愛の教え
柔らかな日の光が朝もやを照らし、森が目覚め呼吸を始める。
鳥がさえずり、警戒心の無いリスが隣で木の実を噛る。
コーヒーをすすりながら、レイトは拝借した素材図鑑をめくり読む。
澄んだ空気を一人占めするかのような、穏やかな時間がゆったりと流れていく。
しばらくすると母屋の戸が開き、大きなあくびをしながらジャルダンが出てきた。
「おはようございます、師匠」
「はい、おはようございます。ずいぶん早起きですな」
「朝の景色があまりにも素敵だったんで。もったいなくて起きてしまいました」
温かな目覚めのコーヒーをカップに注ぎ、ジャルダンに手渡す。
「あぁ、ありがとうございます。 いい所でしょう? 空気も水もうまいし、朝から晩まで景色も最高。飛龍の巣にしとくにはもったいないでしょう」
「ふふっ、たしかにそうですね」
「ひとまず朝食が済んだら完成した魔法薬を瓶に移し替えますかね。それが終わったら散歩でも行きましょうか。近場を案内しますよ」
「はい、ありがとうございます。じゃあ簡単に朝食を用意しますね」
燻る炭に薪をくべ、火を起こし、昨晩のスープの残りを温める。
持参したパンを切り分け、網に乗せると、遠火に当ててトーストにする。
ここへ来る途中、森の中で見つけたローレイの果実も皮をむき、一口大に切り分けて小皿に盛る。
「こんな簡単なもので申し訳ないですが」
焼きたてのトーストをスープに浸し付けながら口に運ぶ。
「いやいや、フルーツまで付けてもらって十分ですよ。スープも昨晩より味が染みてさらにうまい。一晩寝かせると馴染むのはスープも魔法薬も一緒のようですね」
ジャルダンの上機嫌な笑い声が辺りに響き、朝もやを晴らしていく。
朝食を済ませ工房の戸を開けると、昨日よりもさらに濃縮された爽快感溢れる香りが鼻を抜ける。
寸胴鍋に並々と煮えたぎっていた液体は半分以下にまで減り、トロトロとした粘り気と緑色の光沢を帯びた液体に変わっていた。
これを柄杓ですくい、こぼれないように丁寧に空き瓶に注いでいく。
「散歩に出る前にお前さんも一本持っておくといいですよ。近場とはいえ森に出たら何があるかはわからんのでね。大抵の外傷はこいつで回復できますよ」
ジャルダンからの指示通り、空にしたザックに魔法薬の瓶を詰め、出発の準備を整える。
ジャルダンもまた同じように大きな空のザックを背負い、先端に赤い魔光石があしらわれた杖を持って現れた。
ただの散歩ではなさそうなことを察知した。
「魔杖ですか?」
「ん? あぁ、これですか? 古い友人から譲り受けたものでしてね。ジジイが歩くのに重宝しとるだけですよ。まぁ、ちょっとした護身用にもなりますがね。 じゃあぼちぼち行きましょうか?」
直接森へと入る道ではなく、木々の間を抜ける獣道のような細道をジャルダンの後を追って下っていく。
何分も経たぬ内に水の流れる音が聞こえ始めると、水辺の匂いが鼻をかすめた。
「すぐそこに小さな川が流れてます。水浴びをしたり、魚を取ったりもできます。野生動物達の水飲み場にもなってるので狩猟の重要ポイントでもありますな」
その後も一緒に歩きながら薬草が多く自生する草むらや果実が成る木々、ゼゼの木が群生するポイントなどを案内される。
薬草や素材、食材に至るまで見つける度に採取し、ザックに詰めていく。
「なるほど、材料集めを兼ねた散歩ってことでしたか」
「ちょうどいろいろと補充が必要でしたからね。 いつもの倍持って帰れますし」
「宝探しみたいで楽しいです。パンパンに詰めて帰りましょう」
「お前さん、得意な魔法は?」
「光属性の魔法を使っていました」
「ほぅ、では拘束魔法もいけると?」
「そうですね、大抵のものは」
「そいつは助かりますな。じゃあちょっと行ってみますかね」
ジャルダンの不可解な問いのあともしばらく歩き続けると、レイトの魔力探知に複数の反応が現れた。
「師匠、これって……」
問いの意味になんとなく勘づいた。
音を立てないよう反応に近づくと、茂みの向こうにトカゲのモンスターの群れが今まさに獲物を捕食している様子が見える。
「グレンリザードの群れですな」
「あれを拘束しろ、と?」
「んー、正直群れとは厄介でしたな。尻尾を拝借するのは一頭だけでよかったんですが……」
「まぁ、一頭も五頭もさほど変わらないので捕らえちゃいますね?」
立ち上がったレイトは恐れもせず茂みを出ると、食事中の群れに歩み寄る。
その両手にはすでに金色の魔法陣が展開されていた。
群れの中の一頭がレイトの存在に気付き、威嚇しようとした時にはもう遅かった。
瞬く間に五頭全てに金色の帯が巻き付き、身動きが取れない形で捕捉された。
ジャルダンは感嘆の息を吐く。
「さも当たり前のようにやってのけますな…… 」
「このクラスのモンスターだったからですね」
屈託のない笑顔で謙遜する穏やかな姿の裏側にある、冷徹なまでに圧倒的な戦闘能力を垣間見る。
ジャルダンは魔杖に力を込めると、赤い魔光石が眩しいほどの光を放つ。
慣れた手付きで魔杖を操り、一頭の尻尾に光を当てると、鮮やかに切り落とされた。
「あれ? 血が流れない……」
「石の力にちょっとだけ手を加えましてね。恐らく痛みも感じていないはずです。 動物、モンスターに関わらず、食材も含めて我々は多くの命を頂くでしょう? せめてもの慈悲といいますかね」
ジャルダンが切り落とした尻尾を掴んで歩き出す。
「食事中のところ邪魔してすまなかったですね」
安全な距離を確保し、離れたところでレイトは魔法を解いた。
「今日のところはこんなところですかね。ぼちぼち戻りましょう」
ザックに詰め込んだ溢れんばかりの品々とジャルダンの満足げな表情が散歩の成果を物語る。
その日の夕食後、森で取れた木の実をつまみながら至福のひとときを過ごしていると、ジャルダンから思いがけない話を振られた。
「お前さん、想い人はおらんのですか?」
飲みかけのコーヒーを吹き出しそうになり、ゴホゴホとむせた。
「何ですか? 急に……」
「いやね、さっきのモンスターとのやり取りを見てもあまりにも戦い慣れしすぎていて…… そしてあまりにも強すぎるのですよ。その若さで極みに近いところまで到達してるといってもいいでしょう。こと戦闘においてはですね」
「いえ、まだまだ未熟です。 でもそれが想い人と何か関係が?」
「ふむ…… 礼節もわきまえ、人を思いやる心もお持ちです。その上物腰も柔らかい。好青年のお手本のようですよ。 ですがその魔力然り、内に秘めたるモノにどこか刺々しい、他を寄せ付けぬ角を感じましてね」
「角、ですか……」
「世界のためとか国のためとか、よほど大層な御題目も素晴らしいですがね。この人のためなら自分の命を掛けることすら厭わない。そんな近しい想い人のために振るう力も悪くないですよ。時としてその力は他の何よりも強い。 『愛』ってやつですよ」
「愛、ですか…… どうも昔から色恋は苦手でして…… ずっと避けて通ってきましたね」
「まぁ、無理矢理欲すものでもないですがね。 ただ間違いなく質は変わりますよ。刺々しさは払われ、角は削られて丸くなる。心も魔力もね」
「へぇ、そうなんですね」
「戦の場を離れ、人に寄り添う道を選ぶのなら、なおさら知っておくべき感情かもしれませんな。 お前さんにとっては術式を学ぶより難しいかもしれませんが……」
「たしかに…… まったく無知のスタートですからね」
満天の星空の下、炭が爆ぜる音と二人の笑い声だけが深い闇に響く。
「愛ってなに?」
大きな瞳を輝かせながらリリーがレイトの顔を覗き込む。
「実のところ、おれにもまだよくわからん…… 師匠が言うには想い人への感情なんだって。自分でも気付かない内に心に芽生えるんだってさ」
「ふ~ん、師匠にもわからないことがあるんだね。 魔法は? 魔法もいっぱい教わった?」
「もちろん。魔法薬も作れるようになったし。生成魔法の基礎は師匠から教わったものだからね。でも魔法や技術よりも心の部分の教えのほうが大きかったかな。こういう魔法の在り方でいいんだ、って。今でも自信を持って言えるよ」
「すごいね、師匠の師匠は…… リリーも会いたいな。 森で宝探しもしたいし。 今度連れてってよ、師匠」
「連れてってって…… だいぶ遠いからな。ちょっとした旅みたいなもんだよ」
「旅でもいいよ。そしたらその間に見つかるかもしれないよ? 想い人も愛も。 リリーも一緒に探してあげるよ!」
……この子は愛を薬草や何かと勘違いしてるのかもしれない……




