12.相似
真っ暗な世界に立っていた。助けを拒まれた僕は1人、真っ暗な世界に立っていた。しかし諦めてはいなかった。僕にはまだ意識がある。彼女を夢から醒まそうという意志がある。そう思った。すると段々世界が眩しい光で照らされた。僕は思わず目を閉じた。
目を開けると、真っ白な天井が目に入った。僕はベッドに横になっていた。とても不思議な夢を見ていた気がする。そんな気持ちで、2度寝をしようともう1度目を閉じると、「起きなさい」という声が耳に入ってくる。懐かしい気もするが、いつも聞いている気もする。
仕方なく体を起こし、歯磨きと顔を洗うために洗面所へ。いつものように寝ぼけまなこで鏡に映る自分を見る。ふと違和感を覚えた。若くなった気がする。しばらく鏡に映る自分を眺め、ようやく思い出した。ここが夢のなかであるということに。
とりあえず、顔を洗い、歯を磨いた。リビングに行くと母親が朝のニュースを見ていた。
「母さん、今日は仕事じゃないの」
母親が朝のニュースをゆっくり見ている光景なんて僕の記憶にはない。僕の朝に母親がいることはまれだったし、いたとしても家事や仕事の準備などで忙しそうにしていた。
「仕事?なにそれ」母親は不思議そうに聞き返してきた。僕は何も答えず、リビングのテーブルに置かれていた食パンを口にする。
どういうわけなのか、この夢には仕事という概念がないらしい。でも仕事があるほうが不思議な気がしてくるものだから、夢とは恐ろしい。
僕がそんなことを考えて食パンを食べていると、母親が急がないといつもの子がくるんじゃないと聞いてきた。
「いつもの子?」
「そうよ。いつも朝に学校に一緒に行こって誘ってくる女の子。昨日も一緒に学校行ってたじゃない。いいわねー。青春って感じで」
母親の言葉から察するに、おそらくこの後、昔のように彼女が僕と一緒に登校するために家に誘いにくるってことだろう。また彼女と会って大丈夫なのだろうかという不安がよぎった。
僕は食パンを牛乳で流し込むと、急いで制服に着替えて鞄を持って玄関のドアを開けた。するとそこには今まさにインターホンを押そうとする彼女が立っていた。
「おはよう」彼女は笑顔でそう言った。
僕たちは一緒に学校に向かっていた。彼女は何事もなかったかのように、いつもと同じ笑顔で話している。
昨日かどうかは定かではないが、僕は彼女にここが夢であること伝えた。しかし伝える前と伝えた後である今に違いを何も感じない。まるであんなことがなかったかのようだ。もし何も影響が出ていないとしたら、僕はこれからどうするべきなのだろうか。
「さっきから難しい顔をして何を考えてるの」
「いや、どうやったら夢から醒ますことが出来るのかなって。どうやったらここが夢だって信じてもらえるのかなって」
「ん?それってどういう意味?」
しまった。あまりにも自然に彼女が聞いてくるものだから、つい正直に答えてしまった。もし前みたいに彼女が怒ってしまったら、今度こそ彼女を夢から醒ますチャンスがなくなってしまうかもしれないのに。
僕が自分の馬鹿さ加減を責め黙っていると、彼女は落ち着いた様子で聞いてきた。
「だから、どういう意味なの」
「いや、別に深い意味はないよ。ただこの世界が自分の見ている夢の世界って言ったら、誰か信じてくれる人はいるのかなーって。ほんと大したことじゃないから忘れて」
「私は信じるよ。ここが私の見ている夢だって言われても」
思ってもいない返事が返ってきたので、僕は一瞬固まってしまう。前に伝えたときは敵対心を丸出しにして、ここが夢であることを否定したのに、今度はなんてあっさりと受け入れるのだろう。僕は思わずどうしてと聞いてしまう。
「うーん、どうしてって言われても…特に理由はないよ。ただ…たまに思っちゃうことがあるんだ。これって現実かなとか、ちゃんと生きてるのかなって。夢を見ているときみたいにさ、なんかふわふわして、ここが現実だっていう実感が沸かないときがあってさ。本当は今、めちゃくちゃリアルな夢を見ているじゃないかとか、夢だと思っていることのほうが実は現実じゃないのかなって思う瞬間があるの。こういうこと感じることない?」
「ない…かな。夢が現実みたいだって思うことはあるけど」
「夢と現実の違いって何なんだろうね。夢って起きてみないと本当の意味で夢とは断言出来ないでしょ。夢のなかで夢と断言するなんて不可能なんだよ。私はね、現実も夢と一緒だと思うんだ。現実のなかで現実と断言することは出来ない。私たちが出来るのは、現実と思い込むことぐらいだよ。そうだとしたら、夢も現実もあんまり変わらないんだよ。どっちも不確かなんだ。けど、その両方の世界で確かなことが1つだけあるんだよね。それはね。自分がいるってこと。自分が感じたり思ったり考えることの大前提は、自分がいるってことなんだから」
僕は彼女の言いたいこと、伝えたいことが分からず黙ってしまう。彼女も僕の言葉を待っているのか、僕の顔を見たまま黙っている。僕は綺麗な彼女に見られるのが恥ずかしくて、彼女から目線を逸らして空を見た。曇り空だった。彼女も空を見上げた。すると太陽が雲から顔を出した。それを見ながら彼女は言う。
「それで、ここが現実じゃなくて夢だったら何だって言うの。何か問題があるの?」
彼女は心の底から疑問だというような表情だった。僕は彼女の問いに具体的に答えることが出来なくて、逆に質問する。
「問題でしょ。夢から醒めなきゃって思わないの?」責めるような口調になった。
「思わないかな。さっきも言ったけど、夢も現実も本質的には変わらないと思っているし、何より私がいるってことはどこにいても変わらない事実だもん。だから、あんまり現実にこだわる必要もないのかなって。それに夢ならいつか醒めるし」
彼女があまりにも軽く答えるものだから、今回は僕の方が声を荒げてしまった。
「そんなの可笑しい。夢と現実は違うじゃん。夢なんかただの幻想じゃん。僕らは現実を一生懸命に生きなきゃいけないよ。現実が辛くても苦しくても踏ん張らなきゃいけないんだよ。後ろを振り返っても、下を向いても前に進む一歩を踏み出さなきゃいけないんだ。それが出来るのは現実だけなんだ」
柄にもなく声を荒げたものだから、最後の方は声が裏返ってしまった。大きく呼吸をする僕を彼女は穏やかな表情で眺めていた。
「言いたいことは分かるよ。けどね、方法がないじゃん。ここが夢なのか現実なのかを区別する方法。確かなことは自分がいるってことだけ」
「あるよ。夢か現実かを区別する方法。夢から醒めたらそれが現実。だから僕がこの夢から…」
僕がすべてを言い終わる前に彼女は僕の言葉を遮った。
「それは違うよ。夢から醒めたっていう夢を見ているかもしれないでしょ。夢から醒めたら現実なんて安直というか、一種の固定観念だよ」
「そ、そんなのただの屁理屈じゃん」僕はこう反論するしかなかった。
「そうだね、そのとおりだよ」彼女はそんなことは言われなくても知っているという様子で、余裕の笑顔を浮かべながらそう返してきた。
僕が何も言えずに歯をかみしめていると、彼女はからかうように言ってきた。
「そんなに現実にこだわるなら、ここが夢だっていうならさ。早くこの夢から醒ましてよ」
「言われなくても最初からそのつもりだよ。僕がこの夢から醒ましてみせる」僕はイライラして怒鳴ってしまう。すると彼女は何も話さなくなってしまった
そんな気まずい雰囲気の僕たちは気が付くと学校についていた。
「やっぱり口だけじゃん。全然何も変わらない。たとえここが夢でもこのままだったら、現実と変わらない」
彼女はそう言うと、1人どんどんと前に進んでいく。僕の体は前のように動かない。そして辺りは暗くなっていく。また失敗してしまった。