閑話休題①
「買い物、ですか?」
「そう、他の皆もですけれどね。協力して欲しいと思いまして。……僕は、どうも服の事なんて気にした事が無かったものでしてね」
確かに、目の前の秋月さんは本日もパリッとダブルの紺色のスーツに、きちんと手入れされた如何にも高級感漂う革靴といった、まぁ俗に言えばハイソなビジネスマンといった着こなしだ。
俺は彼のペアではないので確証があるわけではないが、入社の顔合わせから今日に至るまでスーツ姿以外を見かけた事がないかもしれない……いやないな。
別に似合っていないわけでもないし、会社的にもスーツで出勤している他の部署の方も全然いるので可笑しくはないのだが、本人の言うとおり本当にスーツ以外持っていないのだろうか。
「別に大丈夫ですけど……急にどうしたんですか?」
「いやね、ほら。明後日から皆で慰安旅行に行くじゃないですか。そこで僕だけスーツというわけにもいかないでしょう」
「あ、そうか、明後日からでしたっけ」
特務課慰安旅行、というか遠足的なもの。結局行き先は沖縄にある社長所有のプライベートビーチ付きホテルで一泊二日の少し早めの夏満喫となった。
まぁ7月も目前となった今、丁度いいのかもしれないが。ビーチという事もあり確かにスーツ姿で海は色々とキツそうだ。俺も旅行用の服を買うかも悩んでいたし丁度いいか。
「行きます。何時からですか?」
「そうだね……実は後鳥野内くんと砂塚くん、御方くんも来るんだよ」
「おぉ、男性陣勢揃い」
ウホッ……てか砂塚も来るのか、一番意外かもしれないな。アイツてっきり集団行動とか苦手そうだし、なんなら旅行も来ないかと思っていたくらいだ。
てことは下野さんも旅行には来るのかなぁ。あの子とは少し前の一件以来微妙に気まずいままなんだよなぁ。恥ずかしがり屋なのは知っていたけど、あそこまでとは思っていなかったんだよね。
ふーむ、まぁ。来るなら来るでこの旅行を機に、親睦を深められればいいかな。
「皆、時間合うんですか?」
「まだ御薬袋さんにはお会いしてないのでわかりませんが、他のペアの方には時間調整をお願いしまして。一応16時くらいから近くの商業施設に行こうかと」
「成る程……あ、じゃあちょっと連絡取ってみます。御薬袋さん今日ちょっと実家の用事で元から夕方合流の予定だったんですよね」
「お願いしますね」
えーと御薬袋さん御薬袋さんっと。思わず御方くんと押し間違えちゃうんだよなぁ。数コールすると御薬袋さんが何とも言えない声色で出てくれる。
「お、おはよう御薬袋さん……大丈夫?」
「え……あぁ、はい……大丈夫ですよ、ちょっと気疲れしていただけです。どうかしましまか?」
「いや、実は秋月さんが男性陣で明後日からの旅行にむけて買い物に行かないかって誘ってくれてさ。今日俺達夕方からダイブするつもりだったでしょ、大丈夫かなぁと」
「あっ……あー……」
今日は柴鴨thは仕事のようで日中ログイン出来ない事は聞いているし、1ヶ月後に向けての方針を決めるくらいのつもりだったんだよね。そこまで重要じゃないと言うか、明日でも大丈夫と言える感じの内容だ。
御薬袋さんもいつもなら、そのままご実家で過ごします、って位の返答が返ってくると考えていたら。そんな腹づもりだったのは俺だけだったのか、意外にも電話口には渋った文言が返ってくる。
「あの……それって私も着いて行ってはダメですか?」
◆
「おぉ、凄い様になってます!」
「ね、似合いすぎでしょ」
目の前で大人カジュアルというのか、黒のパリッとしたジャケットに、清潔感漂う白シャツ、ピッタリフィットした黒のスラックスに足元には履いて来た革靴とは違い、遊び心のスリッポン。正にベンチャー社長と言っても過言ではない姿で、秋月さんが立っている。
結局心良く御薬袋さんの同行を許可してくれた秋月さんや他の皆と一緒に、先述の大型の商業施設に立ち寄っていた。ついでに道山さんも合流したんだよね、思わぬ大所帯だ。
御方くんと道山さんに褒められる秋月さんも悪い気はしないのか、割りかし良い笑顔で「次着替えて来ますねっ」と早々と試着室のカーテンに消えて行った。
この店はこういった落ち着いた大人カジュアルなアイテムと、少しトラッドベースなカーディガンや冬場だとコートなども取り扱う店だそうで、秋月さんのイメージ的には打ってつけと言える。
「……たっか」
「うわ……マジだ」
砂塚が皆から少し離れたところで、シーズンから少し外れた春物のジャケットを物色していたので、隣から覗いてみるがその呟きに心から賛同する。
今俺が来ているハイでもローでもないブランドの一式が3セットは買えるぞ、これ一着で。
「……なんだよ」
「……相変わらず釣れないねぇ。しかし、秋月さんと御薬袋さんが良い店があるって言うから大体予想はついてたけど、凄いよな」
「……まぁ、持ってる奴は持ってるって事だろ」
そこまで言ったら僻みが過ぎる気もするが、気持ちはわかる。二人の態度を見ていると、幾ら商業施設内とはいえ中々なハイブランドであるこの店の商品に、物怖じ一つしないのは感服の一言。
二人の普段の態度や私物からの勝手な推察だったが、余程良い環境に恵まれてるのだろうとは思う。秋月さん程になると会社経営されてる等、実力も勿論だけどね。
「しかしまぁ、正直意外だったよ。砂塚はこういうの苦手かと思ってたし」
「あ?……まぁな、苦手っていうかな。でもあのメガネがどうしてもって言うからよ」
それはまた、重ねて意外だ。誘ったのは秋月さんであろう事は分かりきっていたが、そこまでして砂塚を誘う理由があったのか?ファッションで言えば真逆の存在だろうし。
チラと視線を向けると、どうやら先程のワンセットはお買上げになったようでいつの間にか元のスーツ姿に戻っている。此方に気づいたようで、レジの方から秋月さんの「次に行きますよー」とご機嫌そうな声がかかる。
「行くか」
「……おぅ。あのさ」
店を出ようとした所で少し後ろから砂塚が声をかける。え、ちょっとこんな店員さんから丸見えな位置でやめてよー。
居心地悪い感じで先へ進もうとはしてみるが、何か仰るまでその場を動く気は無いのか立ち竦んだままだ。最早ヤケクソと此方も開き直る。
「な、なんだよ?早めにお願いしますよ」
「あぁ悪い。識守、お前な。俺や下野やもっと言やぁ、お前より歳が下の連中の事は何かしらの理由をつけて見下してるだろ……それさ、俺はいいよ。それに他の奴らはの事は俺は知らねぇしな。けど、下野はさ、繊細なんだ。やめろよな」
「は?……えっ、いや、そんな事……てか待て!勝手に行くなよ!」
言うだけ言ったら今度は振り返りもせず皆の元に足早に向かってしまう。……いや、そんな事より。
俺が?見下してる?皆を?訳がわからん。
思わず背中に冷や汗が流れたが、よくよく考えてみればそんな事は無い。話に上がった下野さんにもきちんと気遣っているし、他の皆に対してもそんな風に、自分より劣っているなど微塵も考えた事がない!
酷い言いがかりもあったもんだと憤りに変わりそうだった衝撃も、後ろからの店員さんから気遣われた咳払いで一旦形を潜め、慌てて俺も合流する。
「遅いですっ」っと、大天使達に咎められはしたが、当の砂塚はしれっとした顔で秋月さんを案内していて(どうも次は砂塚お気に入りのブランド店に行くらしい)、その真意がわからない。
「……だ、大丈夫ですか?」
「え……あぁ、うん。だ、大丈夫!大丈夫!」
こういう時に素直に輪に入りにくい鳥野内くんが俺がぼんやりしているのに気づいたらしく、心配してくれる。
大丈夫だ、と鳥野内くんと自分に言い聞かせて店に向かうが、とても生きた心地はしない。
◆
「いやぁ、良い経験が出来ました!皆さんありがとうございました」
ホクホクとご満悦な秋月さんは言葉とは裏腹に手ぶらである。結局あの後全員からのオススメの店をチェックし、試着した物は粗方購入してしまった。
勿論凄い荷物だったのだが、秋月さんが本日のお礼に、と晩御飯をご馳走してくれた。その際にあまりにも邪魔過ぎたため、施設内の荷物郵送サービスにてご自宅に郵送済みだ。
「此方こそ、私達は急にお邪魔したのにお食事まで……ありがとうございました」
「大した事ないですよ……御薬袋さんも良い気分転換になったでしょう」
「そう、ですね……」
電話口では少し落ち込んでるようにも聞こえた御薬袋さんだが、特別変わった事もなく楽しそうに過ごしていた。が、ここにきてまた、陰を落とす。
秋月さんは何か知ってそうな顔振りで、居た堪れないものを見るような、優しいような辛いような複雑な表情。果たして、口を突っ込んで良いものか……えぇい、迷うな、今俺は仕事上とは言えパートナーだろ!
「あー……大丈夫?御薬袋さん、電話でも元気ないような気がしたけど」
「あ、だ、大丈夫ですよ……ちょっと家の方が立て込んでおりまして」
「もう夏ですからね。恒例行事と言えば聞こえはいいのかもしれませんが。悪しき風習といいますかねぇ」
はぁ、と二人で肩を落とす。秋月さんでも参るような事なのか?というか、二人とも顔見知りだったという事なの?
別に俺にとっては特に関係ないと言えばそれまでなのだが……なんとなくモヤモヤとする。先程の砂塚の言葉が残っているからか?
当の砂塚はというと後ろの方で道山さんに絡まれている。会話の内容までは聞こえないが、鳥野内くんが制するのも厭わず、砂塚に詰め寄って何やら企んでいそうな、悪そうな顔をしている。
……あー、なんか、なんだかなぁ。全てにおいてモヤモヤが残る。なんだこれ、言葉にできないけど、凄いムシャクシャとする。
紫乃の事も、クビになるかもしれない事も、御薬袋さんが元気のない理由に秋月さんが関わりが有るかもしれない事も、いつの間にか道山さんと砂塚の距離が縮まっていそうな事も、全部俺に関係ないのにな。
「あのー……識守くん?」
「え?……あぁ、どうかした?」
「……いえ、その、私の自惚れでなければなんですが。きっと私がちょっと大変なのを気にかけてくれてるん、ですよね」
「……あ、あぁ、そうだね。勿論、心配だなと思ってるよ」
顔に出てたかな、出たんだろうな。御薬袋さんが元気ないところを、更に申し訳なさそうな表情で此方を見あげている。
いや、心配はしているんだけども、こんな表情を見せて欲しかったわけじゃないだろ。しっかりしろ、俺!
「大した事ないんです。この時期に私や、秋月さんのお家のような名家を集めてもっと偉い方がパーティーのようなものを催すのですが……色々と大変で」
「そうなんですよ……主要な人物以外にもその家庭の大体の人物の顔を把握しておかないといけなかったり。歩き方から呼吸や普段の所作まで、パーティー中はチェックされますからね」
「うげ……それは、それは」
うんうん、と頷く秋月さんはどこか遠い目をしており、余程嫌だったであろうことは想像に容易い。
我々には想像もつかない世界だが、良家には良家なりの辛さがあるって事だよな……時々御薬袋さんがご家族と用事があるって言ってたのはこういう兼ね合いもあるって事だったりするわけだ。
後続を置いて行かないように三人で話しながらゆっくり歩みを進めていたが、そろそろ空百合最寄の駅の入り口が見えてくる。俺を含め、何人かはここでお別れだ。
「あ、え、駅着いちゃいましたね……じゃあ勝負はお預け、って、事ですね」
「お預けもクソもねぇよ、一方的にコイツが吹っかけてきただけだろ」
「あ、砂塚殿!逃げたな、逃げましたな!」
「うるせぇ!逃げてねーよ‼︎……おい御方、お前も見てねーで止めろよ」
「い、いや俺に言われても」
少し遅れて、鳥野内くん達四人も合流する。何やら盛り上がっていた様子だが、皆今日ご馳走になった秋月さんに挨拶していく。
一しきり挨拶を終えたところで解散となり、各々帰る方向に別れ出す。俺はこの駅からも空百合からも徒歩圏内位の位置に自宅があるので、例に漏れず歩いて帰ろうかと歩み出す。
ふと見れば、見送りが終わった秋月さんが俺と同じような方向へ歩み出そうとしていた。先程までの騒がしさはすっかり鳴りを潜め、俺が秋月さんに接近する足音が不思議な位周囲に反響する。
ハッと勢いよく振り返った秋月さんは一瞬キョトンとしていたが、ちょうど良かったと一笑いし手招きする。
「識守くんは徒歩でしたか。丁度良いので少しお話しませんか?」
「勿論……あれ、秋月さんはどうやって帰るんですか?」
そう言えば秋月さんがどの辺りから通っているのか等知らないな。以前の飲み会的なものを開いた際にはいつの間にか見えなくなっていたし。
ふむ、と考え込んだ秋月さんはチラリと腕時計を一瞥すると、俺にも見るようにジェスチャーし、告げる。
「今、21時30分ですけどね。多分22時にはお迎えが訪れます」
「訪れる?適当に歩いていても、ですか?」
「まぁ大凡僕の歩ける範囲ならどこでもでしょうね」
わーぉ、リアルシンデレラじゃん。というか何処でも?……それって何か発信機とか位置情報的なものが仕込まれてるって事なのでは……考えるのは辞めとこう。
さっきの会話で良家だって事は嫌でもわかったけれど、だからってそこまでされるのか?秋月さん俺より半回りほど歳上だぞ、過保護も過ぎるってもんだ。
俺達は歩み続けるが、これは俺の家の方向だ。躊躇なく着いてきてくれる辺り、本気で何処にいても大丈夫なのだろう。
「す、凄い……ですね。愛されているというか」
「愛……今風に言えば草生える、ですかね」
「……それはちょっと古いかもです」
2世代前くらいのワードですよ。とはいえ相変わらずの笑顔で、何処まで本気で言っているのかもよく分からない。
何処となく気まずい空気になり、居た堪れなくなって質問を繰り出す。このまま無言で歩き続けるには俺の心臓は強くないようだった。
「あ、あのー……そのお迎えとか、御薬袋さんとの事とか、秋月さんのお家って」
「あれ?知りませんでしたっけ?【秋月グループ】、まぁ父が代表ですがね。まだ現役ではいらっしゃるので、そこの御曹司って事ですね」
「御曹司」
まさかリアルにそんな単語を聞く日が訪れるとは。しかし履歴書が公表されていた辺りから俺もちょっと訝しんではいたものの。あの!あの、【秋月グループ】のと来た。
世界を股にかける我が国有数の企業で、発足は医療品メーカーだった筈だが、お父様の代で急成長を遂げ、現在では他業種まで手広く展開している、
「それ程良いものではありませんがね……それより、識守くんに一つお尋ねしておきたい事があるのですが」
「はい?」
「……君は道山さんの事をどう思っています?」
「道山さん?……えー、まぁ可愛くて、明るい子、ですかね」
「子、ね。成る程。なら鳥野内くんはどうでしょう?」
なんだ?質問の意図がよく分からない。話したい事って俺がみんなの事をどう思っているのか、か?そこは秋月さん自身を、ではないんだな。
特に秋月さんの表情に変化が無いのも意図を読みづらい一因であろう。先程機嫌良さそうに服をチョイスしていた以外に、喜怒哀楽を激しく動いたところを見た事が無い。
「鳥野内くん……は、まぁちょっと人付き合いが苦手なのかなぁ、と。でも、凄い素直で良い子だと思いますよ。あ、後意外にもダンスが上手いですね」
「ダンスが。はぁ、成る程……では、御薬袋さんは?」
御薬袋さん。ワタワタ慌てる姿、難解なゲーム用語や駆け引きにきょとんと小首を傾げる姿、美味しいものを食べた笑顔に、心配そうにする下がり眉。
一度に色んな情景が浮かび、逆に言葉に詰まる。俺はどう思っているんだ?
「成る程、いや、いいですよ。識守くんにとっては御薬袋さんは大切な存在だという事はわかりました……では彼女にとって君は何ですか?」
「え?」
「同僚?ペア、パートナー?……それとももうお付き合いでもされていたりします?」
「いや!そんな事はない、ですけど……ま、まぁ。同僚、で片付けるよりは仲良くなれた、んじゃない、かな?と思いますけど」
俺にとっての御薬袋さん、ではなく、御薬袋さんにとっての、俺。御薬袋さんは、俺の事をどう思って……。
頭がザラつき、グルグルする。目眩ではないが視界は暗い気がする。差し出された手にも気付けなかったほどに。
「すみません、困らせると分かった上で聞きました……紅茶と、コーヒーどちらが?」
「……あ、じゃあコーヒーで」
礼を言い、この季節に珍しい温かい方の缶コーヒーを受け取る。前もこんな事があったと思うが、忘れもしないあの夜だ。
秋月さんは立ち止まった俺に近寄り、同じく紅茶の缶を開けて一息呷る。流れる空気は夏前特有の湿り気を孕んで、俺達、いや俺にまとわりつく。
「すみませんね、砂塚さんとの会話を聞いていました」
「あ、あの店での」
「そうです。質問ばかりで申し訳ないですが、言われてどう思いました?」
あの時……確か、何度考えても俺が皆を下に見てる事なんて無い、と憤った筈。でもそこまで正直に言うべきか?見ようによっては逆ギレに見えるのかもしれない。
「……言われた事に思い当たらなくて、戸惑いました」
「そうですか……これから僕はいらぬお節介をします。必要無ければ無視して頂ければ良いですし、僕が正しい保証もありません」
「え?……は、はい」
先程までの張り付いた笑みも薄れ、糸目がちだった眼の奥が少し顕になる。吸い込まれそうな黒。思わずたじろぎそうになる。
「識守くんは……きっと自分が物語の主人公だとお思いなんでしょう」
「主人公?……俺がですか?」
「はい、多分無自覚に」
いやだが、主人公ってもっと煌びやかで、情熱的で、物怖じしない明るい奴で。失敗しても落ち込む事はないし、秘めたる才がチラ見えしてるような順風満帆な……寧ろ貴方の方が、とは言葉に出来なかった。
自身の直近を思い返してみても大したことない事で失神するわ、実の妹に恨まれるわ……情けない事この上ないな。
「別に悪いこと、とは思いませんがね。人によっては不愉快に思って受け入れられないのでしょう」
「下野さん、とか」
「はは、まぁ。そうですね……君は、砂塚くんからの言葉に戸惑い、道山さんと鳥野内くんがいつの間にか彼と仲良くなった事に焦り……僕と御薬袋さんの関係に幾許かの嫉妬を憶えたのでは?」
戸惑い?焦り?……嫉妬?
なんで俺が?いや、まぁ、このモヤモヤした胸の内に名前を当てがうなら、そうなのかもしれない。
「……上手く言葉に出来ないですけど、そうかもしれません」
「別に責めるわけでも、悪気が有るわけでも無いのですが……君は彼等にとって何者なんですか?友達?家族?愛する者?果たして彼等は君からの指示が無いと、仲良くする者も選べないのですか?」
「え……いや、そんな、そんな事は、無いですよ」
「そうでしょう。つまり砂塚さんは、君が自分を自分中心に物語が進んで当たり前だと思っている、まるで絵本やゲームの主人公のような態度で、つまりは他の者を主人公の付属品だと扱っていて困ると、伝えたかったんだと思ったのです」
俺が……そんな、自分中心な。だって、友達が気に食わない奴と仲良くしてれば気になるだろ?自分の知らない大切な人がいたら、気になるだろ!
明らかに自分より人付き合いが苦手な奴がいたら面倒見るし、不当な扱いを受けていそうなら助けるだろ?
「……今はまだ飲み下す事は難しいでしょうけどね。私は君が少し心配になりましてね」
「心配……何故ですか?」
言いながら秋月さんは時計を気にかける。俺もふと視線を手元の腕時計に落とすと、もう少しで22時を迎えるところであった。少し先の道路に車のヘッドライトが見える。
恐らくお迎えであろう、このまま進路上に停車して待つ様子だ。
「……そろそろお別れですね。心配する理由ですか……さぁ、なんでしょうね。ただ、このまま識守くんが皆さんと軋轢を生まないか気に掛かったのは事実ですかね」
軋轢。砂塚とはもう既に遅い気もするが、その言葉の非日常感に現実味が湧きづらい。ただ、秋月さんにも御薬袋さんにも今日心配させた事は理解出来る。
情けなくて肩が下がる。秋月さんは運転手らしき素晴らしき割合に揃えられたオールバックの壮年の男性に案内され、車に乗り込むところだ。
「……そう落ち込まないでください。明後日はよろしくお願いしますね」
「明後日……そうか、よろしくお願いします」
「はい、では……おやすみなさい」
車のウィンドウが閉じ、静かに発車する。今時の車は発車にすら殆ど騒音を発さず、文字通り音もなくこの場を後にした。
我が家まではもう5分とかからない。だが人通りも無く、秋月さんも居なくなったこの場の静寂はいつもよりも重く深く、不気味で。先程まで沸かなかった現実味が、沸々と腹の底から湧き上がる。
鳥野内くんと道山さんが砂塚と今よりもっと親密になれば?下野さんとどう接すれば?
……御薬袋さんから、距離を置かれたら?俺は?
◆
車窓から流れる風景は私が生まれた頃より遥かに近未来化し、人工物に溢れた町並みが高速で巡る。あれもこれも、一昔前までは人が担っていましたね。
灯りや看板も規制され夜中まで煌々とする事は無くなったものの、逆にその統制された風景に寒気を覚える程。
「それにしても……全く、どの口が言っているのでしょうね」
一連の説教地味た会話を思い出して苦笑する。これが歳をとる罪というものでしょうか。
主人公を気取るな、ですか。正にお前がな、と叱られてしまいそうですね。私の言ったことは恐らく正しいですが、矛盾していますね。
「……ご機嫌ですね、孝太郎様」
「浅見さん……そう見えますか?」
浅見さんは我が秋月グループに、ひいては私に仕えて20数年の大ベテランの側仕え。妻の一果よりも付き合いの長い、私には貴重な気を遣わなくて良い人物の一人。
「はい。少なくとも今年に入ってからでは格別かと」
「……はは、そんなに。なんでしょうね、若さに充てられたのですかね」
はたまた、彼に期待したのか。もしも彼が主人公なのだとしたら、私の忠告や周りからの印象など跳ね除けて、自分の意思を押し通して見せてくれるのだろうか、と。
「それはまた、私に対する嫌味ですかな。私からすれば、孝太郎様もまだまだお若い」
それは、まぁそうでしょうとも。
浅見さん曰く、ご機嫌な私の夜は過不足無くこの後も流れ、また朝を迎える。
以前は迎えるのが苦痛でしかなかった朝日を、もしかすると心待ちにしているのかもしれない私に、この時はまだ気づけていなかったのです。
主人公なんでね。それでも良いのですが、色々な作品の主人公って本当、素晴らしい性格してますよね。




