一曲目「Beautiful World」
「府雨の音楽記憶」一曲目「Beautiful World」
宇多田ヒカル
AmaLee
エヴァの映画の主題歌として、聴いた音楽。
僕は、なんだか内向的なこの曲が結構好きで、最近聴き直している。
宇多田ヒカルのベストアルバムに入っていて、繰り返し聴いていた。あの黒いアルバム。
買ったのは中学の時だった気がする。
あのアルバムには色々な曲が入っていて、お気に入りは別にあるのだけれど、今日はこれを取り上げる。
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中学生の時は、アニメやラノベにハマっていて、コードギアス、なのは、狼と香辛料その他思い出せないほどたくさんサブカルというジャンルを観た。
たぶんその時の僕は、振り返ると逃げたかったような、そんな気がする。
エヴァで有名な「逃げちゃダメだ」というせりふは、なんとなく嘘くさくて、でも主題歌の宇多田ヒカルは、音調から感じ取れたことだけど、逃げていても大丈夫と慰めてくれていた。
父親が単身赴任で不在の僕の家で、パソコンの前で無法地帯のYouTubeでただひたすらアニメを観ていた。
僕と同い年くらいの中学の仲間は、わかっていたと思う。
逃げてもいつかは戦うことになる。
るろ剣で瀬田宗次郎も言っていた。
「所詮この世は弱肉強食。強き者は勝ち(生き?)、弱き者は死ぬんだ」(だっけ?)
ただ誰も、誰かを殺してまで勝とうとは思わなかったと思う。
優しさは僕らのテーマだった。
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渋谷の63系統で、代々木八幡まで帰る22時のバスの、とても沈鬱とした空気で、弟だけが話しているのをうなずいて聞いている僕は、何歳だったのかもう覚えていない。
友達は、新宿で音楽を聴きながら壁に背をかけて座り込んでいる若者を見て、「まだまだだな」と言った。正直僕もそう思う。でも、何がまだまだなのだろう。孤独に向き合う時の人それぞれのやり方に、いいも悪いもあるのだろうか。
でも僕らも大概だった。
逃げて逃げて逃げて、それが僕らのアイデンティティだ。
頼れるのは「やってみればいいんじゃないの? 別に死ぬわけじゃないし」みたいな声優の声でかっこよくなった決めぜりふだけだった。
親は、どう考えても子供の育て方を知らない。
でも子どもも育ち方を知らない。
指針がない。
でも、今生活していると、少しは大人になったのだなと成長を感じる。わからなさは、わからなさとして楽しめるようになった。
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今思うと、繰り返し繰り返し同じ音楽を聴いて、体に筋をつけるのは、逃げというよりただその場に残るために、つまり意識を保つために行っていた、愛の空白を埋める代償行為だったのかもしれない。
そんな意味がなかったとしても、僕は常に覚醒していた。
まどろんでいる暇はなかった。エナジードリンク「モンスター」がまだコンビニになかった時代。
エヴァのシンジくんをナイーヴと言うのは、まるでナイーヴが悪いみたいだと思った。
少なくとも、僕たちはナイーヴでありたかった。
優等生であり続けたかった。
戦争とは、どこまで綺麗でい続けられるかという競争のことを言う。
いつまでも僕は、綺麗事を吐き続ける。
それが力だった。中学生にとっては学力だった。
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消え入るリフレインの最後の音を追い続ける。
そしてまた最初から音楽が始まる。リピート再生。
リプトンのミルクティーとポテトチップスを合わせながら、テスト勉強をする。
夜の2時にインターフォンが鳴る。
「お母さん倒れてるよ」
階段から落ちた母を見て、頭を打った人を見たのは初めてで、なんて間抜けな人だろうと思った。
「救急車呼んどいたから」
代々木八幡の小さいアパートで、母親を、僕は別に待っていなかったのだけど。なんだか眠れずにいたんだよなぁ。
なんて間抜けなんだろう。
本当にそれだけ思った。悲しいとかそういうこともなく、ただそれが孤独というものの本当の状態、感情のなさだった。
2011年。宇多田ヒカルのアルバムはレコードではないので、擦り切れはしないけれど、よく聴いていた。
歌詞は歌えるけれど、歌詞の意味を考えられるほど国語力がない。それは、今もそうだけど。
歌は音であり、曲も音で、声も音。どこにも意味なんかありはしないんだ。




