4.幼馴染
転校生の彼女と登校する彼。それを気にする幼馴染み。
中学2年生になってからはや2ヶ月。彼女はすっかりこの学校にも慣れたようだし、持ち前の明るい性格でクラスの中心人物になっていた。
僕たちは学校まで一緒に行くのに、不思議と学校のなかで話すことはほとんどなかった。彼女は僕を避けている様子はないし、僕も避けようとはしていない。自然とそうなったのだ。僕はそれを悲しいとか辛いと感じることも不思議となかった。
ある日の帰り道。僕はある女の子と帰っていた。その女の子とは昔からの知り合いで、気を遣うことのない数少ない友達の一人だった。久しぶりに話すので少し緊張したが、すぐにいつものように他愛もない会話をしながら帰り道を歩いていた。
「昔みたいに美久って名前で呼んでくれないんだね。ずっと苗字でしか呼んでくれてない」と女の子はふてくされるように言った。
僕は彼女がそんなことを言うことに驚いた。もう気安く名前で呼び合う年齢でもないと僕は自然と思っていたし、彼女もそう思っていると考えていたからだ。何より彼女がそんなことでふてくされているのが可笑しかった。
彼女と僕は幼稚園からの知り合いで、家も同じマンションにあったことから、昔はよく一緒に遊んだ。彼女はおままごとや人形、ぬいぐるみといったものにあまり興味がなく、僕たちが遊ぶときはいつも決まってヒーローごっこだった。彼女はいつも自分が正義のヒーローになって悪役の僕を倒した。
子供のときの彼女は男の子のように元気でやんちゃでわんぱくで、いつも服を汚して家に帰っていた記憶がある。そんな彼女がまるで恋する女の子ように呼び方一つにふてくされているのが、僕にはとても奇妙に感じられ可笑しかったのだ。
「なんだそれ。昔みたいに何でもどこでも一緒ってわけじゃなし、お互いの名前で呼び合うのなんてむずがゆいし、もうそんな歳でもないでしょ」
僕のその言葉に彼女はさらに不機嫌な顔になる。そんな顔を見ることができず、僕は顔をそらす。そしてとりあえず謝る。昔から彼女のほうに非があっても謝るのは僕のほうだった。それでも彼女の顔がほぐれることはなく、沈黙のままマンションについてしまった。このまま別れてしまうのも何だか嫌だなと僕が思っていると彼女が口を開いた。
「ねぇ。帰ったって今日もどうせ暇なんでしょ。私の家に来てよ」
僕は驚いて彼女の顔を見る。彼女はさっきと違って不機嫌というよりは落ち着かないといった様子だった。僕は彼女の真意が分からずに、なんでと聞く。彼女はそんなことを言わせるのかといった表情で、僕の手を握り強く引っ張る。僕たちはそのままエレベーターを使わずに階段で四階まで駆け上がった。彼女の家の前で僕たちは息を切らしながら、どちらからということもなく笑った。昔に戻ったかのように無邪気に笑った。
僕はここまで来て抵抗するのも情けない気がして、潔く彼女の家におじゃますることにした。
久しぶりの彼女の家は昔とそれほど変わっていなくて、それは彼女の部屋のなかも同じだった。シンプル・イズ・ベストを体現したかのような彼女の部屋はとても落ち着いて、昔から僕は彼女の部屋がとても好きだった。
僕たちは帰りと同じように他愛のないことを話す。これといった話題もなくだらだらとした空気が流れていたが、彼女といるとそんな空気も息苦しく感じなかった。そんな空気のなか、いつの間にか彼女は転校生の話をしていた。
「転校生と同じクラスなんだよね。転校生すっっっごく可愛いって聞くけど、やっぱりそうなの?」
「可愛い可愛くないは人の好みだからね。でも初日、皆可愛いなって盛り上がってたよ」
彼女は僕の答えに小さなため息をついた。求めている答えはそれじゃないよと聞こえてきそうだった。彼女は少し苛立った様子で僕がどう思っているのかともう一度聞いた。
「えっと、可愛いというか他の人とは違った独特な雰囲気を持ってるよね」
彼女は僕の曖昧な返事に大きなため息をつく。そして今度は大きく息を吸うと、僕と転校生の関係を聞いてきた。
「最近噂になってるんだけど、転校生と一緒に登校してるってほんと?」
予想外の質問に僕は返事を上手く返すことができない。一緒に登校しているだけで特別な関係ではないし、秘密にしようと約束していたわけでもない。それでも素直に認めてしまうことは彼女への裏切りに感じたし、彼女との関係が終わってしまうような気もした。かといって幼なじみに嘘をつくわけにはいかない。
僕が黙っていると彼女は腑に落ちないような顔を浮かべながら、もういいよと小さく呟いた。
僕は彼女が昔と変わっていないようで、変わったことに気がついた。今日の彼女は何かが違う。今、僕たちの間に流れる空気は今まで一緒にいた時のそれとは違う。ムズムズして落ち着かなくて、いっそ帰ってしまいたいくらいなのに、温かくて包み込むようで帰ってしまうのがもったいなくて、もう少し味わっていたいような気分にさせるものだった。
そんな空気がしばらく流れていたけれど、僕はどうしようもなくなって帰るために立ち上がった。すると彼女は僕を呼び止めて言った。
「最近まで自分でも知らなかった。転校生と一緒に登校しているって噂聞いて心がざわついたっていうかキューーってしめつけられた。短期間にそこまで距離を詰めてる転校生が羨ましいなって思った。これまでの私たちを追い抜くみたい、引き裂くみたいに感じた。これが嫉妬なんだって。だけど私はこのままの気持ちでいたくない。今まで自分でも気付かなかったくらいだけど、私には好きな人がいる。ものすごく好きな人がいる。こっちを振り向いて欲しい。ねぇ、もう分かるでしょ。振り向いてよ」
僕は彼女に背を向けたまましばらく立っていた。自分がこんな立場になるなんて思ってもいなかった。
振り向くべきかどうか。僕も今の彼女の感情に似たものを知っていた。いや、もしかすると同じものなのかもしれない。でも僕のそれは彼女に向いたものではない。僕のものの矢印は転校生に向いている。でも僕は今の彼女の言葉がとても嬉しくて、それは転校生といるときと似たようなものだった。心臓だって初めて転校生と帰った時のように激しく動いている。
今まで僕の中で彼女は気を遣うことのない友達だった。それがたった今、あの言葉で他の何かに変わったのだろうか。そんなことなどあるのだろうか。
僕のなかを様々な感情や考えが何周も何周もし終わると、僕はなぜか振り向いていた。明確な答えが出たわけじゃない。ただその場を離れることは彼女を裏切って関係を終わらせてしまうようで出来なかった。
彼女は待ってましたといった様子で僕に抱き着いてきた。彼女は僕を強く離さないように抱きしめたが、僕は彼女にそっと触れることしか出来なかった。
次の日転校生の彼女は、昨日僕と幼なじみの実久との間にそんなことがあったなんて知るわけもなく、いつものように僕の家のチャイムを押した。
僕はいつもどおりを装ってドアを開ける。そしていつものように学校に向かった。昨日、あのとき振り返った僕は実久と付き合うことになった。だから今日もいつものように彼女と登校するべきではないのだろう。だけど僕は彼女と登校する時間を捨てることはしなかった。それは彼女にどう説明すればいいか分からなかったからでもあるし、何より僕が彼女と話す時間を無くしたくなかったからだ。
隣の彼女はいつものように明るく元気に話している。しかしいつもより彼女が遠くにいるように感じた。見えない壁が、見えない距離が出来てしまったように、作ってしまったように感じた。




