第三十六話 祭りの夜(下)
「すざ……っ!」
舞の叫びは人混みのなかに消え失せた。舞は困惑して目をしばたいた。祭りの会場にひしめく人々は、頭上にせまる危機をまだ知らない様子である。先ほど鳴り響いたはずの玲子の銃の音にも特別な感銘を受けてはいないようだ。祭囃子も途絶えていない。舞の目に映るかぎりのなにもかもが色あざやかで、せわしなく、楽しげであった。しかし、まもなくこの風景も阿鼻叫喚の図に変わるはずだ。かの化鳥らの不吉な叫びが鶴のような嘴を裂く、その時には。
(守らなきゃ……私がみんなを守らなきゃいけないのに……!)
「姫さま」
人混みをどうすばやく抜けてきたのだか、舞はいつの間にやら柏木によって一の鳥居の真下まで運ばれていた。その場に舞を降ろして、柏木は生真面目に少女と向き合った。
「失礼ながらお連れできるのはこれまでです。できるだけ遠くに避難されますよう」
「ど、どうやってみんなを避難させるの?」
改めて目の前にする三白眼の偉丈夫の姿に圧倒されながらも、舞は尋ねた。
「みんながパニックになって、いっせいにこの石段に押しかけたら危ないよ」
柏木は少しも動じる様子はなかった。
「適当な理由をつけて皆に一時的に祭りの会場から撤収してもらいます。さほど混乱を招かないように。そうですね、たとえば、せいぜい拝殿でぼや騒ぎといった程度の。ただし、人々が撤収する前に化け物が襲いかかってきた場合には……」
柏木は黒目をわずかに斜め上へと向けた。露店の煌々たる電球を受けて、余った白目に光が点じられた。
「……その場合はこういたします」
一発目の銃声で境内の灯りが一斉に消えた。その音は東の空に広がった大輪の花によってかき消された。ちょうどその瞬間、桜花町の東を流れる東雲川の河川敷で花火が打ち上げられたのだ。境内に喜ばしげなどよめきが起こった。
二発目の花火が頭上を照らし出すとともに、一羽の化鳥の影が夜空いっぱいにひろがった。舞は思わず身を屈めかけたが、影は舞を行き過ぎて境内を囲う木立に墜ちた。舞はまた、夜空めがけて伸べられた銀色のひらめきをも見た気がした。戸惑ったのは、その銀色のひらめきは朱雀のものであったと記憶しているためだった。朱雀が持っていた銃は二挺あって、確か蛍火と短夜と云ったはずだ。先ほど玲子が持っていたのは確か蛍火であったから……
「こうなっては致し方ありません。姫さま、わたくしのそばを離れませぬように」
低いささやきに無言でうなずいて、舞は柏木のスーツの背中に心持ち身を寄せた。柏木のたくましい胴の向こうに、暗闇に埋もれた人々の顔が照らし出されるたびに、舞は心のなかの暗闇でシャッターが切られているような気がしてならなくなった。何もできない自分の姿を撮影されているみたいだ。今こうして眺めているこの景色のなかには舞の大勢の友人がいるのに。美香も、恭弥も、司も……
(それなのに、私は変身もできないんだ。こんな風に右大臣に守られて突っ立っているしかないんだ。玲子さんの言った通りだ。私、ここにいても、邪魔にしかなってない……)
私は京姫なのに――舞は掌の上の鈴を握りしめて胸元に押し当てる。きっと私、いざとなったら変身できるだろうって心のどこかで信じていたんだ。甘えていたんだ。左大臣のアドバイスの意味も深く考えようとしなかった。でも、どうしても私には無理だったんだもの。自分の前世の罪を赦すだなんて……
鮮やかな菊花火が、星や月のみならず夜そのものをも蹴散らかさんとばかりに、次々と爆ぜていく。東の空に横顔を向けている舞はその明滅だけを頬に受けた。光の群れの余波を受けて、撃ち抜かれた化鳥の翼も一瞬なにがしかの色を掴んだようであった。しかし、そうかと思われた瞬間、化鳥の体はいずれも闇に溶けたかのように消え去り、あとにはうっとうしげな夏の夜空が残されるのだ。時に夜空に鳴り渡る悲鳴もまた、砕かれる嘴とともに消えゆく運命にあった。
舞はいつのまにやら夏空の澱みに一心に目を凝らしていた。玲子と柏木は全てを始末したのだ。花火に見入っている群衆の誰一人に気づかれることなく、誰一人を傷つけることもなく。
「片付きました」
柏木は舞を顧みずにそう言った。この人が仕えているのが舞ではないことを、はっきりと告げる声であった。舞は胸の上でそわそわとうごめくものを感じた。
「……ありがとう」
花火の音にかき消されそうな小さな声でつぶやく。何もできなかった自分が情けなくて仕方がない。だが、祭りの楽しげな雰囲気のなかで内省に入っていくことは難しかった。だからといって今更花火を楽しめる舞でもないのだけれど。じっとしている間に襦袢の下にかいた汗がただ心地悪い。
柏木はようやく舞の方へと向き直った。その顔をまともに見上げられない舞は、柏木の堅苦しい声だけを聞いていた。
「避難していただくお手間が省けました。お怪我はございませんか?」
「うん。大丈夫だけど……」
大丈夫だけどこれでいいだなんて思ってないよ、私。これだけでも伝えたかったのだが、舞はやはり臆してしまう。
「それはなによりです」
武器をスーツの胸ポケットへとしまい終えた柏木は恭しく目を伏せてから、ふと、音に惹かれたようにその目を花火の方に転じた。花火の色彩は三白眼のくっきりと濃い黒目に吸い込まれてしまって、却って広い白目の方を潤ませた。それでも目元の皮膚は、この蒸し暑いなかスーツ姿で立っていても少しも汗ばむことがないらしい。間近で柏木の顔を凝視するのはこれが初めてだ。前世ではそばに寄ることさえほとんどなかった。前世の右大臣との思い出はあまりにも乏しすぎる。もっとも印象的なのは、践祚の折の神饗祭の時に(すなわち京姫の即位の時に)姫と帝の新床に参上した姿である。あの時も幼い京姫はこの男に怖じたのだ。なめらかな一枚の檜板の下に燻っているなにものかが、姫を怯えさせた。お優しい帝の義兄上だと聞いて耳を疑ったほどである。
どうして……?どうしてここにいるの?舞は理不尽と思いながらもそう問わざるを得ない。四神や左大臣は京姫との確かな絆があった。紫蘭でさえも。でも、この人は違う。いったいこの人は何を求め、何を探して現世に転生したのだろう。それほど強く追い求めるものがあったというの?……舞にはわからない。わからないからこそ、この人に守られた事実が心地悪くて仕方ない。
舞は今までの違和感の正体に思い至った。あまりにも信じがたいことではあったが……この人は全く同じなのだ。柏木武は転生したのではない。玉藻国に生きた柏木右大臣そのひとが現世にいるのだ。
今はただ柏木武という名が残るのみです――
「右大臣、あなたは……」
舞の言葉は花火にかき消された訳ではなかった。舞の姿もまた、花火の閃光に紛れてしまった訳ではなかった。
「……姫さま?」
ただ言葉の続きのないことを訝しんだ柏木が辺りを見回したとき、舞はすでにその傍らにいなかったのである。
その時、舞は人混みのなかを駆け抜けていた。鈴が鳴った。舞は鈴が導く方へ向けて、拝殿の方へ向けて走っているのだった。下駄が脱げ、桜の髪飾りが落ちて結い上げた髪が乱れていくのがわかったが、もはやかまうものか。石段を駆けのぼる途中で幾度か勢い余って裾を踏んだが、それも気にしなかった。舞の鈴が伝えていのだから。拝殿の近くに敵がいると。舞はまだ京姫であるのだと。
(私、まだ……!)
敵を残らず仕留めたことを、世にも優雅な稲妻のような花火の閃光で確かめて、玲子は暗闇で凝らしていた目を休ませた。眼鏡の度が合わないのかもしれない、と思う。現世に来て容姿だけは悉くそのまま受け継いだのに、鷹のようであった前世の視力を失ってしまったのは手痛かった。きっと母親の遺伝だろうと父は冗談めかして笑っていたが、だとすれば憎らしいことこの上ない。
武器はまだ手に握られていたとはいえ、その一瞬、玲子の気が緩んだのは確かであろう。そうでなければ、かの化鳥が後ろから迫って車椅子の背を押すまでに迎え撃つぐらいの芸当はできたはずであるから。
「……っ!」
けたたましい鳴き声が響いた瞬間、怪物は石炭のごとき趾で車椅子を宙に押し出した。強い衝撃を受けて、玲子の身は車椅子を離れ闇に舞い上がり、急な勾配を成す六十段の石段の高さから地上へと急速に落下していった。玲子はすばやく思案を巡らせる。ひっくり返ってしまった視界を見渡しても掴まれそうなものはない。とにかく頭だけでも庇わなければ。でも、あまりに落下の速度がはやすぎて、体が上手く動いてくれない。絶対に間に合わない……!
「玲子さん!!」
抱き止められたその感覚と自分の名を叫んだ声とを、しばらくの間玲子は結びつけられずにいた。だが、反射的につぶっていた目を開けた時、眼鏡の向こうから心配そうにこちらを見つめるのは、懐かしいあの翡翠の瞳であった。
「姫さま……」
玲子はかすれた声で呼ぶ。どうして舞がここにいるのだろう?それに私はどうなっているのだろうか。まさか舞が……見下ろしてみると、自分よりも小柄な浴衣の細腕にやはり支えられているようである。幸い玲子には当惑よりも義務を優先する分別があった。玲子の理知は眼鏡をかけなおすとともによみがえってきた。
「舞、気をつけて。敵が……」
「わかってます」
舞はすでに数段上に降り立ったおぞましき鳥を睨みつけていた。化鳥は翼を折りたたみ、黄色い単眼の方を二人の少女に向けて、あざけるように大きく一度まばたきをした。
玲子の指は引鉄を滑って汗を掌に包んだ。武器は手許になかった。
「舞、戦えて?」
舞はしっかりとうなずいた。そのうなずきを振動で玲子は感じた。
「さっき鈴が鳴りました。だから変身もできるはず」
「そう……なら、私を降ろして」
言われた通りに玲子の身を降ろすと、舞は怪物と玲子の間に立ちはだかる。かかげた桜の鈴はごく淡い光を放っていた。掌ひとつで覆い隠せてしまう弱々しい光を、舞は信じようとしていた。
低い、喉を鳴らすような乾いた声が、怪物の背から漏れた。新しい汗が首筋を伝って衿のうちに滑り込む。
「舞、私に続けて詞を唱えて」
玲子の声が舞に触れた。
「我は天つ乙女の御杖なり」
「わ、我は天つ乙女の御杖なり……!」
「我が花は地に溢れ、闇に香り、天に満つ」
「我が花は地に溢れ、闇に香り、天に満つ……」
「すなわちみ恵みの絶えることはあらじ」
「すなわちみ恵みの絶えることはあらじ」
「我が名は京姫。清らなる我が身をもて、水底の国、玉藻の国の京を護らん……!」
鈴の音が一度大きくしゃんと鳴り響いた。
鈴の中の小さな桜の花弁が突如として音色とともに風にのって溢れ出し、桜嵐が吹き荒れる――桜の花びらは舞の腕に、胸に、背に、腰に、足に、そして髪に纏わりついたかと思うと眩い輝きを放ってきらびやかな麗しい衣装へと変わっていった。腕には桜の色をそのままに透かした袖が、胸元には桜の花弁をそのままに襟元に散らした背子が現れた。
背中から一度体を取り巻いた桜は一筋の川を作って領巾となり、舞の腰元に巻かれて大きなリボンを作った。太腿を取り巻いていた桜はレースの裾のついたピンク色のミニスカートに。脚にはニーハイソックスが履かされた。足元には桜の花弁の柄がついたピンクゴールドの靴。髪は伸びてふわりと腰元まで波打ち、宝石を散らした、両端に桜の花びらが二枚ずつハート型を描くように飾られたピンクゴールドの宝冠がその頂きを飾る。
長い眠りから覚めたあとのように見開かれた瞳に、みずみずしい翡翠の輝きが双び立った。
桜花神社に舞い降りた京姫の姿に驚き怖じたとみえて、敵はやかましい声をあげつつ長い尾を引きずって不器用にあとずさった。姫は駆け出してその後を追う。化鳥が夜空へ逃げ去ろうとするまさにその瞬間、姫はその尾を踏んで地に留めた。恐怖の色もあらわに飛び立とうともがく怪物は、姫の胸をめがけて長い嘴を数回ほど突き出したが、姫は変わらず尾を踏んだままで軽やかに身をかわした。と、姫の腕に噛みつこうと、化鳥の嘴がくわっと大きく開き赤い舌がその内に生々しくも燃え立った。その一撃を避けて姫が後ろへと飛びのくと、ここぞとばかりに怪物は飛び立たんとした。
「姫!」
玲子が叫ぶ。もちろん、京姫とてみすみす敵を見逃してやるつもりはなかった。着地とともに姫は腰元の領巾をひらりとほどき、その領巾の端を夜空へ向かって投げかけた。桜色の領巾は怪物の足に絡みついた。なおも飛び上がらんと抗う力を左の掌に感じつつ、京姫は右手の袖の色を揺すぶって、すかさず叫んだ。
『桜人!』
吹き荒れる桜の嵐が禍々しき化鳥をまたたく間に取り囲んでいく。化鳥の色は花の色に紛れて消え去った。あとに残されたのは怪物の断末魔のわずかな響きだけであったが、この境内にいる者の誰一人としてそれを聞きつけたものはいなかっただろう。打ち上げ花火の音が全てをかき消してしまったから。
領巾の端がくずれおちてきてやわらかく姫の頬にかかった。京姫は少し目を細めて首を振りそれを払うと、ゆっくりと辺りを見回してみた。そびえる桜の樹の木末を風がさやかにわたっていた。木の葉は眠たげに身を揺すっている。何かの気配と感じるのは、邪悪な生の影に脅かされていた声なきものたちのかすかな息づきなのであろう、きっと……今度こそもう敵は残っていないようだった。
京姫はほうと息をついた。それから姫は変身した自らの姿を見下ろし、その腕や足元を見下ろし、長い髪に触れながら、そうしてそこにある自分自身を、真にここに在るものかと確かめた。ついに変身することができた。前世の記憶を取り戻してから、今ようやくこの日になって。京姫は体が打ち震えるような気がしてならなかった。やっと私はまた戦えるようになったのだ。
「あっ……」
すうっと、ひとりでに変身が解けた。舞は変身後の姿を留めようとするかのように、浴衣のわが身を抱きしめる。変身できるようになるためには、他ならぬ舞自身が罪を赦さなければならないと左大臣は言った。だが、前世の姿でいることはやはりまだ複雑で、舞はまだ京姫の罪を許すことはできない。たとえ前世の姿がどれほど懐かしく、いとおしく思われても。
「清らなる我が身をもて、水底の国、玉藻の国の京を護らん……」
舞はつぶやいてみる。手のなかで鈴が淡い蛍火のように光って、ふっと掻き消えた。舞はそこはかとない優しさのようなものを覚えた。私はこの身が清らなる身ではないことを知っている。玉藻の国も京も、とっくに滅びた。だから、紡いだ詞に意味はない。それでもなお私は戦えるのだと、戦って守らねばならないものがあるのだと、思い出せたから変身できた。
その詞を思い出させてくれた人――
二の鳥居の影に立ち尽くしていた舞はふっと石段を見下ろした。立ち上がれない玲子は、相変わらず舞が降ろした場所に腰をかけて留まっていた。段差に腰かけ、膝と膝とぴたりと寄せ合って斜めに投げ出し、上半身をねじって玲子は舞をじっと見上げているようすであった。と、二人の目が合った瞬間、玲子は紅の頭を深く垂れた。舞はそれが何を意味するかを知っていた。
逡巡が、春の嵐のように舞の胸を訪った。結城司の顔が瞼の裏を過った。怒りを忘れたわけではなかった。しかし、幾星霜を経た再会の喜びには耐えがたい。もしかすると、今宵、舞を変身させたものは、実はなによりも、この喜びであったのかもしれない。戦いへと逸る若駒のごとき心より、なお疾く、喜びは運命へ向かって駆けていったのだ。それは単に懐かしい記憶に迎合しようというだけの感情ではなかった。来し方にも行く末にも罪があり痛みがある。決して消えることはない。ただ積み重ねられ続ける――そのことを知って、少女は荒野を再び歩みだしたのだ。
舞はしずしずと石段を降りていった。石段を下りていたのは舞であり、また京姫であった。花火がやんだあとの薄闇のなかに舞のみ顔はほの白く浮かび上がり、一足ごとに樺色のお髪は揺れて、さやさやと音を立てるかと思われた。表情は凪いだ。そこには高貴にふさわしい感情だけが取り残された。乱れのない優雅な足取りで舞は玲子の礼しているその前まで降りると、雛のようなみ手をつと差し伸べて玲子の頬に触れた。
「姫さま……」
玲子は心持ち顔を上げて細めた目の奥から舞を見つめたあとで、舞の手をそっと押し戴いて再び顔を伏せた。
「朱雀、ただ今参上いたしました」
二人が向かい合っていた静寂は、刹那、守られた。最後の菊花火の一群が夏の夜に満ちたとき、二人は示し合わせたように、ともに東の空を向いた。そして翡翠と紅の瞳に同じ色のきらめきを受けた。二人はお互い交わす言葉も思いつかずに黙り込んでいたが、手はいまだに結び合わされたままであった。
車椅子を一台大破させておいてなぜそんなに機嫌がよいのかと父親に訝しまれながら、玲子は帰宅の途についた。桜花神社の夏祭りは無事に終わった。停電騒ぎは少しあったとはいえすぐにおさまったのだし、桜花市長はビールを幾杯か勧められてほどよい頃合になっていたし、これはおおむね「無事」と称してよいだろう。
ケーキがあるから食堂に来るように、と父から伝言を受けていたので、玲子は一度自室に戻ったけれども、着替えさえすませたらすぐに部屋を出る予定であった。柏木もそれを心得て、主人を部屋まで送り届けたあと、着替えの邪魔にならないようにとすみやかに退室しかけたのだが、扉を出かけたところを呼び止められた。
「柏木、それを」
着替えの服を傍らに寝台の上に腰かけた主人は、窓際の机の上に置かれた包みを指さしていた。誰かからの誕生日の贈り物であるらしいが、高級宝飾店の包装紙から推すにおそらくはルカのものであろうと柏木は当たりをつけた。ゆえにどことなく忌々しいような気持ちで女主人に包みを手渡した。
はたしてそれはルカからのプレゼントであった。宝石をあしらった金のイヤリングの輝きに玲子は満足げに微笑んで、やがて大切そうにジュエリーボックスのなかにしまいこんだ。それから玲子はまだ包みのなかに別の何かが入っていることに心づいたらしかった。
柏木が見ている前で、玲子はひとつめの箱を取り出した。そこには赤いリボンのついたバレッタがおさめられていたが、柏木はおやと思った。ルカの好みにしてはずいぶんと慎ましげだ。ふたつめの箱にはピンクの薔薇の模様の入った陶器のティーセット。こちらも可愛らしい品ではあるが決して高級品とは言えないようだ。みっつめの箱の中身は写真立てであり、金色の枠のなかになにやら写真のようなものがおさめられているのが、柏木にもちらりと見えた気がした。主人の動作が止まってしまったのはその写真立てが出てきた瞬間からだった。
「……お嬢様、旦那様がお待ちです」
柏木が忠告してもなお玲子は写真立てから目を逸らそうとしなかった。
「お嬢様……」
「すぐに行くとお父さまにお伝えして。それから……それからしばらくひとりにして」
矛盾したことを命じているとわかっていらっしゃるのだろうか。主人に抗う習慣のない柏木は仕方なくその場を後にしたが、写真立てに無心に目を注いでいる主人のいつにない様子が気にかからない訳ではなかった。部屋を去りながら遠く一瞥したとき、主人の目は潤んでいるようにも見えた。柏木はおやと思って片眉を上げた。しかし、さすがに錯覚であったのだろう。
玲子が膝の上に載せて見つめ遣っている、その写真立てにはありし日の少女たちの姿がある――京姫、青龍、玄武、白虎、そして朱雀。四神たちは京姫を囲むようにして立っていた。まるで記念写真を撮っているかのように。背後の風景は恐らく桜陵殿の春の昼下がりで、やわらかな陽ざしと桜の花がが五人の髪に肩に降り注いでいる。みんな楽しそうに笑顔を浮かべていた。朱雀でさえも。
写真などない時代のものだから、ただ思い出と絵筆に任せて。苦しかった時代のものだから、思い切って美しく楽しげに。もう戻れない時代のものだからこそ、それは懐かしく、いとおしく、切なくなるほどに…………
Happy Birthday 朱雀!――絵の端にはそう書かれていた。




