第2話:最終貸借対照表とゴミ扱いされた警告
続きは本日中にー
「本日24時をもって、すべての『代償肩代わり契約』を解除いたします」
私のその宣言は、華やかな音楽が鳴り響く会場に、奇妙な静寂の波紋を広げた。
だが、その静寂はすぐに、困惑と、それ以上に深い侮りを含んだざわめきにかき消される。
「……リゼット、貴様。先ほどから何をぶつぶつとわけの分からぬことを…」
ウィフレド殿下は、苛立たしげに眉根を寄せた。
彼の記憶の中にも、確かにあったはずなのだ。5年前、私が初めてこの王宮に招かれた日。魔法の乱用によって枯渇しかけていた王国の魔力貯蔵庫を救うため、私が魔力会計スキルを用い、彼らの代わりに魔力の「支払い」を一身に引き受ける契約を結んだことを。
私は何度も報告した。何度も説明した。
『殿下、今月は使いすぎです。私の体での肩代わりも限界に近い。少し魔法を控えてください』と。
だが、5年という月日はあまりにも長すぎた。
蛇口をひねれば水が出るように。
朝になれば太陽が昇るように。
彼らにとって、魔法をいくら使っても自分の身が傷つかないことは、もはや自然現象の一部と化していたのだ。私の言葉はいつしか、耳障りな「ケチな算盤弾き」の小言として処理されるようになっていた。
「ハッ、契約だと? 貴様が勝手に吹聴している妄想など、今さら誰が信じるものか。エレノアを見ろ! 彼女のような本物の輝きこそが、聖女の真価なのだ」
殿下が私を見る目は、もはや人を見るものではなかった。
古びて、使い道のなくなった道具を捨てる時の、無機質な蔑みだ。
私は、震える指先を隠すように、ボロボロの法衣の懐に手を入れた。
肩代わりのダメージは、もはや致死量に達している。心臓の鼓動が、まるで重い鐘を叩くように鈍く、痛い。だが、ここで倒れるわけにはいかない。
一人の会計士として。
この国に関わった最後のけじめとして、渡すべきものがある。
「…殿下、これが最後の手続きとなります」
私は懐から、一冊の分厚い冊子を取り出した。
皮の表紙は手垢で汚れ、中には緻密な数字がびっしりと書き込まれている。私が5年かけて積み上げてきた、この王国の「闇」の正体。
「何だ、それは。貴様の書いた日記か?」
「いいえ。――アステリア王国、最終魔力貸借対照表(バランスシート)でございます」
私は一歩踏み出し、それを殿下へと差し出した。
「ここには、現在この国が抱えている『魔力債務』のすべてが記載されています。そして、私が今まで肩代わりしていた分の未決済分も…。殿下、これは脅しではありません。この数字を直視し、計画的に返済、つまり魔法の行使を極限まで制限しなければ、取り返しのつかないことになります」
会場にいた貴族たちが、一斉に顔を見合わせた。
そして次の瞬間、誰かが吹き出したのをきっかけに、爆発的な笑い声が沸き起こった。
「貸借対照表だって? 魔法の話をしているのに、商人の真似事かよ!」
「見ろよ、あの分厚さ。あんな紙の束に、魔法の何が分かるっていうんだ」
「きっと、自分がいなくなると大変だと思い込ませたいんだろうな。哀れな女だ」
あざ笑う声が突き刺さる。エレノアまでもが、鈴を転がすような声で笑いながら、殿下の腕に身を寄せた。
「ウィフレド様、ご覧になって。リゼット様はまだ、あんな『数字遊び』で皆様を繋ぎ止められると思っておいでですわ。魔法は愛と才能ですもの。紙に書かれた数字なんかで、私たちの力が縛られるはずがありませんのに」
「その通りだ、エレノア」
ウィフレド殿下は、差し出された冊子を乱暴にひったくった。
私が5年、眠る間も惜しんで、自分の命を削りながら一字一字綴ってきた、救国のためのデータ。
殿下はその中身を一瞥だにせず、鼻で笑った。
「数字ばかりの、薄汚い紙クズが!」
――バサリッ、という鈍い音が響いた。
冊子が、大理石の床に投げ捨てられる。
美しい床を滑っていったそれは、貴族がこぼした酒に濡れ、無惨に汚れ、踏みにじられた。
「二度と、我が王宮にその汚い顔を出すな。貴様のような陰気な算盤女がいるだけで、空気が濁る」
殿下は私に背を向けた。
周囲の貴族たちも、私をゴミを見るような目で見つめながら、勝利の美酒を掲げている。
大理石の床に落ちた冊子を見つめ、私はふっと、肩の力が抜けるのを感じた。
(ああ…。本当にもう、終わりなのね)
悲しみはなかった。
あるのは、深い諦観と、そして…あまりにも遅すぎた「自由」への予感だ。
5年。私はこの人たちを救うために、自分の人生を差し出してきた。
その結果が、これだ。
「…承知いたしました」
私は、静かに、だが冷え切った声で言った。
その声音の異質さに、笑い騒いでいた貴族たちが、わずかに言葉を止める。
「魔法は万能ではありません。使いすぎれば、必ず身を滅ぼします」
私は、殿下の背中に向けて最後のアドバイスを送った。
それはかつてのような進言ではなく、ただの事実の宣告だ。
「もし、今後どうしても返済が追いつかなくなった時は…早めに『自己破産』をご検討くださいませ。身分も名誉も、何もかもを捨ててゼロになれば、あるいは…命だけは助かるかもしれません」
ウィフレド殿下が、怒りに顔を真っ赤にして振り返る。
「自己破産だと!? 貴様、私を誰だと思っている! 王族に向かって、平民の破産手続きなどという不名誉な言葉を――!」
「もっとも。その頃には、誰もあなた方を助けてはくれないでしょうけれど」
私はそれ以上、彼らの顔を見ることはなかった。
怒号が響く中、私は静かに踵を返し、中央階段を下りていった。
背中には、嘲笑と罵声が投げつけられる。だが、不思議とそれらはもう、私の心には届かなかった。
(もうすぐ、24時が来る)
彼らが愛し、使い古しているその特権が、猛毒となって牙を剥く時間が。
会場を出た私は、足早に自室へと向かった。
といっても、そこは聖女に与えられるべき豪華な部屋ではなく、王宮の端にある、かつては物置だった小さな事務室だ。
私は最低限の荷物をまとめた。
5年間の思い出と呼べるものは、驚くほど少ない。
使い慣れた愛用の羽ペン。インクの染みがついた、自分用の小さな帳簿。そして、故郷の両親からの数少ない手紙。それだけを小さなカバンに詰め込むと、私の聖女としての私物はすべて収まった。
廊下に出ると、夜の空気はひどく冷たかった。
体はボロボロだ。一歩歩くごとに、関節が軋み、視界がちかちかと明滅する。肩代わりしていた「負債」が、契約終了を目前にして最後の重圧を私にかけているのだ。
「…リゼット様」
暗い廊下の影から、一人の男が姿を現した。
私はビクリと肩を揺らしたが、その顔を見て、わずかに息をついた。
ルッド。
ウィフレド殿下の側近の一人だが、他の高慢な貴族たちとは違い、下級貴族の出身で、いつも実務に追われている男だ。彼は、私が無理な予算削減をお願いした際、唯一、文句を言わずに帳簿を整理してくれた人物でもある。
「ルッド様…。私を捕らえに来たのですか?」
「まさか。そのような気力も、今の私にはありませんよ」
ルッドは疲れ切った顔で、自嘲気味に笑った。
彼は、私のカバンを横目で見て、すべてを察したように頷いた。
「正面の門は、リゼット様では通してもらえないでしょう。こちらへ…通用口があります。そこからなら、馬車が待つ裏通りへ出られます」
「どうして、親切にしてくれるのですか? 私に関わったことが殿下に知られれば、あなたの立場も…」
「立場、ですか。…私は、あなたほど優秀ではありませんが、それでも、この5年間であなたが何をしていたのか、少しは見てきたつもりです。そして……」
ルッドは、私が会場で床に投げ捨てた冊子を思い出したのか、複雑な表情を浮かべた。
「あの会場にいた者の中で、あなたの言葉を笑わなかったのは、おそらく私だけでしょう。…この国から逃げてください、リゼット様。あなたはもう、この国に十分すぎるほど尽くされた」
ルッドはそう言うと、私を先導するように暗い廊下を歩き始めた。
人目を避ける彼に導かれ、私は幾つもの狭い通路を抜けていく。
ようやく辿り着いた、王宮の通用口。
そこには、冷たい月光が照らす外の世界が広がっていた。
まだ24時にはなっていない。
「ここでお別れです。リゼット様…どうか、ご無事で」
「ルッド様。あなたも…もし無理だと思ったら、早めに決断してくださいね。あなたはまだ、やり直せるはずですから」
私は彼に最後の一礼をし、夜の闇へと足を踏み出した。
背後で、重い鉄の扉が閉まる音が聞こえる。
(さようなら、アステリア王国)
私は馬車に乗り込み、一度も振り返ることなく、暗い街道へと消えていった。
自己破産するにあたって軽く調べた結果
・車、生命保険、家は整理が必要かも
・自己破産しても現金は90万円まで持てる(90万円を超えた所持現金は返済に使われる)
・20万円を超えると思われる資産は売却して返済にあてる
こんな感じのことが分かった
作者は車なし、生命保険解約済み、住居は家族名義だったので
「あれ? デメリット無くない!?」
と気づき、自己破産することに(続きは次回)
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