↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こんな家族の姿があってもいいんじゃない?  作者: アーエル
第一章:望まぬ縁談と、望んだ契約

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

2-1 契約条件


 グランヴィル侯爵家の馬車が伯爵家の門をくぐったのは、約束の三日目の午後だった。


 応接室には淡い緊張が満ちていた。磨かれた銀器、香りのよい紅茶、季節の焼き菓子。どれも客人を迎えるために整えられたものだが、今日この席にあるのは華やかな婚約話ではない。少なくとも、リディアにとってはそうだった。


 父と母は上座に控え、兄は壁際に立っている。リディアは薄い水色のドレスに身を包み、いつものように血色を抑えた化粧をしていた。病弱な伯爵令嬢という噂にふさわしい、儚げな装いである。


 扉が開く。入ってきた青年は、噂よりもずっと落ち着いた人物に見えた。


 エリアス・グランヴィル。濃い栗色の髪に、理知的な灰色の瞳。貴族の嫡男らしい品のよさはあるが、鼻にかけたところはない。彼は丁寧に一礼し、リディアへ視線を向けた。その目には、申し訳なさと諦めが入り混じっていた。


「リディア・エルフォード嬢。本日はお時間をいただき、感謝いたします」


「こちらこそ、エリアス様。どうぞお掛けください」


 形式的な挨拶が終わり、茶が注がれる。しばらくは天候や領地の作柄といった無難な話題が続いた。けれど、誰もが本題を先延ばしにしているだけだと分かっていた。


 先に沈黙を破ったのは、リディアだった。


「エリアス様。失礼を承知で、率直に申し上げてもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


「この縁談は、あなたにとっても望ましいものではないのではありませんか」


 父が息をのむ音がした。母は膝の上で手を握りしめ、兄はわずかに眉を上げる。あまりにも直接的な言葉だったからだ。


 エリアスはすぐには答えなかった。灰色の瞳がリディアを見つめる。侮りも怒りもない。ただ、相手の意図を測ろうとする慎重な沈黙だった。


「……なぜ、そう思われるのです」


「グランヴィル侯爵家ほどの家門が、病弱で社交界にも出ていない伯爵令嬢を急いで迎える理由は限られています。家格の釣り合う正妻が必要で、けれどあなたご自身には別に大切な方がいらっしゃられる。違いますか」


 応接室の空気が、目に見えない糸で張りつめたようになった。


 エリアスはカップを置いた。陶器が受け皿に触れる小さな音が、やけに大きく響く。


「調べられたのですね」


「必要な範囲だけです。ご不快でしたらお詫びします」


「いいえ。事実です。私には、将来を誓った女性がいます。ですが、父は彼女との結婚を認めておりません」


 その声には苦さがあった。リディアはそれを聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。少なくとも、彼は恋人の存在を隠して自分を利用しようとする男ではないらしい。


「でしたら、私たちは互いに不幸を避けられるかもしれません」


 リディアは傍らに置いていた書類束を手に取った。表紙には、整った文字で【 契約婚姻に関する提案書 】と記されている。


「私は、エリアス様との婚姻をお受けしても構いません。ただし、夫婦としての実態は持たないことを条件とします」


「実態、とは」


「寝室を共にせず、互いの私生活に干渉せず、子をもうけることも求めない、という意味です」


 父が低く名を呼んだ。


「リディア」


「お父様。私は正気です」


 リディアは家族を見回し、それからエリアスへ視線を戻した。


「第一の条件です。グランヴィル侯爵家の後継者は、あなたの愛する方に産んでいただきたい。その子は、正式に侯爵家の子として育てること」


 エリアスの表情が初めて大きく揺れた。


「……何を、仰っておられるのですか」


「そのままの意味です。侯爵家が必要としているのは、あなたの血を継ぐ後継者でしょう。私の血である必要はないはずです。少なくとも、侯爵家の名で認められるなら」


「しかし、それではあなたが――」


「私は子を産みません」


 短い言葉だった。だが、それ以上ないほど明確な拒絶だった。


「理由を伺っても?」


「生命が惜しいからです」


 嘲笑は起こらなかった。エリアスは真剣にリディアを見ていた。だから彼女も、言葉を飾らなかった。


「出産で生命を落とす女性は少なくありません。私は、その危険を背負うつもりがありません。臆病だと言われても構いません。ですが、自分の生命を差し出す契約に署名する気はないのです」


 母が目元を押さえた。父は何かを言いかけ、結局は沈黙した。兄は唇を引き結び、ただ妹の横顔を見守っている。


 エリアスは長い息を吐いた。


「あなたは、ご自身の恐怖を隠さずに話されるのですね」


「隠して嫁げば、いずれ誰かが不幸になります」


 その答えに、エリアスはわずかに目を伏せた。自分にも思い当たることがあるのだろう。愛する女性を隠したまま別の令嬢を妻に迎えれば、誰かが必ず傷つく。彼もまた、その未来を恐れていたのかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。