3-2 恋人の了承
数日後、セシリアは伯爵家の東の離れへ招かれた。
案内された部屋は、彼女が想像していた貴族令嬢の私室とは少し違っていた。壁一面の本棚、窓辺の編みかけの膝掛け、小さな刺繍枠と大きな刺繍台、乾燥させた薬草の束。華美ではないが、どこか居心地がよく、持ち主の落ち着いた気質が滲んでいる。
「初めまして、セシリア・ラングフォード様」
立ち上がったリディアは、噂に聞く病弱な令嬢というより、静かな湖面のような人だった。淡く微笑んではいるが、その奥にある意思は驚くほど澄んでいる。
「リディア・エルフォード様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「どうぞお掛けください。今日は謝罪でも尋問でもなく、確認のためのお茶会です」
「確認、ですか」
「はい。あなたがこの契約を望むかどうかを、私が直接確かめるためです。そして同じように、あなたにも私が本当に望んでいるのかを確かめていただくためです」
勧められた椅子に腰掛けたセシリアは膝の上で手を重ねた。用意してきた言葉はいくつもあった。けれど、リディアの前では、飾った言葉よりも本心を伝えるべきだと思えた。
「わたくしは、エリアス様を愛しています。ですが、あなたの名を借り、あなたの立場を奪うような形になることが怖いのです」
「奪われる、とは思っていません。私はその立場を欲していませんから」
リディアは紅茶に口をつけ、穏やかに続けた。
「私は、侯爵夫人として舞踏会に出たいわけでも、侯爵家の奥向きを掌握したいわけでもありません。ましてや、夫に愛されたいとも思っていません。私が望むのは、誰にも出産を求められない生活です」
「出産を……」
「はい。怖いのです。生命を落とすかもしれない行為を、家のためだからと当然のように求められることが」
セシリアは息をのんだ。貴族の令嬢として、結婚すれば子を産むものだと教えられてきた。恐ろしいと思っても、それを口にすることはわがままだとされる。けれど、目の前の令嬢は静かに、はっきりと、自分の生命を守りたいと言った。
「それでも、わたくしは子を望んでいます。エリアス様との子を。この気持ちは、あなたを傷つけませんか」
「傷つきません。むしろ、私の代わりに侯爵家が望む未来を担ってくださるなら、感謝します。ただし、あなたが本当に望む場合に限ります」
「望みます。怖くないと言えば嘘になります。けれど、エリアス様と家族になれるなら、わたくしはその責任を引き受けたい」
その答えを聞いて、リディアは初めて心から微笑んだ。
「では、契約は三人で結ぶべきですね。私とエリアス様だけではなく、あなたの権利も守られなければなりません」
「わたくしの権利……」
「あなたは代理ではありますが、使い捨ての駒ではありません。住まい、身分上の扱い、子の養育に関する発言権、万一エリアス様に何かあった場合の保護。そのすべてを契約に入れます」
セシリアの目に、ゆっくりと涙がにじんだ。
「どうして、そこまでしてくださるのですか」
「私の平穏のためです。あなたが不安定な立場に置かれれば、いずれ侯爵家も、エリアス様も、私も困ります。ですから、最初から曖昧にしない方がいい」
「……リディア様は、優しいのですね」
「合理的なだけです」
即座に返された言葉に、セシリアは涙をぬぐいながら小さく笑った。その笑みを見て、リディアもわずかに肩の力を抜く。
その日の夕方、エリアスも交えて三人は改めて向かい合った。机の上には、書き直された契約書の草案が置かれている。リディアの名義上の妻としての権利。セシリアの実質的な伴侶としての保護。エリアスの義務。子の扱い。秘密の保持。どれも、誰かを縛るためではなく、誰かを守るための言葉だった。
「本当に、よろしいのですね」
エリアスが二人を見比べて言った。
「私は構いません。むしろ、早く領地の別邸の蔵書目録を見せていただきたいくらいです」
「わたくしも、覚悟いたしました。逃げ道ではなく、選んだ道として、この契約を受け入れます」
エリアスはゆっくりと目を閉じ、それから深く頭を下げた。
「お二人に誓います。私はこの契約を、都合のよい嘘にはしない。必ず、あなた方を守ります」
リディアは頷き、セシリアは胸元に手を当てた。
まだ世間に祝福されることはない。けれどこの日、三人は確かに、自分たちの意思で同じ紙の上に未来を描き始めた。




