3.転校生
病室で眠った彼女を見た夜、彼は淡く懐かしい夢を見る。それは中学生のころ、彼と彼女が出会ったころの夢だった。
春休みが終わり、僕は憂鬱な気分をつれて登校中だった。僕はあまり学校が好きではない。それは勉強が嫌いだからとかではなく、学校という場所や集団生活や望ましい生徒像とかそういったものに嫌悪感にも似た居心地の悪さと、自分一人が馴染めていないという孤独からだ。また1年それに耐えなければならないと憂鬱になっていたのだ。
1年次のクラスで校長のつまらない話から始まる始業式を終え、新しいクラスが発表された。そこらじゅうから一緒になれてよかったねといったような言葉が聞えた。やっぱり他の皆は憂鬱な気分をつれていないらしい。和気あいあいとした空気が僕を孤独にしていく。
僕はその場から逃げるように一人足早に新しいクラスの教室へと向かった。そして教室のドアを開けると、そこには既に一人の女の子がいた。女の子は窓の外を暇そうに眺めていた。
女の子はゆっくりと振り返ってこちらを見た。僕をみて可愛らしくはにかむと、はじめましてと言った。僕も小さくはじめましてと答える。少し間があって女の子が何かを言おうとしたとき、廊下から賑やかな声が響いてきた。すると女の子はグッと口をつぐんで何も言わないまま、また窓の外を眺めた。
クラスの皆も教室に入り、担任の先生がくると出席番号順に席に座った。さっきの女の子は僕の席のとなりだった。
そして出席番号順に恒例の軽い自己紹介をすることになった。僕は自分の名前と趣味のことを話して席に座った。そして隣の女の子の番になった。
「ここにいる皆とは初めましてです。東京から転向してきました」と女の子は自己紹介をはじめた。僕は顔すら見覚えがなかったのは転校生だったからかと納得する。クラスの皆は都会からの転校生に興味津々のようだった。
女の子の自己紹介が終わり、そしてクラス全員の自己紹介が終わると先生が連絡事項をいくつか伝えた。形式化された面白味のない連絡事項だ。そのあと僕たちはこれまた恒例の掃除をすることになった。先生は班を窓際から机の縦列ごとに分けた。つまり僕と転校生は同じ班になることはなかった。僕はそのことに少しがっかりし、そしてがっかりしている自分に驚いた。
僕は掃除が好きだった。汚いところを綺麗にすることは神聖なことをしているように感じていたし、間接的に自分が綺麗になったように錯覚するからだ。僕は特に細かいところの掃除が好きだった。例えば教室のドアのレールの溝とか教室の隅っこだ。気づかれないような汚れをとることは、見えない善、良いことをしている気分になれるからだった。
その日も僕はただ掃除だけに集中した。他の班員はサボったり、てきとうに箒で掃いていた。僕はそのことに文句をいうような勇気や気概を持ち合わせてはおらす、ただ黙々と手を動かしていた。
そんな班員たちを注意する声がした。その声の主は転校生だった。転校生は注意というより助言をしているようだ。転校生の言葉には棘はなく、やる気だけを引き出すような魅力を持っていた。
無事に掃除も終わりホームルームも終わったので、僕は教室を出て校門をくぐり自宅を目指す。僕は部活に所属していない。ある程度の選択肢から自由に選び、そして同じ目標や趣味・好みをもった共同体のような部活に興味がなかったわけではないし、そこでは仲が良いと自信をもって言える友達を作れるのではないかという期待もあった。しかし部活は学校という場が前提にあり、学校教育の延長線上にあるものだ。部活は決して学校から切り離された存在ではない。結局僕は部活に入ることができなかった。
いつもどおり一人で帰っていると背後から駆けてくる足音と共に僕を呼ぶ声がした。その声に足を止め振り返ってみると、やはり転校生だった。
「待って、一緒に帰ろう。私も君と同じマンションだから」
転校生のその言葉に僕は驚いた。なぜ転校生が僕の住むマンションを知っているのかと。不審に思っていることが表情から読み取れたのか転校生は理由を話した。それによると今日彼女が登校する際、僕がマンションから出るところを後ろから見ていたらしい。
転校生はとてもお喋りで、聞いてもいないのに色んなことを話してきた。けれど僕は上手く返すことが出来ず、会話としてはちぐはぐだった。それでも転校生は楽しそうにマンションにつくまで話を続けたし、なぜか僕は不快感や居心地の悪さを感じることもなくマンションに辿りついた。
マンションのポストを確認すると彼女は驚きの声を上げた。
「507号室なんだ。私、607号室だよ。今度、引っ越しの挨拶お父さんと行くからね」と彼女はいった。
エレベーターに一緒に乗り、僕が5階で降りるまでたわいのない会話が続いた。僕は親しくない人とエレベーターで一緒になったときの気まずさを彼女に感じることはなかった。むしろ心地よさすら感じていた。
彼女は僕がエレベーターから降りる時、また明日ねと言った。僕が返事を返す前にエレベーターの扉は閉まり上にあがっていった。
僕は自宅のドアを開ける。玄関には母親の靴がまだない。今日も一人だ。そう思いながら靴を脱ぎ、自室に入る。
いつものようにベッドに身を投げて天井を眺める。いつもなら頑張ったなと自分をねぎらうところだったが、今日は違った。僕は転校生の彼女のことを考えていた。運動後とは違う心臓の鼓動を僕は感じていた。こんなことは初めてだった。
自分でもどうしていいか分からずにモヤモヤしていた。落ち着くために深呼吸もした。それでも心臓は落ち着こうとしなかった。この気持ちに気づけと叫ぶように激しく動いていた。
次の日、起きてみると心臓はすっかり落ち着いていた。僕はそれに安心する。歯を磨き朝食を食べ、学校に行くために制服を着る。そんなときインターホンが鳴った。
こんな朝早くに誰だろうと思いながら確認すると、画面は転校生の彼女を映し出していた。
僕は緊張しながらも、はいと答えた。
「よかった。まだ家出てなくて。ね、学校一緒に行こうよ」と彼女は言った。僕がどう返事をするか迷っていると、じゃ出てくるの待ってるからと言って背を向ける。
僕は彼女にせかされるように支度を整えて家を出た。ドアに鍵をかけていると彼女は僕に聞いてきた。
「しっかりと鍵閉めるなんて偉いね。もしかして、もう家族は皆出掛けちゃってるの?」
その質問に対する答えを僕は暗くならないように話す。
「昨日から帰ってきてないよ。きっとまた残業でもしてるんじゃないかな」彼女は少し首を傾げながら両親の二人とも残業なのと聞いてくる。
「僕の親はお母さんだけなんだ。お父さんは小さいときに亡くなったんだ」これを言う度に聞いた人は条件反射のようにプログラムされたようにみんながみんな「ごめん」と口にする。僕は気にしていないのにそんな反応をするなってその度に思っていた。
「そうなんだ。私と同じだね。私の場合はお父さんだけど。ここに引っ越してきたのもそれが理由なんだ。お母さんが亡くなったとき、おばあちゃんが世話をしてくれるって言ってくれたんだけど、わがまま言って単身赴任してるお父さんのところに引っ越してきたんだ」
彼女の横顔はとても悲哀に満ちていて、何と声をかければいいのか分からなかった。分からなかったから僕は「ごめん」と返した。みんなが謝ってしまう理由を少しだけ分かった気がした。
その日から約束をしたわけでもないのに、彼女は僕と学校に行くようになった。毎朝僕の家のチャイムを彼女が押す。僕はチャイムの音が聞こえてくるのをいつしか待つようになっていた。




