たどりつく、じかん。
十年を越えた頃、魔法はようやく世界の境界を超えることに成功する。
しかし、そこから先も、思うように進まないことの方が多く、さらに膨大な時間を有した。
境界を越えても、次は、意識を超えさせなければならない。
超えられても、誰の意識にも触れられない。
ひとつ解決するたびに、また新しい問題が現れた。
それでも私たちは、その度に術式を書き換え、何度も試した。
時間は有り余っていた。
私が生きている限り、彼も生きている証ではあるけれど、それでもこの目で確かめるまでは、安心できない。
さらに、二十年、三十年と時間は過ぎて行く。
ここでの生活にも慣れてきて、維深が術式を書き始めれば、必要なものを用意し、実験が始まれば、少し離れる。
「なんで離れるの?」
「前に巻き込まれたからよ」
「あれはもう起きないよ」
「その言葉、三回は聞いたわ」
そんな会話をすることも、当たり前になっていた。
そして、どれほどの年月が過ぎた頃だっただろう。
初めてほんの一瞬――
名前も知らない、誰かの意識に触れた。
声を届けることすらできなかったが、確かに、別の世界に存在する誰かへ辿り着いたのだ。
さらに改良を重ねた。
触れるだけだった魔法は、声を届けられるようになった。
声を届けるだけだった魔法は、相手と会話できるようになり、長い年月をかけて出来上がっていった。
世界を越え、誰かの意識と繋がる。
どの世界に繋がるのかは、分からない。
誰に繋がるのかも、分からない。
特定の相手を指定することは、しなかった。
「やろうと思えば、できなくはないと思うよ」
紙に書き込みをしていた維深がある日、そう言った。
「でも、やっぱり危ないからやめとこう」
万に届いたとしても、その前に魔王に気付かれるかもしれない。
だからそれだけは、できなかった。
生きていると知られれば、今度こそ、亡き者にされてしまうだろう。
だから私たちは、最後まで相手を指定する術を魔法に加えなかった。
ひたすらに完成した魔法を使って、何度も世界を越えた。
あの世界の誰かへ届けば――
そんな、気の遠くなるほど小さな可能性に縋り続けた。
そして百二十年目の、ある夜。
「……維深」
「ん?」
本を読んでいた維深が顔を上げる。
「今日、試してみてもいいかしら」
「いいけど」
ぱたりと本が閉じられる。
「珍しいね。今日は君から?」
「ええ」
「何かあった?」
「……何も」
(ただ…)
「なんとなく、今日は使った方がいい気がするの」
説明できない何かを、感じていた。
維深はそれ以上、聞かなかった。
「そっか、んじゃ、やろうか」
立ち上がり、慣れた手つきで準備を始める。
何十年以上も繰り返してきた魔法。
今では、失敗して煙が出ることもない。
私は目を閉じ、ゆっくりと意識を集中させる。
維深の魔力が、私を包む。
何度も感じた感覚。
意識が身体から離れ、遠くへ伸びていく。
森を抜け、世界を抜ける。
そして、境界を、越えたその先、何もない場所を、漂う。
ただ、魔法に身を委ねる。
「……!」
その時感じた、今までとは違う。
胸の奥が、大きく震えた。
身体が引っ張られ、瞼を強く閉じる。
途切れそうになる意識を、必死に掴む。
そして、ようやく辿り着いた先で、一人の存在に、繋がった。
「……それが、翠ちゃんだったの」
「え……」
思わず、顔をあげる。
私の表情を見て澄が、小さく笑う。
「あなたが神妃になった、あの夜」
その言葉に乗って、風が吹いた。
木々が揺れ、葉が静かに音を立てる。
百二十年前、想羅から受け取った、ほんの僅かな神気が澄をこの世界へ運んだ。
そして百二十年後。
誰に届くかも分からない魔法が、私へ届いた。
そこまでの足跡は、私には想像もできないものだっただろう。
想羅の腕の中にいる澄を見ながら、私は言葉が浮かんでこなかった。
ただ、この光景は、奇跡に等しいほど、眩しく映った。




