大雪アラート
静かな夜だった。
舞い散る雪が音を吸い、シンとした静寂に包まれる、そんな夜。
夕方から降り出した雪は日が暮れてからも降り続き、世界の音を消していく。
「だいぶ積りそうですね」
窓の外で地面を埋め尽くして少しずつその高さを増していく雪を見て、明日は仕事に行くのに苦労しそうですと溜息をこぼすエレノア・ベネットにカルスティン・クリューガーはハーブティーの入ったマグカップを渡しながら心配するなと笑う。
「大丈夫だ。道は作っておく」
「つーか仕事になんのか?これ」
湯気のたつマグカップから淹れたてのコーヒーをすすりながらテオバルト・ワーグナーがぼやく。
「蒼玉は総出で城周辺や城下の雪かきだろうな」
同じくコーヒーをすすりながら紅玉もするか?とカルスティンは笑って見せた。
「……やりたくねぇな」
めんどくせぇと顔をしかめるテオバルト。カルスティンはそれをただ笑って受け止める。
「まぁそれは我ら蒼玉騎士団の仕事だ」
紅玉の手を煩わせはしないさ。
翌日。
エレノアとテオバルトが目を覚ますとカルスティンはすでに仕事に行った後のようで。家の中にはその姿はどこにも見当たらなかった。
リビングのテーブルにはふわふわ厚焼き卵サンドと温野菜のサラダ、キッチンの鍋にはベーコンとキャベツのミルクスープが作ってあり、一枚のメモが置かれていた。
『朝食はしっかり食べて出たほうがいい。本部までの道は切り開いておこう。足場が悪い。気をつけろ。』
窓の外は一面の銀世界に覆われ、柔らかに差す光を受けて輝いており、その眩しさに思わず目を細める。
目測で60~70センチといったところだろうか。これだけ積ってしまっては車は出せないなとテオバルトはめんどくさそうに息を吐く。
毎年、冬になれば雪が降り、多少は積る。それでも車が出せなくなるほどは稀だ。普段はせいぜいが30~40センチ。それで積ったなと話すような、そんなレベル。
一晩でここまでの積り方はいつ以来だろうか。記憶にあるのは幼少期に駆け回って遊んだものだから20年近く前だろうか。
「……外出たくねぇな、これ」
子供の頃ならば喜んで走り回ったであろう光景だが今となればこの中を歩いて職場である本部まで行くとなるとただただ億劫だ。
思わず本音が口から出たところで許されるだろう。それくらいにこの積り方は辛い。
「ゲンナリするのはわかるけど、早く準備しないと遅れるわよ」
温めたスープをカップに移し、テーブルまで運んできたエレノアが窓辺で外を眺めるテオバルトに声をかけた。
「……いや、もう今日休まねぇ?二人でのんびりシテようや」
「……これだけ降ってたら休んでても出動要請くるでしょ。紅玉も忙しくなるだろうからさっさと食べなさい」
エレノアへと視線を向けてニヤリと笑って見せたテオバルトをエレノアはスープに口をつけながら窘めた。
ゴロっとした厚切りのベーコンの旨味とキャベツの甘さが溶け出したスープは優しい味わいで体を内からじんわりと温めてくれた。
にんじん、ブロッコリー、ジャガイモ、れんこん、かぼちゃと彩り豊かな温野菜サラダはカルスティンお手製のジンジャードレッシングかけられていて、ノンオイルでさっぱりとしたそれは生姜のピリッとした辛みがアクセントになっている。
パンの倍の厚さがありそうな分厚い卵のサンドイッチは、ふわふわのパンに挟まれた卵がほんのりと甘めのしっかりとした味わいで、食感はふんわりトロトロ、オーロラソースと粒マスタードとの相性も抜群だ。
しぶしぶといった様子で席に着き、テオバルトもサンドイッチを頬張る。
胃が満たされればそれなりにやる気も出てきたのか、はたまた諦めたのか、食事をおえたテオバルトは食器をキッチンの食洗器に入れると仕事の準備を始めたのだった。
「……なんだこれ?」
「……雪像、ですかね?」
騎士団本部前の大広場。綺麗に除雪され、人が一人通れるほどに作られた道を歩いて出勤してきたテオバルトとエレノアはすっかり様変わりした広場の入口で呆然として足を止めた。
普段は緑の芝生がひかれ、設置されたベンチでは城下の人々がくつろぐ憩いの場所であるそこは、雪玉が3つ積まれた雪だるまをはじめとし、動物を模したものや、人物を象ったような精工なものまでが並んでいる。
濃紺の騎士服を纏った大勢の騎士達が雪景色の中、あちこちで雪を集めては運んでいた。
広場の中央には2メートル近い巨大な雪山があり、周囲の雪をどかしては積み上げ、雪山を更に巨大なものにしているようだ。
その雪山の前に、カルスティンの姿を見つけた。横には紫のロングジャケットに片側だけ白のマントを付けたプラチナブロンドの髪の青年が立っており、書類を片手に話し込んでいた。
エレノアが声をかけるか迷っていると、視線に気づいたのかカルスティンがこちらに顔を向けた。カナリアイエローの瞳と目が合うと、隣に立っていた青年もつられる様に書類から顔を上げた。青年のサファイアブルーの瞳がエレノアを捉えると、エレノアは青年に対し片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま挨拶をする。それは身分が上の者に対して女性がとる礼法だ。
「エレノア!テオバルト!」
エレノアとテオバルトの姿を目にとめた青年は笑顔で手を振ってくる。そしてその手でこっちこっちと手招きをしてきた。
それに従うようにエレノアとテオバルトは青年の元に歩を進める。
「おはよう!二人ともちゃんと来たんだな!テオバルトは絶対めんどくさがると思ってたけど」
にこやかな笑顔で言われ、テオバルトは苦笑する。
「ご機嫌麗しゅう、殿下。このような場所で何を?」
「エレノア、そういう堅苦しいのはいい。外交の場とかならともかく今は身内しかいないしな」
もっと気楽でいいぞと笑う相手にエレノアは眉間をわずかによせると溜息をこぼした。
「殿下、こことて公の場であることには変わりありません。いつどこで誰に見られているかわからないのですよ」
もう少し自身のお立場をと窘められ、プラチナブロンドの髪にサファイアブルーの瞳を持つ青年はその端整な顔の、形の良い唇をつまらなそうに突き出した。マクシミリアン・アルトゥール・フォン・リンデンブルグ、それが青年の名であり、ここリンデンブルグ皇国の第一皇子にして第一皇位継承者である。
「相変わらずだな、エレノアは」
唇を尖らせながらマクシミリアンはじっとエレノアの顔を見る。そして。
「そんなところに皺作って怒ってたら綺麗な顔が台無しだぞ」
にかっと笑いながらエレノアの眉間をツンと人差し指でつついた。その刹那、横から伸びてきた手がマクシミリアンの手首を掴み、エレノアから指先をそらす。
「不用意に女性の顔に触れるもんじゃないですよ、殿下」
マクシミリアンの手首を握ったまま、テオバルトは笑顔で告げる。ただその目が笑っていないのは明白で。
マクシミリアンは一瞬、きょとんとした顔でテオバルトを見た後、盛大に吹き出した。
「あはは!さすがの番犬ぶりだなテオバルト!悪い悪い!エレノアも失礼した」
「……いえ、こちらこそ不敬をお詫びいたします」
笑顔のマクシミリアンにテオバルトは手首を放すと謝罪する。
「気にするな!それよりこれを見てくれないか?」
謝罪を受け止め、マクシミリアンは手にした書類をエレノアとテオバルトへと向ける。差し出されたそれをエレノアが受け取り、テオバルトはその手元を覗き込んだ。
「これは……?」
「かなり積ったからな。祭りをすることにした。まずは雪像と城下の子供たちが遊べる滑り台や迷路作る。それから各騎士団の音楽隊の演奏や儀仗隊によるファンシードリル披露!」
マクシミリアンが書類の内容を意気揚々と語っていく。どうやら中央の巨大な雪山は受付を置く予定のかまくらになるようだ。奥にはステージを組み立て、そこが音楽隊や儀仗隊による披露に使われるらしい。これらを明日までに作り上げる計画である。
祭りの開催は明日より2日間。1日目に音楽隊の演奏と儀仗隊のファンシードリル披露、2日目は……。
「騎士団対抗雪合戦だ!」
非常にいい笑顔で告げるマクシミリアンから視線を書類へ移し、エレノアは眉を顰めた。そこには雪合戦のルールなどの要項が纏められていた。エレノアの目を引いたのはそこにあった参加条件だ。
『各チーム3人、各騎士団で最低1チーム、最大5チームまで。下士官のみ参加可能。優勝チームは報奨金及び全騎士団憧れの真珠騎士団との食事会』
「……これ、真珠は参加可能ですか?」
書類から視線を上げてエレノアが訊ねる。参加条件に下士官のみとあるが真珠騎士団は他騎士団とは少々立ち位置が違う。尉官以上の女性のみで構成された特殊な部隊だ。条件にある下士官はいない。
「はは!カミラと同じ反応!真珠は綺麗どころが集まってる割に好戦的だからな。まぁそこも魅力の一つだろうけど」
楽しそうに笑うマクシミリアン。どうやら先に真珠騎士団団長であるカミラ・クラッセンに話を通したらしい。その際に真珠騎士団も参加可能を条件に食事会が決定したそうだ。
「尉官以上しかいない真珠はその規定ではないぞ」
「わかりました。真珠からも1チーム参加させていただきます。チーム編成はいつまでに報告すればよろしいでしょうか?」
「大丈夫!真珠はすでにカミラから参加を受け付けてある。エレノアも参加することになっているから頑張れ!」
笑顔で言われた激励の言葉にエレノアは静かに溜息をついた。とりあえずカミラの元にいき、詳細を確認しなければならない。そして他の参加メンバーと戦略を練らなくては。
食事会などとんだ時間外労働だ。避けるためにもなんとしても優勝する必要がある。
書類をテオバルトへと渡し、失礼しますと一礼したエレノアはその場を後にした。
その後姿を見送り、テオバルトは再び書類へと目を落とす。
「……ってか真珠と食事会とかしたいのか?」
「エリーの食事姿は魅力的だと思うぞ」
カルスティンの言葉にテオバルトはエレノアの食事姿を思い出し、しばし黙考する。
「……とりあえずうちの隊の奴らだけでも戦意は削いどくか……」
「……蒼玉は徹夜作業だ。気力はさておき体力は削っておく」
真珠は女性のみとはいえ少数精鋭で結成される皇后付きの部隊である。下士官に劣ることはないだろうが、念には念を、だ。
二人の不穏な会話を聞きながら、マクシミリアンは再び盛大に吹き出した。
「あはは!本当番犬だな、お前たち!」