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どっちも!

炎暑の黄昏。


寮に帰ると、食堂のテレビでは特番が流れていた。


画面に映っていたのは、一人の男だった。


――レジェンド、鈴木 元。


数々の前人未到の記録を残し、球界の歴史そのものを変えてきた男。


画面の中で、記者が問いかける。


「成功の秘訣は何ですか?」


鈴木は少し考えた。


そして、どこか楽しそうに笑った。


「例えば、誰もやらないから自分もやらない」


その場にいた誰もが、彼の言葉に耳を傾ける。


「誰かに言われたからやらない」


鈴木は続けた。


「そういうのに、反抗してきたからですかね」


その言葉が――胸に刺さった。


俺の心の奥で、何かが揺れ動く。


その晩。


ベッドに横になり、俺は暗い天井を見つめていた。


愛知大会決勝。


152km/h。


自己最速。


それでも、負けた。


陽田 蘭。


あの打球。


あの乾いた音。


閉じた瞼の奥で、何度も再生される。


「……」


ふと、視界の端に何かが見えた。


グローブ。


左投げ用のグローブ。


俺はゆっくりと体を起こした。


「左……」


右では届かなかった。


ならば。


(どっちもやるのは……どうだろう)


その瞬間。


胸の奥に残っていた火が、少しだけ大きくなった。



勝は早速、左投げ用のグローブを持って投球練習へ向かった。


外はまだ、昼間の熱を残していた。


校舎の裏。


いつも一人で壁当てをしている場所。


勝はボールを握る。


左手で。


(変な感じだな……)


右手にグローブをはめる。


それだけなのに、まるで別人になったような感覚だった。


ゆっくりと振りかぶる。


ぎこちないフォーム。


軸足も分からない。


身体のバランスが、何もかもおかしい。


「……えいっ」


シュッ。


ボールは壁に届く前に、大きく地面へ叩きつけられた。


「……だよな」


苦笑いがこぼれる。


もう一球。


振りかぶる。


投げる。


シュッ。


今度は、とんでもない方向へ飛んだ。


「うわっ……」


また拾う。


もう一球。


もう一球。


何度も。


何度も。


何度も。


ボールは暴れた。


腕は思うように動かない。


右で投げるときには意識すらしない動作が、左では一つひとつ難しい。


それでも。


勝は投げ続けた。


――誰もやらないから、自分もやらない。


その言葉が頭の中で繰り返される。


――誰かに言われたから、やらない。


「……誰が決めたんだよ」


勝はボールを拾う。


「右でしか投げちゃいけないなんて」


空は、いつの間にか暗くなっていた。


「はぁ……」


汗が首筋を流れる。


「はぁ……」


シャツが身体に張り付いている。


腕も重い。


それでも。


「もう一球だけ」


勝はボールを握った。


左手で。


振りかぶる。


踏み込む。


腕を振る。


シュッ。


ドンッ!


壁に、乾いた音が響いた。


「……!」


勝の目が開かれる。


初めて。


まともに。


まっすぐ。


壁まで届いた。


胸の奥が、熱くなった。


「……」


汗だらけの顔に、笑みが浮かぶ。


「いけるかもな」


右でも投げる。


左でも投げる。


誰もやらないなら――俺がやる。



季節は移り、空気が少しずつ爽やかになっていった。


初秋。


それから一か月。


秋季大会が目前に迫っていた。


練習後。


グラウンドの端で、銀が俺の顔をじっと見ていた。


「なあ、勝」


「ん?」


「お前、俺に何か隠してないか?」


勝は一瞬、動きを止めた。


中尾 銀。


高波が引退したあと、一塁手から捕手へ転向し、今では完全に正捕手の座を掴んでいた。


以前よりも、ずっと俺の投球を近くで見ている。


だからこそ。


気づかれていたのかもしれない。


「……」


勝は少し間を置いた。


「実は」


銀が眉を上げる。


「俺、この一か月……サウスポーの練習してるんだ」


沈黙。


銀の表情が止まった。


数秒。


いや、実際にはもっと短かったかもしれない。


「……」


「……なんだよ、それ」


やっぱり。


そう思った。


そりゃそうだ。


急に利き腕と逆で投げる練習を始めたなんて、普通なら意味が分からない。


勝が目を逸らしかけた、そのときだった。


「めっちゃいいじゃん!!」


「……は?」


銀が、両手を叩いた。


「いや、めちゃくちゃ面白いだろ! 何それ!」


「……否定しないのか?」


「なんで否定するんだよ」


銀は笑う。


「右で151キロ、152キロ投げてる奴が、今度は左でも投げようとしてんだろ?」


そして、勝の肩を軽く叩いた。


「そんなの、ロマンしかないじゃん」


胸の奥が、また熱くなる。


「……銀」


「で?」


「で?」


「今、左でどれくらい出るんだ?」


勝は少し黙った。


「……まだ計ってない」


「よし」


銀はミットを手に取った。


「じゃあ、今から計ろうぜ」


「は?」


「俺が捕る」


夕暮れのグラウンド。


ミットを構えた銀が、笑った。


「見せてくれよ、勝」


右だけじゃない。


「二つ目の武器を」


勝は、左手でボールを握った。


胸の奥の火が、もう消える気配はなかった。


誰もやらないなら。


俺がやる。

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