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第3話:国境の叫びと、美しき清算

続きは本日中にー

 ガタゴトと揺れる馬車の車輪が、石を()ねる音だけが夜の静寂(せいじゃく)に響いている。

 アステリア王国の王都を遠く離れ、街道は街灯(がいとう)すらない深い闇に包まれていた。

 御者に金は多めに払ってある。「明日の夜明けまでに国境へ」という無茶な注文に、彼は不審(ふしん)がりながらも馬を走らせてくれていた。


 馬車の座席に深く身を沈めた私は、膝の上でぎゅっと両手を握りしめていた。

 体は、かつてないほどの激痛に悲鳴を上げている。


 肺の奥が焼けるように熱く、心臓はまるで、外側から誰かに(にぎ)()されているかのようだ。視界の端では、スキルが絶え間なく警告のログを流し続けている。


『警告:魔力債務(さいむ)の肩代わり限界。契約終了まで、残り一分。』


『全負債(ふさい)の逆流リスクを検知。個体維持機能、最小構成にて待機中。』


(…あと、少し。あと少しで…)


 王家が、貴族たちが、5年間で垂れ流してきた天文学的数字の負債。

 私はそれをこの身一つで()き止め、自らの生命力という資産を切り売りして相殺し続けてきた。その契約が、ついにあと数十秒で終わろうとしている。


 時計は見えない。だが、私の中にある会計士の感覚が、正確に時を刻んでいる。

 5年。1,825日。

 美味しいものを食べた記憶も、鏡を見て微笑んだ記憶もない。

 ただ、数字と、痛みと、王子の罵倒(ばとう)に耐えるだけの日々。


 馬車の窓から見える月が、雲に(かく)れた。

 私の中にあった「負債」という名のドス黒い重圧が、限界まで膨張(ぼうちょう)し、限界まで私を()め付ける。


『……5、4、3、2、1。』


 ――午前、零時(れいじ)



その瞬間、馬車の小部屋が「影」に飲み込まれた。


「……っ!? …あああああ!!」


 声にならない叫びが、私の(のど)から(あふ)れ出した。

 私の肌の隙間(すきま)から、毛穴という毛穴から、どろりとしたドス黒いモヤが()き出していく。

 それは5年間、私を(むしば)み、私を「無能な聖女」という(から)に閉じ込めていたアステリア王国の不浄な負債の(かたまり)だ。


 モヤは生き物のように馬車の中でのたうち、窓の隙間から、あるいは車体の()ぎ目から、逃げるように外へと吸い出されていく。


 熱い。全身が、()え立つ油の中に放り込まれたかのように熱い。

 けれど、それ以上に――軽い。


 内臓を圧迫(あっぱく)していた鉄の重しが、一つ、また一つと取り除かれていくような感覚。

 肺の奥まで冷たい空気が入り込み、何年かぶりに深く呼吸をすることができた。


 ドクン、と。

 心臓が力強く、本来の鼓動を打つ。


 馬車を包んでいた黒いモヤがすべて霧散(むさん)した時、私は(くず)れるように座席の下に膝をついた。

 荒い呼吸を繰り返すたびに、震えていた指先に力が戻っていく。


「はあ、はあ…。終わった……。本当に、終わったのね…」


 私は、自分の手を見つめた。

 まだ月明かりのない暗闇の中だったが、自分の手が、かすかに発光しているのが分かった。

 それは他人の負債を埋めるための魔力ではない。

 私自身の、リゼットという一人の女性が本来持っていた、純粋な魔力。

 会計処理のために抑え込まれ、枯渇寸前(こかつすんぜん)まで使い果たされていた本当の力が、せきを切ったように体中の魔力経路パスを駆け巡り始めていた。



 それからしばらくして、馬車が停まった。

 御者が小窓からおそるおそる声をかけてくる。


「……あ、あの、この辺りはもうエルディア王国の国境付近ですが、いかがいたしましたか? さきほど、馬車の隙間から(みょう)(けむり)()れ出したように見えましたが…」


「……いいえ。何でもありません」


 私は、まだ震える足で馬車の外へと出た。

 そこは、国境を(へだ)てる(ゆる)やかな草原の(おか)だった。

 アステリア王国の王宮という(おり)から離れ、冷たくて清々しい夜風が私の頬を()でる。


 見上げれば、雲が晴れ、満点の星空が広がっていた。

 私は、誰もいない、どこまでも続く草原の真ん中へと歩いていった。

 そして。

 肺の限界まで、深く、深く息を吸い込んだ。


「あーーーーーーーーーーーーー!!!!」


 喉が()()けんばかりの声で、私は夜空に向かって叫んだ。


「やっと…!! やっと、肩の()が下りたーーー!!!!! さらば、クソ王子! さらば、借金まみれの王国!! 私の人生、ここからが黒字よーーー!!!」


 叫んだ声が、丘に反響して消えていく。

 目尻から、熱いものが(あふ)れて頬を伝った。

 悲しくなんてない。

 あまりにも、あまりにも清々しかった。


 5年間、ただ「無能」と(さげす)まれながら、他人の借金を返済し続けた地獄。

 もう、あいつらの贅沢のために私の命を(けず)る必要はない。

 1MPの無駄遣(むだづか)いに(おび)えて、夜も眠れぬ帳簿(ちょうぼ)付けをする必要もない。


「ふふ…あはははは!」


 私は草原に仰向(あおむ)けに(たお)れ込み、声を上げて笑った。

 星が、これほどまでに美しいものだとは知らなかった。


 その時だ。

 倒れ込んだ私の周りの草花が、不思議な光を放ち始めた。

 私が笑い、喜び、魔力を解放するたびに、私の体から(あふ)れ出す純粋な力が、周囲の自然を活性化させている。

 枯れかけていた野花が瞬時に花を咲かせ、草の葉が生き生きと輝きを増していく。


(あ…そうか。私の魔力は……)


 本来、私の魔力は「清算」と「再生」の力を持っていたのだ。

 それを無理やり他人の尻拭(しりぬぐ)いに使わせていたから、私の身心はボロボロになっていた。


 解放された魔力は、今度は私自身の体を修復し始めた。

 ガサガサだった指先が、吸い付くような白磁(はくじ)の肌へと変わっていく。

 枝毛だらけでパサついていた髪が、月光を反射する極上のシルクのようにしなやかに伸びる。

 疲れ果て、(よど)んでいた瞳。

 それが、深い紫の宝石のような輝きを取り戻していく。


 一晩。

 ただ一晩、誰の負債も背負わずに眠るだけで。

 私はやつれた帳簿係から、自分でも驚くほどの、神秘的な輝きを放つ本来の姿へと変貌(へんぼう)()げていった。




◇◇◇◇◇




 夜が明け、水平線が白み始めた頃。

 私は、隣国エルディア王国の国境検問所へと辿(たど)り着いた。


 御者は、一晩で別人のように様変わりした私の姿に、腰を抜かさんばかりに驚いていた。「あ、あの…本当にリゼット様、ですよね…?」と。

 私はただ、微笑んで「ええ、少し休息が取れましたから」とだけ答えた。


 検問所には、重厚な鎧に身を包んだエルディア王国の騎士たちが数名、あくびを()み殺しながら立っていた。

 彼らにとって、朝一番の入国希望者など、ただの手続き作業に過ぎないはずだった。


「次の者。通行証と……」


 騎士の一人が、事務的に顔を上げた。

 だが、私の姿を見た瞬間、彼の言葉は(こお)りついた。


「……あ?」


 朝の光を背負って立つ私の姿は、自分では気づかなかったが、周囲の空気を(ゆが)めるほどの魔力を放っていた。


 金糸を織り込んだかのような、輝く髪。

 透き通るような肌。

 そして何より、その全身から(あふ)れ出す、圧倒的で…それでいて、どこまでも清らかな魔力の波動。


 それは、アステリア王国の「偽りの聖女」エレノアのような、見せかけの演出による輝きではない。

 一国の魔力バランスを一人で支えてきた、(きた)え上げられた魂が放つ、真の強者の輝きだ。


「な……なんだ、この魔力量は…」


 一人の騎士が、後ずさりした。


「聖女…? いや、それ以上だ。こんな高純度の魔力を放つ人間を、私は見たことがない…」


 一人が膝をつくと、まるで波が広がるように、他の騎士たちも次々と石畳に膝をついた。


「お、お名前を…。畏れ多くも、あなた様のような御方が、なぜこのような辺境の検問所に…」


 騎士隊長らしき男が、(かぶと)を脱ぎ、震える声で尋ねる。


 私は、ボロボロだったはずの法衣(今は私の魔力によって、神秘的な光沢を帯びた純白の布へと再生している)の(すそ)を軽く持ち上げ、優雅に一礼した。


「ただの、流れの会計士です。今日からは、一人の人間として、新しく人生の帳簿を付けに参りました」


 朝日が、草原を黄金色に染めていく。

 私の新しい黒字人生の、これが本当の、1ページ目の始まりだった。


(前回の続き)

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