててミネラルウォーターでガボガボとうがいをして、そのままゴックンと飲み込んだ。
「あいうえお、かきくけこ、さしすせそ、失礼しました。戦国時代だろうが、古代ローマだろうが、ジュラ期だろうが、お望みの時代で暮らしていただきます」
田村は、四角くて大きな胸を反らす。
未練たらしくも、安土桃山時代へ戻って、百池百々大夫(ももち、ももだゆう)の妹、桔梗と祝言を挙げたい友和であった。
正直な処、特異点のなんたるかとか、ESPのなんたるかなど、どうせ分かりっこないし、どうでもいいと思っていた。
寂しい現代とおさらばして、桔梗と沙織と小鹿のいる、あの時代へ戻りたいのだ。
──ああ、ばら色に輝く安土時代! モテモテだったなあ。
──こんな冷たい世間にゃ、未練は無いよ。
「山崎の合戦が終わった直後の時代に、連れてって貰えるかい?」
と友和は目をうるませて言った。
「よござんすよ。その前に『連合』との契約を済ましてしまいましょう」
と嬉しそうに田村が言った。
だしぬけに、伸恵が話に割り込んできた。
「お話中ごめんなさい。ねえ友和さん。ナミちゃんのショー見に行かない? 前からナミちゃんに誘われてたじゃない? ねー友和さん! パンプキン・クイ~ンに連れてってよ!」
トイレに行って戻ってきた伸恵が、話に無理矢理割り込んできたのには理由があった。
トイレから帰ってくる途中、友和と話しているモータウン田村の大きな背中が、もぞもぞと動いているのを目にしてしまったのだ。
立ち止まって目を凝らして見たところ、
まるで何匹もの鼠かなんか、得体の知れないものが、コートの中を、いやスーツの中か? ワイシャツの、或いは肌着の中かもしれないのだが、忙しく走り回っているように、膨らんだりへこんだり、凸凹に波打っているのだ。
実に不気味であり、尋常な光景ではない。
マスターとロリ山田は話をしていて、伸恵の目配せに気付いてくれないのだ。
本能的な恐怖を覚えた伸恵は、その事を友和に伝えたかったのだ。
友和にしても、話の最中に、モータウン田村と名乗る、この男の鼻の穴から、薄桃色の触手がにゅるにゅると出てきては、また戻っていったり、耳の穴から出てきた触手が頬を這い進んで行く様子を、何度か目にした。
しかし、
──コイツ、気持ち悪いな!
とは思うのだが、別に不思議だとは思わないのだ。
何しろ、本人が『銀河連合』の宇宙人だと言ってるのだから。
(不気味系)とか(キモイ系)の奴なのだろうと、納得するしかないではないか。
とにかく友和は、もう酔っ払っていた。
「よしわかった。伸恵ちゃん、行ってみよう。田村さん、契約の前に、腕時計のお礼に、面白い所へ案内してあげましょう」
こうして友和と伸恵と(キモイ系)宇宙人のモータウン田村は、オカマのナミちゃんの勤めるショー・パブ(ゲイ・バー)「パンプキン・クイ~ン」へ向かった。
道々伸恵が小声で話しかけてきた。
「友和さん、あの人変なのよ。なんだか、人間じゃないみたい」
友和もひそひそ声で、しかし、事も無げに答えた。
「そうなんだ。宇宙人だよ。気持ち悪いんだ」
友和という男の無神経ぶりには、あらためてあきれる思いの伸恵であった。
「パンプキン・クイ~ン」は今夜2度目の、つまり最後のショータイムの真っ最中であった。
さすがはクリスマス・イブの夜である、大盛況であり満席状態なのだ。
フィナーレは6人の美しきニューハーフの群舞である。
途中から、自ら(化け物系)と称するママを始めとするコミカルな、ナミちゃんも含め
たブスオカマの4人が加わり、ショーは抱腹絶倒のクライマックスを迎えた。
やんやの大喝采。
割り箸に挟んだ千円札が乱れ飛ぶ。
不景気の折、流石に5千円札や1万円札は見あたらない。
乾杯とハグが続く中、ナミちゃんが息せき切ってやって来た。
「ありがと~。友和さん伸恵ちゃん、来てくれたのね~。ナミちゃん感激~」
「ナミちゃんおっぱい仕舞えよ」
と友和。
「何よ~! ナミちゃんのおっぱい綺麗でしょ?」
とナミちゃん。
「ミネラルウォーターと角砂糖ください」
とモータウン田村。
パンプキン・クイ~ンではクリスマス・イブの乾杯が続く。
さて、クリスマス・イブだというのに、「ジャック・ルビー」には、一人も客がいなくなった。
マスターとロリ山田が、開け損なったシャンペンを飲んでいる。
「あーあ、せっかく江守さん来たのになあ。あの気持ち悪い大男のせいで、伸恵ちゃんも連れてっちゃいましたねえ」
ロリ山田が残念そうに言った。
「いいんだ。もう閉めよう。明日はクリスマスだ。きっとみんな来てくれるさ。そして、たぶん、忙しくなるさ」
哀愁漂うマスターが、カンバンを仕舞っていると、女が入ってきた。
綺麗な若い女である。
くりくりとした目が印象的な、色白で小柄な娘だ。
普通の地球の女の恰好なのだが、それはフェロモン号のaタイプであった。
驚いているマスターとロリ山田の前を、ブーツの足音をコツコツ鳴らして入って来ると、カウンター席に座った。
aタイプはコートにスカートにブーツ、髪もピンク色ではなく、妙にぞくっとくる不思議な光沢の黒髪であった。
地球の女に化けてはいても、隠し切れないエキゾチックな、不思議な魅力が溢れ出す。
おもむろに携帯を取り出して話し始めた。
「もしもし、友和さん? 私。aタイプよ。地球時間で1年間の休暇が取れたの。コロニーに帰ってもつまんないから、遊びに来ちゃった。すぐに会いたいわ」
あんぐりと口を開けっ放しのマスターの脇で、ロリ山田が尋ねた。
「友和さんって、もしかして、江守友和さんの事ですか?」
aタイプは、とびっきりの笑顔でうなずいた。
マスターがモゴモゴと喋っている。
「こんなに綺麗なおねいちゃんが、よりによって、江守友和だってえ? そんな馬鹿な!」
チョンガーオヤジの友和と一緒に過ごす為に、aタイプがやってきたのだ。
まさにイブの奇跡とでも言うべきだろう。