ふみこむ、けつい。
数日後――
彼の提案から、気づけば日が過ぎていた。
そろそろ返事をしなければと、意を決して布団から起き上がる。
「ふぅ……」
ここ数日、考えすぎて息が詰まりそうだった。
けれど結局、答えらしい答えは出なかった。
(無駄に時間を過ごしただけかもな)
――いや、一つだけあった。
一緒に住むこと自体に、抵抗はない。
それに気づいたのは、仕事の休憩中。
ぼんやり弁当を食べていたときだった。
驚いた拍子に、箸からウィンナーがぽろりと落ちる。
……あの瞬間の自分の顔は、思い出したくない。
そこからさらに考えた。
じゃあ、なぜ頷けないのか。
答えは出なかった。
「……うーん」
今日こそ決めようと、窓辺に手をかける。
(……あ)
ふと、思い至る。
(一緒に住んだほうが、時雨さんの負担が減るんじゃ……)
まだ私は、神妃になるかどうかさえ決めきれていない。
それでも、繋がりがある以上、異変には気づいてしまう。
なら、最初から近くにいたほうがいい。
そのほうが、きっと――
(……ああ、そっか)
答えは、とっくに出ていたのだ。
彼だから、一緒に住めると思った。
その時点で。
足りなかったのは、覚悟だけ。
そう気づいた途端、胸の奥がすっと軽くなる。
「……よし」
小さく息を吐いた。
身なりを整え、緑雨の前でしゃがみ込む。
「お待たせ。行こっか、緑雨」
「ワン!」
元気よく返事をした緑雨が、肩へと飛び乗ってきた。
ドアノブに手をかけ、家を出る。
(なんて言えばいいんだろ……)
歩きながら、頭の中で言葉を転がす。
「よろしくお願いします」だと、なんだか違う。
かといって、長くなるのも違う気がする。
――そうこうしているうちに、店に着いてしまった。
もはや道は、体が覚えているらしい。
苦笑しながら、軽く拳を握る。
「よしっ」
高鳴る鼓動に背中を押されるまま、扉へ手をかけた。
カラン、カラン――
「こんにちは〜」
見慣れた店内。
箒を持った彼の姿が、目に入る。
「こんにちは」
気づいた彼が、やわらかく目を細めた。
「っ……」
(破壊力、強すぎ……)
ここ最近ずっと考えていたせいか、余計に効く。
「お好きな席へどうぞ」
そう言って背を向けかけた彼を、慌てて呼び止める。
「時雨さん!」
「はい」
振り返った彼と、視線が合う。
「その……えっと……」
喉が、うまく動かない。
――でも。
これを逃したら、きっとまた迷う。
一度だけ、深く息を吸う。
そして。
「よろしく、お願いします……!」
「……?」
(違う違う違う!何に対しての“よろしく”!?)
大事なところが、丸ごと抜けている。
案の定、時雨さんは首を傾げていた。
(そうだよね!そうなるよね…!)
自分の顔を両手で覆い隠したくなるのを堪えながら、目を泳がせる。
「えっと…、その」
「はい」
優しい声色が耳に届いて、私は、ゆっくりと彼を見る。
「し、時雨さんが、良ければ、一緒に住まわせてもらえないかな…と、思いまして、」
我ながら歯切れは良くないが、要点は言えたとほめておこう。
「……」
「…」
シーンと静まり返る店内。
うんともすんとも言わず固まっている彼。
私もどうしたら良いのかわからず、ただ視線を外した。
しばらく沈黙は続き、秒針と共に全身が強張っていく。
私は耐えきれず、「やっぱり忘れてください」と息を吸い込んだ瞬間、何とも言えない表情の彼が口を開いた。
「え、えっと、その…ありがとうございます。自分で言っておいてなんですが、まさか承諾いただけるとは思っていなかったので、少し驚きました…お腹は空いていますか?」
(…ん?)
このタイミングで空腹かどうかを問われるとは思っておらず、返答よりも先に戸惑いで反応が遅れる。
「す、少しだけ」
「では、夕食を準備しますので、好きなところにおかけになってお待ちください」
「はい…」
少し速足で去っていく彼の耳が、赤くなっていることに気づく。
その姿は普段の冷静さからは、想像もつかない姿で、先ほどまで揺れていた感情に代わって、愛おしさが込み上げてくる感覚に支配された。
それを振り切るように、私は定位置に向かい、座って彼を待つ。
今日も変わらず、温かい日差しが差し込んでいた。
「…お待たせしました。ご飯にしましょうか」
そう言って、お盆を私の前と向かい側に置いてくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
不思議と食事中は他愛ない話で盛り上がり、片付けまでスムーズに時間が流れた。
落ち着いたころに、二人でお茶を飲みながら、いつから越してくるかの話題になる。
「時雨さん的には、いつからが都合いいですか?」
「僕はいつでも問題ないですよ」
平然と言ってのける彼に、彼の赤面のボタンは掴みにくいなと思いながら、決めに決めきれなかった件が頭に浮かんだ。
(一緒に住むまで言えたんだから、覚悟決めないと、ダメだよね)
一度息を深く吐き、探り探り、言葉を紡ぐ。
「その、私なりに考えてみたんです…いろいろと、神妃になることも含めて」
(私は護ってもらう身で、きっと時雨さんの役に立てることはそんなにない…だから、私の存在で少しでも時雨さんの力になれるのなら…)
彼の世界の事や、難しいことはまだわからないが、彼の役に立てることが、自分にとっても嬉しいことであることは、唯一はっきりしている。
そして、一緒に暮らしてもらうのであれば、曖昧なままではなく、意思を固めておきたかった。
彼は何も言わず、私の言葉を聞いている。
「考えて、私は、そばにいたい。私にできることは少ないだろうし、迷惑をかけることの方が多いのかもしれない…けれど、時雨さんが望んでくれるのなら…私も力になれるように努力したいんです」
私は、少し俯き気味に話していたが、半ば強引に、彼を見つめた。
「…時雨さんの神妃にしてくれませんか?」




